たまのプーサン(初めてです)

 さて今回は釜山である。
 前回のソウルで、なんとなく韓国旅行熱が再燃してしまった。
 マッコリは安くてうまいし、ソルロンタンやコムタンなど、どんぶり系煮込み系肉料理も安くてうまい。むろん焼肉もうまいが、牛は安いというわけにはいかんなあ。豚や鶏は安いけど。
 残念なことに物価がそこそこ高いのと、日本と同じ程度に都会化してしまっているわけだが、そこはそれ、日本から近いというのでお釣りがくる。都会と場末と観光地がいい按配に入り交じっているので、わりと楽しいんだよね。釜山はソウルよりも場末のパーセンテージが高いと聞くし。

 釜山に行くならば、やはり船で釜山港へ行くしかあるまいと思っていた。
 「釜山港へ帰れ」という往年のヒット曲に完璧に影響されている。
 ほら、「君の知らない〜異国の街で〜」というアレですよ。
 あの歌でも、「上海、蘇州と、汽車に乗り〜」……あれ、汽車に乗ってる?
 いやいや、ちゃんと「昔ながらの〜ジャンクが走り〜」と船が出てくるじゃないですか。
 昔はこの箇所を「昔ながらの〜チャンタに走り〜放るかドラで〜さんざんだ〜」と替え歌してたなあ。
 まあともあれ、釜山にはやっぱり港があり、船で釜山港に行くのがそれっぽいってことだ。

 それが一転して飛行機での往復になったのは、ひとえに経済的事情である。
 エアプサンのキャンペーン価格では、成田と釜山のフライトが片道3千円。空港使用料を加えても往復で1万円ちょっと。
 これが船便となると、大阪までの新幹線が安くても1万円、船便が2万。これが片道料金。
 ロマンはつねに現実に破れるのだ。

 そこから釜山個人旅行計画を立てた。
 個人旅行なのは、むろんつきあってくれる友人などどこにもいないからだ。
 なにせエアプサンのキャンペーンで11月のチケットを購入したのが7月。準備期間は4ヶ月もある。妄想期間、というべきか。
 前回のソウルで、10年前のガイドブックなどなんの役にも立たないことはわかったので、奮発して「地球の歩きかた」の釜山・慶州編を購入。
 図書館で他のガイドブックや釜山関連書籍を借りて読んだのはいうまでもない。
 韓国の食い物情報なら鄭銀淑の本が詳しいと聞き、釜山の人情食堂だとかマッコリ酒場紀行だとか何冊か仕入れてくる。いやまあ、人情だとか絆だとかはイチゲンサン観光客には縁のない話で、何冊か読んでるとイライラしてきましたがね。
 ネットではプサンナビとコネストとAsia Gatewayを中心に情報収集。
 エアプサンのチケットもネットで購入したが、初日のホテル、旅行傷害保険、スマホ用のWifiルータもネットで予約する。

 せめて看板やメニューの文字だけでも読めるよう、ハングルの勉強もはじめた。
 「ハングル読み書きドリル」ってのと、「7日で読める!書ける!話せる!ハングル超Book」ってのを買ってきてトイレに常備し、大便するたびに読むという畑正憲方式を採用した。ムツゴロウはこのやり方で碁の定石を暗記したそうだ。
 しかし年齢のせいかムツゴロウと脳髄の構造がちがうせいか、7日どころか3ヶ月たってもなかなか憶えられない。もともとハングルは、世宗大王が「頭のいい奴なら3日、そうでなくても10日で憶えられる文字」ということで考案したのだが、どうやら私はかなーりダメな方に分類されてしまうようだ。
 基本母音と子音くらいは憶えたかと思ったら、現地の写真で見ると字体が違っててまるっきり読めないってこともある。複合母音はよくわからん。パッチム(フランス語でいうところのアンシェヌマンのようなものか)は1字ならわかるが、2字パッチムとなると左右どっちを発音するものなのか見当もつかない。だいたいなんで、釜山は日本語ならプサンなのに英語表記はBusanなんだよ。
 結局、出発直前に「旅の指さし会話帳」「食べる指さし会話帳」を購入し、キャリーバッグにそっと忍ばせる。

 釜山といえば港町。チャガルチ市場を中心に魚介類がうまいらしい。魚市場で魚介を買って上のレストランで食ってみたいな。刺身もよし焼き魚もよし。冬は牡蠣やハイガイなどの貝類もシーズンだ。さらにはケブルという、釣り餌のような蠕虫も食えるそうだ。
 釜山は豚肉の街でもあるらしい。ソウルで焼肉といえば牛だが、釜山は豚が主流で、クッパも豚肉のデジクッパが多いらしい。豚足の店も多いと聞く。牛だってコプチャンのようなモツ焼きの店が並んでいるという。むろん食うぞ。
 釜山名物といえば日本から伝わったおでんや、コロッケと称するピロシキ風揚げパンもはずせない。ホットクというスナックもナッツが多くて美味らしい。それも食うぞ。
 もちろんマッコリも呑む。つまみは緑豆チヂミのピンデトックか、どんぐり寒天のトトリムッか、それとも念願のホンオフェか。絶対呑む食う。
 てな感じで食いたいもの行きたい店をリストアップしていたら、5日間の日程では絶対消化しきれないものになった。まあ、半分いや3分の1も行けたらオンの字だなあ。

 観光名所こそあんまりないが、釜山は港町ならではの見どころが多い。
 魚市場界隈を歩くのもいいし、天気が良ければ対馬が見えるという海岸に行って露天で刺身を食いつつ焼酎あおるのもいい。下町のそこそこには占領中に建てた日本風の家屋もあるし、そういう昔の町並みを保存して観光客むけに整備したイバクギルというものが増えてきた。国際市場などローカル市場をうろつくのもいいし、秀吉の時代に日本軍が作った城郭の名残の石垣もわずかながら残っているらしい。って、なんでもう行ってきたようなことを言っているのだ私は。

 さて問題は、木浦に行くかどうかだ。
 ホンオフェの本場木浦はぜひ行ってみたい。釜山からも近いし……といって調べてみたら、近いはずの釜山からは5時間半、ソウルからなら3時間半ってどういうことだ。
 どうやら、ソウルからは新幹線KTXの直行便があるのに対し、釜山からは急行か特急を乗り継いでいかねばならないことが時間差の理由らしい。釜山から木浦まで、電車だと7時間半、高速バスなら5時間半。でもローカル鉄道にも乗ってみたいなあ。
 調べると釜山から乗り継ぎなしで木浦へと行く列車は、1日2便だけあるらしい。早朝発と昼間発だから、行くとしたら早朝に釜山を出て昼過ぎに木浦着、ホテルを探してホンオフェ食って翌日にはバスで帰るってコースがいいかなあ。
 韓国鉄道の切符も予約したかったのだが、korailのサイトにどうやっても接続できないので断念する。現地で駅に行って、指定席が売り切れてたら諦めるとするか。

 出発の半月ほど前、エアプサンからメールが来た。
 なんでもフライト時刻が1時間ほど後になるとのこと。
 ううみゅ、帰る時間が1時間遅くなるのはありがたいが、釜山到着が夜8時から8時半に変更になったのは痛いなあ。遅くとも9時過ぎには釜山の駅まで行って両替、というのを考えていたが、空港で両替が必要なようだなあ。
 エアプサンのチケットを見せると空港の釜山銀行で優遇措置がある(レート優遇なのか手数料割引なのか不明で、30〜70%という曖昧な優遇幅だが)らしいし、いざとなったらクレジットカードでキャッシングという手もある。まあなんとかなるか。

 旅行の準備もすすめねばならない。
 5年ほど前に台湾で買ったキャリーバッグは壊れてしまった。10年ほど前にタイで買ったデイパックはさすがにあちこちがほつれてきた。この際新しく買い直すことにする。通販で安いものを探して注文。キャリーバッグは3千円くらい、デイパックは千円くらい。これで私も大日本の経済活動に貢献できるというものだ。届いた製品見たら中国製だったけどな。
 韓国と日本では電源プラグの形状が異なる。今回はデジカメやらスマホやら、バッテリーの充電がやたらに必要なので韓国用のプラグのUSB付きタップを買った。今どきのだいたいの電子機器は240ボルトまでに対応できてるので、変圧器は必要なし。
 航空券のeチケットや宿泊予約のバウチャーや旅行傷害保険をプリントアウトして、前回ソウルで使ったT-moneyカードや韓国ウォン残金やデジカメや常備薬や着替えやらを放り込んで、あとは出発の日を待つのみだ。
 などといってたらスマホの動作があやしくなってきた。ポケモンを起動したまま歩いてると、10分程度でバッテリーがからっぽ表示になる。慌ててポケモンを停止し、バックグラウンド更新や通知をぜんぶオフにしたが、それでも2時間程度でバッテリーが尽きる。もはやアップルストアに持ち込む時間もないし、えいままよ、予備バッテリーを常備して、あとはなんとでもなれ。
 ところが出発前日になってバッテリーがいよいよおかしくなってきた。100%充電表示が出ても、5分ほど使用していると勝手に電源が切れる。充電すると瞬時に100%に戻るが、また5分使っていると電源切れの赤表示が出てまた電源切れ。あかんわこりゃ。
 アップルケアの契約はしているが、もはやアップルストアを予約する時間的余裕はない。やむなく、赤羽の修理屋に持ち込みバッテリー交換する。4千円でなんとかなった。

11月9日(水)ヒュンダイは時間との闘いです
 前日が夜勤明けなので夕方に寝てしまい、夜明けごろ起き出して酒呑みながらCNNの大統領選挙特番を見てしまったので、なんだか二日酔い気味で妙な眠気もある。おまけに先週から持ち越しの風邪でなんとなく身体もだるい。でも行くのだ。行かねばならぬ。
 ヒラリーの敗北が決定的となった15時ごろ、ゆるゆると家を出る。

 新品のキャリーバッグは軽いのはいいんだが、車輪が滑りすぎて止まってるとき安定しない。安物だからもちろんストッパーなんか付いてない。電車の中では横倒ししておく。滑るといえば、これも新品のデイパック、肩紐がやっぱりつるつると肩からすべるんだよねえ。
 日暮里で京成電鉄に乗り換え。急ぐ必要もないのにスカイライナーに乗ってしまう。終点の成田第一ターミナルへ着いたのは16時20分ころ。
 出発の2時間前だったが、エアプサンはもう受付を開始していた。チェックインしてキャリーバッグを預ける。LCCだけど荷物が預けられるってのはいいね。
 まだ出発まで2時間近くある。南ウイングのレストランを物色していると、京成友膳にビールとつまみのセットがあったので入ってみる。香るエールというのにまぐろ刺身、煮込み、枝豆の小鉢がついて千円。まあそのあと、ビールが足りなくて氷結ビールも頼んでしまったが。合計で1,600円ちょっと。
 南ウイングの端っこから、さらにバスに乗って目的の飛行機に搭乗。エアバス320ー200は、さすがにちっこいなあと思うが、乗り込むと座席はわりとゆったりしてる。全日空の国内線とさほど差は感じられない。ただし、映画や音楽のサービスはなかった。

エアプサン

 定刻の18時25分、飛行機はゆるゆると走り出したが、やがて止まってしまう。しばらくして機長のアナウンスがあり、混雑のためしばらく離陸を待たされるとのこと。LCCの悲哀かなあ。
 ようやく19時10分ごろ、飛行機は離陸。
 私は飛行機事故ドキュメント番組「メーデー」をいつも見ている。管制官の指示ミスや機長の誤解、滑走路に落ちてたゴミや飛行機、機材に巣くった蜂やエンジンに飛び込んだ渡り鳥、ハイジャックやクビが決まってやけくそになった機長、修理の怠慢やパイロットの過重勤務、ガロンと立方メートルを間違えた燃料補給などなど、よくもこれだけ事故の原因があるものだと感心する。
 そのせいで自分が飛行機に乗るときも、滑走路のランプが消えてないか、離陸が遅れて機長はイライラしてるんじゃないか、なんだか高度が上がらないが重量オーバーで失速するんじゃないか、そのうちエンジンが火を噴くんじゃないか、雲があるが乱気流にのまれるんじゃないか、といらぬ心配をしてしまう。釜山近くに来たところで雲の中につっこみ、落雷で翼が青白く光ったのを見て不安は最大限となる。
 さいわい機体は私の杞憂をよそにつつがなく上昇し、やがて機内食のエビチャーハンと水、ジュースが配られる。以前はビールもあったそうだが、残念ながら今はサービス対象外。
 CAが税関申告書を配るが、これがハングルしか書いておらず、どこになにを記入したらいいのかまるでわからない。「地球の歩き方」をひっぱりだして見ると、まったく同じ書式があったので、これだと見当をつけて記入する。
 しかし入国証のほうが配られない。通りかかったCAに頼んでみたら、「あ、こいつガイジンなのか」みたいな顔をされて入国証と、日本語の税関申告書を持ってきてくれた。どうやら韓国に帰る人間と間違えられたらしい。
 プサンエアの機内雑誌を読んでいると、なんだ、乗客はスカイライナー270円割引特典があったのか。残念ながら帰りはリムジンバスでラッシュをやり過ごすつもりなので、もう遅い。

機内食 海鮮チャーハンだそうです

 さて離陸が遅れたため、予定到着時刻の20時30分になっても着陸どころか、街の灯りすら見えてこない。だんだん不安になってくる。なにしろ予約していたレンタルwifiの営業時間は22時まで。飛行機が遅れたからといって待っててくれるとは思えない。45分になってもまだなにも見えない。不安はますます増大する。
 どうやらこの男、機内では不安しか抱いていないようである。
 21時過ぎ、ようやく釜山の灯りがみえ、飛行機は下降旋回をはじめる。
 着陸は21時15分。降りられたのは21時20分。そこから入国審査を通ったのが21時40分。さいわい手荷物がスムースに出てきて、出国ゲートをくぐったのは21時50分。受付窓口に走ると、よかった係員はまだいた。予約書とクレカとパスポートを提示し、つつがなく借り受ける。
 さて次は両替を、と思ったがもう銀行は閉まっている。クレジットカードでキャッシングしようとしたら「そのカードはダメです」みたいなメッセージが出て拒絶された。結局係員に頼みこみ、出国ゲートを戻って中の銀行窓口で1万円を両替。105,500ウォン。プサンエアのチケットを提示すると釜山銀行じゃ手数料が割引になるそうだが、そんなの関係ねえ。
 リムジンバスに乗るか、と思ったら、釜山駅方面のバスは20時40分で終わりらしい。やむなく軽電鉄の乗り場へ。ソウルで買ったT-moneyカードが使えた。
 ここは表示がハングルしかないのでどちらのホームに行ったらいいのかしばらく迷ったが、ひとつ英語表記をみつけて沙上行きに乗り込む。沙上から地下鉄に乗り換え、西面でまた乗り換え。地下鉄は英語アナウンスがあるし、要所駅では日本語のアナウンスもある。
 結局、ホテル最寄りの中央駅に着いたのは、11時過ぎだった。
 韓国は寒いかと思ったんだが、埼玉よりも暖かい。緯度的に中国地方と同じくらい、風土的には九州に近いのだから当たり前か。厚手のシャツと防寒ジャンパーを着てると汗が出るくらいだ。

 中央駅は鉄道キーターミナルの釜山駅と、釜山タワーや魚市場など観光名所の多い南浦洞駅の間にある。ちょうど上野と秋葉原の中間にある御徒町のような、観光客向けのレストランと地元住民の酒場が混在しているような猥雑な街だ。
 いつもの私ならさっさと道に迷うところだが、今回はスマホという武器がある。地図で現在位置と進行方角を確認しながら歩いたおかげで、2回しか迷わずに、今回宿泊のテヤンモーテルを探し当てることに成功した。モーテルとはいっても、車を止めるスペースなどまったくない。カップルで泊まるような悩ましい内装でもない。ひたすら安宿である。
 フロントにいたおばちゃんは日本語も英語も通じなかったが、予約のバウチャーを見せると「ああ、アゴダ」とうなずきキーとアメニティの歯ブラシカミソリを渡してくれた。
 部屋はやや古びているとはいうものの、テレビも机もベッドもあり、バスルームにはバスタブもある。私には充分。

テヤンモーテル テヤンモーテル客室

 さて遅くなったが夕食を、と思ったが、もはや23時すぎ、予定してたイイダコ炭火焼きの店はもうとうに閉まっている。
 酒場でメシ食うことにするか、と北に向かって歩いてみる。やがていろんなオブジェの飾られた階段が見えてくる。これが観光名所としても知られる40階段ってやつだな。
 40階段を登り、やや迷いながらもピンデトックチプという、「地球の歩き方」や鄭銀淑の本でも紹介されているマッコリ酒場を探し当てたが、店はすでに閉まっていた。ガイドブックによれば朝5時まで営業してるとのことだったが、アレか、「今日はもうお客さんいないし閉めちゃえ」ということか。
 ホテルの近くに戻って、これも鄭銀淑が紹介していた「釜山浦」という酒場に行ってみるが、こちらも閉店。南浦洞の繁華街方面をあてどなくうろつき、店を探してみる。
 「塞翁が馬」という店とその向かいの「クンボナル屋台」という店のどっちにするか迷ったが、クンボナルのほうにする。どちらも日本語表記のある看板を掲げた、なかば観光客向けの食堂らしい。
 さすがに午前様近くなので客はほとんどいない。
 おばちゃんがメニューを持ってきてくれたが、どうやら焼肉系か海鮮系のバーベキューっぽい料理の店らしい。海鮮鍋や貝焼きにも心動いたが、けっきょくメニューの中でいちばん安いプルコギを注文。
 するとテーブルいっぱいに小皿が並べられた。これ全部、ミッパッチャンというオマケ小皿である。
 キュウリ、パプリカ、セロリ、ニンジン、チンゲンサイ、ミカンがごろりと載った生野菜皿、ソーセージとカニカマのジョン、煮こごり、キムチ、マヨサラダ、なまこ煮、ブルーベリー、枝豆、トウモロコシとサツマイモの素揚げ、たこ酢、トウガラシとニンニクの煮浸し、カニカマ、鴨ハム、青菜おひたしと並んで、さすがにこれで終わりかと思ったらぐつぐつと煮えてるケランチム(茶碗蒸し)とコーンチーズグラタンが来た。合計で16皿、プルコギ大皿が来て合計17皿。
 いちばん安いプルコギでも25,000ウォン、ちょっと高いなあ、と思っていたのだがこの小皿の行列を見たらそんなことは言えなくなってしまった。
 料金はマッコリ2本と合計で33,000ウォン。こちらでは消費税やサービス料がない明朗会計でわかりやすい。料理と酒の料金をそのまま払えばよろしいのだ。
 釜山でもっともポピュラーなマッコリはこの店でも出た「生濁」という銘柄のようだ。この後の店でもたいがいこれだったし、コンビニで並んでるのもこれ。いわば釜山のアサヒスーパードライみたいなもの。ほどよい甘みと酸味のバランスがいい。やや甘み控えめ酸味強めなのが私に合う。
 店を出たらもう1時過ぎていたが、コンビニでマッコリとつまみと水を買い込む。やはりマッコリは安い。生濁750ミリリットルが1,300ウォン、ビールだと350ミリリットル缶が2,200ウォン以上する。焼酎も小瓶が1,800ウォン程度と安いが、やはり韓国はマッコリ天国ですたい。
 宿に戻ってちびちび呑みながら荷物の整理。

ミッパッチャン プルコギ

11月10日(木)国際市場に用こそ
 目が覚めたのは8時すぎ。そそくさと荷物をまとめてモーテルを出る。
 朝食は宿の近くにあるドジョウ汁屋。ここはドジョウ専門店で、ドジョウ汁のほかに、ドジョウチヂミ、ドジョウ天麩羅、ドジョウ鍋などがある。
 座敷の適当なテーブルに座ってドジョウ汁を注文すると、やはり小皿がいくつも並ぶ。魚の煮物、モヤシナムル、ズッキーニのナムル、甘口キムチ、白菜キムチ、カクテキ、唐辛子酢漬け。
 ドジョウ汁は浅草駒形のような丸のままではなく、ドジョウはすりつぶされているので、原型はとどめていない。ちょっと骨のかけらを舌に感じる程度。やや唐辛子の入った味噌汁のなかに飯を放り込んで食う。これで7,000ウォン。

ドジョウ食堂 ドジョウ汁

 そこから南下して、南浦洞駅近くの有名なヨンジン両替で3万円を両替。325,500ウォン。1万円だと108,300ウォンか。空港より3,000ウォン弱いいレートか。まあ5万円で1回の飲み代になるくらいの差額だなあ。
 南浦洞繁華街のクリスマス準備を横目に見ながら5分ほど歩くと、釜山タワー入り口のエスカレーターがある。べつに別の入り口から階段で登ってもかまわないのだが、200段以上あるぞ。
 エスカレーターで登った先に、朝鮮の英雄、李舜臣将軍の銅像と、釜山タワーがそびえたっている。ちょうど紅葉の時期で木々が美しい。

エスカレーター 李舜臣とプサンタワー

 チケットを6,000ウォンで買い、タワーのてっぺんに登る。
 釜山タワーの隣に仏教寺院のごとき建物があり、なんだろうと入ってみたら、そこは北朝鮮切手の展示館だった。残念ながら将軍様切手は金日成と金正日が握手した1枚だけだったが、古城や寺院など北朝鮮の文化遺産、色とりどりの動植物切手(べつに北朝鮮の動植物というわけではない。熱帯産が多い)、恐竜など古代生物、ワールドカップやオリンピックのスポーツ切手など、見ていて楽しい。
 釜山タワー1階の土産物屋をうろついていたら、北朝鮮切手のシートが販売していたので勇んで購入する。どうやら本物ではなくレプリカっぽいが、ソウルの板門店ツアーでも売ってなかった北朝鮮の切手、ここで買わずばなるまい。将軍様切手はひじょうに残念ながら売っていなかったが、地球誕生切手がシートで2,000ウォン、恐竜切手が1,500ウォン、ダーウィン生誕190年記念の脊椎動物系統発生切手が1,500ウォンだ。ヒャー安い。いろいろひっくるめて12,000ウォンほど購入。
 タワー下の休憩所は手すりにびっしり絵馬のようなものがぶら下がっていて、それが全部鍵でとめてある。どうやらこれが愛の鍵というやつらしい。
 公園のあちこちに、古びた石垣が残っている。これが豊臣秀吉の朝鮮征伐、文禄・慶長の役のとき日本軍がこしらえた城郭の名残だ。

将軍様切手 旧日本軍の石垣

 釜山タワーから西にくだり、古本通りを覗いてみる。
 国際市場の北にあり、細い路地に古本屋が十数軒並んでいる。神田というほどの規模はないが、細い路地と雑然とたてこんだ店の雰囲気は似ているねえ。
 日本の本のコーナーもあり、ポケットジョークと角川文庫のSFアンソロジーを買おうと思ったのだが、店員がどこにもいなかった。
 通りの先あたりにコロッケ屋さんがあり、コロッケだの餃子だのオデンだの売っている。コロッケ1個1,000ウォンで買ってみた。野菜と挽肉のクリーム煮をパン生地でくるんで揚げた、カレーパンのクリーム版という感じ。おいしかったが味が淡泊なので、ソースをかけたかったな。

古本街のコロッケ屋

 さていよいよ国際市場だ。
 見物もさることながら、私はここで衣類を購入せねばならない。
 現地調達を見込んでシャツの上着と下着は、替えを持ってきていないのだ。
 さらにスティッチマニアの知人への土産として、スティッチグッズ、それもできるだけコレジャナイ感のあるパチモングッズを探さねばならない。
 国際市場は狭い路地が格子状に張り巡らされ、同じような店が数千も並んでいる。
 私は売り物に気を取られ、右に曲がったり左に曲がったり恣意的な行動をとる。
 その結果として道に迷い、同じ店を何度も何度も眺める羽目になる。
 まあそれでもTシャツ2枚、古着の厚手シャツ1枚、スティッチグッズ数点を購入することはできた。
 残念ながら版権のディズニーはここ韓国でも猛威をふるい、ディズニーロゴのついてないパチモンスティッチは見当たらなかった。パチモンセラムンやパチモンしんちゃんはいくらでもあるんだけどね。

 国際市場をうろついているうち雨が降り出したので、南のチャガルチ市場へ移動。
 新東亜市場ビルにとびこむ。ここは魚市場で買った魚介類をすぐ隣のテーブルで食うことができる。ただし刺身やあぶり焼きなど、簡単な料理に限る。
 向かいのチャガルチ市場ビルだと、買った魚介は3階の食堂で調理するのだが、そちらは調理に手数料がかかる。その代わり炒め物やメウンタン(魚のあらの味噌汁)みたいなものも作れる。
 まあ、手間のかかる料理ならチャガルチ、安直に食うなら新東亜、ってところかな。
 私は安直な道を選び、新東亜で食うことにした。
 市場のおばちゃんはやたらアワビを勧めたがる。小ぶりのアワビ1個1万ウォンというので、それ1個だけ頼み、あとはエビ2匹、ハイガイ3ヶ、そして目的のケブル3匹、合計で2万ウォン。エビだけ塩焼きで、あとは全部刺身。それから忘れちゃならない焼酎3,000ウォン。
 エビは柔らかくて殻ごと食えた。アワビはこりこりしてそんなもんかなって味。ハイガイを刺身で食うのははじめてだが、サザエをちょっと柔らかくしたような味で、サザエより甘みが強い。そしてケブルは、ミル貝の水管のような歯触りでほのかに甘い。貝類系の味だなあ。
 刺身はわさび醤油、コチジャン、塩ゴマ油のタレがあるが、塩ゴマ油が気に入って途中からそればっかりで食った。
 焼酎もう一本頼んで、目の前でうねうね動いてるタコを頼もうかなあ、と思ったが、あまり長居してもなんだかなあと思い切り上げることにした。生タコ、食えば良かったかなあ。

新東亜市場 購入物 購入物その後

 地下鉄に乗り、チャガルチの一駅先の土城駅で下車。
 ここは「東洋のマチュピチュ」という、ごたいそうな名称で知られる甘川文化村があることで有名だ。駅前からも西の山麓にある色とりどりの家屋屋根が見える。
 私は駅から10分ほど歩いたところにある、臨時首都記念館へ。
 気温が高いうえ雨で蒸し暑く、歩きながら汗を何度も拭く。
 この臨時首都記念館、朝鮮戦争でソウルを占領された韓国政府が、ここ釜山に逃れて大統領官邸を築いていた時代の設備を展示している。李承晩大統領の執務室やキッチンや風呂場や便所など。さすがに国内亡命の身だけあり、わりと質素な作り。
 ところで目的はそれではなく、釜山タワーで入手した情報誌に、ここで朝鮮戦争時代のアジビラ展示の特別展があると書いてあったからだ。
 日本語が堪能な館長さんに聞いてみたが、「ああ、あれはあまり人気がなかったので、すぐ終了したと聞いていますよ」と、はなはだ頼りない返事。しかし記念館の隣にある建物を覗いてみたら、そこでちゃんと展示してあった。なぜだ館長さん。
 アジビラにはスターリンはよく登場するが、毛沢東はあまりいない。このころはまだ、毛沢東の知名度があまり高くなかったからかなあ。

甘川文化村 アジビラ

 さらに地下鉄に乗り、こんどはチャガルチや釜山駅を通り越し、西面のひとつ先の釜田駅へ。近辺の国鉄の駅は釜山駅と釜田駅があるが、釜山駅からは新幹線KTXをはじめとする主要幹線が出ており、釜田駅はローカル線を負担している。
 地下鉄の釜田駅から歩いて5分くらい、妙にだだっぴろくて人の少ない駅である。
 ここの自動券売機で検索してみたら、ああなんということか、釜田発木浦着の直行便の指定席がとれてしまった。翌朝6時20分釜田発、13時木浦着のムグンファ1951号。
 これで明日は木浦に行くことが決定。
 釜田の市場をうろうろしてみたが、妙に川魚が多い。ドジョウやウナギやナマズやライギョ、それにカエルやスッポンが多い。タチウオやタコなど海のものもあるが、川のものは水槽で生きたまま、海のものは棚に並べてる店が多い。

 モーテルに戻り、いよいよ目的のチュクミグイへ。
 南浦洞駅近くにチュクミ通りがあって、そこにチュクミ(イイダコ)を食わせる店が並んでいる。もっとも有名なのがシルビチプとトゥンボチプの2店。ちょっと覗いてみたらまだ5時台なのにどっちもほぼ満員。トゥンボチプに入ってみる。
 なんだか慌ただしいおばさんにマッコリとチュクミグイを注文したら、いつものように小皿がざらざらと運ばれてきた。キムチチゲ、雑穀のお粥、白子スープ、キムチ、白菜おひたし、ニンニクとシシトウ、白菜などなど。マッコリを呑みながらゆるゆるといただく。雑穀のお粥は淡泊な味でよろしい。白子はうまいなあ。ニンニクやシシトウに味噌をつけてかじるのは、マッコリでもいいが焼酎だともっと合う。ちなみにシシトウはタイの常識では、「小さいのに気をつけろ。大きいのはたいしたことない」だが、韓国ではこの常識は通用しない。でかいから安心してると、たまに飛び上がるほど辛いのがある。
 やがて3〜10センチの可愛いイイダコを丸のまま甘辛いタレに漬けて炭火であぶり焼きにした、メインのチュクミグイが登場。みんな可愛くて、内田百閧ナはないが、「さて、どいつが食べられたがっているかな」と指さし確認しながら食べる。甘辛いタレがマッコリに合う。炭火で香ばしくあぶられているのが実にいい。
 チュクミグイ12,000ウォン、マッコリ3,000ウォンで合計15,000ウォン。ここもサービス料消費税のない、メニュー表にある通りの金額をそのまま払えばいい明朗会計。

ミツパッチャン チュクミグイ

 帰りに40階段上のピンデトックチプを覗いたらきょうも閉まっていた。モーテルの向かいにある釜山浦は開いてたのでこちらに入る。この店にあるというホンオフェに心動いたのだが、明日は本場の木浦に行くので考え直し、まっとうに海鮮チヂミとマッコリを注文。マッコリを注ぐひしゃくがヒョウタンなのが嬉しい。キムチチゲやナムルと一緒にいただく。
 しかしなんでだろうな、私のデジカメWG−4は、たまにとんでもなく青かったり黄色かったりする写真になることがあり、どこを調整しても直らなかったりするのだ。

憧れのピンデトックチプ 釜山浦

11月11日(金)木浦はみんなと
 朝5時に起床。昨晩「早くチェックアウトする」と話をしたせいか、モーテルのフロントからもモーニングコールが来た。ありがたいなあ。
 フロントにキーを置いてキャリーバッグをひきずり、5時25分に出た地下鉄の始発に乗る。
 釜田で降りたのは私のほかにおばちゃん数名。おばちゃんも荷物をかかえ、旅かなと思ったらみんな釜田の市場方面へ歩いて行った。市場の朝は早い。
 釜田の駅は昨日と変わらずがらんとしている。6時過ぎにホームに行ってみたら、すでに列車は到着して、乗客も何人か乗り込んでいた。

木浦直行ムグンファ号 ムグンファ号座席

 釜田を定刻に出発したころはガラガラだったが、沙上を過ぎるころからぼちぼち人が乗り込み、7時頃にはほぼ満席。通勤通学列車として機能しているらしい。
 私の隣にもおじさんが座った。おじさんは「アンニョンハセヨ」と挨拶し、いろいろ話したそうだったが、私が韓国語を話せない日本人と知ると早々にあきらめ、英語で「どこまで行くの?……そうか、木浦か」と言っただけで終わった。
 おじさんはそれから1時間ほどすると降りていったが、私の旅はまだ半分もいっていない。窓の外には日本とほとんど見分けのつかない田園風景が続く。ちょうど紅葉の時期で、木々の赤や黄色が美しい。
 晋州には8時40分、光陽には9時30分に停車。
 停車する駅のホームはどれもみな綺麗だ。その綺麗さは、よく整備されているという感じよりも、あまり使い込んでいないという感じだ。新幹線の田舎駅のようなたたずまい。
 9時40分に順天到着。ここで乗客のあらかたは降り、釜田始発時くらいの混み具合に戻った。しかし暑いな。車内の暖房と太陽の光で、汗ばむくらいに暑い。
 10時40分に寶城到着。このへんになると乗り続けていることにいい加減飽き飽きしてくるが、だからといってここで降りても自分が困るだけなので乗っていないと仕方がない。
 などとここで思ったことが、翌日とんでもないことに発展するとは、むろんそのときの私には思いもよらぬことであったよ。嗚呼。

 もう朝食代わりの豚キムチ海苔巻きは食ってしまったし、することはない。ツイッターとポメラで暇つぶし。プラスチックの経年劣化でベタベタになり、濡れ雑巾で拭き取ったら印字がぜんぶ剥げてしまい、どうしようか迷ったのだが、ポメラ持ってきて本当によかった。
 12時ちょうどに光州松汀里駅到着。さすがにターミナルだけあって、プラットホームが5つもある。この駅が慶全線の終点だが、列車はここから湖南線に乗り入れてさらに進む。私もまだまだ乗り続ける。くじけるな私。がんばれ私。
 ようやく終点の木浦に到着したのは、12時55分だった。かなり大きな駅。
 インフォメーションで木浦の地図はもらえたが、ハングルのしかなかった。長距離バスの時刻表はないとのこと。明日行ってみるしかないか。

木浦到着 最果ての碑

 駅前から適当に歩き、「モーテル」の看板を探す。さいわい駅から3分くらいのところに、でかでかと「Motel」と書いてある建物があった。「M.MOTEL」という名前らしい。
 聞いてみると4万ウォンの部屋と5万ウォンの部屋があるとか。もちろん4万ウォンにする。
 このモーテルは駐車場も広く、昨日までのテヤンモーテルとは異なり、車で来る客のモーテルとしても機能している。そしておそらく、カップル客で来るモーテルとしても機能しているようだ。備え付けのガウンが銀色に光る絹っぽいなめらかな手触りの化繊で、こんなのカップルが着たらさぞかしセックスが進むだろうなあと思えるなまめかしいものだった。
 部屋はかなり広く清潔さも私にはじゅうぶん。大画面テレビとパソコンもある。パソコンは韓国語なんで使えないけどな。トイレはウォシュレット。水が出ないけどな。シャワーのみでバスタブはなし。きっと5万ウォンならバスタブ付きなんだろうな。

Mモーテル 客室

 ちょっと休んでから木浦駅に出る。
 木浦、それはホンオフェの本場。その木浦でもっとも著名な「金メダル食堂」で、ホンオフェを食うことこそが、はるばる木浦に来た目的だったのだ。
 ホンオフェといえば、あの悪食漢小泉武夫が「世界で二番目に臭い食品」と紹介したことで有名だ。
 一番は北欧のシュールストレーミングという魚の缶詰で、これは缶の中でも発酵が続いているため缶がふくらんでおり、缶切りで開けた瞬間にプシューッと悪臭を放つ気体が噴出するという恐ろしいものだそうだ。むろん日本への輸入は禁じられている。
 ホンオフェはエイをカメに漬けて発酵させた、いわばエイのチャンジャのごときものだが、その味がすごいらしい。「トイレの消臭剤の臭い」とか「あれは食品でなく化学兵器」などという記述がなされている。
 私はこれまで、ホンオフェを1回だけ食べたことがある。大久保のコリアタウンにある二東直営の韓国料理店だったが、そこで食べたホンオフェは、「うん、発酵はしてる」という程度のマイルドな味だった。店員も「本場のホンオフェはとても日本に持ってこれません」と話していた。いよいよ本場のホンオフェに期待が高まるというものだ。

 しかし問題ががふたつあって、ひとつは金メダル食堂の所在地が「地球の歩き方」とコネストで場所が違っていること、もうひとつは料金がよくわからないことだ。
 場所はタクシーに乗って運転手に調べてもらうとして、金額は問題だ。ブログや掲示板で体験談を探してみたが、6万ウォンとか15万ウォンとか20万ウォンとかまちまちなのだ。いま財布には20万ウォンギリギリしかない。
 念のため駅前の銀行で2万円を両替。214,400ウォンになった。空港とヨンジン両替の中間のレートだ。

 木浦駅前まで戻り、タクシー乗り場で「クムメダルシッタン?」と話しかけると、数人の運転手がしばらく談合した上で一台のタクシーに乗せてもらう。
 タクシーはえらく高速で、がんがん他の車を追い抜きすり抜けてどんどん進む。なんだか「木浦は港だ」の映画のシーンのようだ。あの映画だと、ソウルから来た主人公は、やたら威勢のいい運転手に乗せてもらうが、先輩に会っただの家族を乗せるだの理由で、何回も車内から叩き出されるんだよな。
 不安になるくらいどんどん進んだところで、新興住宅地っぽいところの路地に入る。運転手も食堂の場所がわからないようで、そこらの通行人に何回か聞いたあげく、ようやく金メダル食堂に到着。やはりコネストの地図が正しく、地球の歩き方の地図は間違いであった。木浦駅からの所要時間は約20分、料金は7,700ウォン。

 食堂にはいるとおっさんがいきなりエイをさばいている。息子らしい青年に案内され、横の客席に。いろんなテレビに紹介されたスチール写真と、有名人の色紙が貼られている。日本人の色紙も2枚ほどあったな。
 どうやらおっさんの息子らしい青年が注文を取りにくる。向こうの言うことは皆目わからないが、ホンオフェ、サマップだけ連発してなんとか注文。マッコリジュセヨも忘れずに。
 すぐ届いたモッポ生マッコリを呑みながらおやじさんのエイさばきを見物してると、おばさんが何か言ってくる。全くわからず困惑していると、やがておばさんはエイの切り身を持ってきて臭いを嗅がせてくれる。どうやら、「臭いけど大丈夫か?臭みが強いのと弱いのとどっちにする?」と聞いていたらしい。もちろん、臭うほうに決定。
 いよいよホンオフェの登場。8切れほどの切り身と、キムチ、茹で豚の三合(サマップ)である。
 おばさんに食べ方を習って、キムチとホンオフェと茹で豚を重ね、コチジャン味噌をつけてほおばる。キムチはかなり発酵が進んでやや酸っぱいが、塩味はあまりない。茹で豚は味付けしていないので、これに味噌を塗るのがよろしいとのこと。
 キムチ、ホンオフェ、豚肉を重ねると私でもけっこう口の中いっぱいになるが、女性などはどうするのだろうか。
 うん、発酵臭というより揮発臭のような香りが、口の中から鼻につーんと突き抜ける。さすがに大久保で食ったのより刺激は強いが、しかしそんなには臭くないぞ。ふつうにうまいのだ、ホンオフェ。
 口中で咀嚼してると、柔らかいキムチと豚肉が最初に喉を通り、軟骨があって堅いホンオフェだけが口中に残る。まあしかし軟骨といっても噛み砕け飲み込める程度。お肉の部分は発酵が進んでいるせいで柔らかくモチモチしていて、びんちょうまぐろの刺身をちょっと堅めにした感じ。
 そういや余談だが、韓国では刺身はさばきたてのこりこりしたものを食う習慣で、日本のようにちょっと置いて自己消化で柔らかくなった刺身を食うことはないと聞く。韓国は刺身のこりこりか、突き抜けてホンオフェになっちゃったもちもちの両極端を愛し、その中間である日本風刺身は愛さなかったのであろうか。
 ちょっと拍子抜けというのか、がっかりというか。「うまいのでガッカリ」という、奇妙な心情におちいるのであった。
 私の選択が間違ってて発酵の軽い方を選んでしまったのか、それとももともと「こいつビギナーだな」と値踏みされて初級編を出されたのか。
 そういや鄭銀淑の「マッコリ酒場指さし会話帳」には「ホンオフェ」の章があり、「あまり発酵してないのをください」「よく発酵したのをください」という会話もあった。あれか。あれを持参しておばさんに指さすべきだったのか。残念ながらあの本は、会話数が少ないので日本に置いてきたのだ。つくづく痛恨なことであった。次回は次回こそは絶対、あの会話帳を持参してホンオフェを食うのだ。あの小泉武夫が気絶寸前になって涙を流したようなのを食うのだ。

 ホンオフェを食い終わったころ、おばさんがチゲを運んでくる。中にはエイのキモが入っている。肉と一緒に発酵したはずだが、ちょっと舌に刺激がくる程度で、こちらは臭みもほとんどなくトロリと旨い。
 さて心配していた料金だが、マッコリ2本も含めて8万ウォンだった。メニュー表には3〜4人前で20万ウォン、2人前で12万ウォンとあるが、1人前にしてもらったらしい。なんだ、これなら両替は必要なかったな。
 さて帰ろうとして、バス停か鉄道駅まで歩くかとうろうろしていると、見かねた青年がタクシーを呼んでくれる。こちらの運転手は安全運転で、少しだけど英語も通じる。木浦の港まで送ってもらって8,800ウォン。運転手は愛想のいい安全運転の人で、英語で「あれがユダルサン、ここがモッポの港。ほら、あそこに魚市場が」と教えてくれる。やはり木浦の人にとって、儒達山と港は誇りであるようだ。

金メダル食堂 エイさばき ホンオフェ三合 エイのキモチゲ

 木浦港はフェリーなど発着し、魚料理の店と魚市場が隣接している。道路ではサバやイワシやエイが干されていた。
 「木浦は港だ」の映画で主人公が呑んでいた港酒場を探したが、それらしいものは見つからなかったので、諦めて駅方面へ戻る。
 途中の乾物屋で干しエビの値段を聞いてみたら一袋1万ウォンとのことで、高いのか安いのかわからないが買ってみる。
 モーテルに戻ったのが17時ごろ。しばらく横になって足を休め、暗くなってから街に出かける。

ホンオフェ製作中 木浦の魚市場

 木浦の商店街はイルミネーションで飾っている。しばらくぶらぶら歩く。さて夕食をどうしようと思ったが、まだホンオフェとマッコリが胃の中で発酵している感じで腹がへらない。食堂には入れないなあ。
 木浦の街はみたところ釜山やソウルの街はずれとそう変わらない。食い物屋やケータイショップ、化粧品店や本屋やコンビニや屋台。食い物屋の看板に、タコやアンコウやアナゴ(ウナギ?)の絵があるのが木浦っぽいといえるのだろうか。
 しかしもっとも違うのは、ソウルや釜山でひんぱんに見る日本語や英語での看板やメニューがまったく見られないことだ。ほぼ100%ハングル。この街は韓国人だけを相手に商売してます、という感じ。たまに英語表記があっても、それは英語を話す外国人向けではなく、単におしゃれな雰囲気を出すためのみ。
 まあ日本でも、たとえば茨城の県庁所在地、水戸なら駅前のデパート(あったと仮定しての話だが)やレストランでは英語も通じるだろうが、牛久ではどうだろうか。
「まんず、このげーじんさんの言うことはよくわからんだっぺ」
「エーゴちゅうもんだと、うちの利発な娘は言ってたっぺ」
「あんれまあ、黒田の嫁っこがむかしほざいてたオーサカベンみたいなもんだっぺか」
「江戸に早馬さ仕立ててお伺い立てるだっぺ」
「まんず無理じゃ、関所で追い返されるだっぺ」
「ほうじゃ、大仏っあんのところでハムスター育ててる娘っこ、あれ、むかし埼玉に外遊したことがあると言ってたっぺ。あれに聞いてみるべ」
「まんずまんず、ごきげんやっしゃ」
 ということになりはしないか。

 木浦のどこかにある五差路にマッコリ酒場があるとものの本にあるが、その程度の情報で私が発見できるはずもない。
 イルミネーションのある商店街の真ん中あたりに屋台があっておっさんがなにか食っている。ここは酒場かと思い入ってみたが、酒は置いてなかった。おでん一串だけ食って出る。500ウォン。
 結局モーテルの斜め向かいにあるホテル隣接のバーで、ビールだけ飲んで戻る。ミラービール4,000ウォン。
 そのあとはおとなしく部屋でコンビニ菓子をつまみに、マッコリを呑んだのでありましたとさ。
 それでも21時を過ぎるとなんだか小腹がすいてくるのが不思議だ。でも料理を食うほどではないので、さっきの屋台でイカゲソの天ぷらとシシトウ肉詰めの天ぷらを買って帰る。3,000ウォン。しまった、これ味付けしてない。そういや屋台で食ってたおっさんは唐辛子醤油みたいなタレにつけて食ってたな。せめて塩があればなあ。

木浦イルミネーション 天ぷらとおでんの屋台

11月12日(土)釜山港へ帰れないかもしれない
 朝5時頃目が覚めてしまう。しょうがないから荷物の整理をして、6時過ぎに宿を出る。
 ちょっとぶらぶらして儒達山でも見物しよう、歩いて10分くらいだからちょうど着いた頃に日の出が見えるだろう、と安易な気持ちで歩きだした。
 いつものことだが私は、地図の距離だけ見て、山には起伏があるのだという事実を忘れている。
 駅前から山方面に歩きはじめて10分もすると登り坂がはじまる。歩くうちに傾斜はますますきつくなっていく。山肌が見えるくらいに近づくころには汗だくで足がくがくだった。木陰からちらりと見える山の岩肌は、なんだか怪獣ゴルバゴスが登場しそうなたたずまいである。
 階段があったので登ってみると、民家を何軒か通過して、どん詰まりが民家の門だったので退散した。あんなところに住んでたら気持ちがいいかもしれないが、毎日の通勤が大変だなあ。
 歩き着いた先にはあずまやのようなものがあって、そこから市街地や木浦港が見下ろせる。朝日とともに眺める木浦の港はやはり美しい。ちょっと、ノーマンの異世界ファンタジー「ゴルの襲撃者」にある、「きらめくタッサの朝焼け」を連想する。
 モーテルに戻ったのは7時半。シャワーを浴びて汗を流し、しばらく横になって足を休める。

ユダルサン 木浦港

 8時過ぎにモーテルをチェックアウトし、駅前でタクシーに乗る。バスターミナルまで10分弱、5300ウォンだった。
 バスターミナルは1階に切符売り場と乗り場、待合室とコンビニと売店と携帯ショップと軽食とドーナツ屋と雑誌スタンド。2階はクリニックと喫茶店とATM、地下は食堂とゲーセンという具合にいろいろある。
 とりあえず切符売り場の時刻表を確認。ハングルしか表示がないが、釜山の沙上バスターミナル行きのバスは1日5便あるらしい。
 券売窓口は閉まっていたが、隣の自動券売機で釜山行きのチケットが買えるようなのでチャレンジ。すんなり買えた。10時発のバスが26,300ウォン。
 まだ一時間以上あるので、軽食の店に入る。「なんにしますか」と店員にいきなり聞かれるが、私のハングル解読能力は一文字に30秒近くかかるので、急ぐとダメなのだ。やむなく、写真のあった餃子を指さす。「セウマントゥ(エビギョーザ)?」と聞かれた気がするのでとりあえずうなずく。あと、ビールも注文。
 この店は「なんでも3000ウォン」という店だったらしいが、さすがに飲み物はその限りではないらしい。餃子3,000ウォン、ビールは4,000ウォン。餃子の皮がもちもちしておいしい。
 さすがにこういう店だとミッパッチャンはタクアンと壺に入った食べ放題のキムチのみ。テーブルにはゆで卵が盛られていたがひとつ500ウォンだった。

木浦バスターミナル エビ餃子

 やがてバス乗り場窓口のランプがつき、釜山行きバスがやってくる。
 いちばん後ろの座席に乗り込むと、予想以上にゴージャスな車。座席はゆったり、シートはふかふか、暖房は強すぎず(というか寒めなのでコート着たままの人も多かった)、フットレストとリクライニングはOK。これ、列車より快適だわ。
 10時きっかりに発車したバスは、すぐ高速道路に入り、紅葉の山並みを抜けるように走っていく。
 座席で飲食する人はあまりおらず、寝ているかスマホをいじっているかのどちらかのようだ。
 ひじょうに快適なバスでうとうとしながら高速道路を順調に東上していたのだが、好事魔多し、不幸はいつも突然にやってくる。

ゴージャスなバス バスの座席

 2時間ほども走っただろうか。釜山への道のりのなかばは超えたあたりだろうか。
 バスは高速を降り、市街地に入った。別な高速に乗り換えるまえ、バスはとある地点で停まった。
 そのとき私はうとうとしていた。出発前に呑んだビールで膀胱を刺激されていた。グーグルマップを見ていたせいでスマホのバッテリーは切れかかり、デイパックに入れていたバッテリーと繋いで充電中だった。
 だから不幸はいつも突然にやってくると申しておるではないか。
 バスが停まって乗客が降りるのを見た私は、てっきりトイレ休憩だと思った。
 すぐ戻ってくるのだから、貴重品を入れたデイパックもわざわざ持って降りる必要もないだろう、と慢心しきっていた。
 乗客の後ろについて降りた私は、これが最後とも思わずバスの記念撮影をしてから、トイレに入るのであった。
 トイレから出てきた私は、乗ってきたバスが消えてることを発見した。
 しばらく茫然自失していた私は、出発するバスに俊寛のようにすがり懇願したが、運転手は、これはお前のバスじゃねえ、と至極当然のことを言って冷酷に発車していくのであった。
 どうやら私は、バス停での乗降をトイレ休憩と勘違いしていたらしい、と気づいたのはしばらく後であった。

問題のバス停 バスとの今生の別れ

 さてどうしたものか。
 しばらく呆然としていた私は状況を整理してみた。
 衣類等を詰めたキャスターバッグはバスの中。パスポート、日本円、航空券のeチケット、自宅の鍵、スマホを入れたデイパックもバスの中。私が所持しているのは、デジカメと韓国ウォンのみ。さいわい昨日両替したおかげで、40万ウォンほどは所持している。
 いまいる場所はどこでしょう。たしか最後にグーグルマップで確認したとき、全行程の2/3くらいは消化していた。いまだに記憶があやふやなのだが、たしかgだかjで始まるローマ字表記があった。おそらく晋州のバス停ではないだろうか。
 係員にかけあっても日本語も英語も通じない。言葉の通じない見知らぬ場所に取り残され、パスポートも帰りの飛行機のチケットも持たず、日本に帰れる見込みも立たないという、かなりシビアな状況であるようだ。
 最悪の場合、この見知らぬ異国の地で行き倒れ。身につけた金も強盗に身ぐるみはがれ、わけのわからぬスラム街に捨て去られ、物乞いをしながら露命をつなぐ我が身をまざまざと想像した。
 言葉は通じない、肉体労働できるほど身体強健でもない、愛嬌もないので恵んでくれる人もない、そんな環境で飢え、よろめきながら数日後、ドブ川に頭を突っ込んで息絶える私。
 翌朝、屈強な警察官は死骸を蹴って身体をひっくり返し、汚水でふくれあがった顔を一瞥して、「このへんの者じゃねえな、ヨソモンだな。チョッパリかもしんねえが、まさかなあ」などと呟くのだ。

 とりあえずこの見知らぬ土地にいてもらちがあかない。ドブ川が近づくだけだ。
 やはり釜山へ向かったバスを追っかけるのが先決だろう。さいわい釜山行きのバスは10分おきくらいに出ている。11,000ウォン払ってバスの切符を買う。
 やがて来たバスは先刻のゴージャスバスとは比べものにならない貧弱バスだが、そんなこと言ってる場合ではない。とりあえず乗り込む。
 やがて高速に入り、ガタガタ揺れながらすっとばすバスの中で、今後のことに思いをはせる。
 パスポートや現金の入ったデイパック、まあこれは、タイやベトナムやフィリピンでは普通戻ってこないわなあ。盗まれたと覚悟する方がよろしいだろう。やっぱりドブ川だよなあ。
 となると最大の課題は日本に戻ることだ。帰れなければドブ川だ。
 釜山の日本領事館にかけこみ、パスポートの再発行を頼むしかあるまい。
 しかし私は、パスポートの番号を書いた書類も、メモも、身分を証明するカードも、すべてあのデイパックに入れているのだ。私を日本人だと証明できそうなものは、財布に入れたクレジットカードくらいなもの。こんなことでパスポートの再発行をしてくれるものだろうか。
 しかし泣きついてもなんとか再発行してもらうしか日本に帰る道はない。泣いてもわめいても、どんなに見苦しくてもドブ川だけはイヤだ。
 なんとかパスポートをもらえたとして、さて航空券だが、プサンエアの事務所で姓名と再発行パスポートを表示して事情を説明したら、なんとかチケットをプリントしてもらえないかなあ。
 さて日本に帰ったとして、問題は自宅までの交通費と、自宅の鍵をどうするかということだ。
 領事館に頼み込んで実家に電話させてもらい、母親に東京まで来てもらうしかないだろうなあ。
 とここまで考えたところで眠くなってきた。
 どうやら極度の心労も、眠気を催すものらしい。
 うとうとしながらドブ川の夢をみた。
 途中高速道路のサービスエリアでトイレ休憩があり、ちゃんと英語のアナウンスも流れた。そうだよなあ、アナウンスはあるし、トイレ休憩は高速道路のエリアでやるよなあ。
 私は断固として降りなかったが。

 14時ごろ、釜山の空港に近い、沙上のバスターミナルにとりあえず到着。さすがに木浦よりも、私が取り残されたなんとかよりもずっと大きい。
 切符売り場の窓口で遺失物のことを聞こうとするが、まるで日本語も英語も通じない。事務所に入ろうとしたが鍵がかかっている。案内してくれそうな人はどこにもいない。
 構内で店を開いていたタコヤキ屋なら日本語が通じるかと思って話しかけるが、日本語はダメ。しかしかすかに英語は通じるので、駅のオフィスに案内してもらった。
 オフィスで事情を説明し、ちょうど戻るバスに乗せられてバス置き場へ。
 私が乗り込んだゴージャスバスに案内され、車内を捜索するが、私が座っていた最後部座席にはなんもない。
 あかん、これで路頭に迷うこと決定や、お母さん先立つ不孝をお許しください、私は異国のこの地で果てます、ドブ川に死す、と悲観したころ、係員がトランクルームを開けてくれた。
するとああ、なんということでしょう、そこにキャリーバッグと、デイパックも揃っていた。ちゃんとパスポートと財布も入っていた。ああ神よ仏よアラーよクトゥルフよビリケンよアタオコロイノナよ神官王よ。
 係員の手を強く握り、ありがとうありがとう、カムサムハムニダカムサムハムニダを連発し、カンコクジン正直です、ワタシ感動シマシタ、もし日本に来たらぜひ私の家に2年間滞在してください歓迎します、朴大統領は偉大な領導者です、これからは韓国に足を向けて寝ません、余生を日韓友好に捧げますと言ったような気がする。
 バスが到着したのは14時過ぎだが、この顛末が終わったのは15時過ぎだった。

 地下鉄で移動して釜山駅へ。国鉄釜山駅のドーム状の建物の前に広場があり、その脇の路地にモーテルや食い物屋が並んでいる。
 プサンインモーテルにチェックイン。1泊4万ウォン。古びていてドアは閉まらない、バスタブはないが、まあこんなもんだろう。ここも自動車の駐車場はなし、カップルで泊まるには適さないモーテルならぬモーテルである。

プサンイン ベッド

 地下鉄方面に戻ると、スマホを見ながら草梁イバクギル(散歩道)の方面を探す。ところがスマホのwifiが作動しない。以前から電源の接触が悪かったのだが、ついにバッテリーからの電源供給が絶えてしまったようなのだ。
 やむなく地図のみに頼って歩き出すが、たちまち方角がわからなくなってしまう。困ったもんだ。ガイドブックには「迷路のような裏路地でも迷うことはない」と書いてあるが、私のような人物にはそれは通用しない。
 結局、大通りに戻って遠回りだが確実な道のみ伝って、ようやく散歩道のメインともいうべき、168階段を発見。この階段も40階段と同じく、朝鮮戦争に関連した悲しい思い出がある。ソウルなど北部から逃げてきた避難民はこのへんのような急勾配の上にもバラック小屋を建てて住み着き、水だの薪だのをかかえてあの階段を登らねばならなかった、ということだ。
 さて登るか。かなり急勾配の階段を、手すりを握りしめて登りはじめる。この日も釜山は気温高く湿度高く、たちまち汗みどろになる。手すりには花と風車が飾ってあり、きれいだが握りにくい。うん、たしかに168階段あった。
 168階段を登り切ったところでに展望台があり、釜山港を見下ろす。ふと見ると展望台の横にケーブルカーのごとき簡易無料リフトがあることを発見。くそ、この悔しさをどこにぶつけよう。

168階段 リフト

 その悔しさは6・25マッコリにぶつけることにした。6・25とは朝鮮戦争勃発の日付。階段を登りきった展望台の向かいにあるその店の奥では、おっさんが何か怒鳴りあいながら酒を呑んでいるが、気にせず入り口近くのテーブルでマッコリと海鮮チヂミを注文。頼んでから、トトリムッ(どんぐり豆腐)にしたほうがよかったかなあと後悔したが、そのときは腹も減っていたのだ。
 すぐに小ぶりのヤカンに入ったマッコリと、つまみの韓国菓子とカクテキが運ばれてくる。やがて大皿に焼きたてのチヂミも運ばれてくる。冷たいマッコリとアルマイトの茶碗の感触がこころよい。
 チヂミはイカやエビや牡蠣とともにニラも豊富に入っている。そういやデジクッパもニラを大量に入れて食うのが普通だし、釜山人はニラ大好きらしい。おいしいが、ニラが縦横に繊維のごとくはりめぐらされているので、チヂミを箸でちぎるのに苦労する。

6・25マッコリ

 散歩道から釜山駅に戻る途中の、大通りのひとつ裏に中華街がある。入り口にアーケードこそあるが、ちょっとショボい感じ。中国語の看板とロシア語の看板が並んでいる。ここでマントウでも食うか、と思ったが、さっきチヂミ食ったばかりだし、先に行くところもあったので眺めるだけにしておく。

中華街アーケード 中華街

 地下鉄に乗って西面へ。さすがに繁華街のサタデーナイト、地下街は混みまくっている。
 人波にもまれながらもガイドブックだけを頼りに化粧品店を探し、なんだかよくわからないBBクリームというものを購入。BBクリームというくらいだから、これをつけたらモミジマンジューとかオノダサーンヨコイサーンとか口走るようになるのかもしれない。
 さらに放浪し、これもなんだかよくわからない金色の卵に入った得体の知れない粘液を購入。おねいさんは得体の知れない粘液のオマケに、得体の知れない顔に貼り付けるモノとカレンダーをくれた。これを日本に戻っておみやげに手渡すときは、オヤヂ世代どっぷりの私は、辛うじて「きんた……」と言うことを抑制した。あれ、たぶん顔にぬるんだよな。金太マカオに着くという有名な歌詞もあることだし。
 混迷を極める地下を逃れ、地上に出てやはりしばらく迷ったあげく、西面のデジクッパ通りを発見。
 ここは有名なデジクッパの店が数店並んでおり、どこもほぼ満員の盛況。どうせなら、ということでいちばん名高い松亭三代クッパの店に入った。
 ちょうど客の出た2人用テーブルがあったのでそこに座らせてもらう。デジクッパとマッコリを注文。マッコリはこの店も生濁だった。
 やがてお盆に小皿とともにデジクッパ登場。ちょっと白濁したスープはほとんど味がついていないので、卓上の塩胡椒、それに小皿のアミ塩辛で味を調節。ニラも全部投入する。デジクッパにはコチジャンが載っているが、混ぜてもそれほど辛くはない。
 スープは豚骨ダシというイメージにしては脂は少なく、やや淡泊な感じ。おそらく煮ながら脂を徹底的に排除しているのだろう。薄切りの豚肉はほどよく脂が抜けて食いやすい。肉だけ取り出して小皿の醤油につけて食うとマッコリのつまみにいい。
 デジクッパ6,000ウォン、マッコリ3,000ウォンで1万ウォン札でおつりが来た。
 私が店を出るときは18時過ぎていたせいか、もう数人の行列ができていた。まあ、回転が速いからすぐ店に入れそうだが。

三代デジクッパ デジクッパとミッパッチャン

 このあと、西面にあるという屋台の飲み屋でちょっと呑んでいこうかなあと思ったが、デジクッパで腹がいっぱいなのと、さすがに午後までの肉体疲労と精神的苦痛が蓄積してへろへろしてきたため、釜山に戻った。
 国鉄釜山駅の中にあるオデン販売店に行ってみる。店の前には長蛇の列。よほどの人気店らしいが、この行列はおでん種を購入する列で、そのまま食えるオムクコロッケは別の窓口で販売、行列もなしとわかった。
 オムクコロッケとは具をチクワのような練り物でくるみ、さらに衣をつけてコロッケ風に揚げたもの。エビ、チーズ、青唐辛子の3つを購入。たしかひとつ1,200ウォンだったか。
 あとはコンビニでマッコリと水を購入し、モーテルに戻って、シャワーを浴び荷物の整理をしてから、コロッケを囓りながら呑んだ。オムクコロッケも、ソースをかけたくなるやや薄味。しかしハードな一日だったぜ。

釜山駅前 釜山駅構内のおでん屋

11月13日(日)あるいは鞄にいっぱいの太刀魚
 昨日あれだけハードだったにも関わらず、8時前には目が覚めてしまう。
 しばらくテレビを見ながらダラダラして、8時半ごろ出発。
 地下鉄で南浦洞へ。残金5万ウォン弱、あと2日には足りない額なので、先日も行ったヨンジン両替で2万円を両替。216,000ウォン。
 そこから駅の反対側にある、チャガルチ干物市場へ。さすがにこの時間では、店がまだ開いてなかった。ちょっと歩いてBIFF広場へ移動するが、ここもまだ準備中。
 やむなくチャガルチの海鮮市場に移動。さすがに魚市場だけあって、こんな時間でも盛況。市場の売り子御用達らしい屋台があって、みんなで朝から焼酎かっくらいながら朝飯を食っていたが、かんじんの料理が炒め物か魚の煮付けっぽく、あまり食欲がわかなかった。観光客向けなのか、焼魚定食屋も開いていたが、こちらはボリュームが凄そうだ。大東亜市場やチャガルチ市場などの観光客用ビル内市場はまだ準備中。
 市場の裏はすぐ海。埠頭にいるおじさんが、絵に描いたようなマドロスのポーズを取っていた。

チャガルチ魚市場 マドロスのポーズ

 魚市場をえんえん歩いていると本当に果てがない。1キロも歩いただろうか、やがて魚ではなくロープだのミカンだのが並ぶ市場に変貌し、あわてて戻る。
 10時くらいになるとBIFF広場も屋台が開店しにぎやかになっていた。
 10人くらい行列しているのが有名なホットクの屋台。私も行列に参加してみる。
 パン生地をこねて黒砂糖を包んで揚げ、包丁で口を開いて松の実だのクルミだののナッツを流し込んで完了。ひとつ1,200ウォン。おいしいが、黒砂糖の甘みと揚げ油とナッツの油脂。こりゃ太るよなあ。
 広場入り口の靴下屋台でオバマ靴下をみつけ、1,000ウォンで購入。いままで8年間ご苦労様でした。

 南浦洞の干物市場に戻ると、こちらも店開きしていた。
 いくつかの店先をぞめき歩いていると、段ボール箱に詰まったタチウオの稚魚の干物を発見。
 値札には15,000ウォンとある。
 店主を呼んでこれをくれと指さすと、「カルチね」とうなずいた。
 普通、高級魚のタチウオだ、15,000ウォンなら、ザルかスコップみたいなものでひとすくいしてビニール袋に入れ、それが15,000ウォンだと思うだろう。
 だのに店主はいきなり段ボールをガムテープで留めて梱包をはじめる。
 おい、まさか、これ一箱で15,000ウォンだったのかよ。
 たっぷり3キロは入っていると思われる、縦40センチ横20センチ高さ10センチの段ボール箱をかかえて呆然とする観光客の私。
 宿に帰ってキャリーバッグに入れようとしたら、収容全容積のの2/3を占めた。

ホットク屋台 太刀魚の干物

 宿の近くにある草梁ミルミョンで釜山名物ミルミョンでも食うかと思い、モーテルのひとつ表通りにある店に行ってみる。11時前だからか、客はほとんどいない。
 店のおばさんがやってくるので、「ミルミョン、マントウ」と話しかけるが、しきりにかぶりを振る。どうやら、店が違うようだ。おばさんは親切に表通りまで案内し、大通りの向かいにある店を「あっちだ」と教えてくれる。
 どうやら草梁ミルミョン本家という店がふたつあって、こちらはクッパ専門、あちらがミルミョン専門であるらしい。ややこしいことだ。
 ミルミョンの店のほうはほぼ満員だった。座敷に座ってミルミョン(小)とマントゥを注文する。最初にヤカンが運ばれてくるのでお茶と思ったら、温かいスープだった。
 ミルミョンは小といっても日本の焼肉屋で頼む冷麺くらいの量はたっぷりある。冷麺と同じく、金属の容器に氷を浮かせた冷たいスープ、麺、コチジャン味噌、冷肉、野菜が載っている。食べるときには麺をハサミで切って全体をよくまぜるのも冷麺と同じ。
 違うのは麺の種類。小麦粉の麺は冷麺ほど堅くない、ちょうどラーメンくらいの歯触りで、食べやすい。スープは淡泊でくいくい飲める。
 あとで運ばれてきたマントゥなんだが、これが赤ん坊の拳くらいのでっかいのが6つ。中にはみっしりとニラとニンニクと挽肉のあんが詰まっている。おいしいんだが、とても食い切れない。
 ミルミョンをなんとか完食し、マントゥ2つ食べたところでギブアップしたら、残りは包んでくれた。ミルミョン(小)が3,500ウォン、マントゥ6つで3,000ウォン、合計7,500ウォン。

本家草梁ミルミョン ミルミョン(小) マントゥ

 11時半ごろ、モーテルをチェックアウト。小雨が降る中、キャリーバッグを引きずって地下鉄に乗る。
 地下鉄で西面を通り過ぎ、ずっと先にある温泉場という駅で降りる。
 ここでの乗降客は金井山登山が多いらしい。私より年上なのに、元気にヤッケを着込みリュックを背負ってステッキを持った元気なジジババが多い。
 温泉場といっても、どっちかというと歌舞伎町みたいな雰囲気のごみごみした街だ。
 プサンナビのホテルガイドを参照し、グーグルマップで自分の位置を確認しながら歩いていたのだが、それでも道に迷ってしまう。コネスト地図も動員して必死に探しまわる。
 この旅行中、プサンナビとコネスト地図とグーグルマップにはお世話になったが、地球の歩き方地図も含め、どれも一長一短がある。プサンナビと地球の歩き方は日本語表記がありがたいが、実際とややズレ(相当ズレの場合も)ていることがある。グーグルマップは現在位置がわかるので便利だが、表記がすべてハングル。コネスト地図は日本語の表記が併用され、コンビニや料理屋の名前が多いのは助かるが、現地点表示はない。
 どうやらプサンナビの案内はまたも、ちょっとズレていたようだ。
 思っていたよりも細い道路ぞいに、ようやくプサンナビで見たホテルの外観を発見。これが、格安温泉旅館こと、泉一温泉ホテルである。

泉一温泉ホテル オンドル部屋

 フロントのおじさんは日本語が通じる。1泊45,000ウォン。併設の浴場は無料で利用できるとのこと。
 オンドルにするかベッドルームにするか聞かれてオンドルを選択したのだが、部屋に入ってから後悔する。暑いのだ。部屋はぽかぽか、床はぽかぽかで汗がしきりに出る。エアコンなしで窓を開けてもこの状況だ。扇風機をつけてすこし安らぐ。
 バスルームは十畳くらいのでかい間取りで、洗い場と洗面場とトイレと浴槽がある。浴槽はタイル張りで1メートルくらいの深さがある。
 近所のコンビニでマッコリとつまみと、少し考えてお高いビールを一缶購入(それでも2,500ウォンなんだが)してきてから、部屋風呂に入ってみる。
 浴槽のコックをひねるとお湯が凄まじい勢いでほとばしる。浴槽がでかいので、それでも湯が満ちるのに30分くらいかかる。
 浴槽は身長170センチの私でも斜めなら身体いっぱい伸ばせるくらいに広い。あまりに深いので、酔っぱらって入ろうとしたら転落負傷しそうだ。お湯は透明無臭。
 そのあとトイレに入って驚いたのだが、トイレで流す水も温泉なのだ。温湯が流れて湯気があがる。
 風呂上がりにパンツいっちょでビールという、このうえもない愉楽を満喫してうとうとした。やっぱりこういう時はビールなんだよ。2,500ウォンも高くない。値千金。

バスルーム 浴槽

 2時間ほど昼寝して、15時すぎにホテルを出る。
 ホテルからまっすぐ歩くと、足湯があって登山帰りのジジババが鈴なりに足を休めている。水の流れる遊歩道もある。ここだけ温泉っぽいね。

温泉場から金井山を臨むj 足湯施設

 地下鉄で隣の釜山大学へ。
 学生街らいしが原宿っぽい街。狭い道にオシャレな店が立ち並んでいる。
 しかし私の目的はオシャレでなく、ティッコギを食うことだ。
 ティッコギは端肉という意味で、豚肉のロースだのカルビだのを切り分けたとき出る切り落としのことらしい。もともと空港の近くの金海は屠殺場があり、そこで豚肉を切り分けた余りが出た。それが安く食えるので人気が出た。そのため、「金海ティッコギ」を名乗る店が多いらしい。貧乏な学生の多い大学にそういう店が多いという。
 ティッコギ食べた人のブログを参照にグーグルマップ見ながらあちこち歩いたのだが、どうにも目当ての店が見つからない。場所があいまいなブログはもう諦め、地図が載ってるブログだけ参照に歩き回って、ようやく見つける。ありゃ、こりゃ「地球の歩き方」にも載ってる、キムヘウォンジョティッコギではないか。
 店先で練炭を燃やしているおじさんに聞いてみたが、まだ準備中だとのこと。あと30分したら来てくれというので、駅前で時間を潰す。
 ダイソーがあって、ペーパークラフトの景福宮とか亀甲船とか、楽しげなのが並んでいた。亀甲船を3,000ウォンで買ってみる。ここも消費税がなく(というか内税なのか)正味3,000ウォンで済むのはありがたい。韓国で小銭を使うのはスーパーやコンビニくらいだなあ。地下鉄はカードだし。

釜山大学駅 金海元祖ティッコギ

 17時過ぎに再訪。開店早々で日曜日ということもあって客はだれもいない。
 ティッコギ3人前と焼酎を注文。こういう店は安いので、ひとりでも3人前からの注文が基本だとか。1人前120グラムだから、360グラムくらいは食えるだろう。
 つきだしはネギ和えとモヤシナムルとキムチとニンニク。生のニンニクにコチュジャン味噌つけてかじるの、どの店でも出てくるね。焼酎によく合う。水滸伝で梁山泊の英雄がニンニクを生囓りしながら酒をあおるシーンがあるが、そんな豪傑の気分になれる。
 やがて生肉が登場。けっこうでかい塊だな、と思っているとおじさんは、鉄板で焼きながらハサミでじょきじょき切ってくれる。「韓国の焼き肉は店員がハサミで切ってくれるんだよね」というアレだ。
 肉に火が通ってくると、おじさんはモヤシナムルとキムチも鉄板にあけて焼き、「さあ食え」と教えてくれる。
 肉とモヤシとキムチをサンチュで包んで食うのもいいが、シンプルに肉をタレに付けて食うのがうまいなあ。タレはやや甘口で豚肉に合う。
 お勘定はティッコギ3,500ウォンが3人前と焼酎3,500ウォンで合計15,000ウォン。1,500円で腹一杯だ。

ティッコギ(焼ける前) ティッコギ(焼けたあと)

 温泉場近くのスーパーで買い物して、18時半ごろホテルに戻る。
 せっかくだからホテル付属の、20時半まで開いているという銭湯にも入ってみた。たぶん金井山登山帰りの人で夕方までは混むのだろう、19時だと5人くらいしか入っていなかった。
 部屋風呂と同じタイル張りで、冷水、35度くらいのぬるま湯、40度くらいのジャグジー、43度くらいの熱い湯、45度くらいの熱湯があり、好みによっていろいろ入れる。アカスリもサウナもある。
 韓国の人はタオルで前を隠さない習慣らしく、そもそもバスタオルがあっても手ぬぐいは置いてない。みんなチンポコ丸出しで堂々と歩く。私もならって丸出しで風呂に入る。チンポコのほうはあまり堂々としてなかったがごめんなさい。
 洗い場には石鹸だけあったがシャンプーリンスはない。必要なら持参するしかないようだ。そういえばこの温泉旅館はアメニティのカミソリ歯ブラシもなかった。部屋にはシャンプーリンスもなかった。温泉だから、そういうものは持参するはずだろうという考えかなあ。
 じゃぶじゃぶ入ってから部屋に戻り、買ってきたマッコリを呑む。いつもの生濁もうまいが、一緒に買ってきたボラト・ソチとかいうマッコリは、ドンドンチュのように透明で、甘口微発泡、アルコール度数も3%と少なく呑みやすい。生濁が1,300ウォンだが、こちらは2,000ウォンとやや高め。女性向けに開発したのだろうか。

 21時ごろ、どっかで呑もうと宿をまた出る。
 大通りにはコムジャンオという、ぬめぬめしたヌタウナギの炭火焼きの店が並んでいるが、値段もお高くあまり興味がわかない。どうせなら、リストアップしてまだ食ってないもんを食おう、と、大通りをちょっと過ぎた繁華街にある、温泉ヤンコプチャンという店にとびこんだ。
 カウンターのみの定員10名程度の狭い店。満員だったのであかんかな、と思ったが、ちょっと待ってくれと呼び止められ、入り口近くのカウンターでしばらく待機。どうやら6人くらいの家族連れがちょうど帰るところだったらしい。
 カウンターの鉄板を変えて、さあ注文。しかしメニューを見てもなんのことやらわからない。日本語表記もあるが、それを読むとますます混乱してくる。
 とりあえず口頭で「ヤンコプチャン、それと焼酎」と注文。店員の兄ちゃんはすこし日本語が話せる。「2人前、ミックスでいいか」というのでうなずく。

温泉ヤンコプチャンのメニュー

 サンチュやキムチやカクテキやギョウジャニンニクのナムルや古漬けなどの小皿とともに、鉄板に薄切り牛カルビとエリンギが投入される。やがて焼きあがった肉をタレにつけ、焼き役のおばさんの指示通り古漬けといっしょに包んで食うとうまい。
 やがてごろんとしたコプチャンも登場。ある程度焼けたところでハサミでじょきじょき切り、焼き上がったところをいただく。脂身たっぷりで焼酎がすすむ。おかわり。
 さらにミノ、ジャガイモ、エノキなども投入される。脂身を吸ったジャガイモが意外とうまかった。
 焼き役のおばさんはひととおり仕事が済むと、「この肉、食ってもいいか」「焼酎一杯おくれよ」などと手振りでこっちの残しそうなもんを食ったり呑んだりする、愉快なお店でありました。やさぐれた感じがしないところがいい。
 こちらが帰る間際になって、どうやら大阪らしいにぎやかなおばちゃん4人連れが来店。どっちかというと、そういう雰囲気の店だなあ。
 ヤンコプチャンミックス2人前と焼酎2本で、合計43,000ウォン。メニューによるとミノ、テッチャン、コプチャンのミックスは34,000ウォン、焼酎4,000ウォン×2で合計42,000ウォンだが、1,000ウォンはなんだろう。さんびすか。
 ヤンコプチャンはチャガルチで食っても最低3万ウォンだというし、まあいいんだけどね。

ヤンコプチャン

ヤンコプチャン

 ホテルに戻ってふたたび温泉をふんだんに浴槽に満たしてゆったりと湯につかり、湯上がりに冷えたマッコリを呑む。ああなんという愉楽よ。

11月14日(月)おみやげは風邪
 朝8時ごろ目覚める。
 ふたたび浴槽に温泉を満たして湯につかり、だらだらと身支度。
 タチウオ干物で極限状況になったキャリーバッグにむりやり荷物を積み込むと、極度に安定が悪くなった。いわゆるトップヘビーというやつで、手を離すとバッグが前に転んでしまう。
 ちょっと体調が悪い。
 右手首が痛いのはキャリーバッグを片手で操作しすぎたせいだし、膝が痛むのは階段の上り下りで酷使した膝を鉄道やバスで不自然に固定したせいだ。しかしこの微熱とだるさ、それは釜山の生暖かい気候で汗をかき、あまつさえ昨晩はオンドル部屋と温泉で暖められた身体を扇風機で冷やしているうち、つい扇風機をつけたまま寝入ってしまったせいだろう。要するに風邪だ。
 10時ごろチェックアウトし、地下鉄で西面の隣の凡一駅まで行く。駅のロッカーにキャリーバッグを預け、駅前から歩く。今日もぱらぱらと小雨が降るあいにくの天候。
 駅の北側には鉄道の線路をまたぐ歩道橋がある。これは「チング」という映画で使われたという話で、階段にうっすらと映画の画面が描かれている。
 また歩道橋近辺の家屋が実にいい感じで、これなら映画にも使えるわな。

歩道橋 歩道橋近辺

 歩道橋を渡った先から南下してちょっとすると、これもデジクッパの有名店、ハルメクッパがある。
 ここも平日午前なのに満員の盛況。相席でデジクッパを注文。
 本来ならスユク(茹で豚)定食をつまみに焼酎を呑むつもりだったが、体調が悪く、それやったら吐きそうな感じなので遠慮しました。
 先日の松亭三代よりは透明度の高いスープ。この店は塩胡椒がなく、唐辛子をまぶしたニラと、アミの塩辛で味を調節するらしい。
 スープは見た目より濃厚でいい味だった。肉も厚めで量が多く、これをつまみに焼酎をあおったら、健康ならうまかっただろうなあ。
 デジクッパ5,000ウォン。

ハルメクッパ デジクッパ

 さらに南下してから地下道を通り、しばらく東に行くと子城台公園がある。
 ここは文字通り、秀吉の朝鮮征伐のときに釜山の本城の抑えとしてこの高台に支城をこしらえた名残りだそうだ。城郭は取り壊されたが、石垣はまわりのあちこちに残っている。
 その後は徳川幕府の朝鮮例幣使節を迎えるイベント会場となる。
 体調は悪いけど戦国日本の石垣を横目に見ながら、あえぎながら勾配をのぼる。
 頂上には祀堂のような建物がある。にこにこしたおじさんが「日本から来なすったか」と話しかけてくる。その横にはアスレチック広場のごときものがあり、おじさんが体力作りに余念ない。
 このアスレチック設備のごときもの、釜山タワーにも木浦港の公園にもあり、どうやら韓国では公共の場にこのような設備を設けることが常識となっているようだ。
 公園の中にある、朝鮮通信使記念館は残念ながら休館日だった。

子城台公園の石垣 子城台公園

 凡一駅に戻ると12時ちょっと過ぎ。ちょっと早いが、空港に向かうか。
 地下鉄で西面乗り換え、沙山でさらに軽電鉄に乗り換えて空港に着いたのは1時ちょっと過ぎ。エアプサンでチェックインしてキャリーバッグを預け、wifi機器を返却してしまうと、あとは何もすることがない。
 釜山の空港はソウルと比べるとかなりこじんまりとしている。土産物屋は1軒のみ。レストランは2階に2軒のみで、どちらも同じようなメニュー。
 とりあえずレストランに入って、タニシチゲというものを注文。ビールもむろん注文。
 あまり食欲がないが、タニシをほじくりながらビールをお代わりし、ゆるゆると1時間ほど過ごす。
 14時半ごろゲートに入り、出国審査を終えて空港ロビーに入ると、なんとしたことか、エアプサンの15時35分発の便は機器到着が遅れ、15時55分に遅延だという。ゲートも左端の9番から右端の1番に変更。
 コンビニで土産の菓子を買ったり、変なヨーグルトを飲んだりして時間をつぶし、ようやく15時40分ごろ搭乗がはじまる。釜山行きの便は韓国人客が多かったが、日本行きは日本人が多い様子だ。そのへんの人員バランスが、いまだによくわからない。
 15時55分きっかりに飛行機は動き出す。さらば釜山よ。
 帰りの便でも機内食が出る。トマト風味のチキンライス。体調が悪くちょっと手をつけたのみ。

タニシチゲ 釜山空港

 成田には17時45分に着陸。
 ラッシュを避けて大宮行きの高速バスに乗ることにするが、次のバスは19時半発だという。
 というわけで南ウイングの出発ロビーに戻り、最初に目についたレストランに入る。
 最初は体調も悪いしビールだけのつもりだったが、1杯目のビールを飲んでいるうちにソーセージが食いたくなり、さらに2杯目のビールも追加。
 ちょうどいい感じにほろ酔いし、バスに乗り込むとよく眠れた。混雑していたので眠れてよかった。
 22時ごろさいたま新都心に到着し、家に帰れたのは22時半だった。まあ、なんにせよ家に帰れてよかった。

 翌日から風邪がぶり返してこじらせ、1週間たってもまだ咳がとまらない。

 これでおしまい。


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