病について、ふたたび考える

 20世紀の人類は天然痘を根絶し、ペストとコレラをごく一部地域のみに封じ込めた。近代医学は高らかに勝利のラッパを吹き鳴らした。しかし、愚かな人類を嘲笑うかのように、世紀末には新たなる業病が世界を席巻した。エイズ、狂牛病、鶏インフルエンザである。

 エイズについては以前に書いたので繰り返すまい。
 狂牛病と鶏インフルエンザは、どちらも動物が媒介する病気という共通点をもつ。
 ふつう業病というほどの病気はウィルスにより感染するのだが、狂牛病は食い物から伝染するという珍しい特徴をもつ。羊や牛の脳が変成してできた蛋白質を食うと伝染するわけだ。もともと牛や羊は同類の脳を食う習慣はないので、ごくたまに突然変異で生じるだけの病気だった。それを家畜飼育の産業化とともに、家畜の内臓や屑肉を家畜飼料として与えるようになり、伝染の可能性を飛躍的に増大させたわけだ。狂牛病は言ってみれば、水俣病やイタイイタイ病と同じく、産業化にともなって生じた公害病である。
 鶏インフルエンザも同様に、産業化の産物である。もともと哺乳類や鳥類はインフルエンザに感染し、それぞれのウィルスを持っている。ウィルスの性質はだいたい似ているので、相互感染する。昔から、豚や馬や鶏にインフルエンザを移されることはあった。ただ鶏をケージで大量に飼育することにより、その可能性が増大しただけである。流行したのがタイ、ベトナム、日本、上海、香港、シンガポールなど、家畜飼育が産業化しつつも管理体制がずさんという中途半端な開発国であるのは偶然ではない。狂牛病も、家畜飼育が産業化しつつも管理体制がゼロに近いアメリカでもっとも問題になっている。アメリカは否定しているが、一部報道から推察するに、アメリカ国内だけでも狂牛病伝染牛は三桁、それから伝染した人も二桁から三桁はいるものと思われる。
 しかし残念なことに、狂牛病は伝染の確率がひじょうに低い。鶏インフルエンザは所詮はインフルエンザだから、なんといっても魅力に乏しい。どちらも致命的な欠陥があるため、かつての天然痘やチフスの栄光にはとうてい届くまい。せいぜい膝蓋粘液腫くらいなものか。

 しかし、動物媒介の病気をもうひとつ、何か忘れてはいないだろうか。
 エボラ出血熱である。
 なんといっても死亡率が約70%と高いのが魅力である。治療法がまだないのもいい。そして感染経路が不明なところもミステリアスだ。チンパンジーなどの猿が媒介するのではないかと言われているが、いかにも暗黒大陸アフリカの病気らしい。
 なによりも病状が素晴らしい。潜伏期間は三日から三週間。スピーディだ。まず高熱を発し、頭痛、腹痛、全身至るところの筋肉痛を訴える。そして血を吐く。鼻血を出す。肛門から出血する。さらに臓器が溶け、全身の皮膚がどろどろに溶け、膿と血で全身じゅくじゅくになって息絶える。ここまで発症してから十日以内。あくまでスピーディだ。どうです、まるで梅毒とペストと天然痘とエイズのいいとこをかけあわせたような病気ではありませんか。
 むろん欠点もある。まず、これまでアフリカ中央部以外での発生はまったく見られていない。単なる風土病じゃないかと馬鹿にする人もいる。しかし、全世界を恐怖のどん底に陥れた大流行病も、かつては風土病だったことがあるのだ。ペストはギリシア時代にはシリア、リビア、エジプトの風土病にすぎなかったが、人口集中とクマネズミの普及という条件を得て世界へ広まった。狂牛病はかつてアルプスの踊羊病やニューギニアのクルでしかなかったが、家畜飼育の産業化という条件を得て世界に飛躍した。エボラ出血熱も、何らかの条件を得て世界に羽ばたかないとも限らないのだ。

 私はふと考える。いま、日本は史上空前のペットブームだという。犬や猫はもとより、ヨーロッパのフェレットやハリネズミ、南米のイモリやプレイリードッグ、アフリカの猿やヤマアラシを飼う人も多い。これらが媒介となって、日本にエボラ旋風が吹き荒れる日が来るのではないか。もっともっと多くのアフリカ産動物が日本に輸入密輸され、感染の可能性が増大するのではないだろうか。そしてアフリカの動物から日本の動物、そして人間にウィルスを移していくのではないだろうか。日本では犬と平気でキスをする人間も多い。流行するには絶好の条件だろう。
 ある日、チワワを愛撫していた女性がとつぜん高熱を発し、血を吐いて死ぬ。同じころ、イモリを眺めていた主婦がそのまま水槽に顔を突っ込んで死んでいる。ペットを飼っている人の多くがこの病に倒れ、そのほとんどが死んでいく。助かる者はいない。
 政府は慌てふためいて対策を立てるがすでに遅い。パニック状態となった住民は、ペットを飼っている家を襲撃し、犬や猫を撲殺しては焼いてまわるが、そんなことをしても無駄である。ついに恐怖から、ありもしない幻覚を見る輩が出る。第三国人が貯水池に病原菌を投げ込んだというデマが流れ、罪のない人々が虐殺される。この業病は日本人の犯した罪の報いだ、罪をあがなえば病は消えるという新興宗教が興り、多くの人々が裸で踊りながら行進する。日本は無政府状態となる。内閣は慌てて非常事態宣言を出し、軍隊を出動させ、鎮圧しようとするが、もうどうにもならない。軍隊そのものが暴徒と化している。
 エボラの時代が来るのだ。
 この予測は、けっしてエボラ事ではない。


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