白頭山の赤ずきんちゃん

 むかしむかし、北朝鮮の聖地、白頭山という尊いお山に、かわいい小さな女の子がいました。この子はとても愛くるしいだけでなく、とても頭がよかったのです。首領様の教えや主体思想をすっかりマスターして、それをつねに忘れずにいるため、革命の色である赤いずきんを、いつも頭にかぶっていました。それだもので、みんなに「赤ずきん」と呼ばれていました。

 ある日のこと、赤ずきんはお母さんに呼ばれました。
「赤ずきんや、実はいままでお前に隠していたのだけれど、お前にはおばあさまがいるのです。日本人妻でね、帰国船でやってきたのだけれど、帰国同胞なものだから、スパイの嫌疑をうけて、ずっと森の収容所に入れられているのだよ。そのおばあさまが病気になって、死にそうだという便りがきたのだよ。だから、おばあさまを元気づけるおくりものを持っていってやろうと思うのだよ」
 それから赤ずきんのお父さんお母さんは、おばあさまへのおくりものを買うために奮闘しました。
 お父さんは勤めている工場から、屑鉄を三十キロ盗んできました。お母さんは共同農場から、家畜飼料のトウモロコシを二十キロ盗んできました。それを自由市場に持っていって、ようやく密造酒をひとびんと白菜の塩漬けをひと瓶、手に入れました。ほんとうはマッコリとキムチが欲しかったのですが、食糧事情がとても悪く、そんなものは自由市場からもとうに姿を消していました。

 お母さんは、密造酒と白菜漬けを赤ずきんに渡して、こういいました。
「これを森の中の収容所にいるおばあさまに渡してきておくれ。いいこと、森に入ったら気をつけるんだよ。狼や虎がいるし、南のスパイが潜伏しているかもしれないからね」
 赤ずきんは元気よく、「いってきます。オボジ、オモニ」といって、森にでかけていきました。

 森の中はとてもきれいで、あちこちに色とりどりの花が咲き乱れていました。でも、赤ずきんの目を奪ったのは花でなく、そこここに生えている、ワラビ、キノコ、トラジなどの山菜でした。
「これを持ってかえれば、貧しい我が家の食事のたしになるわ」
 そう思った優しい赤ずきんは、山菜をせっせとつんで、ポケットに入れていきました。山菜をつむのに夢中で、いつの間にか山道からはずれてしまったのも、気がつきませんでした。
 でも山菜をつみながらも、赤ずきんは立派な木をみつけると、
「まあ、なんてまっすぐで大きな木かしら。こんな木に、偉大なる首領様や指導者様のお言葉を彫りこんだら、いっそう立派に見えるでしょう」
 と、ナイフで木の皮をはぎ、そこに首領様や指導者様のありがたいお言葉を彫っていきました。

 そんな赤ずきんをじっと見ていたのは、森に住む悪い狼でした。狼はこの森を根城にして、いろんな悪いことをしていました。中国や南から密輸をしてしこたま儲けたり、南のスパイと連絡をとり、南に情報を漏らしたり、スパイの潜伏を助けたり。
「ふふふ、若くてうまそうな獲物が、向こうからやってきたぞ。どれ、ちょっとおどかしてやろう」
 狼は木々のあいだをすばやく駆け抜けると、だしぬけに赤ずきんの前に姿をあらわしました。
「おれは森の狼だ。どうだ、おそろしいだろう。おれのオヤジは、この森一帯を震えあがらせた森のボスだぞ」
 けれど勇敢な赤ずきんは、きっぱりと言い放ちました。
「ということは地主階級ね。出身成分が悪いわね。要警戒の敵対階層だわ」
 こいつは手強いぞ、と思った狼は、いきなり猫なで声になって、赤ずきんを懐柔にかかりました。
「いや、オヤジは地主階級だが、私は再教育を受けて心を入れ替え、地方の炭坑でずっと労働してきたのです。いっしょうけんめい働いて指導者様から労働英雄の称号もいただき、朝鮮労働党の党員にも選ばれました。いまでは、革命事業にこの身を捧げるりっぱな公民ですよ、赤ずきんトンム」
「まあ、それなら私たちの同志だわ。疑ってごめんなさい、狼トンム」
 まだ幼かった赤ずきんは、狼の反動的資本主義的な欺瞞にひっかかってしまい、すっかり狼を同志として信頼してしまいました。
(この一件については、赤ずきん同志はのちに「未熟なため資本主義の宣伝の恐ろしさを知らず、嘘に騙されてしまったのは、あまりに愚かなことでした」と自己批判しました。指導者様も「若すぎる故の過ちは、許さなければならない。しかし同じ過ちをくりかえすことは許されない」と評されました)

 すっかり狼に気を許した赤ずきんは、収容所のおばあさまにおくりものを持っていくことも、話してしまいました。
 悪辣な狼は、こう考えました。
(ここで赤ずきんを食べるのは簡単だが、ただそれだけだ。それより、これをきっかけに収容所に潜入し、収容所の実体をルポして南に売れば、たいそうな儲けになるぞ。それにうまくすれば、収容所から騒乱を起こし、北の政府を打倒することもできるかもしれないぞ)
 そこで狼は、赤ずきんに遠回りの道を教えました。
「収容所はあの道をまっすぐ行った先にあります。では、ごきげんよう」
 こう言うと狼は、自分だけ収容所への近道を通っていきました。

 狼は収容所へ先回りすると、タバコや布地などを所長に与えて買収し、まんまと収容所にもぐりこみました。そして、おばあさまの収容されている独房へ行きました。
 おばあさまは長い監獄暮らしで、すっかり衰弱していました。骨と皮だけに痩せこけ、全身は疥癬のかさぶただらけ、糞尿まみれの悲惨なありさまで、瀕死の状態でした。それでもおばあさまは、外で鍵を開ける物音に気づきました。
「だれですか、看守ソンセンニムですか?」
 狼は、ありったけの作り声で答えました。
「いいえ、あなたの孫の赤ずきんですよ。あなたが釈放されるので、迎えに来ました」
「何だって! ああ、生きているうちに孫に出会えるなんて、思いもしなかったよ……」
 喜んで独房から出てきたおばあさまを、狼はぱくりと、ひとのみにしてしまいました。でも、ここだけの話ですが、狼はこのとき、あんまり嬉しくありませんでした。だって、おばあさまは骨と皮でしたし、それに、あんまり不潔でしたから。
 そして狼は、おばあさまの囚人服を着て、むしろをかぶり、おばあさまのねどこに寝て、赤ずきんが来るのを待ちました。

 そんなことも知らず、とちゅうの木にスローガンを彫りながら、赤ずきんはだいぶ遅れて、収容所につきました。収容所の所長は狼に買収されていたので、なにも言わず赤ずきんを通しました。赤ずきんは、まっすぐにおばあさまの独房に駆けていき、
「おばあさま、はじめまして! 孫の赤ずきんよ。おばあさまに素敵なおくりものをもってきたの」
 狼はしめしめと思い、しわがれた元気のない声で、
「ああ、赤ずきんかい。鍵は開いているから、どうぞ入っておいで」
 かしこい赤ずきんは、独房の鍵が開いているのはおかしい、と思ったのですが、おばあさまのいいつけですから、独房の中に入っていきました。
「あらまあ、おばあさま。おばあさまのお耳、おっそろしく大きいのねえ」
「それは、噂話や党内部の権力闘争が、よく聞こえるようにするためさ」
「まあ、おばあさま。おばあさまの目ぇ目、ずいぶん大きいのねえ」
「この国の実状が、はっきり見えるようにさ」
「まあ、おばあさま。おばあさまのお手手、ばかばかしく大きいのねえ」
「金も物資も、握ったら離さないようにさ」
「だけどねえ、おばあさま、おばあさまのお口の大きいこと、あたし、びっくりしちゃうわ」
「これでなきゃ、おまえがうまく食べられないさね」
 こう言ったか言わないうちに、狼は、ねどこから一足飛びにとびだしてきて、かわいそうに、赤ずきんを、ぱくりとのみこんでしまいました。
 狼はやわらかくておいしくて清潔な赤ずきんを食べて、すっかりおなかが満足したので、またねどこにもぐりこんで、ものすごいいびきをかきながら、そのまま寝てしまいました。

 そのころちょうど、森の近くにある疲労回復館に、金正男同志が滞在していました。
 疲労回復館とは、首領様や指導者様の一族しか使えない、とても高級なリゾートホテルです。金正男同志は、人民のため毎日の激務に疲れた身体を、ここで癒すために来ていたのでした。
 その日、金正男同志は、森に散歩にでかけました。もちろん、スパイや暗殺者の手から同志をまもるため、警備員や工作員が数人ついてきました。
 森の中で、金正男同志は、ふしぎなものを見つけました。
「おやおや、これは私の父や祖父が言ったことばじゃないか。こういうものを木に彫りつけるなんて、この森には、よほど熱心な党員がいるようだな、トンム」
 警備員や工作員たちは、みんなそろって答えました。
「はっ、まったくその通りであります。それも首領様、指導者様の偉大さが、人民のすみずみまで知られているからです」
「この言葉を彫った、その人に会ってみたいものだ」
「はっ、まったくその通りであります」

 こうして金正男同志の一行は、スローガンの木を追って、森をどんどん歩いていきました。そして、収容所にたどりつきました。
「収容所の人が書いたとは思えないが……トンム、ちょっとあの収容所の様子をうかがってきなさい」
 金正男同志に命じられた特殊工作員は、こっそり収容所にもぐり込んで、中のようすを調べてから、戻ってこう報告しました。
「金正男同志のおっしゃるとおりです。所長は南のタバコを吸って、金を数えていました。どうも南のスパイから買収されているようです。それに、独房のひとつから、ものすごいいびきが聞こえてきます」
「それはおかしい。収容所での待遇は、いびきをかくような体力を残すはずがない。妙だぞ。その独房へ行ってみよう」
 賢明な金正男同志は、放胆にもみずから独房に入っていきました。すると狼が太鼓腹で、おおきないびきをかいていました。
「こいつは間違いなく南のスパイだ。党の上層部以外に、わが国でこんなに太っている人民はいないはずだ」
 こうして金正男同志の即決裁判で、狼は眠ったまま銃殺されました。そして腹を裂いてみると、そこからまるのみにされた赤ずきんとおばあさまが出てきました。
「ようこそ、アガシ(お嬢さん)。アガシがあのスローガンを彫ったのですか」
 金正男同志のお言葉に、赤ずきんはにっこり笑って答えました。
「ええ、だって、後世に残したい立派なお言葉ですもの」

 こうして赤ずきんは金正男同志に助けられました。収容所の所長は監獄に入れられ、のち銃殺刑に処されました。おばあさまは、赤ずきんの功績に免じて、釈放されることになりました。
 ひとびとは口々に、金正男同志の賢さ、実行力、戦闘能力を褒めそやしました。そして、赤ずきんの革命精神、忠烈精神もほめたたえられました。森は革命闘争の聖地とされ、革命烈女赤ずきん同志がスローガンを書いた木は、ガラスケースで覆われて永久保存されることになりました。赤ずきんの同級生たちが、毎日ガラスを磨きました。
 さて、金正男同志は、首領様にこう言いました。
「革命聖地・烈女赤ずきん同志の森を、もっと盛り上げるために、海外のテーマパークを視察に行かねばなりません、パパ。まず、日本のディズニーランドに行ってきます」
 こうして金正男同志は、危険もかえりみず、敵国の日本に潜入しました。ところが、パスポートの偽造がばれ、税関で捕まってしまいました。
 そのときの外務大臣は、狼が化けたのではないかと思われるような、口が大きく裂けたお婆さんでした。お婆さんは、容赦なく金正男同志を尋問しました。
「お前はどうして、そんなに太っているのかい?」
「党幹部だから、じゅうぶんな配給を受けているからだよ」
「お前はどうして、そんなに目つきが悪いのかい?」
「スパイや反動勢力の陰謀を、いつも監視しているからだよ」
「お前はどうして、ドミニカの偽造パスポートを持っているんだい?」
「友好国に迷惑をかけないためさ」
「お前はどうして、日本に来ようなどと思ったんだい?」
「それはお前たちを革命の業火で焼き尽くすためさ!」

 尋問にもけっして屈しない金正男同志には、角栄の娘を鼻にかけるお婆さんも音をあげ、ついに国外退去を命じ、わざわざチャーター機まで使って金正男同志を送り届けました。金正男同志は、帰国して幹部たちにこう語りました。
「日本政府は見かけ倒しのハリコの虎だ。あの婆さんもたいしたことはない。こちらが強く出れば、てんで弱腰だ。その証拠に、あの婆さん、ロシアとの交渉とか外務省の改革についてはべらべら喋るが、わが国のことについては、なにも喋らないじゃないか」

 教訓。階級敵には妥協するな。


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