日本昼食政党事情

だから、ノーヒットノーランなんかいまさらやるなってば。>川尻

 いや、このページの虎本営発表化は本人も絶対避けたいとの意向ですので、なにとぞご容赦のほどを。

 ちょっと穏健な話題にしましょう。
 サラリーマンの楽しみといえば給料日と宴会と昼食です。淋しいものですね。
 でも、昼食こそ日々の仕事のひと区切り、午後への活力の源といえましょう。(午後の睡眠の源でもありますが・・・)
 この昼食も世につれ人につれ、さまざまな盛衰のドラマがあります。それはまるで、我が国の政治史を見るようなものがあります。

 近代昼食史は腰弁の時代から始まります。それは明治から昭和初期にかけての、立憲政友会の時代にたとえられましょう。昭和の始めくらいまではみんな腰に弁当ぶらさげて会社に通っていたそうですが、今はすっかり勢力が衰えました。そんな人滅多にいません。真面目な女性社員か、新婚早々の男性社員くらいなものです。(それも新婚せいぜい半年・・・)

 腰弁の時代の次には社員食堂の時代がやってきます。個人の意志が組織に抑圧される時代です。政党が軍部に弾圧されたように、社員個々の嗜好は会社組織に抑圧されました。社員食堂では、大政翼賛会の如く、会社の決めたメニュー以外に選ぶことはできません。社長が「今日のランチはコロッケ」と決めたらコロッケ。「サバ味噌食いたい」という個人の訴えは官僚組織の壁の前に無力でした。

 社食独裁の時代も軍部独裁の時代と同じく、やがて終わりを告げました。残念ながらその終焉は自覚した個人の反対行動による内的な革命ではなく、経済事情という外的な力によるものである点、軍部時代の終焉と同じです。要するに会社が儲からないから社員食堂が維持できない、という話。

 さて、社食の支配を脱し、自由になった社員分子は、各種の政党を設立し、それぞれ独自の綱領を掲げました。
 コンビニでパンや弁当を買って食べる人もいますが、これは経済的によほど窮迫した人か、昼食中もモニタから目の離せないパソコン中毒(この両方を兼ね備えた人も多いようですが)、もしくは大勢で会議室などで食べる女性社員向きです。政党でいえばスポーツ平和党や税金党のような泡沫政党です。やはり堅実なサラリーマンの昼食保守本流は、外食といえましょう。

 外食のメニューも時代につれ変わってきました。いわゆる定食屋、「アジフライ定食」とか「サンマ開き定食」などを供する店は、すっかり少なくなりました。昔は天下を取ったこともあるのですが、いまでは社会民主党の如くじり貧状態です。味噌汁はうまいんだけどな。

 定食屋政権時代の後、ソラカ時代が訪れました。「ソラカ族」と言われ、サラリーマンの昼食は蕎麦、ラーメン、カレーというのが決まりでした。言ってみれば、自民党の福田派、三木派、田中派のようなものです。この三派連合に挑戦せんと、スパゲティ、ドリア等婦女子に阿った食品も政権の座を目指しましたが、所詮はあだ花、新自由クラブや新党さきがけ程度の存在です。

 しかし最近は三木派、でなかった、蕎麦は衰え、福田派ならぬラーメンに昔日の勢いなく、田中派改め小渕派たるカレーが一人勝ちの栄光を勝ち取った感があります。
 それは何故か?

 まず第一に、コメの強みです。田中派も農村票を固めたからこその大量得票なのです。
 蕎麦やラーメンは腹持ちが悪く、夜までに腹が減ってしまうのです。かといって大盛りにしても、単調な食品だから飽きが来る。どうしても麺類は、「そば、カツ丼セット」「ラーメン、チャーハンセット」などのようにご飯ものと組み合わせる必要があります。それなら、ご飯ものだけでいいんじゃないの?ということでカレーの勝利が訪れたということでしょう。

 第二に、カレーはどこでも売っているのです。これまた、どこの選挙区にも立候補している田中派を思わせるものがあります。
 私はカレーはさほど好きでない。あくまでカツ丼に情熱を注ぎ、カツ丼を食うことに幸福を見出すカツ丼愛好家であります。外食党の和寄りです。定食屋とともにかつては主流だったものの、徐々に非主流に落ち込み、数で押し切る主流の洋寄りカレー派の傲慢を憂い、所属議員の高齢化に悩む、カツ丼派所属であります。
 その私にして、昼食として食べる回数はカツ丼よりカレーのほうがずっと多い。そういえば、今月はまだカツ丼食っていないぞ。いかん、禁断症状が・・・てな具合です。これはひとえに店の数の差なのです。
 カツ丼は、蕎麦屋、定食屋の一部、ごくまれにラーメン屋で食わせるのみです。カツ丼専門店というのも無いわけではないですが、ごく少ない。それに、牛丼屋と同じく、社会人が出入りするにはためらわれる店です。
 サラリーマンが牛丼屋やカツ丼屋に入る姿を見て他人は、「貧」を感じ、「困」を思い、「窮」を考えます。学生ならともかく、背広を着た人間が、入っちゃいけない店なのです。
 ああいう店にサラリーマンが行くためには、理論武装が必要なのです。たとえば、小走りで、鞄を抱え、時計を見ながら、
「ああ忙しい、すぐ会議だよ。まいったな。昼飯食ってる暇が無いよ。でも腹減るしな。おおっ、そこに吉野屋があるぢゃないか。入ったことないんだけどな。この際、ここでいいや。お兄さん、牛丼特盛りでっ」
 等の演技をする必要があるのです。それにしても、この人、入ったことないとか言いながら、「特盛り」などという専門用語を駆使して、すっかり底が割れていますな。ああっ、そういえば、この店にもカレーはあるぞ。恐るべし、カレー。
 それにひきかえ、カレーは、定食屋のほとんど、洋食屋のすべて、蕎麦屋やラーメン屋でもたいがい、そしてもちろんカレー屋でも出すのです。そしてカレー屋は、サラリーマンでも入れる店なのです。もちろん、カレー屋ではカツ丼も牛丼も出さないのです。
 ちなみに私の仕事場のある秋葉原、お茶の水近辺でカツ丼を出す店は6店。それに対してカレーを出す店は15店を超えます。圧倒的な差といえましょう。
 余談ですが、秋葉原近辺ではじゃんがららあめんの向かいの「ベンガル」、ソフマップ本店近くの「ラホール」、それと秋葉原デパート1Fにカレー専門店があります。「ベンガル」はインド本場風、「ラホール」は辛さと載せるものが選べ、カツカレーがお得な店です。御茶ノ水にも駅前にカレーのスタンドがあり、値段の割にはまあまあの味です。ちょっと裏手にもカレー屋があります。ここは美味いです。このような専門店、「キッチンジロー」「ブラジリア」他の洋食屋・定食屋、いろいろな店のカレーの中辛を食い比べた結果では、一番辛いのは秋葉原デパート1Fのカレー屋でした。大辛の食い比べはまだやっていません。私の胃がもたないので。もし誰か勇気のある人は試して、その結果を教えてください。(いや、本当にどうでもいい話なのですが、ネット漫遊などしていると、パソコンマニアでカレーマニアという人の比率、異様に高そうなので、何か参考にでもなればと思い・・・そんな人だったら、もうこんな店全部知ってるじゃないか)
(さらに余談ですが、カツカレーというもの、カレーでありながらカツ丼思想を持ってしまったカレー界の鬼っ子ともいえます。中曽根派出身でありながら左傾し、ついに脱党した河野洋平のようなものでしょうか。そうするとカレーうどんはさしづめ、八方美人の山口敏夫だな)

 第三に、その訴えが庶民的で、かつ力強いことがあげられます。田中派の主張は「消費税撤廃」の共産党のような理想論や、「みんなに優しく」の民主党のようなあいまいなものではありません。この選挙区に工場を誘致します、ここの道路を舗装します、みなさん儲かりますよ。つねに地に足がついており、そして説得力がある。
 カレーも、その主張は明白です。
「辛い」
 なんという説得力でしょう。なんとわかりやすいことでしょう。
 蕎麦の「のどごしがうんぬん、薬味とつゆがかんぬん」、ラーメンの「スープのコクとちぢれた麺がからまりあってどうのこうの」という、わかりにくく、腑抜けた主張に比べ、なんと力強いことでしょう。

 第四に、ちょうど語るに都合よい位置にある食品である。
 蕎麦に関しては夏目漱石から櫓山人から池波正太郎から、名高い食通が万言を費やして語っており、おいそれと入っていける雰囲気ではない。東大卒で固めた共産党のようなものです。
 秋葉原近辺にも「薮蕎麦」「まつや」など有名な蕎麦屋はあるのですが、まつやはともかく、薮は茶室のような待合室にぎっしり人が並んでいて、とても昼休みに行ける雰囲気ではない。量もひどく少ないそうだし。
 ラーメンも昔は心安い存在だったのだが、B級グルメとやらで祭り上げられ、やれ博多風と熊本風のとんこつスープの地域的変異だとか、やれ喜多方の名店だとか、妙な具合にもてはやされすぎている。民主党の管代表ようなものです。
 秋葉原じゃんがららあめんの、あのむちゃくちゃな行列が、今のラーメン状況を象徴しています。

 それに比べカレーは、それほど語られていない、気楽な存在であります。贅語を尽くしてカレーを語る、いわゆる「カレーグルメ」のような鬱陶しい存在は、いるかもしれませんが蕎麦やラーメンほど多くありません。「この店のカレーを食わずしてカレーを語るなかれ!」と妙なところで力瘤を入れる馬鹿はいないし、(いても無視される)生牡蠣や伊勢海老を載せた超豪華1万円カレーに行列するほど腐った状態にもなっておりません。(やりたがっている奴いるらしいけど)

 おそらくカレーが衰えるときは、ラーメンのように祭り上げられてしまったときでしょう。ただカレーが食いたいだけなのに、ギーがどうしたチャツネがどうした17種複合スパイスで牛すね肉を1週間煮込んでどうのこうのと、講釈を思いきり食わされるようになったとき、人々の足はカレー屋から離れるのではありますまいか。
 そのとき、カレーに代わり主流派になるのは誰でしょうか。丼ものは峠を過ぎ、スパゲティ役不足、寿司には普遍性が無く、ピザは色がつきすぎている。既存の野党には政権を掌握する能力が欠けています。まったく想像もつかないものが主役を演じるかもしれません。
 例えば、クスクス。日本のサラリーマン6000万人が12時になるとクスクス屋に入って小麦粉の蒸したのをシチューと一緒に素手でこねまぜ、食らいつくのです。これはもはや、金融ビッグバンを超える「昼食ビッグバン」と言っても過言でない風景でしょう。

 とりあえずその日までは、心安らかにカレーを食い、自民党小渕派に投票する。小市民の安らぎ。

(注:外食党洋寄り主流派のカレーに若干肩入れした表現も見られますが、筆者はあくまで外食党和寄り非主流のカツ丼派所属です。お間違えのないよう。小渕派支持でもございません)


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