魔法使いの憂鬱

 銃声がとぎれることなく聞こえる。
 男は身をよじり、藪の中に、かろうじてその身体を隠した。
 遠くから切れ切れに、戦友の声が聞こえる。
「違う……あの処刑は……上官命令……俺じゃない……助け……」
 そしてまた、銃声。

 かつて男が属していた部隊は、敵の奇襲にあって、いまや影も形もない。
 おそらく、みんな死んだ。
 (そして俺も、長くはない……)
 男は腹を押さえた。疼痛が伝わってくる。
 腹を撃たれたら、そこから菌が入って、もっともおぞましい死に様となる。
 むかし聞いた、そんな話を、ぼんやりと思い出していた。

 そうなる前に、自決するか。
 それとも、敵に突っ込んで玉砕するか。
 しかし男は、奇妙なほど、敵に憎悪を抱いていないことを、感じていた。
 奴らも俺も、とんだ浮世のめぐり合わせで、敵味方となった。
 神さまが違うわけでも、ひとつのパンを奪い合っているわけでもない。
 国の政策とやらで、否応無しにここに放りこまれただけだ。
 それを憎むことが、どうしてできようか。

 なんだか眠くなってきた。
 このままでいよう。このまま死のう。
 そう思った男の目に、なんだか奇妙な人影が映った。
 (ああ、もう頭までおかしくなっている……)
 男はみずからを嘲るように微笑した。
 この泥沼の戦場で、ひらひらした派手な服を着た、小さな少女が見えるなんて。

「あたしは戦場の魔法使い。あなたの願いをかなえてあげる」
 少女は男のもとに歩み寄ると、こう語りかけた。
「このまま死なせてくれ」
 男は目をつぶって言った。死に際に錯乱して、みっともないことだけは、したくない。
「本当よ。ひとつだけ、あなたの願いをかなえてあげる。傷を治すのでも、家に帰るのでも」
「……ならば」
 断続的に襲ってくるようになった腹の激痛に耐え、男は身体を仰向けに返した。少女を、まともに見た。
「この戦争を、おしまいにしてくれ」

 少女はすこし微笑んだ。どこからか取り出したバトンを振る。
 なにか柔らかな粒子のようなものが、そこから放射されたように、男は感じた。
 ふと気づいたが、腹の痛みが消えていた。手を当ててみたが、血が流れていない。

 男は立ちあがった。
 銃声が絶えている。
 死んだはずの戦友が、敵兵と抱き合っている。
 遠くから拡声器の声が聞こえる。
「停戦……両国は合意に……もはや……友誼を……」
 何度か見たことのある司令官が、敵国の軍服を着た男と、談笑している。
 なんて馬鹿なことを、今までしてきたのだろう、というような、苦笑いを浮かべながら。
 男は空を見上げた。
 高い空に虹が交差し、そこから天使が舞い降りてくるのが見えた。

 もはや何も見ることはない、男の瞼を、少女は、ゆっくりと閉じた。
 血まみれの身体を、枯れ葉で埋めた。
 ひとつぶの涙をこぼして、少女はどこかへ消えていった。
 戦場の魔法使いにできること。
 それは、いまわの際に、美しい走馬灯を見せるだけ。
 戦争はまだ続く。


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