耐え難き現実を逃避して

「おっ今年の阪神はひと味違うぞ」と思わせたのもつかの間、あっという間にずるずる連敗を重ね定位置の最下位に定着してしまった昨今、皆様どうお過ごしでしょうか。え?阪神ファンじゃない?それはおめでとうございます。
 私はひたすら現実逃避をして「タイガースファンという生き方」(メディアファクトリー)を読みふけっております。私の知人が編集した本で、私もちょっと文章を書いております。「どの位売れるか」という私の問いに対し、彼は腕組みをして、「うーむ、それは阪神の成績次第」と頼りないことを言いました。今、野村阪神に注目が集まっているのは確かで、阪神特集や阪神本は何種類も出ています。野村阪神が順調な出足で首位争いでもしたら、売れ行きに加速がつきます。逆に、ボロボロの何連敗というような悲惨な状況になっても、それはそれで注目を集め、本は売れるそうです。「だから、連勝して欲しいのは山々なんだけど、それが駄目なら、連敗した方が…」と語ってくれた新保君、君の願い通りの展開じゃないか。読売に2勝1敗と勝ち越して、「おっ、野村阪神はやってくれるで!優勝も夢やない!」と盛り上げておいてその後連敗でボロボロの最下位だよ。開幕11連勝でセリーグ新記録の中日なんかよりはるかに注目を集めている。これで売れなかったら、もう編集者の手腕を問われるしかないね。売れてるかい。売れてくれなきゃ困るよ。こんなにも高価な代償を払ったのだから。

 阪神ファンは徹底的に苛めると「いぢめる?」などと女々しいことは言わず、「こんなとき、バースがおったらなあ」とか「バースかっとばせバース……」などと呟きます。そう、1985年のバース。というわけで阪神ファンの現実逃避の行き着くところは1985年10月16日。そう、ヤクルトに引き分けて21年ぶりのリーグ優勝を果たした日でございます。あの日、私は神宮球場で優勝をこの目で見たのでございます。若かった。大学生だったな。
 チケットを1週間ほど前に予約しました。その日、優勝するかしないか、それは賭です。ひょっとしたらペナントレースが更にもつれてもっと先になるかもしれないし、逆に先に優勝してしまい消化試合を見せられるかも知れないのです。私は長年阪神を見てきたその冷徹な目でXデーを予見し…というのは嘘です。その日しかチケットが取れなかったのです。当然の如く、チケットはレフト側(つまり阪神側)から売れていき、私が入手できたのは1塁側内野席の指定席でした。
 その試合の日が近づくにつれ、私の心境は千々に乱れるのでありました。あんまり連勝してさっさと優勝してしまうと、私の観戦する試合が消化試合になってしまう。かといって負けるよう念じた挙げ句優勝を逃しては、死ぬまで悔やみ続けるであろう。阪神が優勝を逃さず優勝を決めず、私の観戦する試合で勝つか引き分ければ優勝、という最高の場面になったときには、思わず神に感謝の祈りを捧げました。もちろん、神とはバースのことです。

 チケットは確か7枚でした。私を含む阪神ファン4人、そして野球に疎い女性3人でした。この機会に阪神ファンを増やしてしまおう、この歓喜と興奮を見せつけられたら、阪神ファンにならぬわけがあるまい、という信者増大計画です。
 3人の女性のうち「巨人の星を読んでいたから野球のことは分かる」という机上学問派がひとり、「野球のことは知らないが、阪神ファンはなぜいい年をして歓喜したり絶望したり呻いたり酒をあおったりできるのか。そっちの方に興味がある」という冷徹な学究派がひとり、そしてもうひとりは野球は愚か阪神のことも知らないがバースという固有名詞だけ熟知しており、「ああバース、可愛いねえ、かっこいいねえ」と譫言の如く繰り返す耽美派がひとり。
 最後の女性は練習の時から
「ああ、バースが動いてる!」と感動しておりました。それからも
「ああ、バース。バースだよぅ」
「そうだね、バースだね」
「バースですよお爺さん」
 などと、周囲を小津安二郎の映画のような雰囲気に巻き込もうとしてしまいます。まったくもって優勝決定戦にふさわしい緊張感がない。もっと緊れよ!などと、池田屋の斬り込み5分前に近所の子供とかごめかごめで遊んでいる沖田総司を見ている土方歳三のような苦虫でつい言ってしまったりします。

 3塁側は愚か1塁側まで阪神ファンでびっしり。ヤクルトファンはどこにいるのでしょうか。内野席にいました。応援団です。いしいひさいちの漫画によく登場し、一部で非常に有名な岡田さん率いるヤクルトスワローズ私設応援団です。いつもは元気いっぱいの岡田さんが、今日は非常に低姿勢です。我々に話しかけています。「いやあ、今日はまことに何というか、めでたい。皆様阪神ファンなのは重々承知しておりますが、一応ここは1塁側。ヤクルトファンの矜持に賭けても、応援の灯は絶やすことはできませぬ。ここはお目こぼしいただいて、この片隅ででもヤクルトの応援をすることをお許し頂くわけには参りませんでしょうか」
 むろん、我々は快く許しました。阪神ファンは心が広いのです。

 試合は淡々と進みました。我々にとっては。件のバース娘にとってはそれどころではありません。なにしろ1塁側内野スタンドなのです。バースを見るには、この上ないロケーションなのです。彼女は白球を追わず、ひたすらバースのみを見つめておりました。
「あっ、バース捕ったよ!」
「あっ、またバースに球が来た!」
 なにしろファーストです。内野ゴロはすべてバースに送球されるのです。彼の娘はそのたびに嬌声を上げ、他の観客がなにごとかと振り返る有り様。ヒットやフライではバースに球が来ないので残念そうにしております。しかしながら、阪神の投手が三振を奪ったとき、口を尖らせて、
「つまんな〜い」
 と吐き捨てるのはよせ。喧嘩を売っているぞ。

 試合はヤクルトが先制し、阪神が追いかけるパターン。終盤、掛布のソロアーチ、佐野のしぶとい犠牲フライで同点に追いつきました。沸き上がる場内。思わず立ち上がり、歓声を送る観客。そんな中でつまらなそうにしていたのはバース娘。バースは終盤に代走を出され、次の回からファーストには渡眞利が入ったのです。
「ねえ、バースどうしたの?どこ行っちゃったの?」
「バースはね、渡眞利と交代したんだよ」
「なんでバース替えちゃうの?あんなに打つんだよ。ひどいよ」
「もうバースの打順まで回ってこないから替えたんだよ」
「ひっど〜い」
 バース娘はそれから下を向いてぶつぶつと、「バースが出ないんなら野球見たくない」「バースがいいのに」「だってバースなんだよ」と意味不明な言を吐いておりました。我々は彼女の機嫌をとるよりも、彼女の台詞を聞いて激高する阪神ファンが乱入してこないか、それだけが心配でした。幸い、みんな同点になって上機嫌だったので、喧嘩には至りませんでした。

 そして同点のまま最終回。中西がマウンドへ。この回を抑えれば引き分けとなって、阪神は優勝。最後の打球は中西のグラブへ。中西からファースト渡眞利へとボールは送られ、ゲームセット。阪神、歓喜の優勝です。むろん、その時にもバース娘は
「ねえ、どうしてファーストはバースじゃないの?つまんないよ」
 と神をも恐れぬというか阪神ファンに殴り殺されても文句は言えんぞという発言を振りまいておりました。
 その娘が喜色を見せたのは、ようやく胴上げの時です。優勝が嬉しかったのではありませぬ。バースが胴上げされたからです。
「ほら、うわぁ、きゃあ、バースが浮いてる!バース重そう!きゃあ、ひゃあ、もっと!」
 と、このときだけは周囲の歓喜と一体化し、けれども少し違う喜び方で歓声を上げておりました。

 試合後、神宮球場付近はパレード状態。246号線まで人波が溢れだして車両通行不能状態となりました。我々は人波のひとつとなって渋谷まで歩き、そこでささやかな祝賀会をあげました。
 そこでの話の中心はやはりバース娘でした。というより、彼女が興奮状態で一方的にまくしたてておりました。
「やっぱり、生で見るバースは素敵!」
「バースのお目目はね、深い青の色なんだよ。あ〜んあの瞳で見つめられたい!」
「バースの髪の毛はね、サラサラでふわふわしててね、あ〜ん私の指でサラサラしてみたい!」
「バースのお髭はね、髪の毛よりちょっと濃いめでね、硬そうでチクチクしそうで、あ〜んチクチクされてみたい!」

 でも結局、3人の女性は阪神ファンになることはありませんでした。バース娘もバースのファンから踏み込むことはありませんでした。
 阪神優勝という、この上ない素晴らしい場面を提供したにもかかわらず。
 宗教で言えば、これ、教祖が空中浮遊して口から金粉を吐いてアガリクスパワーで癌が治って3日で復活してサリンを蒔いた!というくらいの奇跡の大盤振る舞いなのに。宣教師としては失格です。しくしく。


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