台風

 騒ぎがはじまったのは、雨雲が低くたれこめた真冬の土曜日の午後だった。

 その数日前だったか。
「そなたには女難の相が出ておるな」
 酔ったついでの気まぐれで、街角の占い師のもとに立ち寄った藤田は、いきなりそんなことを言われた。
 藤田は口笛を吹いて笑った。
「そンなことくらい、おれの顔を見りゃわかるこッたろ」
「しかし、気をつけなさい」
 占い師はさらにこう告げた。
「あなたはこのひと月のうちに、台風で死ぬと卦に出ている」
「へッ、台風だって?」
 藤田はあざけり笑った。
「なンて時期はずれな予言だい。この冬に台風なんか、くるわけねェだろ」
「わしにもよくわからん」
 占い師は正直に認めた。
「しかし、たしかに台風で死ぬと、出ておるのだ」
 ケラケラと笑いながら、藤田は占い師に千円札を投げつけると、駅に向かって歩き出した。

 台風で死ぬかどうかはともかく、藤田の死を願っている人間は、多いはずだった。とくに女性に。
 大学での藤田の呼び名は、「押しの藤田」「ツッコミ藤田」「写実派の藤田」「実戦に役立つ藤田」「シュートの藤田」「パンクラス藤田」「グレイシー藤田」だった。
 田舎からはじめて都会に来たおぼこ娘などは、藤田の格好の獲物だった。
 まず強引に近寄る。そしてあやしいまでに迫力のあるトークで落とす。
「キミ、きれいだよ。ぼくはきみが好きだ」
「足がとくにきれいだ。ね、きみの足にさわらせてくれないか」
「セックスしよう。ぼくはきみとしたいんだ」
 押す。ひたすら押しまくる。そこには言葉の飾りも、ロマンの香りもない。そこにあるのは、自己の性衝動をもっとも直截な言葉に置き換えた欲望の噴火。そして強引に押し切る。初対面で戸惑う娘は、その怒濤の押しにひとたまりもない。たいがいの娘は、この強引さに秒殺されてしまう。そしてやられる。
 まさに実戦派、ガチンコ派のナンパテクニックであった。

 そして飽きた女は捨てる。無慈悲に捨てる。容赦なく捨てる。弊履のごとく捨てる。泣いても捨てる。怒っても捨てる。笑ったらなお捨てる。捨ててこます。あとがどうなろうと、知ったことではない。
 捨てられて悲しみのため病床に伏した娘。悲嘆のため頭がおかしくなってしまった娘。学校中に噂が広まっていたたまれなくなり、退学して故郷に帰った娘。やはり退学したが、転落の一途を辿り、いまでは歌舞伎町のヘルスで働く娘。
 藤田のまわりは不幸な娘でいっぱいだ。

 きょうも藤田は、ひとりの娘を捨てようとしている。
 娘の下宿にあがりこんで、メシを食わせてもらっているというのに。
 娘のほうはそれと知らない。汚い下宿でも、藤田と会うのがうれしい。安物のインスタントラーメンでも、一緒に食事するのがうれしい。素裸にエプロンという姿で、甲斐甲斐しくお給仕をしている。
 裸エプロンは藤田の趣味だ。

 本来ならメシを食ったらセックスタイムなのだが、そろそろ別れ話を切り出そッかな、せッかくだから、もう一回ヤッてからにしようかな、などと、ラーメンをすすりながら藤田が考えていると、娘のほうから。
「ね、ふじたくん」
「んあ?」
 いきなり話しかけられて、おもわず藤田は鼻から麺を出してしまった。
「あたしね。かんがえたの。ふじたくんと会ってからのあたしって、本当のあたしじゃないなって。なんか、ちがうって」
 なんだ、向こうから別れ話か。それは便利だけど、こっちが捨てられるッてのはちょッとシャクだな、などと藤田が思っているうちにも、娘はおかまいなく喋る。
「ふじたくんに気にいられようとして、あたしいつも作ってた。いいこにしてた。でも、それはあたしじゃないの。ふじたくん、ごめんね」
 勝手に喋って勝手に涙をこぼしてやがンの。どうにもならんべ。
「あたしはあたしでいたいの。ほんとうの意味で、セルフ・プロデュースができたらな、って、思うの。でも、あたしがあたしでいると、ふじたくん、あたしをきらいになるかもしれない。あたし、ふじたくん好きだよ。だからきらいになってほしくない」
 どうでもいいけど漢字が少ないしゃべりだな。う、腹具合がおかしくなってきやがッた。トイレに行きたいッけんど、この雰囲気では行きづらいぜ。
「あ、あのさ……」
「あたしがあたしでいて、でも、ふじたくんといっしょでいて、そんな方法、これしか思いつかなかったの。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね」
 腹の底から鈍痛がする。苦痛と悲痛に顔をくしゃくしゃにして泣いている娘の顔を見ていて、この痛みの原因が、藤田にはわかった気がした。コイツ、薬学科だッたよな。そういえば。

 それにしても、あの占い師、オレが台風で死ぬなンて、大嘘コキやがッて。ラーメンで毒殺されるなンて、言ッてねえべさ。
 薄れゆく意識の中で藤田は、占い師のことを思いだしていた。娘はもう喋らない。動かない。
 最後に藤田の視線がとらえたのは、ラーメンのパッケージだった。藤田はいっしゅん目を見開き、それから、にやりと笑って死んだ。
 そのパッケージには、しっかりと書いてあった。
「屋台風味のらーめん」
 そう、人生は割りきれるものばかりじゃない。


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