『カードキャプター さくら』 #22 の感想

(Last updated: Oct. 5, 1999)

粗筋
締め切り前で急がしそうにしている父親に大学まで差し入れをもっていくさくら。 大学にてスリープのカードを発見し、これを封じるもその直後に父親のパソコンを壊してしまう。 必死になってカードで直そうとするが ──
概観
『CC さくら』の難点はその見掛けとは裏腹にコミュニケーション不足によって、 さくらに感情のフィードバックが掛からないことにある。

この話でも さくらが事件を起こしたことに対して 藤隆が優しさで包み込んでしまったところまでは良いとして、 で、 この事件によって藤隆に予定外の負荷がかかったのは(さくらから見て看過しがたい)事実であり、 recovery できなかった次善の策として手伝っても 藤隆の負荷は(さくらから見て)減ってはいるものの なおゼロになった訳ではない。そして、そのことに対するさくらの感情は何も描かれていない。

にもかかわらず、 これが話として耐えられるのは、前半の描写 ──

「これ終わったらやるからね」
「そんなの良いって!」
によって、事件を起こす「前」の時点で(事件との引き替えでなしに) 藤隆の負荷が減っているからだろう。

この話は論理構造を素直にして、

事件発生 → さくらの手伝い、学会無事終了 → なお残った負荷分の引き替えに藤隆の家事をさくらが(自発的に)代わる、
という順に並べることもできる。このストーリーは倒置がかかっているのだ。

そして、倒置したことによって さくらの家事が(事件との引き替えでない)自発的、無償のものになった。 事件を起こした時にその責任として何かする、というだけでなく (この部分においても、さくらは自分の責任から目を背けなかった。後述)、 そういう縛りなしで何かをする(今回はさくらがした訳だけど、もちろん藤隆も 自分の過失がないのに自分の負荷を高めるようにしてさくらの負荷を取り除いている、後述)、 という二重の筋が埋め込まれた。

藤隆の教育方針
さくらの手伝いの申し出を受け入れるべきかどうかにはもちろん異論があるだろう。

作業は大学で学生を使ったほうがまず能率は良かろうから、 ここでさくらの手伝いを受け入れて家で作業するのは大部分は さくらの自己満足のためである。 これを優しさというか、あるいは教育的方針といえるものかどうかは私には分からないし、 正解かどうかも知るすべはない。

ま、断ったらその場の学生に人でなし扱いされることは間違いなかろうけども。

今回、この一言
「いろいろ試したんだよっ、でも直らないの ...」
シャドウでサイレントを封じた時など、やや御都合主義のあったカード使いに もっとも必要なテーゼがやっと上がって来たという感。
それに小狼に電話してタイムのカードで数分巻き戻してもらえば この程度の失策はどうにでもなるのも確かだ。 ついでに、どうみてもハードディスクは壊れてないのでデータを引き上げる位なら その辺の連中に頼めばなんとかなるような気はする。 Powerpoint あるいは Magicpoint のデータが全部死んだということであって 論文締め切りの前日というのでないなら、 presentation の演出は変えねばならないが、本人も言うように致命傷というほどのことはない。

それでもやはりこの一言だろうと思う。

子供らしい安易さでカードを使って(カードを使わなければならない理由は無い) 直そうとしながらも、さくらの思考は負(eg. 逃げよう)に向かわないし、 また、怒られることを心配している訳でもない。

怒られることを心配する必要はないからこそ、さくらの思考は 次のステップの recovery することに向けられた。


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