Evangelion Genesis y:x 更新日誌(2000 年 8 月)

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8 月 31 日。
そーいや忘れてたが来月はセカンドインパクトの月なんですな。 すっかり忘れてたというのを棚の上にあげといて、これを思い出した(知らされた)のが 某 BSD な ML だったりして。いやあ、あっちゃこっちゃでみんな繋がってんな、などと。

「ブランマンジェ」なるデザートを食す直前のこと、一緒に食した某が宣いて曰く:

「これはね、昔、支倉常長がヨーロッパを訪問した時に御土産に 持ち込んだ日本の饅頭がもとになってできていてね、 『マンジェ』というのは『マンジュウ』がなまって ...」
をを山崎君だ〜と思いつつエリオル君的返しを探してるとこで 最後まで言い切れずに自爆していた。 いちどやってみたかったネタだそーだが、自分で吹き出すようでは山崎君失格だろう。 確かに色は同じ白だがムースを饅頭と強弁するあたり大した度胸である (さすがに蘊蓄は現物が到着する前に語られた)。 一発ネタとしては面白かったのでここに記しておく。
8 月 30 日。
歯の治療のため、30km 彼方の歯医者んとこに行った。 遠路はるばるなのは治療履歴がそこにあるからで、 有名だとか上手いとかそーゆー訳ではべつにない。

実際 C1 の治療に光硬化樹脂を使うのはいいが場所によっては接着が甘いぞとか C3 の根管治療に気合い入りまくりなのは良かったんだが肝心の埋めものに 先が平らなテーパゴム使うなよとか、 歯学はほとんど一夜漬けの人間からみても技術の度合を心配したくなることがあった。 おすすめの歯医者さん 見てきたら 100m ほど手前(つまり駅に近い)とこに評判になってるトコがあっただけに なんか少しばからしいものがないでもない。

にもかかわらずここを使うのは、.... まあ履歴がそこにあるからだってのが一番だが、この点を除くと ここにたどり着くまえの 3 軒が 一撃問答無用で没、としかいいようがない治療をしてくれたってのが大きい (麻酔で炎症を広げるなんざ論外だし、 咬合調整に銀紙の厚みを考慮に入れないバカが居るとは思ってもみなかった。 もひとつは端的に書けないので略)。 そのあたり expectation がおもいっきり下がってるわけで、 あらたに近所の歯医者に行ったとして、どのていど 当たりの歯医者にあたれるやら知れたもんではない( 最先端の治療技術、ノウハウが現場に落ちて来るのに時間がかかるのは理解するが、 せめて現行治療法の注意書きくらいは守ってほしい ... )。
ああ、それと原則麻酔なしで削ってるが、 「歯に響く」ということを治療のための情報として使ってるフシがある。 そーゆーノウハウがありうることは理解できるので、 逆に言うとデフォルトで麻酔かけるとこは信用しなくてもいいかもしんない、 と思うようになった (でも少し神経を諦めるタイミングが早いんじゃないかしらん)。

ほっとくとデフォルトで保険治療になるっつーのも歯科では少ないかもしれん。 インフォームドコンセントの後に自費と保険を選ばせてくれるとこは「良心的」 とゆーんだそーだが、自費を選んだはずのとこで保険のに間違えられそうになった、 つうのはかなり珍しい事故なんではなかろーか。

まあでも、さすがに替え時かもしんない。 歯科は手もとに病歴メモ残してないので記憶頼りになるのが弱いが、今回ヤったとこは 上記の C3 治療ん時 (ちなみに 8 年前) に懸念したとこだったんじゃなかったかなぁ。 あれ、でもレントゲン写真にはその痕跡がなかったような ... ううむ、もすこしまともにレントゲン写真が読めるようになりたい。
(8/31)追加: 前回の治療は別の歯(7) だった。 現状は綺麗なもんである。よかったよかった。疑ってすまん > 某歯医者さん

でも上記のページをサーチしてみても 「説明が上手」とか「綺麗」とかしか書いてないので何の役にも立たん ... 「技術が素晴らしい」と書かれても何のことやらさっぱりわからんぞ。 その場ではどんなに素晴らしくても再発するようでは論外な訳で、 再発の目を潰すための注意書きをどのていどどう守ったか、 ってあたりが非常に大事なんだけど、眼の前の治療が再発し易いものなのか そうでないものなのか、というあたりを患者側がもすこし評価する眼をもって欲しいな。

ついでにいえば どーせ書くなら C1 〜 C4 のそれぞれの治療にどういう方針で臨んでいるか、 その技術レベルはどうか、あたりも基本中の基本だと思うぞ。 歯学は「削って埋めるだけ」つうほどひどくなく、見た目よか進歩は速いので 「何時の技術か」というファクターがけっこ効いて来ると思うんだけど。


8 月 28 日。
EVA SS の読み返しの続き。読むのが辛いものの数は 3 つとかいうものではなかった。 ローカルに持っているものの 2/3 近く、まだ読めるものを数えたほうが早い。 もちろんそれらを読んだ時に何を思ったか(どーしてローカルに持って来る気になったか) はおおむね覚えてる。かつての見解に同意できない訳じゃないけど ... 読めない。

感受性の幅が狭くなってるのか ...?

EVA SS 階層 20 万ヒット突破の翌日に思ったことだった。


8 月 27 日。
『CC さくら』第55話、「さくらと不思議の国のさくら」の感想。
ナンセンス系は読み方/書き方が難しい ... を象徴するような話。 この出来なら本家『不思議の国のアリス』のほうが面白かった。 本の中でのキャストが狂ってるのはもちろんわざとだろうが、 その狂わせ方があと一つ。 いちおう、うさぎ、帽子屋、女王あたりは キャストのハズし方に一貫性があるし、 チェシャーキャット、ハンプティダンプティあたりの寓意も鮮やかなんだけどねぇ。 中途半端に意図が見えるっつーのが。もちっと狂ってほしかった。

アリスの身長が 10 inch になったそーだが、挿絵の雰囲気はもうすこし小さい。 3-5 inch くらいですな。 『ガリバー旅行記』でも縮尺が 1/12 とか 12 倍とか明記されてたわりには 描写がけっこう狂ってたから、あんまりそーゆー見方をしないもんなのか?

5 年生ならそろそろ文学全集が読めないと困るだろう。 つーか、文学全集なんて小学校のうちに読んどかないと読むチャンスなんてないぞ。 高名な物語なんて意識的に避けて通るようになっちまうからな。

この話、この一言。

「ありがとう。あなたのおかげで助かったよ ...」
... いや、むしろその葉っぱの責任で巻き込まれたような気がするんだが、 よくもわるくもこれがさくらであり、 そして即興話として成立している『不思議の国のアリス』のオマージュとしては、 遠い位置のネタをひいてくるはずはないのだな。
8 月 26 日。
煩いこというと読んだのは 26 日ではなかったが、整理の都合上 26 日に置く。

エヴァな SS を読む(読み返す、が正しい)。 『エヴァ LC』、『七つ目玉エヴァンゲリオン』、『学園新世紀エヴァンゲリオン』、 『水色のアスカ』、『桜の舞う頃に』、 『遥かなる空の向こうに』〜『And live in the world forever』、 『ヒカリの日常生活?!』、『After 10 years』 〜 『Along with Everything』、 『命の価値は』、 『ここから始まる僕と彼女の物語』、『エヴァンゲりぼん』、 『Evangelion Another World』、『機動新世紀エヴァンゲリオン』、 ... と y:x, y:2.x, λ:x, e:x も。

1 年くらい前までの分なら一通りすべてローカルに持っているが、 今回あらためて get しなおしてきたものもある。 ネタを読み落していたところの発見や、視線の変化など、いろいろ面白かった。 いまさら書くこともないが ... 2, 3 ほど。

『エヴァ LC』において 今 web 上にある改訂版 (たぶん 3 版目; Chronicle 版?) への改訂は 誤字修正と漢数字化(縦組対応?)を除けば 1 行程度の描写追加と文章リズムの調整、 助詞の変更という細かいとこに終始している。 (もちろん 2 版で入った最大のバグ(あれお母さんいつ綾波の名前を...) はきっちり修正されていた ... つーか、修正されてたから改訂があったことに気付いた)。
したがって助詞の変更は、たまたまそーなった、というのでなく、「そうしたいと思った」 から直した、というレベルの修正のはず。 ... のわりに趣向の範囲をこえて、この助詞の使い方なんかヘン、とかこれ間違ってねーか? というレベルの言い回しに直されてるのがけっこうあるのが謎だ。
それと、今回の語彙の交換でシンジの知的水準が少し上がった。 公立の中二ならクラスの中位よりはかなり上なんじゃねーかな? この変更はなかなか興味深かったかもしんない。

昔読んだ時は 1 章のがイイなとか書いてるが、 ハテこの 1 章ってどれのことなんだろう? 読み返したかぎりでは 1 部、2 部 1 章、2 部 2 章のうちではむしろ 2 部 1 章が少し落ちる感触がある。 LC はアスカの意志が物語で意味をもつことがなく、実質的に綾波の物語なので 綾波の描写があと一声! みたいな 2 部 1 章の印象が弱いかな ... というのが今の気分。

「うるさいっ!
それじゃ、それじゃあたしのこの半年間のストレスはどう責任とってくれるのよ!」
おお、SS 系から初の抜き出し。激烈にかわいい > 綾波。
もっともこの直後、3 版でエンバグした誤字があってちょっとコケる :-)

今回の再読でようやく気付いたことが二つ。

2 部 2 章で「誤解を招く性格と言動」を知りつつもレイが困っていなかったことは カヲルの 「噂を信じるなんてレイらしくなかったね(= 表面的なものに惑わされることはない)」 というセリフからも確定する。 するとレイの悔しさの意味が、シンジが解釈している意味とすこし違って来る。 カヲルにいいように振り回されたということ以上に、 カヲルを信じて底を読み切って当然視していたのが実はそうでもなかったこと、 (カヲルのことはよくみてるから)振り回されるはずもないだろうという 気分が 洞察力のレベルで (「女好きの節操なし」のカヲルに近付く他の)女の子と同じとこまで落ちたこと。 にもかかわらず現在のカヲルを「無条件に」信じてしまうという、 カヲルについての直観が正しく働いているだろうという予感があるなら、 あの当時の様はなんだったのか ── というあたりの悔しさが、あるんだな。

カヲルの意図を読むことは難しく、 上述のカヲルのレイへの評価と レイを誘導することが「狙いどおりだったわけだ」という言葉をあわせて 「レイの誘導に失敗するかもしれない」という不安があった ... ような気がするが うまく読み取れない。 ああ、つまりレイの表面的な行動は同じになったとしても、 その裏でレイが何をどう思ったかはカヲルのコントロールにない可能性がある とカヲルは思っていたかどうか、ってあたりだけど。 なにしろ、んなことをカヲルが思ったとしても顔にはでないので、 しかもシンジの観察力ごときで explicit にでてくるはずはなく、 「そういう記述が無い」ことがそういうものが「なかった」ことの証明にならない。
むりやり屋上屋を重ねると、 カヲルが自分の性格を「誤解を招く性格と言動はもってうまれたもの」 と肯定的評価をしていても、 このていどで振り回されるようであっては困る(恋人としてつきあうには力不足)、 と思っていたとしよう ── 文中にこのテのことは描かれてないので 許せる仮定とは限らないのが弱いが、ま、それはおいといて。 つまりレイが好きなのは「噂を信じるなんてレイらしくない」 という評価の部分も含まれていたとする。 するとレイのコントロールはカヲルにとって「難しい問題」のクラスになる。 おくびにもだしてないが。 レイの誘導に成功したことがカヲルにとって失望の成分ありやなしや? まあでも、誘導に失敗することはありえない(成功するまで誘導を続けるから)ので、 焦点はどこまでひどいことをすればレイが離れていってくれるか (真実という切札を投入せずに成功するか)ってことだから、 ... ああ、ええと?

もう一つは、ゲンドウの「レイに付き合っている男はいるか?」発言の解釈。 ユイが「父親として心配している」と解説しているが、 この当時、カヲルがレイとの仲を意図的に破綻させたあとで 第三新東京までレイを追って転校してきたことをゲンドウは知っている。 破綻したのはゲンドウが口を突っ込んできたことによる訳だから、 ここでのゲンドウの確認は罪悪感的なものからになるんですねぇ。 シンジには厳しいくせにレイには甘いぞ。 こーゆー自明なネタを読み落したってのはけっこーはずい。

『Along with Everything』と『遥かなる空の向こうに』。
書いてはいけないトキは書いてはいけない、の typical case みたいな 『Along with Everything』を読んだあとだっただけに、 『遥かなる空の向こうに』の 31 〜 32 話がね ... いや、凄いっす。 「今」こういう心理内容が描けるのか、という意味で ── というよりは今になってようやく書けるようになったのかしらん。 そのへんはよく分からないけど。

『Evangelion Another World』と『エヴァンゲりぼん』、『桜の舞う頃に』。
『桜の舞う頃に』はともかく、 y:x への影響を除くため "Another World" はしばらく封印されていたし、 『エヴァンゲりぼん』はそもそも直接影響を受けたていどには面白かったおぼえがある。 .... が、今回の再読ではこの 3 つは読み続けるのがかなり辛かった。 "Another World" が辛い、というだけならなんとなく分かる。 本家に近すぎて干渉を起こしてるんだろう。 でもそうするとのこり二つがよくわからん。 んー、吸収消化しきって「世間の常識」扱いになってるのかなあ。 確かに一撃離脱的な話が多いので吸収しやすいんだが。


8 月 24 日。
IrDA (IrLAN) の接続を確認 ... 16 日から実に 1 週間がかり。 〆切なんぞおもいきりブチ破っている(それはマズいっしょ...)。 これだけ長引いた理由はといえば
「2.2.16 なんてだいっきれーだっ」
Linux kernel 2.2.15 以降の IrDA のコードは 2.4.0 からのバックポートになった。 わざわざバックポートするくらいだからきっと 本質部分は 2.4.0 誕生間際で 2.4 側でデバッグされてるとして、 バックポートしてエンバグした部分は 2.2.15 〜 2.2.16 の間で怒涛の fix がなされただろうってんで安定性を期待した訳だが ── 結果的にこれが甘かった。
母艦を 2.2.14 + irda patch に戻したらあっさり繋がりやがった。
bttv バグといい、 SCSI バグといい、2.2.16 はロクな動作をしない。

つーか、バックポートがこんなに不安定で今秋ほんとに 2.4.0 出るのか?


8 月 20 日。
疲れてるんだがこれだけは書く。書かんと精神の安定に支障がでかねん。

『CC さくら』第54話、「さくらと思い出のカレンダー」の感想。
話としては上等な部類に入る ── が、3 つほど腹立たしい点がある。

  1. 絵が変、眼が大きい。とくにさくら(や桃矢)のアップというあたりが大問題。 アップがカナメとなることが多かった今回でこれは無いだろお...? 次回予告はまともだっただけに許しがたい。
  2. 世界で一番... と言い切るのはいろいろまずいでしょうが。 園美さんのほうはどーでもええんかい。
  3. ひーじーさまの贈りもののさくらの服、へん。さくらにも撫子さんにも似合いそうにない。 ── つーかさくらの顔がへん (--;

ついでにピアノのシーンについて。 連弾のシーンで、桃矢が弾きだした時点ではあーゆー高さの音にはならない(もすこし高かろう)。 撫子さんトリルで右手指を弾いた時に平然と横を向いて肩も肘も跳ねてないって何故や? 桃矢の身体のリズムをとる動きが音楽とぜんぜんあってないし ...
もうすこし絵と音楽を合わせるとゆーことを少しでいいから考えてくれ。 その他に

山崎とエリオルの掛け合いに対する周囲の反応をはじめ ストーリーラインはいい話に仕上りそうなトコがあるのに なんでこーぱかすか細かいとこが抜けてる?

カレンダーは 11 月 1 日が金曜だから 1974, 1985, 1991 年のいずれか、 「現在」は 11 月 1 日が月曜だから 1982, 1993, 1999 年のいずれか。 さくらがすでに居る時期なのでこの二つは 10 年以上離れてはおらず、 1985 年と 1993 年の組という可能性もあるが、 携帯電話やビデオカメラのサイズとあわせてカレンダー 1991 年に「現在」が 1999 年? まあ、特定できたからといって『CC さくら』ではどーということはないが。

この話、この一言。

「おとうさん悪い人じゃないよ、 .... わたし、わたし、おかあさんのことぜんぜん覚えてないけど、 写真のおかあさんいつもしあわせそうだもんっ
それに、おとうさんとおかあさんがいなかったら、わたし生まれてないし、 わたしすっごくしあわせだもん!」
少々長めだが、ここしかない。こういうことがストレートに言えるというのは 5 年生では そろそろ希少価値があるだろうが、逆にこれだけの内容が喋れるというのは 5 年生ではまだ少ないだろう。
8 月 16 日。
atropos, psyche, clotho の IrDA テスト開始 ── しかし動かんのぉ ...
8 月 15 日。
Progressive の感想 & 批評に要約を埋め込むなどして多少なりとまともにしたついでに ひっぱりだしてきた高橋由佳利の『過激なレディ』を久しぶり〜〜〜に読んだ。十何年ぶりだろ。 高橋由佳利は『なみだの陸上部』を読んでから遡って買いだしてるので連載時には読んでない。 翌年として 15 年前か ...
それにしても、さすがに段違いに上手い。 話造りは当然として資料集めから消化&表現に至るまで。 遥か高山の地図上で数センチの山道が、 現地での体感として得られた時の感触に相当するものが、ここにある。

ところでアマとプロの境界を私は造った器に魂を込めるかどうか、の一点で切り分ける。

魂を込めてよーやくモノになるのをアマチュア、 魂を込めずにカタチにしてしまうのがプロ。 自分にもっとも馴染んだもの(自身の思想、信条、想い、etc)を扱ってようやく作品になる力量と、 魂の切り売りしてたんでは数が出ないという事情の違いで、 最近わりと心配してるのがささだあすかなんだけど、『日向で昼寝』とか、 本人がガーデニングをやっていてそれを面白いと思っていることが作品に出ていて 確かに面白い。だけどそーゆー面白さはハイアマチュアのやることで、 そういうのを描くかたわらプロ的なものも描かないと行き詰まりは近いんだが ... ここんとこ『花とゆめ』の下のほうの層が薄いのでもってるが、ちょい前ならけ落とされていた。 逆に岡野史佳の『手のひらに星』は 戦隊モノへの思い入れゼロで描いてるあたりプロだけどさすがに滑べってる。 いかになんでも無茶。


8 月 14 日。
らっきぃ! 『CC さくら』は昨日お休みだったんですねぇ。

comp.os.linux.announce 見に行ったら ATI の RADION 256 で "3D Accelerated-X" が動き出した、とあった。

"Accelerated-X" ってのは固有名詞な訳で、これがはたして "3D Accelerated" な X なのかどーかってーと微妙なとこなんだが、..... やっぱ違うのかなぁ。 ATI は「XFree86 を支援する」という一文を自分家のページに置いてあるけど 実質これまで何にもしてきていない。 glide 系しか 3D 加速な X がないという現状が打破されるといいな。


8 月 13 日。
『CC さくら』の録画テープ間違えた ...
さくらカード編ボロボロやなぁ ;_;

雨の上がった午後にコミケに出かけ、シャーラの追放やら、いくつか見てまわった。 ブラッドリー逝去 (昨年 9 月) にともなう追悼話は がんばれば去年の冬コミに間に合ったはずだが、申込みタイミングからして 今回の夏コミが最初のはず。んな訳で、麹町以外にも出てたが、.... つまんねーよぉ。 ダーコーヴァ屋さんを増やすために買おうかと思ったが、 ほんとーに寄付してるだけになる気がしたので止めた。

最後にまわった Progressive さん家だが、何気に 5 だけ買って帰ろうかと思ってたら 6 も戴いた。.... 戴いたわりに無茶苦茶書いてるという自覚はあるが、 半分書いてダウンしたのであとで手を入れるかもしれない。
ここ 1 週間ばかり本の編集に付き合っていた関係で 頭の一部が編集者になっている。文芸作品ではなくて論文と随筆が主だったので Progressive の内容への発言に対する干渉はあまりないはずだが、 思考や視点が編集屋さんよりになっている部分は残っているかもしれない。 そのへんの歪みは勘弁願いたい:
Progressive5, 6 の(感想) & 批評


8 月 12 日。
Progressive の情報とりに white さん家を見に行ったついでに そこからリンクを引いてあった 「インターネット創作文芸賞」 なるトコを見て回った。いや、あるのは前から知ってたけど、 見に行ったことはなかった。

たかだか 30kB 〜 50kB の話で (本筋外の不要な)枝葉詰め込んでのごっちゃりした話が並んでて、 選んだ人のセンスがそーなんね、とか思わないでもなかったが、 総評で「読みにくいぞ」と指摘されてるあたり、 投稿された話すべてに共通することだったりするか?

ファンタジー部門: 「僕の辞書には正義の文字はない」
これが「飛び抜けて読みやすかった」って他のは一体 ... 冒頭の 3 行の前後を入れ換えるだけでもとっつきやすさ倍増だと思うが? が出だしを見ての感想。オチがシンプルなわりにそこに至る設定の説明が山のようにあって、 内容そのものに手が回ってない。ついでにいえば「正義」に対する拘りみたいな もんがラストに登場するのがかなり唐突なので、前半にネタふっといてほしかった。 作者は書くことが分かってるからこれで感情移入に十分なんだろーが、 読む側にとってはそーではない。どっちかってーと物語つうよりは物語の素、という感じ。 ただ作者の言わんとすることは、ここで読んだ中ではこの話がいちばん良く伝わって来た。

SF 部門: 「血塗られた老後」
題と最初のパラグラフで内容と落ちは見えるが、アイデア一本勝負は良かったかも。 明らかにブラウザで読むことを前提にした超アップテンポのおかげで読みやすかった。 こちらに SF 系への慣れがあるかもしらんが。 アップテンポのおかげで薄くなった主筋を支える裏筋が向井の妻の話なんだろーが、 なんでここまで分かってて裏筋が崩壊してんだ? 向井の回想、日暮の言及、息子の言及のスチル写真のようなシーン三枚で組写真となって 一つの筋(物語)をなしてないといけないとこだと思うが、適当に写真 3 枚並べて 組写真でござい、とはいかないように、ここの 3 枚も目の前でバラバラになっている。 物語に対する感情移入はこの話の場合、裏筋経由で行われる。 この裏筋の崩壊が話への感情移入を難しくしている原因だと思う。

ミステリ部門: 「騎士達と共に」
何が書きたかったのか意志分裂してる。暗号問題「以外に」何がしたかったのか? 何もするつもりがないなら、この話は 1/3 程度には縮まる。そうしなかったんだから そーしたくない部分があったはずであり、その部分が見えて来ない。 一人の学生生活描いて終り、というわけじゃまさかなかろう? 暗号部分がおもいっきり浮いてるから。

自由部門: 「思い出に出来ない」
きっちり共感に巻き込んでんのは物語として非常に正しい在り方だと思うが、 それ以外に何にもしてないのでディスクフルになったら 部門賞受賞 4 作品の中では真っ先にディスクから消去される話。 「私には重すぎた」そーだが、重かったことをいまにひきずる部分が何もわからんので 言葉だけの非常に軽いものになっている。... のか? よくわからん。いまいち印象の薄い話だった。


8 月 11 日。
ようやくコミケカタログを読む。マンガレポート今回は全般にイマイチ。 これってコミケが終ったあとに手に入るものなんですねぇ ... 知らんかった。 300 円くらいで手に入るものなら、そのへんの同人誌はもちろん、 ふつーの本よりコストパフォーマンスが桁外れに良いぞ。 7 時間は読める本というのは少ないからな。辞典のたぐい位しかなかろう。

さて。 文章系サークル紹介のトコで幾つか自分達の本の文章の一部を抜いてきているところがあった。 本の帯にあるようなしょーもない宣伝文句なんぞよりは遥かに有用だと思う ... が、ぜんぶがぜんぶンなことすると眺めてて死ぬかもしれんな ....

もちろんカットを描かねばならない時点では話なんかカケラもないんだろーが、 たかだか話の一部の 10 行かそこらである。その場で書けないとは言わさん :-)
とりあえず、抜き書きした場所のセンス、および その中身の文章そのものの二点についてほぼ読むに耐えそうだ、と思しきものが一つあった。 Sanguis Luciferi(13 日の西ち3a)だが、 同じように内容を抜き書きしてみせている両隣よりは読めそーである。 実際はどーだか知らないが。

漫画のほうも(特にストーリーに関しては)何の参考にもならない絵一枚より ヒトコマ漫画をきっちり決めていただけると嬉しいんだけどね。 サークル紹介のコマ描くのと同時にマンガレポートを何枚を描くくらいのことしてる訳だし。 とりあえずそこのセンスとレベルと方向と、必要なことは一通りわかる。


8 月 8 日。
上顎左側の第一小臼歯を噛み砕いた。記録のみ。
8 月 7 日。
そとは雨。昨日谷川岳方面で雨を降らせた雲(に連なる雲)のごとく、 とーぜんのようにとつぜんの雷雨。

さてその谷川岳は湯桧曾川の鉄砲水の事故について。
それにしても、こんなのを事前に予測しろってのかぁ ...? 確かに 沢を下るな(沢は登るもの)、上流域が雨の時は沢に近寄るな、と二つも禁忌を破ってるので 同情する必要は無いのかもしれないが、 沢を登っていても鉄砲水には遭ったかもしれず(もっとも被害は下っていた今回のよりは少なかろう)、 上流域の雲は見えなかったかもしれないと ルール違反が本質的でないのが去年の玄倉川の事故と異なる。

そもそも critical section に入ってる時間が十分に短いと確信を持てるなら、 同じ条件で自分でも go サインを出していたと思う。

昨日の『CC さくら』の感想の続き。えらく重要なコトを書き忘れてたので。

「ちゃんと魔法を使う理由があって、 少しずつならクロウカードをさくらカードにしていいんだよね?」
さくらに向かって「このバカ」と怒鳴りたくなったのは初めてかもしれない。 あまりのことにそーゆーことがあったことさえ記憶から消されていた。

自分が倒れるのも覚悟のうえで全てのカードを一気にさくらカード化しようとしたのは カードの体調を心配してのことだった。 今現在のさくらの体調とひきかえにするほどには危険が迫っていた訳ではないことを知ったとしても カードの体調に問題がある、という事実には変わりがない。 上の言明は裏をかえせば、

「魔法を使う理由がない場合はさくらカードにしてはいけない、 また、大量にさくらカードにしてはいけない」
ってことになるが、この言明を守っていて 「魔法を使う理由がない」事態がちょっと長引いた日にはクロウカードは全滅する。 事と次第によっては魔法を使う理由がなくて、 カードを(今回のダッシュのように)暴走させる危険を覚悟しても さくらカード化してしまわなければならないことは考慮に入れておかないといけない。

さくらが慌ててさくらカード化した時の想いはどこへ消えた? さくらカード化された大半のカードは自分の仕事がなくても 暴走もせずにさくらの想いを理解した。それを忘れたふりをしないでほしい。

さくらが今すべきことは、 カードが暴走しないよう、穏やかに、かつ自分の体調を壊さない範囲内で 可及的速やかに残りのクロウカードをさくらカード化する手順、方法を考えることであって、 カードの変換の仕方に制約を加えることではない。

エリオルに言われて変換してるようではカードの主たる資格はなかろうに。

この話、この一言。

「な、なにするつもりや?!」
「ぜんぶさくらカードに変えるのっ!」
夕食ん時に眠いのを誤魔化すトコも良かったが、本筋から選ぶ。
8 月 6 日。
前回見逃した反動とばかりに録画中に生でも観ていたってとこで
『CC さくら』第 53 話、「さくらとパニック自転車」の感想。

冷たくなっているクロウカードを心配してさくらは一気にカードをさくらカード化しようとし、 中途半端な状態で叩き起こされたダッシュはパニックに陥った ──

筋通したさくらがかわいかったし、 テレポートかとみまごうばかりのダッシュの動きはこれぞアニメでした ... かわりに 前半さくらの動きが少し手抜きだったよーだが、アップになるとこの気は抜けておらず、 力の配分は合っていると思う。

しかして細かいとこで手抜かりの多い話だったので今一つ乗り切れなかった。
第一に、怯えるダッシュがさくらの顔をなめ始める流れが僅かに早い。 現実としてこーゆーとこがあったとすれば確かにどんな順でもありえるとこではあるが、 物語として存在するつもりならダッシュの怯えが収まってからさくらに「振り向いて」から なめ始めるまえに「ダッシュがさくらを認識した」というワンテンポの間を置いて欲しかった。 この話のカナメとなす部分だろうに。

ふたつめ。さくらの周りを変えられたばっかのさくらカードがふわりと漂う場面。 カードの動きに何をやらせたかったのか、意図分裂してないか? さくらが倒れかけたとこで自発的にカードが動いてるわけで、 もすこし動きにカードの感情を込めてほしい。

みっつめ。脇役の使い方が下手すぎる。 ケロベロスのお説教に NHK 色を感じるのはともかく、 走ってる最中のさくらの電話に怒るくらいなら 走ってる最中のさくらに説教するあんたはどーなんだ? ダッシュを見逃したのは電話してるさくらじゃなくて、前方も見てなかったケロベロスの責任だし。
エリオルの策動も実質的に意味がなく、どーせなら たまには「エリオルの策でなかった」ことのほうが話として観てて疲れないんでないかい。
知世は煩い。ラスト顔見せと締めでしか知世が出せないならカメラをさくらから 小狼〜エリオルに振って月にでも抜けば十分に ED に入れる。 留守番電話だったとこで物語から追い出した理由が話の締め方に迷った... というのは がっくりきたぞ。
小狼もな ... さくらとケロベロスがファイトぉと盛り上がってる時にぼさっとつっ立ってるだけ、 眠り掛けて崩れるさくらんとこに駆け寄るタイミングが遅すぎる、 物語中の人物とゆーものは脚本屋が動かしてやらんと一歩も動けんわけで、 なんつーか『ブリキの人形』的悲哀さえ感じた。 この話、さくらとダッシュが居ればあとは要らんとばかりに カメラが二人をフォーカスし続けるのはいいんだけど、 脚本屋の視線までその二人に集中しちゃいかんでしょう。

ついでに録っておいたのを観たのでこちらも。『さくら大戦』「シンデレラ」:
けっこ面白かったんだけど、プレッシャからの復活の仕方がなんつーか、超古典的展開で イマドキそんなんありか ... と思いかけて(古き良き?)太正時代の話だからこれでいいのか? などと思ったりもした。それしても、なんだ、アイリスなしでもちゃんと話作れるんじゃん。

(普段からして「大女優」に顎で使われてる)地のまんまで十分なシンデレラってとこに さくら復活がぎりぎりまで遅れてもオッケーみたいな支配人の配慮があったりすると 話として深いんだが、題を決めた「あと」でねじこんだ風なのが定石〜な造り。


8 月 5 日。
トラップな話ふたたび。
est の復旧のついでに Samba を 1.9.18 → 2.0.7 に上げた。なんも考えずに ./configure し、適当に設定したら動いた。1.9.18 との非互換部分、 たとえばデフォルトで /etc/printcap のエントリがすべて export されてサービスリストが無茶苦茶ながくなったとかあったけど、ま、それはいいとする。

Samba はデフォルトでは /usr/local/samba/ 以下にすべてインストールされる。 つまり (read/write アクセスの発生する)データファイルディレクトリも /usr/local/samba/var/ になるが、samba を入れている atropos では /usr/ を read only mount しているので この位置には write アクセスの出るディレクトリは置けない。 「この convention は迷惑だな〜、まー分かるけどさ〜」 とかなんとか言いながら 適当に /var/log/samba/ 下に symlink して移しておいた。

すべてのテストが終ったトコでテスト用の資材もといディレクトリを片付け、 /usr/ を read only に戻す .... とたんに samba の挙動がおかしくなった。 est 上で atropos の名前がブラウズできない。 「broadcast の撃ち合いで名前解決なんてしよーとするからだよな〜」 とあくまでも(?) 責任をマイクロなんとかに押しつけてしばし、 さっぱり安定しないので、テスト用に suezo に samba を導入、したらこちらはふつーに動いた。 両者の違いは /usr を read only にしてあるかどーか位しかなく、 半信半疑で atropos の /usr を write 可能に戻したら、samba の挙動が正しくなった。

「ぐぇ、var 以外に書き込みがあるトコがあるのか?!」
って訳で .... /usr/local/samba/var/ なんて var を含む名前があったらここ以外で(常時)書き込みが発生するなんてふつー思わんぞ、 思わないよね、思わないのが「常識」ってもんだと誰か言ってくれ ...

ソフトウエア作者の思想が「常識的」に理解できない場合、 どこで何がおきるはずかという「常識的」な推測が正しいことは期待できない(感覚はアテにならない)。 手間だったけど strace かけて直接 open(O_RDWR) している部分をピックアップしたら /usr/local/samba/private/ に書き込みがあった ... パスワードファイルが置かれているトコで、パスワード変更ん時だけ /usr を read/write 可能にしてから、とゆーつもりでいたが、そーゆーのでは駄目らしい。 つーか、パスワード変更手続きに入ってる訳でもないのに書き込み可能で open() しっぱなしにするなよ ... > samba

いいかげんディレクトリがよじれてきたので configure で書き込みの出るディレクトリ位置を指定しなおして、つまり ./configure --with-privatedir=/etc/samba --with-lockdir=/var/locks/samba --localstatedir=/var/log/samba などとして make しなおして、よーやく問題は解決した。

トラップとはいえ、このてーどのトラップに片足ハマるっつーのは夏バテだなあ。


8 月 4 日。
DVD 『JFK』購入。 DVD はようやく 2 本目、『CC さくら劇場版 I』とどっちにするか暫し迷った。 3 本目はきっと「さくら」に違いない。

ラストの法廷演説が好きで、ビデオでもここばっか観てたもんだから 最初のほうを観たのは久しぶり ... つーか、「おお、出だしってこーゆーのだったんだっけ、そーいえば」 などと思ったりもした。 もっともこれも両面 1 層の DVD でどっちが B 面か判らず、 掛けたほうが A 面だったからであって、 もともとは B 面しか観るつもりがなかった (実際、出だし見たあとはすぐひっくりかえした:-)。 いちおう穴の縁のわずかな余白に "A 面" とか "B 面" とか書いてあるんだけど、 "A 面" と記されている側が "A 面" なのか、それとも "A 面" とあるほうを上に向けた時に "A 面" になるのかが判らなかったんである。ちなみに正解は後者。

「証言してください」
「俺? 無理だよ」
偶然とはいえなかなかあんたは良い処をついている、 うまくいけばひょっとするかもしれないぞ ── Mr. X は対決から逃げだしてる側のはずだが J. ギャリソンに圧倒的に貫禄勝ちしてるおかげで見過ごして当然とゆー気にさせられる。 この流れで Mr. X こと D. サザーランドが気に入って、 サザーランドつながりで他の映画を観ることがある。

『JFK』と同時に 100BaseTX 用のハブ PLANEX FX-08NX 購入(ちなみに 5270 円)、 atropos 〜 est 間を 100Mbps 化した。 つーか、今回の DVD 購入は 100Mbps 化した時の VNC & DVDPlayer の挙動を観る時のテスト用、 とゆー意味もある。

あまり良い評判は聞かない FX-08 系列だが、 5 ポート以上、0.5W/ポート、電源内蔵、ファンレス、という要求仕様をみたすものが その場には FX-08 系の二つしかなかった。 ファンレスだと思うと AC アダプタ使ってくれてるし、 ようやく電源内蔵かと思えば 1W/ポートを軽く超えて熱が不安となかなか適当なのがない。 あちこち見て回ってオートネゴでない、ディップスイッチでモード固定できるやつで 条件を満たすものが Linksys から出ていたのをこないだ見付けて、 そっちにしよーかと思っていたんだが今回この場にはなかった。 買ったのは今まで使ってたハブがおかしくなりかけていたからで、 探し回ってる暇はなくイチかバチか、ってとこで。 auto ネゴだけだとカードに言うこときかせるのが大変なことがあるから。

結論としては FX-08NX に今んとこ不満はない、 って、いや 1 時間かそこらで不満点がぞろぞろ出て来るハブってのも困りもんだけど。 2 枚の VIA Rhine 系カードはともに auto で 100BaseTX/FullDuplex 認識し、 ftp すると 7MB/s ほどになった。 もっとも底力はカニさん RTL8139 と同じレベルらしく、 5MB/s 以上を 5 秒以上に渡ってコンスタントに出すことはできなさそうである。 DEC 21140 あたりなら全力 11MB/s 位にはなるそーだが、 Rhine と同じ価格帯の RTL8139 の倍出るならまずは良いか .... と書き掛けて、8139 の実力値を見て回ったら不満がつのって来た (^^; のでそのうちちゃんとベンチ & チューニングしよう。
ベンチの責任はカードにあるとは限らず、 est の CPU (K6-2/500) を 250MHz で駆動していると FullDuplex を指定していても 100BaseTX/HalfDuplex にしかならないという現象があったりして、 カードに CPU 能力が追い付いてないこともありえる (今は 450MHz 駆動。熱的にちょっちヤなんだけど ... )。

さて。100Mbps 化で VNC は劇的に改善した。 LAN をモニタするだけでもその改善度は目に見える。

右は Kanon オープニング (640x480 32bpp) での LAN の流量のグラフだ。 VNCviewer になっている atropos 側での測定なので、inb が WinVNC の出力にあたる。 横棒一本は流量が 10 倍になることをあらわし、一番下が 1 byte/s で、 6 本目を超えているなら 10 ^ 6 = 1MB/s ってことである。 over 1MB/s に張り付きっぱなしで、ほぼ Rhine の能力で上限が決まっている様子が分かる。 ... 100BaseTX 程度ならまだ LAN が律速ということで、 つまり、このあたりなら VNC は LAN の能力向上に綺麗に比例して改善する。 [xnetload によるグラフ]
Screen redraw 位なら瞬時 (この時 3MB/s 位になる) で、 よーやく VNC が X と同レベルで使える風になった。
8 月 2 日。
先月 Psion 用に make したカーネルがブートしなくなった件。 原因が判明したのはいいが、 ちょいとアレなミスだったので向こうの階層へレポートする気はせず、 とはいっても遥か昔にも同じことやった覚えがあるのでメモしないわけにもいかず、 とゆーわけでここに書く。

linux/i386 でのカーネル build は

% make xconfig; make depend; make zImage
である。linux/7k の場合、
% make xconfig; make depend; make Image; glue.pl < Image > glue_image
になる。.... あまりに長いこと rebuild してなかったものだから、最後の glue.pl 通すのを忘れていた。 いつも出来あがった glue_image を Psion 用のカードにコピーする時に "Image" に変えてからコピーしていたおかげで i386 で "make zImage" としている部分を "make Image" としなければならないことは暫く build してなくてもカード中のカーネル名を見れば気付くが、 かえってそれがトラップになっている。その段階で出来る "Image" をそのままコピーして起動させようとしていた。そら動かん。

Foolproof になってない訳だが、 カードにコピーする際 "glue_image" のような glue.pl を通すことを示唆する名前にしてないのは、 カードからブートさせる時にカーネル名を入力しないといけないからで ... 120dpi, 6x8dots/char の非常に細かいスクリーン上で、 しかも入力ミスに暴走で応えてくれるようなブートローダ arlo への入力に "glue_image" みたいに 10 文字もの長い名前を付ける気はない。

ちなみに本家の ftp サイトや隣の階層ではカーネルバイナリに version 名を含ませて linux-2.2.1-rmk2-cb26-ky4 に対して "glued_image-221rmk2cb26ky4" みたいな名前で置いてあるが、 これをそのままカードに置くと悲劇である ... 喜劇かもしんない。 arlo では cut & paste 効かないし。

make Image した時に glue.pl も自動的に通すようにしないといけないな。


8 月 1 日。
html2latex とゆーソフトがある。 目的は名前のまんまで、逆に言うと同名類似のソフトは 私が知ってるかぎりでも 4, 5 種類ある。 一般に知られているのは HTML の規格を定める本家 W3C にも置かれているやつだが、 実は本家に置かれているやつがいちばん能力が低い。 ま、論理的に当然の帰結で、本家で配付してる libwww パッケージに wrapper かけるだけで出来てるやつに負けるようでは存在意義がないので 速やかにこの世から消えるにきまっている。

隣の階層にも自製の html2latexがある。 ここのサイトが出来た時点ですら既に obsolete だった (<!DOCTYPE> に対応してない) が、 <table> の colspan, rawspan, それに <image> もサポートするやつは今でも少なかろう、とゆー意味で置いてある。 いちおー今でもタマに使うが。

で、何故かここんとこ英語で問い合わせメールが来る (日本語のページしか置いてないが名前見れば使い方はなんとなく分かるしな)。 べつにどっかのエンジンからリンクされたとゆーわけではなさそーなんだが ...
Known bugs のリストがけっこう長いあたりハズいんだが、 英語のページを置いたり html 4.x や latex2e 化しているヒマはなさそーなんだな。 とりあえず DOCTYPE 対応くらいすぐかと思ったんだけど HTML や Perl を勉強中の時代に試行錯誤しながら いきあたりばったりに書いたやつだけあって もはやソースは何の参考にもならなかった。


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