『カードキャプター さくら』 劇場版I の感想

(初出)

粗筋
福引でさくらが当たった香港旅行。それは偶然などではなかった。 しかし。さくらをいざなったはずの魔道士は、 訝るようにさくらに告げた── 「なぜお前が来た?」と。
概観
ううん、線の細いつうか描き方の狭い話ですねぇ。いつだったかも書いたけど、 見せたいポイントに脚本屋自身まで集中しちゃダメだし、 (30 分もない TV ならともかく) 80 分かそこらある劇場版では特にそうだ。
さくらについてはいい。 魔道士について気付くべきことに気付いて、それを語ったというところが すべて押えられている。ただこれも、一度桃矢に怒られていてなんでまた暴走する話にするかねぇ。 ちゃんと後ろ髪ひかれる描写入れろよなぁ ... このまんまだとさくらって知世に後始末押しつけた生粋の「バカ」ってことになるんですが。 そのフォローを放棄しちゃって、まったく。

知世はどうか? 魔道士について、さくらとほぼ同等の情報を与えられていて、 あのさくらでさえ気付いたことに、なぜ気付いていない? これがないからラスト船ん中でのさくら〜知世間の感情の交流の乏しいこと。 なによりも、井戸のそばでさくらを心配するところが知世の見せ場(この話において 知世という人物が依って立つ処)だろ? 井戸の異変の前後で 知世の感情変化のシーンきっちり決めてほしかったぞ。いいかげんに流しやがって。

小狼。さくらとの共同作戦から自分だけ閉じ込められて、その中でダウンするまでが 小狼の筋の「起承転」。こうするんだったら、魔道士消滅後 4 人が現われたところで さくらがほっとした時に気付くなりなんなりして、「あの魔道士は?」 と周りを見回すトコでも入れてちゃんと小狼の筋をきちんと終わっておいて欲しい。
それと、小狼が魔道士の想いについて気付く必要はないが、 魔道士消滅のキーとなったことをさくらから聞くことは出来、それについて 小狼が何を思ったかをさくらが知ることができたはず。
ラストの船の中でさくらが思うべきことが、さくらの視点からしか展開してなくて 非常に狭いものになっているのは、知世や小狼の視点がさくらの中に吸収されていないからだ。

桃矢。さくらの日常とのキーとなる人物 ... として描写するつもりなら ラストでさくらに対して「(海に)落ちるぞ」なりなんなりとからかうことで (さくらの周囲が)再び日常へと回帰したことを明示してほしい。 本に吸収されるという、非日常にまきこまれたところで桃矢の筋が切れてしまってる。

雪兎。.... こいつはこいつの役割をきっちりと果たしただけだが .... ここまでしてなおユエは表面化しないのか? ちゃんとそれで「さくら」全体の話の辻褄あってんのか...?

クロウリード。諸悪の根源、さくらを巻き込んだ張本人、なんだったら ちゃんとそれらしく感情描写せんかい。 さくらを支援する分についてはこんなもんだとしても、魔道士について語る分がないのは片手落ち。
ついでにいえば、クロウリードは確かに「死んでいる」がいまもまだ「居る」。 この微妙なところをちゃんと扱えばもすこし鮮やかな話になったはず (クロウの残留思念は他の残留思念と交流すると支えている魔道が崩れるとかどうとか) だが、単に「死んだ」だけをネタにした。そういう風にしたのも まあわからんでもないでもないけど、 さくらがクロウからの支援を受けてんのに魔道士がクロウからの支援もとい話をしては いけないというルールはでてきてなかったはずである。 少なくとも、さくらはクロウが語り掛けて来ていたことに気付いた時に 魔道士とクロウが話をするチャンスを作れなかったことを悔いるべきだった。 なんかもー、ひでー話だ。

以上まとめて。さくら以外の人物の話がちゃんと立っていない。 オーケストラをさくらのソロだけで演奏するようなもんである。 コンサートマスター林原めぐみの腕は確かにとびぬけて凄かった ── これが林原の全力かぁ、フェイん時でさえ抑え気味かい、と思った位凄かったし、 ほとんど一人で物語を支えんと孤軍奮闘してるけど、さすがに それだけで物語は支えきれるもんじゃない。

今回、この一言
「ひとりでどこ行ってたんだっ!」
本筋ぜんぶ押し退けて、本気で心配気な桃矢のセリフの勝ち、
にせざるを得ないのがこの話の線の細さ、というやつである。
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