蒙古への遙かな道

 問題は羊なのであった。

 このごろなぜか北海道出身の人と知り合うことが多く、北海道に関する断片的な知識を入手するようになった。そして私も生まれて二度目に北海道を訪れる機会に恵まれ、識見をあらたにしたのであった。
 たとえば北海道では冬の暖房がめちゃくちゃに暑い。冬でも室内温度は二十五度以上になる。家の中ではパンツ一枚で過ごすくらいがちょうどよい。そのため北海道の人間は下着で人前に出るのが平気になり、キャバクラでお姐ちゃんがブラジャーを見せつけたところでなんとも感じない。そこでサービスはエスカレートし、「乳振りタイム」「ぷっちんぷりんタイム」「往復ビンタタイム」「どこかなタイム」「うっふん如意棒タイム」などの過剰とも思えるまでのピンクサービスを競うようになってしまったとか。いちおうこの知識も、北海道在住のT氏(キャバクラ通)による情報である。

 さて、今回はキャバクラの話題ではない。キャバクラにじゅうぶんな未練を残しつつも、本題に入ろう。問題は羊なのであった。
 北海道出身者A氏(美人スウィーター)の説によると、北海道の人間は、なにかというとジンギスカンをするのだそうだ。キャンプにジンギスカン、ツーリングにジンギスカン、お花見にジンギスカン、墓参りにジンギスカン、海水浴にジンギスカン、お月見にジンギスカン、忘年会もジンギスカン、年越しにジンギスカン、おせちもいいけどジンギスカン、とにかくひとまずなによりすなわちジンギスカン、アーウーホッホッホ、アーウーホッホッホ、ジンギスカンしたーいというくらいにジンギスカンをするのだそうだ。
 いちおう解説しよう。ジンギスカンとはモンゴル帝国の初代皇帝の名だが、ここでは料理の名をさす。略さず言うとジンギスカン鍋。真ん中が出っ張って、その外周部がくぼんでいる特殊な鉄鍋を熱して、その出っ張っているところで羊の肉を焼く。肉汁は外周部のくぼみに流れる。そこで野菜を焼く。すると羊肉はほどよく脂が抜け、野菜は羊の脂でおいしく炒められる、という素晴らしい料理なのだ。真ん中が出っ張り、外周部がくぼんでいる鍋の形状が、モンゴル人の鉄兜に似ていることからこの名がついたという。

 それで納得がいった。数年前から存じあげているM氏(こわもて雑文書き)も北海道出身者であるが、毎年花見のときには、アウトドア用のバーベキューコンロを持参して、桜の木の下で焼き肉パーティをするのである。なるほど。あれが北海道の花見であったか。
 という話をA氏にしたら、意外にも存外にも、A氏はM氏の行動に立腹するのであった。そして言うのであった。
「Mさんもすっかり内地の暮らしに慣れ果てて、北海道の魂を捨ててしまったようですね」

 ああなんということなのでしょう。北海道人の魂は羊にしか宿らないそうなのです。鉄板で牛肉を焼くなどという行為は北海道の天地が許さないそうです。ジンギスカンと焼き肉とでは天地の差があるそうなのです。花見の会場で焼き肉をするなどといった行為は、ちらし寿司を自慢げに見せびらかしたり、よその奥さんの娘に色目を使ったりする行為と同じく、内地者のするけがらわしい行為なのだそうです。
 それを裏付ける事実を、このあいだ会った北海道出身のO氏(バイオリニスト兼スープカレー伝道師)も話してくれました。なんでも北海道大学では、花見の季節となると生協でジンギスカンセットを貸し出すそうです。コンロとジンギスカン鍋。羊の肉は、どこのスーパーでも売っています。かくして北海道大学、春は羊の砦。よそもの率七割を誇る北海道大学でそうなのですから、一般の北海道住民がいかにジンギスカンに親しんでいるか、想像がつくというものです。

 さて、そしてO氏より新事実が提示された。なんとジンギスカン鍋で食べるものはジンギスカンだけではない、というのだ。
 北海道では「ジンギスカン鍋」と並んで、「義経鍋」「弁慶鍋」というような料理も提供されるのだそうな。O氏の論理は明快だった。
「つまりジンギスカン鍋で羊の肉を焼いたらジンギスカン。ジンギスカン鍋で、まだ羊になりきらない、子羊=ラムを焼いたら義経鍋。つまり、まだ蒙古に渡ってジンギスカンになる前、ということです。そして、羊とまったくの他人である、牛肉をジンギスカン鍋で焼いたら、それが弁慶」
 聞いてみればなるほど、という話である。しかし、そうするとジンギスカン鍋には恐るべき料理のバリエーションが秘められているようにも思える。ジンギスカン鍋で姫鱒を焼いたら静御前鍋。ジンギスカン鍋で豚肉を焼いたら伊勢義盛鍋。ジンギスカン鍋で鶏肉を焼いたら常陸坊海尊鍋。ジンギスカン鍋で猪を焼いたら木曽義仲鍋。ジンギスカン鍋でキノコや山菜を焼いたら巴御前鍋。

「むろん、ジンギスカン鍋で犬肉を焼く、という料理もこの世には存在するでしょうね」
「その料理の名は」
「イヌだけに……梶原景時鍋」

 しかし油断してはならない。日本のある地方では、ゲジゲジのことを「梶原虫」と称しているそうだから。


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