清津の軍楽隊

 清津にひとりの農民がいました。もう何十年も、革命精神に燃えて田畑を耕し、生活総和でも積極的に発言してきました。
 しかし寄る年波で、鍬をもつ手もぶるぶるふるえ、田植戦闘突撃隊に参加しても、ノルマをこなすことができません。それに歯もすっかり抜けてしまい、生活総和でもふにゃふにゃと、何を言っているのかわからないありさまです。農民はこう思いました。
「わしはすっかり老いぼれて、もはや指導者様のお役に立てなくなってしまった。このままひとさまのお世話になって生きながらえるより、いっそ清津に行こう。あそこなら漁師にでもなって、なんとか食っていけるだけのものは手にはいるだろう」
 ほんとうは、誠意と忠心さえあれば、指導者様のお役に立てない人などというものはこの世にいないのです。それに指導者様は、生涯を祖国のために捧げた人をけっして見捨てるようなお方ではないのですが、なにしろ農民は一徹で無学でしたから、間違った思いこみで固まってしまったのです。
 思い立ったが吉日、農民はありったけの私有物を農民市場に持ち込み、米と煙草に交換しました。それを人民班長や安全部員に配ってまわり、ようやくのことで清津までの通行証を手に入れました。
 わずかに残った煙草は、清津までの路銀と、舟を買う資金にすることにして、農民はゆっくりと、徒歩で清津むかって旅をはじめました。

 農民がしばらく歩くと、道ばたで兵隊さんがハアハアと息を切らしてうずくまっているのに出会いました。
「どうしたんだい兵隊さん、そんなにハアハア息をきらしてさ。アメリカ人が攻めてきたのかい」
 すると兵隊さんはきっとなって、言い返しました。
「アメリカ人が百万人攻めてきたって、たとえ自分勝手に独占しようとしてる原爆を爆発させたって、おれは祖国のために戦い抜いてみせる。帝国野郎をみな殺しにしてやるさ。でもなあ、それよりもっと恐ろしいことが起こったんだ」
 兵隊さんは急にしょんぼりとして、語りはじめました。
「実は、おれと仲のいい従兄弟が、家族ぐるみ南鮮に逃げやがったんだ。それで安全部員がやってきて、おれも腐敗思想に毒されているだろうって、さんざん追求されたんだ。そのときは隊長がかばってくれたんだが、おれはもうおしまいだ。明日には収容所送りになるだろうよ」
 農民は兵隊さんを気の毒に思って、一緒に来ないかと誘いました。
「わしと一緒に清津へ行こう。あそこは大都会だから、逃げても見つからないだろう。ほとぼりをさまして、わしと一緒に魚を獲って、稼ぎためた金を献金すれば、お前の忠誠心は再評価されるだろうよ」
 そこで兵隊さんは、農民と一緒に清津へ行くことにしました。

 農民と兵隊、ふたりで清津むかってとぼとぼと歩いていると、娘というにはちょっと無理のある年ごろの女性が道にすわっていました。派手なチョゴリを身にまとっているのに、三日のあいだ、パンのひとかけらにもありつけなかったような顔をしています。
「やあ、きれいなアジュモニ。浮かない顔してどうしたんだい」
 と、兵隊は声をかけました。
「これから縛り首だってのに、いったいどこのだれがニコニコするっていうんだい」
 老嬢はつんけんと答えました。
「いったいどうしたっていうんだい」
「あたしはね、これでも喜び組の一員だったのさ。指導者様のお疲れを癒すために、歌ったり踊ったりしてきたんだ。まあ、現役は引退して、最近は若い娘にダンスや歌を教えてたんだけどね。ところが、あたしが目をかけていた娘が、指導者様に抱かれるのがイヤだとかたわけた事を言いだして、バイオリンを弾いていた男と逃げちまったのさ。もちろんすぐに捕まって、二人とも銃殺さね。ああ、ああ、明日はあたしも連座で告発され、たぶん公開処刑、よくって北のお山で死ぬまで石炭掘りだわね」
「そいつは気の毒だ。どうだい、わしらと一緒に、清津に逃げてみないか」
 気のいい農民は、老嬢を旅に誘いました。どうせ死ぬなら、と、老嬢もついていくことにしました。

 三人組の逃亡者は、ある工場の横をとおりました。どうやらついさっき、火薬が爆発したらしく、硫黄のけむりがあたりにたちこめ、まだ地面のあちこちがぶすぶすとくすぶっていました。そんなところで、ひとりの男が顔をまっくろにして、何かわめいていました。
「どうやらあいつ、チョッパリらしいぞ。あの言葉は倭語だ」
 と兵隊はいいました。
 同僚の帰胞から、ちょっとだけ日本語を習ったことのある兵隊が、その男に話しかけてみました。
「どうしたんだ、ごつい身体の倭人よ」
「まっこと儂にも、とんと訳がわからんのぢゃ」謎の日本人は叫びました。
「火薬の加減をちっと間違えて、おっ詰めて、ずんとぶっ放したと思うたらこの始末だんべい。ぶったまげた話だんべい。三間玉をぶっちがいて、えげれす人をぶち殺すべいと、さすればこれぢゃ。おお、そういえば、安之進どのはどこぢゃ。重太郎はいづこぢゃ」
 まったくわけのわからないことばかり言うこの男、しかも日本人をどうするか、三人はしばらく話しあったのですが、結局、いっしょに清津に連れてゆくことにしました。かわいそうに思ったこともありますが、なんといってもこの、鈴音となのる男は、武器と金を持っていましたから、なにかと役に立つだろう、と思ったのです。
「それに、この男は豊臣関白家、というのを、しきりに尊敬しているらしい」と兵隊はいいました。
「豊というのは、チョッパリの言葉でお金という意味だ。関白ってのは、亭主関白とかいって、ありえないほど強い男のことを呼ぶらしい。つまり、われわれの言葉でいえば金将軍様だ。おれたちとこの男とは、言葉こそ違うが、同じものをあがめているのさ」

 四人はついに清津につきました。日本人の持っている金を闇市場にもちこみ、中国人民元や腕時計、食料や覚醒剤などと交換しました。それから船着き場へ行き、ボスに話をつけ、小さな船と、ガソリンを手に入れました。そして、いよいよ出航しました。
 え、どうして目的地だった清津から、また出ていくのかって? それは、清津もけっして、いいところじゃなかったからです。港はさびれ、イカも明太もとりつくされて、闇市場だけが大きく、浮浪児(コッチェビ)があちこちにたむろして、おまけにひもじい人たちが暴動を起こしたり、猩紅熱やチフスなどの伝染病がうようよはびこっているありさまです。
「これならいっそ、この船に乗って、もっといいところへ行こう」
 農民の言葉に、三人はうなずき、船出することに衆議一決したのです。

 しばらく船に乗っていくと陸地が見えました。
「うむむ、この檜の森ぢゃと、まっこと津軽の領地だんべい。陸奥の国ぢゃな」
 鈴音の言葉を信じて、四人は上陸し、南にむかってどんどん歩いていきました。
 しかし一日では約束の地にたどりつくことはできませんでした。日が暮れたころ、大きな館にさしかかったので、そこで一晩をすごそうと考えました。
 実はその館は、盗賊のねじろだったのです。
 帝国主義の盗賊たちはアジアの人民を侵略し搾取し、生産者たちの米や豚や鶏や犬をとりあげ、ここでのうのうと安逸をむさぼっていたのです。
 もちろん、こんなことが許されるはずはありません。四人はその館を強制占拠しました。将軍様の教えにより兵隊はパルチザン戦略を立て、農民は鍬をふりまわし、老嬢はひっかき、鈴音は強薬六連発銃をぶっぱなしたもので、盗賊どもは命からがら逃げていきました。
「さて、これでゆっくり寝られるぞ」
 搾取されたものを取り戻し、四人は米の飯と肉のスープをおなかいっぱい食べ、すやすやと眠りにつきました。

 みじめにも逃げのびた帝国主義の盗賊たちは、おかしらに泣きつきました。
 盗賊のかしらは貧相なうえに、統率力も人を見る目もまるっきりなく、盗賊団とはいえ、なんでかしらに選ばれたのか、まったく理解に苦しむ人物でしたが、ともかくかしらはかしらです。かしらは、手下のひとりに様子を見に行かせました。
 ひとりめの手下が館にこっそり忍びこむと、家のなかはシーンとしずまりかえっています。台所に入ってみると、小さなビンがたいせつそうに置かれています。
「これはきっと、あいつらが祖国から持ってきた高価な朝鮮人参にちがいない。しめしめ、もうけたぞ」 手下はビンを自分のふところに入れました。
 ところがそのとき、この男は農民にみつかってしまいました。
「この倭奴め、これでもくらえ」
 男はひしゃくでとても高価な水をかけられ、びしょびしょになって逃げていきました。ところが高価なはずの水が、とてもきたないピッチになって身体のあちこちにこびりつき、汚らしくてどうにもなりません。男はくるしまぎれにビンの薬を飲んだのですが、それがネコイラズだったのでたまりません。とうとう死んでしまいました。

 ひとりめの男が戻ってこないので、かしらは他の手下をゆかせました。ところがどいつもこいつも、館の家賃を経費に計上したり、盗賊のねじろのはずの館に愛人を囲ったり、その愛人は産む機械だと言ったりしたので、盗賊なかまからもつまはじきにされてしまい、どこかに逃げてしまいました。

 最後にかしらは、自分のいちばんの子分を館によこしました。
「武装難民の可能性もある。難民はかわいそうだというレベルの話ではない」
 そういいながら子分は館に入ったのですが、たちまち老嬢にみつかって、得意の長い爪でひっかかれました。あわてて裏口から逃げようとしたのですが、そこで寝ていた農民をふんずけたので、鍬で思い切りひっぱたかれました。ますますあわてた手下は、庭にとびだしたところ、こんどは兵隊に護衛総局直伝の拳法でぶんなぐられました。
 おまけに鈴音も、このさわぎに自慢の六連発銃を持ちだし、
「有吉鉄砲寮舎人源十郎鈴音、豊臣家の御危機を聞き、朝鮮より泳いで参った!!!」
 とぶっ放したものですから、この子分も命からがら逃げていきました。

 ボロボロにされた子分は、むちゅうになって、かしらのところにかえっていきました。
「おかしら、あのうちには、おっそろしい従軍慰安婦がいます。いきなり、あっしに問題をふっかけたかと思うと、アメリカ人と一緒になって、あっしに謝罪と賠償を求めやがったんでさ。戸のまえには強制連行者が立っていて、奴隷労働の戦後補償をあっしに突きつけてきやがる。庭には元日本兵がねこんでいて、軍人恩給をよこせとであっしをぶんなぐります。おまけに屋根には軍神がいて、『戦争犯罪者の合祀された神社への拝礼は許さぬ』と、どなりながらミサイルを射ちやがるんです。とにかく、あっしは、ほうほうのていで逃げてきましたんでさ」
 こうなってはどうしようもありません。盗賊のかしらはついに屈服し、いつものように意味のよくわからな言い回しで、ついに館のことを断念しました。
「え、正式なコメントは差し控えたいものながら、事実上のデファクトという事実を厳正に見つめることにかんがみ、ふるさとを思う心を大切にしたい、かような思いで、骨太ながらも慎重な姿勢で、揺ぎない立場に立ち、当局には粛々と、厳正に対処していただきたいと、えー、思うのでありますが、法に定められているものの中におきまして、関係各所は責任を果たした、と考えており、彼らが占拠しなければならなかった状況につき、われわれの責任は責任として痛感し、慚愧に堪えぬと申しますか、残念な思いで、真相究明を望むとともに、国益を損ねぬよう、アジアの健全な発展という観点からも、未来志向で、率直に話し合える環境を作り、国民的議論を十分に踏まえた上で、幅広く検討を進めていき、さらに力強い改革を続けていく、えー、かように力強く約束するものであります」

 いっぽう四人は、この館が気に入ってしまい、国籍こそ取りませんでしたが、この館で安楽にずっと暮らしたということです。もし資金繰りが破綻してなければ、まだ暮らしています。

 教訓。指導者様の愛はあまねく衆生に及び、けっして見捨てることはない。あと、勝手に他人のキャラをムチャクチャにするんじゃない。


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