がりがりがりがり後ずきずきずきずき

 前歯の具合が悪くなって歯科医院に行った。
 もともと前歯二本は差し歯だったのだが、そのうちの一本がぽろりと落ちてしまったのだ。あわててはめ戻したがどうもうまくいかぬ。口を開けるたびにぽろりと落ちてしまう。食事の時にはあらかじめ歯を外す。それでも咳をしたときや笑ったときにぽろりと落ちてしまうし、寝ている最中に呑み込んでしまわないか心配になる。そこで出かけた次第である。

 どうも歯科医院というのは気が進まない。歯科に限らず、病院というところは体調を悪くして行くところだから、そもそも陽気な気分ではない。そのうえ医師には、かならず怒られる。とくに歯医者さんには怒られ続けてきた。歯磨きの仕方が悪いとか歯肉炎をおこしているとかなぜこんなになるまで放っておいたのかとか。いや医者からすれば怒っているつもりはないのかもしれないが、レントゲン写真を見ながら、
「ううむ、この前歯二本ですが、歯根に充填をしていないんですね。だから菌が入って、ほら、このへんに膿が溜まりかけている」
 などと言われると、体調を悪くして陰気な患者としては、怒られているように思ってしまうのだ。
 それでも今回の歯医者さんはまだポジティブな人だったのか、誉めてもくれた。
「ははあ、ここの歯はいい治療をしてますね。ちゃんと神経を取って充填してます」
 しかし考えてみたら、誉めているのは私でなく、前の歯医者さんのことだった。

 歯の治療というのはどうも好きになれない。嬉しくて楽しくてしかたがない、つい歯を削られながら歌ってしまう、などという人はいない。もしいたら舌を削られてしまうだろう。
 痛いのもそうだが、歯を削られている最中、ここで先生がくしゃみをしたら隣の歯か軟口蓋か、ひょっとすると目玉をドリルでくりぬかれてしまうのではないか、などと想像するのがたまらない。いやいや、自分がここでくしゃみをしても、間違いなく唇がドリルで引き裂かれるのだ、などと考えるのもたまらない。口を長いこと開けていると顎が疲れてくるが、このまま顎が外れてしまったらどうしよう、先生は歯科医の資格は持っているが、はたして接骨医の資格は持っているのだろうか、そのとき助手の女の子に笑われたらどうしよう、などと思案するのもたまらない。
 そしてまた、治療中の感覚もいやなものだ。歯随に穴を開けられ、薬を注入され、顎の奥まできりきりきりと針金のようなものを差し込まれてほじくられる気分はなんともいえない。もうちょっと差し込まれたら痛くなるのかな、あとちょっとかな、もうちょっとやったら顎を突き抜けて視神経を破壊するんじゃないかな、と恐怖におののきながら待つ気分もなんともいえない。そうして顎の奥になにか金属物体を埋め込まれたりするのだ。いや真面目な話、歯科医院ではインプラントという新技術を宣伝している。インプラントといえば宇宙人が金属物体を頭に埋め込んで言動を操作することだと思っていたのだが、いまでは歯科医が代行しているのかもしれない。

 歯の治療でたったひとつ楽しいことがあるとしたら、それは助手の女性がいることである。なぜか歯科医院の助手はかならず女性である。それもたいがい若い。そして薄いブルーやピンクの可愛らしい白衣(形容矛盾だが)に身を包んでいる。男性やおばさんの助手もいていいと思うのだが、そういうのは女性専科の歯科医院やフケ専の歯科医院にいるのかもしれない。さらに進んでデブ専の歯科医院やSM歯科医院があってもいいと思うのだが、SMの歯科医院はすでに存在する。ただ残念なのは歯医者さんがMという歯科医院が見あたらないことだ。
「うわぁ、ひどい。さぞ痛かったでしょうねえ。さぞ苦しかったでしょうねえ。ひいいい、痛そうだよう。こんなありさまになって。ボク、とても正視できない」
 と尻込みする歯医者を、患者が
「なに言うとんねんゴルァ。しっかり削らんかい。ガタガタ抜かしとったら歯茎から膿出すぞゴルァ」
 と叱咤激励する歯科医院。しかしこれも、この広い日本のどこかには存在すると思う。
 それにしても歯科の助手の女性はなぜ、ああも可愛らしいのだろうか。歯を治療するため座っている椅子のリクライニングを倒し、私の頭がちょうど女性のおなかあたりに触るのを感じるのがなぜ、ああも愉しいのだろうか。そしてまた、その柔らかい指で口の中をあれこれといじくられることになぜ、ああも快感を感じるのだろうか。
 ひょっとすると「痛い思いをして、金を払って、などという辛いことばかりがこの世の中に存在するはずがない。これだけ金を払うということは、きっとどこかでいい思いをしているはずだ」という心理的作用が働いて、無意識のうちに自己を正当化しているのかもしれない。
 だとしたら世の女性はすべて歯科助手になるべきだ。金をもらって、美しさと魅力が五割増しになる、こんな素晴らしい職場はない。万が一美しさと魅力がもともと零で、五割増しにしようにもならない女性がいたとしても、世の男性の口の中がどんな惨状になっているかを知り、結婚を諦める口実にはなる。

 歯の治療で怖ろしいのは、なんといっても痛みである。
 現在の歯科技術は発達し、痛みも必要最小限に抑えるようになった、とよく言われる。たしかに昔のように痲酔もせずヤットコで歯をへし折ったり、縄文時代のように痲酔も歯科医の免状もないのに前歯を意味もなくヤスリで削るような医師は減っている。しかし残念なのは、歯科医師の100%が、「これだけ虫歯を悪化させたのだから、二度と虫歯を作らないよう、必要最小限これだけの痛みは与えておかねばならぬ」と考えているふしがあることである。
 それでも医師はずいぶんと優しくなった。
 前に通っていた歯科医は、「痛くなったら手をあげてくださいね」と優しい言葉をかけてくれた。歯を削られている最中、さっそくぴりっと痛みを感じたので、さっそく手をあげたのだが、「うんうん、そうでしょうね。痛いんですよここは」と自分で納得して、あいかわらず歯を削り続けていた。
 さらにその前に通っていた歯科医は、「痛くなったらすぐ言ってくださいね」と優しい言葉をかけてくれた。口をこじ開けられドリルで歯を削られている最中に音声を発することは不可能だとわかったのは、がりがりがりがりと神経を破壊されている最中だった。

 しかし痛みよりも怖ろしいものが存在する。金銭面のことである。
 いま治療中の前歯は差し歯であった。二十年前に十五万円したものである。これと同じものを作るとしたら、いまどれくらいかかるのだろうか。
 当時と現在の物価の上昇指数で換算すると、ひょっとしたら三十万円を超えるのではないか。鯨肉の価格上昇指数に換算すると、間違いなく五十万円は超えているだろう。そしてイチローの年俸の上昇指数に換算すると、おそらく二百億円になっている(二十年前に小学生だったイチローのお小遣いを月五百円と推定して換算した)。
 三十万円も払えるかどうかわからないのだから、二百億円はかなり難しい。しかも医者の薦めるように隣の差し歯も治療したとしたら四百億円になる。これはもう、支払不可能、といってさしつかえない金額だ。
 だいいち、それだけ払ってしまったら、この医者がイチローよりも高給取りになってしまう。たぶんボンズよりも上になるのではないかと思う。そんなに払うことはプロ野球を侮辱することになるので、ぜったいに払わないことにしたい。

 いろいろと書いてきたが、歯を治療することは健康な生活を送るうえで欠かせないことであり、歯が治るということは千金にも万金にも代えがたいすばらしいことだ。それに貢献してくれる歯科医師にはまったく頭が下がる。マザー・テレサよりも科学に貢献していると思うし、野依良治よりも慈善心豊かだと思う。ノーベル化学賞とノーベル平和賞をいっしょに渡したいくらいだ(ノーベル医学賞をどうするかという問題はあるが)。
 とってつけたような結びだが、実はいま通っている歯科医院はインターネットで探したもので、どうやらお医者さまもインターネットが好きらしく、コラムを連載していたりするのをたった今思い出したところなのだ。この一文がお医者さまの目にふれたりしませんように、万が一目にふれても命ばかりはお助けくださるよう、あわててこの文章を書き足した次第です。


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