ラブコメ十戒

 や、私がただいまご紹介にあずかりました汀涙雪でございます。はは、私のような白髪の爺さんにはふさわしくない名前でしょう。でもラブコメの世界に生きる者は、すべからく凝った華麗な名前をつけるべし、というのがラブコメ界の掟なのです。どうかお許しください。
 さて、このラブコメ大会、通称ラブコンも今回でついに第二十回をむかえました。最初は牛久産業会館を間借りして細々と開催されたラブコン(通称カパコン)も、いまやこの東京ビッグサイトを借り切って三日間連続の開催(通称サイコン9)。めでたいことです。
 ラブコメ界もいよいよ隆盛で、めでたいことです。ラブコメコーナーのない書店はなく、ベストセラーの上位五作はラブコメ。ノンフィクション部門の第一位は「氷室冴子回想録」。「ラブコメ新潮」「ラブコメの海」「カドカワラブコメ」「このラブコメがすごい!」などのラブコメ雑誌は順調に売れ、「創元ラブコメ文庫」「幻冬社ラブコメ文庫」「岩波ラブコメ文庫(通称ピンク帯)」など、ラブコメ文庫の創刊ラッシュも続いております。ラブコメ作品に与えられる氷室賞は、ついに芥川賞直木賞より権威がある賞として、新聞の一面で報道されるまでになりました。あまり好ましくはありませんが、「ラブコメの真相」「ラブコメの裏はドブ」「ラブコメを百倍楽しむ方法」「ラブコメ作者はドーベルマン」など、いわゆるラブコメ暴露本も数多いですね。インターネットの世界にもラブコメは浸透しており、ネットラブコメや携帯ラブコメ、ラブコメ登録サイト「LoveMe!」「ラブコメ速報」「ラブコメ才媛」からラブコメの感想を書く「ラブコメ読み日記」、匿名ラブコメ掲示板「ラブちゃんねる」、各自が縛りに従ったラブコメを持ち寄る「月見ラブコメ祭」なども栄えているようです。

 このようにたいへん栄えているラブコメ界ではありますが、ラブコメが愛好者のみならず一般にまで浸透してゆく過程で、「ラブコメ概念の拡散」が生じている感がある、これが危惧されております。
 つまり、なんでもかんでもラブコメにしてしまう。男女が出てくる小説はすべてラブコメにしてしまう。男しか出てこなくてもやおいラブコメにしてしまう。動物ばかり登場してもアニマルラブコメと呼んでしまう。機械ばかりの小説はメカフェチラブコメ。そんな風潮がありますね。
 ひとつにはラブコメとレッテルを貼れば売れると睨んだ出版業界が、なんでも無理矢理ラブコメと名乗らせる、という問題もあります。しかし、ラブコメ伝道師、と呼ばれる一部の批評家たちが、「オデュッセイアは世界最初のラブコメだ」「ドン・キホーテは先駆的なラブコメだ」「斜陽は立派なラブコメ作品だ」「罪と罰だってラブコメだ」「万葉集だってラブコメだ」などと、意図的にラブコメの概念を拡大しすぎた、ということも原因だと思いますね。

 このようにラブコメの概念が拡散しすぎるのは、ラブコメ界のためにもよろしくない。そこで僭越ながら私が、ラブコメとして成立するためのチェックポイント、と申しましょうか、ラブコメはこのような条件を満たさねばならない、というようなものをこしらえてみました。「ノックスの探偵小説十戒」に倣って、「ラブコメ十戒」としてみました。あくまで私見ですので、これを叩き台としてみなさんで論議していただければ幸いです。

1.ラブコメの主人公はドジでおっちょこちょいな少女でなければならない。
 これはなぜかと言いますと、ふたつの理由があります。
 第一に、ラブコメの主人公は、読者の主流である女子中学生が感情移入できる存在でなければなりません。あまりに完璧な人間だと感情移入できない。やや欠点がある人物でなければならんのです。その欠点も、人見知りとか引きこもりとか、陰性なものでは読者もげんなりします。だから主人公は、陽気な方にバイアスがかかった欠点を持たねばならんのです。
 第二は、そのほうが話が面白い、という単純な理由です。ラブコメの話の大部分は、ドジでおっちょこちょいな主人公が繰り広げる失敗談であります。これが思慮深く冷静な主人公では、話がまるっきり展開しません。

2.ラブコメの主人公は眼鏡をはずすと絶世の美女にならなければならない。
 これはまあ、少女漫画時代からの永遠の法則ですね。
 眼鏡をかけた、そばかすで鼻ペチャで小さな目の引っ込み思案な少女が、なぜか眼鏡をはずすとそばかすが消え、鼻も高くなり、目が三倍くらいに大きくなってしかも二重になり睫毛も伸び、快活で魅力的な性格になってしまうのです。
 ラブコメ世界にあっては、眼鏡はたんなる視力矯正具ではありません。容貌と人格を大きく変換する魔法の杖なのであります。

3.ラブコメのヒーローはどこか陰のある美少年でなければならない。
 どこか暗い陰のある美少年、もしくは美青年、というのが、少女たちは大好きです。その暗い陰が主人公の少女によって次第に消えてゆき、明るく快活な美少年、もしくは美青年になる、という物語は永遠に好まれるのです。
 ただし暗い陰、といっても、ラブコメ世界の明るいトーンをうち消すような、本当に暗いものであってはなりません。ほどのよい暗さ、解消可能な悩み、それがラブコメ世界の「暗さ」であります。ここに例を出してみましょう。

ラブコメ世界にふさわしい、ほどのよい「暗さ」
・一匹狼のワルで、番長とタイマンはって停学処分になったことがある。
・ロックバンドのメンバーだったが、バンド解散のいざこざで喧嘩して額に傷が残った。
・大金持ちだが母親が早く死に、愛情のない継母に育てられた。
・もと野球部で甲子園出場を決めたのだが、不祥事が発覚して出場辞退となった。
・吸血鬼の一族のプリンスだが、一族の掟を破って人間界に来た。

ラブコメ世界にふさわしくない、解決不可能な「暗さ」
・被差別部落の出身で、どこにいっても就職できない。
・ロックバンドのメンバーだったが、ライブでクリーミーマミの主題歌「デリケートに好きして」をやろうと提案してバンドを追放された。
・親父が右翼の大物で、ロッキード事件の被告になった。
・もと相撲部で立浪部屋からスカウトされたが、チャンコがまずいと先輩に殴られ逃げ出した。
・吸血鬼の一族だが、頭が禿げているのでモテない。

4.ラブコメの世界では人死にがあってはならない。
 これも明るいラブコメ世界を維持するためには不可欠な掟であります。ラブコメの登場人物は、死によって退場することは許されません。ましてや最終戦争を起こしたり、洪水で皆殺しにするなどもってのほかです。
 ラブコメ世界においては、学生に対する最大の刑罰は「退学」であります。これは一般世界の死に相当し、物語からの強制退場を意味します。先生に対する同様の刑罰は「左遷」です。

5.ラブコメの世界は「日常」でなければならない。
 ラブコメは基本的に現代日本の学生生活を中心とした日常的光景が舞台になります。生徒会、クラス替え、文化祭、登下校の風景、などなど、きわめて日常的かつ普遍的な設定のもとで話は進んでいきます。
 例外的に、ザイール奥地の部族生活や、戦時中の集団疎開生活、未来の宇宙都市、ファンタジーの魔法世界を舞台にしたラブコメもありますが、それもあくまで「現代の日常」を異常な設定に置き換えて目新しく見せただけのものなのです。ですから、ウィッチドクター学校を卒業する先輩からペニスケースをプレゼントされたり、先輩のシラミをこっそりと大事にお守り袋に入れたり、パンをかじりながら宇宙バイクを走らせていると先輩の住む宇宙ポッドに激突したり、隣の剣士学校の番長と魔法学校の先輩がタイマンはったり、というきわめて日常的アナロジーで物語は進んでいくのです。

6.ラブコメの登場人物は「誤解力」を発揮しなければならない。
 これは1.主人公はドジでおっちょこちょいでなければならない、と関連しています。ラブコメの物語とは、基本的にはおっちょこちょいな主人公が「誤解」することにより進められていくべきものなのです。思慮深い主人公では、物語の開始三ページでめでたしめでたしになってしまいます。それは防がなければなりません。
 たとえば主人公は、最初ヒーローのことを、陰険で冷たい奴だと「誤解」します。ところが雨の中捨て犬を拾うヒーローを見て、その心の優しさに気づき、恋心を抱きます。ところがヒーローにつきまとう金持ちで美人の上級生がいます。実はヒーローの方ではなんとも思っていないのですが、主人公は恋仲だと「誤解」します。やがて誤解は解けるのですが、主人公はあいかわらず、自分のことなんかヒーローはなんとも思っちゃいないと「誤解」しています。ヒーローはそこで、校内放送で好きだと絶叫し、ようやくふたりの愛が成立します。ところが保健室の美人校医にヒーローがカラーを直してもらっているところを見た主人公は、ふたりがキスしていると「誤解」し……
 てな具合に、誤解によって話は転がっていきます。ラブコメの主人公は、偉大なる「誤解力」を持っていなければなりません。

7.ラブコメの登場人物は最終的に結ばれなければならない。
 主人公とヒーローが結ばれるのは当然なんですが、それいがいの脇役やザコにも愛が与えられるのがラブコメ世界の鉄則。主人公とヒーロー以外は、基本的に順列組み合わせの法則によってランダムに男女が組み合わされます。
 これの参考になるのは、ビクトリア時代から二十世紀初頭にかけての家庭小説ですね。ディケンズの「ピクウィック・クラブ」は、終盤の三章を費やして男女をくっつけています。同「骨董屋」では、主人公のネルこそ死んでしまいますが、ネルに恋していた男性たちはみんな別な伴侶(フィードラーによると「残念賞」とか)を見つけだします。ポーターの「パレアナの青春」となるともっと徹底的で、老人だろうが未亡人だろうが何のその、最後の一章で登場人物すべてのカタをつけています。オルコットの「若草物語」もそんな感じでしたね。

8.ラブコメの登場人物は人間的に成長してはならない。
 ラブコメ世界にあっては、どのような大事件が連発しようとも、登場人物はその体験を糧に人間的成長をみせてはならないのです。ドジでおっちょこちょいな女子高生だった主人公は、最終的にドジでおっちょこちょいな主婦にならねばならんのです。他の登場人物もそうです。
 「赤毛のアン」シリーズはラブコメの古典的名作ですが、主人公のアンは人間的に成長してしまい、ドジでおっちょこちょいのアンが、しだいに思慮深く優しい人間になっていき、それにつれてアンが主人公の座から退いていきますよね。あれだけが残念なところです。
 最初は冷たかったヒーローがしだいに優しくなる、というラブコメの通例は、いっけんこの戒律を破っているように見えます。しかし、ヒーローの優しさはじつは最初から持っているものなのです。かたくなに凍った殻に包まれているだけなので、凍った殻が主人公との交流によりしだいに溶けて、もともと持っていた優しさが表面に出てくる、というものなのです。

9.ラブコメの作者のペンネームはポップでキュートでパステルでなければならない。
 これは鉄則ですね。私が汀涙雪というペンネームをつけたのもこの法則によります。
 雨、雪、樹、涙、湖、など、どちらかというと冷たいイメージのある漢字、あるいは汀、薫、黛、蛍、など、漢字一字にできるだけ多くの音節を閉じこめた漢字が、一般には好まれるようです。あるいは如月、篠竹、三枝、など古典和語を用いたものや、伊集院、西園寺、一条など高貴なイメージの名字などもよく使われます。もしくはひらがな、という手もあります。
 もっとも、こーゆーのならなんでもいいだろう、といい加減に作ると、轟左団児とか武蘭泥愚螺巣とか、どこの九州男児か暴走族か、というような名前になってしまうのでご注意ください。

10.ラブコメの作者はできるだけ顔を隠さねばならない。
 これは9とも関連しているのですが、美しいラブストーリーを書く如月蛍子先生が、実際に会ってみたら髭むじゃらのオッサンだったとか、踊るような文体で女子中学生の青春日記をコミカルに書く三条あると先生が、実はぶくぶく太った陰気なデブだったりしたら、ファンを失望させますよね。だから、できるだけ世間に顔を見せない方がいいのです。著者近影は少女漫画家に頼んで、コミカルでキュートな絵を描いてもらえばよろしい。

 以上、長々と語らせていただきました。ご退屈さま。
 私のこの発表をきっかけとし、皆様がラブコメについていっそう考えていただくことができれば幸甚です。ではでは(はぁと)。


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