十二人のシュトロハイム

「これが、お父さんの生まれた空気なのね!」
 あたしはUボートが港に着くと、まっさきに駆けおりて、ドイツの空気をいっぱいに吸いこんだ。ちょっと油の臭いがするけど、うーん、いい気持ち!
「キールという港です。わがドイツの誇る軍港ですよ」
 Uボートの中でずっとあたしの世話をやいてくれたお兄ちゃんは、片眼鏡(モノクル)をちょっと指でつまみながら説明してくれた。そのたびにモノクルがきらきらと輝く。わが兄ながら、カッコいいんだなこれが。まだちょっとあどけなさが残っていて、モノクルが顔にしっくりこないところがあるけど、そこがまたいいんだなこれが。
「マイン・シュヴェスター。日本からの長旅でさぞや疲れたでしょう」
「ぜーんぜん疲れてないよ!」
 コレ、お世辞じゃなくてホントのこと。潜水艦って狭くて暗くて暑苦しくて臭いとばっかり思っていたんだけど、乗ってみたらぜーんぜん違うの。ま、狭いのはしょうがないけど、清潔だし照明は明るいし清潔で臭くなんかないし、なにより空調と冷房で、すんごく快適だったの。
 それにみんな、とーっても親切だったの。艦長のフランケンシュタイン大尉はいかめしい顔だったけど、とっても優しかったし。機関長のミュンヒハウゼン中尉はおどけ者で、いっつも変な顔をしてあたしを笑わせるんだ。水兵はみんなお嬢様みたいに扱ってくれたし。そして、なんといってもわが兄。クリス・フォン・シュトロハイム中尉。Uボート69号の先任将校兼水雷長。カレが、ずーっとそばにいてくれたから。

 そろそろお話の説明をするね。
 あたしの名前はシュトロハイム・いね。当年とって十五歳、花も恥じらうオトメでござんす。
 変な名前だって? ぷんぷーん。これには事情があるのデスよ。
 あたしのお母さんは米山繁子。生粋の日本人よ。坊ちゃんで有名な、伊予松山の産。
 あたしのお父さんはフリッツ・フォン・シュトロハイム。由緒正しきドイツ貴族の家柄を誇り、勇猛かつ剛胆な陸軍大佐だったそうな。
 お父さんは前の戦争のとき、負傷して青島で日本軍の捕虜になったんだって。そこで松山の捕虜収容所に送られ、そこでお母さんと出逢い、ま、見そめたってワケね。
 お父さんにはドイツ人の奥さんがいて息子もいたんだけど、戦争前に奥さんが死んじゃったのよね。だから淋しかったんじゃないかな。
 で、戦争が終わって、ドイツ大使館の駐在武官として日本にまたやってきたとき、お母さんと結婚して、そして、あたしという玉のような女の子が産まれたってわけ。

 あたしが五歳のとき、お父さんはひとり本国へ一時帰国してたんだけど、そのとき暴動に巻き込まれて死んじゃったんだって。それからはお母さんとあたしで暮らしていたんだけど、こないだ、お母さんもチフスで死んじゃったの。
 ひとりぼっちで心細かったあたしの前にやってきたのは、丘の上の王子様さながらのりりしいドイツ人青年将校。そ、むろん、あたしのお兄ちゃん、クリス・フォン・シュトロハイム中尉のことよ。お母さんの前の奥さんの息子さんね。
「ドイツにはあなたのお兄さんが十二人もいます。みんな、あなたを歓迎します。どうか、ドイツへいらしてください」
 そんなわけであたしは、挺身少女隊とヒトラーユーゲントの親善使節交換の一員として、このUボートに乗って、は〜るばる来たぜ〜ナチスドイツ〜というワケなのです。ちゃんちゃん。

 あたしとクリス兄さんは、ハーケンクロイツのマークがついた立派な車に乗り込んだ。運転手はうやうやしくドアを開けてくれる。いやーん、あたしってお嬢様?
「これからザクセンハウゼンに行きます」
「え? ベルリンじゃないの?」
「いえ、ベルリンの手前にあるので。そこに兄たちも揃って、あなたをお待ちしていますよ」
 すんげー広い道路を、車はすべるように走る。まるで揺れたりしないの。やっぱドイツの科学力は世界一ってことかしら。日本じゃ考えられないわ。
 途中、ちょっと寝ちゃったんで(やべっ、あたしってハシタナイ!)時間がよくわかんないけど、着いたときにはもう日が暮れかかっていた。
 車から降りて、石畳の広い道を歩くと、正面にすんごく立派な門が見えてきた。まっ白の壁に黒っぽい屋根。お、お屋敷かしら。

 門をくぐって、もっと立派な建物のひとつにクリス兄さんは入っていく。あたしも遅れないよう、チョコチョコと走りながらついていく。クリス兄さん、足が長いもんだから歩くのが早いのよ。でもそれって、レディをエスコートする態度じゃないぞ、ぷんぷん。
 ひとつの部屋に入ると、そこにいた人がいっせいに立ち上がり、あたしに敬礼した。あの、はいる、ひっとらーってヤツね。
 みんなと並んで敬礼したクリス兄さんが、あたしに説明してくれた。
「ここにいるのが、みんな君の兄さんだよ」
 いっせいにみんな、白い歯を見せてにこっと笑う。その瞬間、みんなのモノクルが夕陽を反射してきらりと光った。な、なんと、みんなモノクルしているのよ。きゃいーん!!

「ぼくのことはもう知っているよね、シュヴェスターいね。クリス・フォン・シュトロハイム。三十歳で末っ子だ。海軍中尉、Uボート69号の先任将校と水雷長をつとめている。では、兄さんたちもどうぞ」
 こうして十二人の兄さんたちの自己紹介がはじまった。

「私は長男のジャック・フォン・シュトロハイム。よろしくマインダーム」
 ジャック兄さんは三十九歳。背がすらりと高くて、いかにも貴族って感じの風采。近衛文麿なんかよりもず〜〜〜〜っと貴族的! モノクルがすんごく似合うのよねー。じゅるじゅる(はっ、あたしったらなんてコトを!)。でも、泣く子も黙るSSどくろ団の上級師団長なんだって。ヒトは見かけによらないわね。

「僕は次男のケビン・フォン・シュトロハイム。フロイライン・いね、歓迎するよ」
 ケビン兄さんは三十七歳。ちょっと小柄で、怪我をしたのかちょっと足を引きずっている。屈折した感じのヒトだけど、それだけにモノクルがよく似合うのよね〜。軍医少佐で、ここザクセンハウゼンの施設にいるんだって。

「わしは三男のデビッド・フォン・シュトロハイム。兄貴と呼んでくれると嬉しいな、マインフラウいね。はっはっは」
 三十五歳のデビッド兄さんは、ジャック兄さんとは対照的。がっちりとした体格で、握手した手もごつごつと節くれだっていた。それもそのはず、ドイツ労働戦線の指導者なんだって。でも、なんでかモノクルが似合うのよ、フシギに。

「ワタクシは、四男の、ケリー・フォン・シュトロハイム。マイン・ソーン・シュヴェスター・いね。ドイツを気に入っていただければ、光栄のきわみ」
 言葉をやたらに区切って言う癖のあるケリー兄さんは、ちょっともったいぶったところがあるけど、それだけにモノクルがぴったりくるのよねぇ。三十四歳で、ゲシュタポの中央本部付き調査室長なんだって。

「やあ、ボクは五男のマイク・フォン・シュトロハイム。よく来たねフラウ」
 くったくのないざっくばらんなマイク兄さんは、こっちがクリス兄さんより末っ子って感じ。クリス兄さんの二つ上の三十二歳なんだけど。あんまり身なりにかまわないらしく、服もちょっとヨレてるし、モノクルもしょっちゅうずり落ちてるの。でもそこが愛らしいんだなぁ。ヒトラーユーゲントの文化部長だそうよ。

「わたくしはランス・フォン・シュトロハイム。フリッツ叔父さんの養子です。ごきげんよう、ジー」
 ランス兄さんはフリッツ父さんの弟の息子だったんだけど、早くに死んだので、フリッツ父さんが引き取って育てたんだって。物静かでうやうやしく、忠実な執事って感じよね。モノクルも端正な美しさなのよ。三十八歳で、ナチス党の下フランケン管区指導者ですって。

「俺はワルド・フォン・シュトロハイム。やっぱり養子だ。よろしくなドゥー」
 ワルド兄さんは戦災孤児だったの。そのせいかな、ちょっと悪ガキってイメージがあるわね。いまも腕まくりして、さあこれから喧嘩に行くぞ、ってな感じ。それでもなんか、モノクルがいいのよねえ。三十七歳で、デア・シュトゥルマーって新聞の編集次長なの。

「儂はE・H・フォン・シュトロハイムやはり養子ですはじめましてダームヒェン」
 早口で流れるような口調で言ったE・H兄さん。それもそのはずアナウンサーなんだって。色白で彫りの深い端正な顔に、モノクルが顔の一部みたいにキマってるの。三十五歳。

「私めはミステル・フォン・シュトロハイム。これも養子です。お見知り置きのほどを、フロウレン」
 こちらも流れるような口調なんだけど、どこか芝居がかってるわ。小柄なハンサムのミステル兄さんは三十三歳のマジシャン。

「オレはバイキング・フォン・シュトロハイム。養子稼業でござんす。いやしかし、フリッツの父さんはどうやって、こんな可愛い娘をこさえやがったのかねえ。いやはや。とにもかくにもマインフラウ、よく来たね」
 いつもニヤニヤと笑いながらのバイキング兄さんは三十二歳。ウーファ映画のコメディアン兼映画監督だそうよ。モノクルを落として「モノクル、モノクル」と探すギャグが得意なんだって。そのせいでちょっと傷がついているわ。それもなんかヤンチャ坊主みたいで、イイッ!て感じ。

「あたしゃクラプトン・フォン・シュトロハイムさ。やっぱ養子さ。まあ仲良くやろうよ、フラウヒェン」
 ちょっとハラヘラした感じだけど、優男だからモノクルがしっくりしてるわ。クラプトン兄さんは三十歳の作曲家。

 十二人の兄さんはいっせいに立ち上がると、あたしにまたナチス式の敬礼をした。
「歓迎する、わが妹よ! ジークいね!!」
 そのとき十二のモノクルがキラリと光った。

 それから料理やお酒が運ばれてきて、あたしの歓迎会になった。十二人の兄さんは料理を取り分けてくれたり、シャンパンを注いでくれたり、とっても優しかった。いいなあ、兄さんってこんなもんだったのかぁ、と思うと、ちょっと涙がにじんできた。
 そのうち、慣れないシャンパンの酔いがまわってきたのか、眠くなってきた。
「疲れたようだね、フロイライン・いね。寝室の用意はできているよ。その前にシャワーを浴びたらどうかな」
 ケビン兄さんの言葉に、ジャック兄さんも同調した。
「そうだな。長旅の汗を洗い流すがいい」

 あたしはケビン兄さんの案内で、浴室に入った。銭湯みたいに広いの。きっとおおぜいの兵隊さんが入るようにできてるんだわ。
 恥ずかしいけど服を脱いで、ズロースも脱いで(ちょっとカワイイのをはいてきたんだ、エヘッ)、シャワーの下に立って蛇口を回した。あれ? なんにも出てこないよ。断水かな?
 きゃーーーーーっ!!!!
 い、いつの間にか、兄さんたち、十二人の兄さんたちが、浴室の前に来て、覗き口みたいなガラスの窓から、あたしを覗いているうううぅぅぅぅぅっ!!!
「それは水も湯も出ないよ。ダミーだからな」
 ケビン兄さんが言った。
 へ???
 ダミーって、どういうこと??
 それになんか、ケビン兄さんの表情が、さっきとは別人みたいに厳しいのも気になるぅっ!

「さよならフラウ。水や湯じゃなく、もうすぐガスが出るのさ」
 マイク兄さんも、なんかイヤな目つきで、あたしのことをじろじろ見ながら言った。
 ガスって、お湯を沸かすガス?
「君にいてもらっては困るのだよ」
 ジャック兄さんも冷酷な顔でそう言った。
「血がつながらないとはいえ、劣等民族の妹がいるなんて」
 とランス兄さん。
「わしらの出世のさまたげになるだけだ」
 とデビッド兄さん。
「そんなわけだ。ごめんね」
 クリス兄さんまで、なんでそんなに冷たい眼をするの?

「さらば、わが妹よ」
 ジャック兄さんはそう言うと、ガラス窓を閉めた。
 最後にモノクルがきらりと光って、そして消えた。
 天井からシュウシュウと白い煙が降りてきた。


付記:文中のドイツ語は出鱈目です。

ある日突然12人の30代眼鏡のお兄さんが出来た雑文祭(if→itself提唱)


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