鍋のある風景

 そろそろ師走の声を聞くころとなり、めっきり寒くなってまいりました。仕事帰りにコートの襟を立てながら、「ああ、ゆっくり温泉にでもつかって、蟹鍋でもつつきてえなあ」などという呟きが思わず出てくる人もいましょうが、めったなことを言ってはいけません。

 温泉に限らず、この寒い季節にはやはり鍋が似合う。しかし何の鍋がふさわしいか、鍋でなにを煮こみたいか、これには血で血を洗う激論の歴史がある。
 まず最大派閥はカニ派である。鍋の中のあざやかな赤さ、ダシの美味さ、高級感。まさにキング・オブ・鍋といっても過言でないカニの風格に魅せられた信者は多い。
 しかし、ちょっと待て、と物言いをつけるのが第二派閥のフグ派である。高級感ならフグだって黙ってはいられない。カニが赤ならフグには白の美学がある。ひょっとすると当たるかもしれないというスリルとともに味わうあの危険な香り、おこちゃまのカニ派にはわかんねえだろうなあ、とフグ派は誇る。
 何がスリルだ、とカニ派は反論する。てめえんとこのフグはそのスリルを抜いたらタラと変わらねえじゃないか。たかが白身魚に目の飛び出るような値段つけやがって。それにだいたい、フグ鍋って下関ローカルじゃねえか。田舎者は田舎にすっこんでろ。
 何をてめえ、それなら言わせてもらうけどな、とフグ派は反駁する。カニはだいたい食うのに手間がかかりすぎて、話がはずまないんだよ。和気藹々と談論風発するのが鍋の楽しみだというのに、カニ鍋だとみんなうつむいて殻を変なスプーンでほじくってばっかなんだよ。暗いんだよ。だいいちフグは、養殖や輸送の発達によって全国規模に展開してるのを知らないか。

 激化するばかりの二大派閥の政権闘争に、調停者が現れる。まあまあ、赤のカニと白のフグ、たしかにどっちにも美学がありましょう。そこでですな、とボタン鍋派が折衷案を提出する。赤も白もどっちも美しいということにして、赤と白をかねそなえた猪肉を第一等ということにしては?
 折衷案は完全に無視される。土手鍋派も赤味噌とカキの白さでボタン鍋派に対抗しようとしていたが、この情勢を見て法案提出を断念する。どぜう鍋派もにょろにょろと調停しようとしたが、季節外れだすっこんでろ、と一喝されてひきさがる。
 かつては第三の派閥とまで呼ばれたしゃぶしゃぶ派は、ノーパンしゃぶしゃぶのダメージからいまだに回復できず、また牛しゃぶ、豚しゃぶに割れて派内抗争をくりかえし、中にはカニしゃぶやフグしゃぶなど最大派閥に色目を使うメンバーもいるくらいで、もはや派の体をなしていない。

 もともとカニ鍋派は親ロシア、フグ鍋派は親韓国である。先日のプーチン大統領訪日は、カニ鍋派の工作によるものだという。フグ鍋派が悪意をこめて流した噂では、プーチン大統領は小泉首相に、カニの輸入枠拡大、日露共同操業範囲の拡大、宮廷晩餐会でのカニ鍋の採用を働きかけたという。また鈴木宗男の復権もジンギスカン鍋のブームも、あきらかにカニ鍋派の仕掛けだという。
 重鎮・御大とかつて呼ばれていたスッポン鍋派は、いまは闘争をよそに京都に隠棲しているが、いよいよ中国と結んでまた鍋の表舞台に返り咲くという噂も流れている。
 そこで現れたのが国際派である。「鍋の世界標準」をモットーに、チゲ鍋派と火鍋派が圧力をかける。これにタイスキ派、トムヤムクン派、ポトフ派も追随し、さらにミルク鍋派、豆乳鍋派、ラーメン鍋派などの珍鍋奇鍋泡沫政党が尻馬に乗る。
 ただし火鍋派は、スッポン鍋派と密約を交わしたという噂がもっぱらで、そのリーダーシップに疑問を抱く派も多いという。なんでも、火鍋と酸菜鍋を日本で自由化する代償として、国際鍋連でスッポン鍋を日本最高級鍋として認定し、蟹鍋とフグ鍋の頭越しに、スッポン鍋を日本のトップに立たせるという陰謀だとか。
 なんでもトップでなければ気がおさまらないアメリカだが、鍋の世界ではまだ多数派はおろか、泡沫派閥すら作れていない。かつて「アメリカ鍋」を提唱し、SPAMとコーンとアボカドをタバスコ味のトマトスープで煮込んでみたが、「ゲテモノじゃん」の一言で却下された。「アメリカは鍋でなくサラダだからいいのだ」と要人は言ったとか言わないとか。

 さらに「高級感よりも大衆の味を」をモットーに、二大派閥による五五年体制の終焉を訴えているのがおでん派である。
 こちらも大根や卵、コンニャクやガンモなど強烈なキャラクターを誇り、根強い個人的人気を背景にかなりの支持を得ているが、残念なことにちくわぶの処遇をめぐって関東と関西で紛争が起こって基盤が揺らいでおり、大きなムーブメントを起こせない状態にあるようだ。また、最大実力者の大根が、石狩鍋派に引き抜かれるとの噂も絶えない。

 こうした情勢をよそに、犬鍋派、ハリハリ鍋派、イラブー鍋派などの過激派は地下に潜る。潜伏して鍋ゲリラを育成し、鍋奉行を対象に一人一鍋のテロを行っているらしい。なんでも、有望そうな青年に麻薬入りの鍋を食わせ、「わが組織に忠誠を尽くせば天国でこんな鍋が毎日食えるぞ」と洗脳しているらしい。

 先日も新宿の歌舞伎町で、「やっぱ蟹鍋だよね」と呟いた仕事帰りのサラリーマンが数人の男に袋叩きにされた事件があった。犯人の身元はまだわかっていない。くれぐれもうかつに鍋については語らないように。さもなくば私のよ


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