アメリカのない世界

 料理の歴史なんて、けっこう底の浅いものなのだなと思うことがある。
 たとえば日本料理なんてのも意外なほど歴史が浅い。外人が日本料理というとまず思い浮かぶのがスシ、テンプラ、スキヤキだというが、握り寿司と天ぷらは江戸時代も中期以降にできた料理、すきやきに至っては明治になってからの料理だ。そばも江戸時代の後期だから、忠臣蔵で吉良邸の様子を探るために浅野浪人はうどん屋に化けた。ちなみに刺身にワサビを添えるようになったのも江戸の後期からで、それまではカツオのタタキのようにショウガを添えたり、鮎の塩焼きのように蓼酢で食っていたらしい。
 こういうのはよその国にも多い。中国のマーボー豆腐は清の末期、せいぜい百年ほど前の創作料理だというし、タイで大流行のタイスキに至っては、四十年ほど前に日本を訪れたタイ人がしゃぶしゃぶを真似たのが大ヒットしたとか(中国へ行って火鍋を真似たという異説もある。まあしゃぶしゃぶのモトも火鍋なわけだが)。
 もっとも最近ではタイでもタイスキは下火で、朝鮮風焼き肉鍋がとってかわるきざしを見せているとか。この鍋、ジンギスカンのように真ん中が盛り上がっており、そこで肉を焼くと肉汁が低い周辺部にしたたり落ちる。ジンギスカンだとそこで野菜を炒めるのだが、タイではそこにはじめからスープを注いでおく。中央部で肉を焼くもよし、周辺部でエビを煮るもよし。いっぺんに焼き肉としゃぶしゃぶが楽しめるお得感覚がうけているらしい。

 しかしなんといっても、わからないのは朝鮮半島とイタリアである。
 キムチのない朝鮮料理、トマトソースのないイタリア料理など想像できるだろうか。しかし確実にそれは存在した。唐辛子もトマトも、アメリカ大陸からやってきたものだからだ。アメリカ特有の作物としては、唐辛子とトマトの他に、ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、トウモロコシなどという大物から、インゲンマメ、ピーナッツ、キャッサバ、バニラ、カカオ、アボカド、パイナップル、パパイヤなどという中小物まで数多い。

 おまえは朝鮮のことばかり気にしているが、唐辛子で辛くするのが得意な国はアジアにいくらでもある、とりあえずタイはどうする、インドはどうなる。トムヤムクンとカレーの立場はどうなる、バンコクのホテルで出てくるトロピカルフルーツも半分はアメリカ原産ではないか、おまえは朝鮮半島の回し者か、と怒る人がいるかもしれない。
 しかし、考えてもみよ。インドには五千種類のスパイスがあると聞く。その中で唐辛子ひとつ足りないくらい、なんのことはあろう。辛い味くらい、印度魔術でいくらでも作り出せるだろう、と思わせるだけのものがインドにはある。タイはどうかというと、あのアバウトでいいかげんな国だ。きっと唐辛子やパイナップルやパパイヤがないことくらい、パクチーとナンプラーとドリアンとスマイルでなんとかするに違いない、と思わせるだけのものがタイにはある。朝鮮にはない。なんもない。唐辛子がなかったらどうにもならない国なのだ。
 唐辛子は日本でいえば戦国時代ごろ伝来し、江戸時代になって定着した。どうやら、豊臣秀吉の征朝の役のとき、日本軍が伝えたらしい。むろん負けず嫌いの韓国人のことだから、この説をヒステリックに否定する人間はいっぱいいるが。
 で、唐辛子のなかった時代はどうしていたかというと、やはり日本のように蓼や山椒や胡椒やショウガで代用していたらしい。いま北朝鮮では、キムチに使う唐辛子が手に入らないので白菜を塩漬けにしているとか、白菜すら手に入らなくて塩を舐めているとか言われているが、戦国時代の昔に戻ったということだろうか。そういえば北朝鮮の名作怪獣映画「プルガサリ」は戦国時代の朝鮮が舞台だが、なんかキムチを食っていたような気もするのだが。

 イタリア料理からトマトを抜いても、かなり困ったことになってしまう。しかも唐辛子もダメだ。ジャガイモもダメ。カボチャもダメ。となると、ラタトゥイユが駄目ミートソースも駄目トマトソースはもちろん駄目ピザもパスタもほとんど駄目ミラノ風カツレツもソースが駄目ミネストローネもやっぱり駄目サバの香草焼きもむろん駄目ブルスケッタもとうぜん駄目ガスパッチョもそもそも駄目カプレーゼもぜんぜん駄目。なにを食えというのだ。
 ついでにいうとスパゲティだってもともとは外国の料理だという。マルコポーロが元から麺類の製法を伝えたというのが定説だが、やっぱりイタリアにも負けず嫌いがいるらしくて、ギリシアで考案されたとか言いふらしている人がいるらしい。
 それはともかく、スパゲティはない、唐辛子はない、では、半茶さんの名作「ペペロンチーノの作り方」だって書きようがない。無理に書いても、

冷えたフライパンにオリーブオイル、にんにくを入れ窓から飛び降りる。

 と、はなはだ簡略なものとなってしまう。まるで自由律俳句のようだ。

 アメリカの食文化第一次侵略はかくして成功し、ヨーロッパとアジアに大きな爪痕を残した。ついでにいうとアメリカの原産はこういう食品のほかにも、タバコと梅毒がある。こちらも全世界を席巻した。タバコがなかったら、ハードボイルドの探偵はどうやってカッコをつければいいのだ。梅毒がなかったら、ニーチェはどうやって哲学を考えたというのだ。酢昆布をしゃぶるマーロウ、淋病に悩むニーチェなんて想像できるか。
 第二次侵略は現在進行中だ。奴らはいま、マクドナルドとケンタッキーとコーラとハードロックカフェとクラブメッドを全世界にはびこらせようとしている。勝利の日は近い。


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