こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 2001
もうひとりのすごいやつ グラハムのこと
アメリカではつぎつぎと若い力のあるクライマーが育ってきている。あのクリス・シャーマ やキャティ・ブラウンなどの10代クライマーから、ディーン・ポッターやステッフ・デイビス など20代のベテランクライマー(?)まで彼らの活躍はめざましい。最近また、そんな若い実力 派のグループに加わったすごいクライマーがいる。メイン州に住むデイビット・グラハム、18 歳だ。 グラハムはクライミングを始めてたった3年半の間に20余りの5・14と130以上の5・1 3を登ってしまったという。ネバダのマウント・チャールストンでは12日間の滞在で7つの5・ 14をものにした。最近ではコロラドで大活躍して、ロッキーマウンテン国立公園の「ナッシン グ・バット・サンシャイン」V13/14を登り、ライフルの「トムフールリー」5・14bの第2 登を果たした。カリフォルニアのバターミルクにあるクリス・シャーマのプロブレム「マンダ ラ」にも成功した。ホームタウンのニューイングランド地方では、5・13や5・14のスポーツ ルート、2桁グレードのボルダリング課題を数多くこなし、ティーンエイジャークライマーな がら地元クライマーたちに絶大な影響を与え続けている。 全米武者修行の旅 グラハムはアメリカのテレビに出てくる拒食症女優のような細い体躯で、小さいころには パジャマを切ってつくった短パンでクライミングをしていたという。14歳のときに父親に連れ られてジムのメンバーになりクライミングを本格的に始めたというから、他の若い世代のクラ イマーたちとそのきっかけは変わりない。アメリカではクライミングジムがあちこちで普及し 、クライミングを単なるレクリエーションではなくしっかりとしたスポーツとしてとらえる気 風が根づいてきている。ティーンのクライミング人口が広がり、グラハムのような力のある若 いクライマーたちを育て上げているのだ。アスリートが尊敬される社会だから、子どもたちに クライミングをやらせようという熱心な親たちも多い。 エリートティーンエイジクライマーの課題はなんといっても学業との両立だろう。グラハ ムが通う学校の指導教諭も「クライミングをやっても何のためにもならないと思うよ。もっと 学業に専念しなければいけない」と彼に忠告している。 クライミングが徐々に本格派スポーツとして認められようとしてきてはいるものも、まだ 他のスポーツのように奨学金をもらって大学にいけるわけではない。一生懸命がんばっても意 味がないということだろう。グラハムはそんなまわりの心配はまったく気にせず、暇を見つけ ては全米クライミング武者修行の旅に出かけていく。 1年やそこいらで5・9から5・14までいっきに登りつめてしまったグラハムの秘密は、 ティーンの特権ともいえる新陳代謝のものすごさと、骨とスジしかない60kgそこそこの体重に あるのではないかといわれている。朝食にはいくつものドーナツをほおばり、高脂肪、高カロ リーのファーストフードを限りなく食べ続けるという一流アスリートとはかけ離れた食生活で 、トレーニングの類もまったくしない。シャツを脱げば筋肉モリモリというわけではなく、も ちろん脂肪がついているわけでもない。ただのやせっぽちなのだ。 とにかく強い ひ弱に見えるグラハム自身は「自分にはそんなにすごいパワーがあるわけではない」とも 言っている。しかし、クライマーを専門に研究している運動生理学者によれば、グラハムは人 並みはずれた指先の強さをもっているという。クリス・シャーマやトミー・カルドウェルを含 めて調査した500人のうちでもきわめて指の力が強かったのだ。ちなみに、この調査では油 圧式の握力測定器が使われ、握力と体重の比率が計算された。それを裏づけるように、グラハム の登りを見たベテランクライマーたちは口々に「テクニックなんかありゃしないけど、とにか く強いんだ」という。 そして、グラハムの強さの秘密はその力だけではなさそうだ。クライミングへのモチベー ションの高さや集中力がずば抜けている。「だれかすごく難しいルートをかなり気合を入れて 登り始める。でも半分ぐらい登ったところで“テイク!(確保頼む)”なんて叫んだりしてい るのを見ると、なんだコイツなんて思ってしまうんだ。オレなんかなんとか落ちないようにが んばって、テイクなんて言葉は絶対に口にしないね」とグラハムは語る。 グラハムはすでに何十人もレッドポイントに成功した高難度ルートに時間をかけるような ことはしない。どんなルートでもオンサイトやフラッシュですっきりと登れるようになりたい というのがグラハムが今いちばん求めているクライミングのスタイルだ。今後の活躍がますま す楽しみなアメリカの若手クライマーだ。 近々、写真つきのレポートで大々的に紹介できるはずなので楽しみにしていてほしい。 (文=カルロス永岡)初めてのヒマラヤ、初めての6000m峰ランシサ・リー登頂
SPECIAL EXPERIENCE 初めてのヒマラヤ、初めての6000m峰 ランシサ・リー登頂 YUKIKO KANNO 菅野由起子 「ヒマラヤ遠征に行ってみないか?」という、私にとって驚き以外の何物でもない話をい ただいてから、遠征実現までに要した時間はまる一年。永い準備期間中には、トレーニングで の捻挫といった身体の故障にあせったり、どうしたら会社や家族など周囲の理解を得ることが できるだろうかと思い悩んだことも。 出発1カ月前になっても、装備はこれで完璧だろうか? 仕事の引き継ぎは無事に終わる のだろうか? と気は急いても、ヒマラヤに行くという実感がいまいち湧いてこない。遠征に 行くのだとハッキリ自覚したのは、荷造り用のプラパールを買い、えっちらおっちら担いで家 に帰ってきたときだったかもしれない。 さて、家族と山仲間の見送りを受け、ひとまず関空へ。植村直己に習い、預け荷物の超過 料金を少しでも減らそうと暑さでムレる足をプラブーツに突っこんで乗りこむ私に「ナマステ 〜」と笑顔で挨拶してくれるロイヤルネパール航空のスチュワーデスさん。機内の雰囲気は早 くもネパールを感じさせていた。 カトマンズに着いて最終パッキング。日本からの荷物だけでもかなりの量だが、テント、 シュラフに食器やフライパンなどの調理道具一式、登攀用具と食料が加わり、1カ月間にわた る遠征を支える膨大な装備ができ上がった。 お腹が、顔が 10月2日朝6時、カトマンズをバス2台で出発。日本なら「崩壊が激しいため通行禁止」 となっておかしくない道を10時間も走り続け、やっとキャラバンのスタート地点、シャブルベ ンシ(1430m)に到着。この日の夕方ころから、私の腹具合が怪しくなってきた。食事は のどを通らず、薬を飲み早々にシュラフにもぐる。これからキャラバンが始まるというのに。 いっきに不安がつのってきた。 つぎの滞在地ラマ・ホテルまでは、高度差で約1000mの道のり。ネパールの登山の基 本はビスターリ(のんびりと)。ところが下痢と腹痛に耐える私の歩みはビスターリどころか 牛歩。先が思いやられたが、それもしだいに回復へ。その後のキャラバン、アタック中の体調 はすこぶる良好、食欲も旺盛な毎日であった。 ラマ・ホテルからランタン、キャンジン・ゴンパ(3840m)までは順調に進む。当初 キャンジン・ゴンパでは、高度順応のため3泊する予定であったが、祭礼のために足止めを喰 らい、なんと5泊もすることに。しかし、富士山より高所での滞在は高度順応にはよかったよ うで、とくに高度障害といえる症状で苦しむメンバーは出なかった。唯一、私の顔面のむくみ くらいで、まぶたが腫れて顔はパンパン! みんなから笑われさんざんであったが、どんなに 顔が腫れようと、足がむくんで靴に入らなくなるよりはまし。 高度順応で登ったツェルゴリ(4984m)の山頂からは、めざすランシサ・リが見えた 。その右隣には、信仰の山というのがうなずけるほど相貌のいいガンチェンポ(6387m) がそびえていたが、ランシサ・リのほうが格好よく見えたのは欲目というものだろうか? つぎの目的地ランシサ・カルカでは、橋架けに1日余計にかかり、結局予定より3日遅れ のBC(ベースキャンプ)開きとなった。BC(4600m)に入ったころからメンバーの間 にカゼが流行り始めたが、つぎの日からはさっそくC1(キャンプ1)設営に向け荷揚げを開 始した。 C1予定地はガレ場を登りきった標高5500m地点。足場の悪い後半部分にはフィック スロープを張り、それをたどっていったのだが、初めての荷揚げでは息が上がりっぱなし。筋 肉にも異常に疲労がきて、まさにクタクタといった状態。高所では呼吸が大事ということを、 身をもって学習した。 その後の話し合いで、私は第2次アタック隊メンバーと決まった。「さぁて荷揚げ」と気 合を入れ残りの荷物を持ち再びC1へ。ところがなんと、テントがカラスに襲撃され、食料が 表に散乱しているではないか! しかも憎らしいことにテントの上に糞までして。なんてこと だい。 転進、南西峰へ C1上部からはやっと雪が出てきたのでプラブーツにはき替えた。第1次アタック隊がル ート工作をしている間に私たちはC2の設営を行なった。思っていた以上に温暖化は進んでい て、当初予定していたランシサ・リ初登ルートである西壁は、雪が解けてところどころに切れ こみが入ってボロボロ。隣のアイスフォール帯に挑戦するが、こちらも私たちが態勢を整える ためにBCに下りている間に崩壊してしまった。 それにしてもアイスフォールの崩壊音は嫌なものだ。ズズズゥゥンという重低音がだんだ ん大きくなってくると、われわれのテントまで潰されるのではないかと思わずのぞいて見ずに はいられなかった。 アイスフォール帯の崩壊を知った時点で、本峰へのアタックは断念。すぐに隣の南西峰( 6145m)への転進を決めた。登攀隊長の提案で新たにルート工作隊要員を募集。思わず立 候補した私だったが、正直ルート工作どころか、フィックス5本にスノーバー15本を上げるだ けで精一杯だった。ルートは岩と雪のミックス。途中緊張する岩場のトラバースが1カ所、い やらしいナイフリッジが数カ所あった。ルート工作1日目は、6000m付近までフィックス を張り、残りの装備をデポしてC2まで下りた。 翌10月21日、登攀メンバー5人とクライ ミングシェルパでいっきに山頂をめざした。残り100mというところでフィックスが尽き、 最後はみんなで1本のフィックスにつながっての登頂。 山頂は無風快晴、周囲にはぐるっとヒマラヤの嶺々。隣に登るはずだった本峰が見えるの はなんともシャクだったが、やはりすばらしい景色であった。 初めての遠征は、「またヒマラヤに行くゾ!」という気持ちを私におこさせた。RNGとNRGでクライミング三昧 ゴールデンウイークのアメリカ旅行
SPECIAL EXPERIENCE RNGとNRGでクライミング三昧 ゴールデンウイークのアメリカ旅行 SYUICHI KOBAYASHI 小早志秀一 いつのまにか私も勤続10年を越え、会社からリフレッシュ休暇を3日間もらえることにな った。初めてフリークライミングのために海外に出かけたのは入社して2年目、10月のちょっ とした週末の連休を無理やりつなげて2週間弱の休暇を取ってのことだった。今から思えばバ ブルの余韻と勢いのあった自分が懐かしい。今ではこんな大義名分があっても、混雑していて チッケットも最高値を付けるゴールデンウイークに乗じないとなかなか長期の休みを取りにく い。もっとも今回いっしょに行くことになった山村学や松本明も「Tウォールまじめなビジネ スマンクラマー」略して「たまビック」なので、こんな時期でないと日程が合わないのだが。 最初の計画では南フランスのアプトをベースにビュークスやボルクスあたりへ行く計画で あったが、あいにく今年は年末のY2Kで海外旅行を取りやめた人たちがGWに集中し、さら になぜかヨーロッパ方面に人気が集中しているとのことで、1カ月前の予約でもヨーロッパ方 面のチケットを取ることができなかった。そこで、急遽場所をアメリカに変更し、ヨーロッパ に負けないどっかぶりで穴がボコボコあいていて、天気がよくて、涼しくて、メシが美味くて 、衛生テレビでNBAが見られるようなところはないものかと、手当たり次第に知り合いのク ライマーに聞きまくった。そして最初の候補として、話によく聞くライフルやアメリカンフォ ーク等の石灰岩エリアを検討したが、季節的にこの時期は雨が多く、塗れているエリアが多い とのことであった。まあ、それなりに登れるだろうと半ば決定しかけていたところ、久しぶり に訪れたパンプ1で木村伸介&理恵ちゃん夫妻に「この時期アメリカに行くならレッドリバー ゴージュ(RRG)が最高だよ!」っと紹介された。 アメリカで心配なのはクライミングエリアもさることながら、食事の質も私には大きな問 題であったが、キャンプサイトにあるピザ屋が最高に美味しいとのことで、ちょっと萎みかけ ていた私のリーゾートクライミング計画が再び希望の光で輝きだしたのであった。その後の調 査で、このRRGのすぐそばにはニューリバーゴージュ(NRG)というエリアも車で4時間 程度のところにあり、岩質はRRGと同じ砂岩ではあるがRRGとはちょっと違った形状のホ ールドが並びおもしろそうであったので、結局今回の計画はRRGとNRGの二本立てに決定 した。 いきなり13a 最初にわれわれが訪れたのは最低グレードが5・11aで、50本以上あるルートの多くが5 ・12の後半から5・13前半に集中しているRRGのメインエリアであるマザーロウド(母なる 鉱脈)である。ここはちょっとグレードが高すぎるという方にもぜひ一度訪れて、高さ30mの 大オーバーハングを見てもらいたい。それに、多くのルートが距離は長いがハードムーブは少 ないようなので、通常レッドポイントするグレードから2、3グレードぐらい上に取り付いて も途中敗退するような危険は比較的少ないと思う。グレードも小川山や城ガ崎に比べて1グレ ード程度低めに感じた。長いルートが苦手な方はこの限りではないが。 到着早々山村はいきなり「Convicted」5・13aに取り付いた。私と松本は、「Barlierユs 」5・11cや「Stella」5・11dでウォームアップをしたあと、「Convicted」に合流した。写 真で見てのとおりのこの傾斜のルートについて青岩峡の翁山村は「なんかジリジリ登る感じで 、お○なこ○もの岩場だな!」と評したが、私はけっこうムーブもあり、三ツ星ルートであっ たと思う。こんな山村もアメリカのとあるレストランで握力測定のゲームをしたところ、最弱 のジェリーフィッシュ(クラゲ)並みと出たのであるから、アメリカンパワー恐るべしなので ある。 日本の短くて難しいルートに慣れ親しんでいるわれわれはちょっとメインの30mの大オー バーハングルートには気後れしていまい、ようやく7日目の後半に意を決して取り付くことに した。まず、ジェリー山村が大ハングのいちばん左端の「Bohica」5・13bに取り付いた。人間 が取り付くと改めてその長さが際だつ。傾斜が落ちる途中のテラスまででも十分日本の通常ル ートの1ピッチ分はある。そこからさらに20m程度の大ハングが続いている。ジェリー山村も さすがにハングドックしながらのトライであった。そして、遠い終了点から60mロープいっぱ いで降りてきて、おもしろかったかと聞いたところ「このルートは禅を感じるな!」とのこと であった。さらに「こんなにおもしろいなら、もっと早く取り付いておけばよかった」とのこ と。ジェリー山村の目的は修行だったらしい。 つぎに私もいちばん右端の「40 ounces of Justice」5・13aで修行の旅を開始した。こ ちらは出だしが脆く不快であったが、上部は他のルートと同様ひたすら長すぎるハングが待っ ている。傾斜も強くややランナウトしているため、一度落ちると戻るのが大変そうなので、ボ ルトごとにハングドックとなった。何回目かのハングドックの途中で先を見上げると、そこに は延々としたハングだけが続き、日本での修行の足りなさを痛感させられた。そんな私も終了 点に着くころにはいつしか無心の境地に誘われたのであった。長い修行を終えて取付に戻った ときには口が半開きでご馳走様、ゲップ!っという感じであった。 RRGにはマザーロウドの他に十数カ所のエリアがあり、各エリアごとに岩の形状が微妙 に異なり、このエリア一帯だけを長期で登っても飽きずにクライミングを楽しめそうである。 これらのなかからつぎにわれわれは、クライマーの多さからも恐らくいちばんの人気エリアら しいミリタリーウォールを選んで訪れた。マザーロウドが水平方向のホールドが多いのに対し 、このエリアは大小のポケットホールドが多く、ムーブにも変化があって、なおかつルートの 長さも17〜18m程度と日本人には馴染みやすいと思う。グレード的にも、「Mombeam」5・9や 「Sunshine」5・9などの初心者向けの快適な三ツ星フェースルートから、上は「Revival」5 ・13aまで幅広く、だれが行っても楽しめる好エリアだと思う。そのなかでも「Fuzzy Undercl ing」5・11aは上下左右に発達したフレークをわしづかみにして前傾壁を豪快に登る好ルート だった。欠点は蚊が多いことで、虫よけスプレーは必需品。 シーサイドそっくり せっかくの海外クライミングということで、RRGでのクライミングもそこそこにしてわ れわれはRRGから車で4時間ほど離れたところにあるNRGへと向かうことにした。RRG は実際のレッドリバーから離れたところに岩場が点在しているのに対して、NRGはその名の とおりニューリバーに沿った露岩部分がクライミング対象となっている。こちらも岩質は硬い 砂岩で、エリアはニューリバー沿いに13カ所、ニューリバーから20哩ほど離れたサマーズビレ 湖の湖畔に3カ所ほどあり、各エリアごとに50〜150本程度のルートがある一大エリアとな っている。 ここでもわれわれはトポの写真とルート図を頼りに、最もハングが大きそうなエリアを探 した。そしてまず最初にケイモアのザ・ホールというエリアへ向かった。このエリアはキャン プ場のあるパーキングからどことなく城ガ崎と似た雰囲気のある遊歩道をレッドリバーへ向か って下りる途中にあり、到着して見上げた岩の形状も城ガ崎シーサイドのサンセットエリアに そっくりで、ホールドとスケールをひとまわり大きくしたような感じだった。ここでジェリー 山村はいきなりウォームアップなしで最初に取り付いた「Mojo Hand」5・12dを一撃した。私 も最初に隣の「Blood Raid」5・13aを「Skull Fuck」5・12b/cとまちがって取り付いて しまったが、これがなかなか豪快なデットポイント2発を含む好ルートであった。 翌日はニューリバーブリッジ周辺の岩場を偵察しながら観光した。ニューリバーブリッジ はアーチ状の橋のなかでは世界一長い橋とのことで、周辺は観光地となっていて、クライミン グの他にラフティングや釣りも楽しめる。レストの翌日は、とにかくいろんなエリアに行って おこうということで、サマーズビレ湖のコロシアムウォールへ向かった。ここはザ・ホールに 比べてヒールフックやトゥーフックがガッチリ決まるようなバカでかいホールドは少なく、岩 全体がすっきりしている。山村はここで「Apollo Reed」5・13aを2撃した。私は湖際の前傾 壁「Reckless Abandon」5・12b/cをトライした。基本的にボルダリストの松本明はやっと 出会った短いボルト3本のルートD.C.Memorialボルダーの「All the Way Baby」5・12bに取 り付いた。しかし、これとて彼には「核心までのアプローチが遠すぎ!」とのことであった。 山村はこのボルダーの「Pro-Vision」5・13aをトライしたがこちらは惜しくもレッドポイン トを逃してしまった。しかしながら、強い傾斜の壁に掛かりの悪いホールドが並ぶ好エリアで 、全体の高さが10m程度と短いながら、ジェリー山村も「エクセレント!」っと絶賛。初めての高所登山。アイランドピーク(6189m)
SPECIAL EXPERIENCE 中島辰哉 TATSUYA NAKAJIMA 大学4年の春、私たちは一大イベントを計画した。ヒマラヤへのライトエクスペディシ ョンである。 私たちは高所登山が初めてということで、それほど高度な技術を要するわけでもなく 、18座あるトレッキングピークのうち最も人気が高いという点から、アイランドピーク(6 189m)に的を当てた。アイランドピークは、ネパールの人気トレッキングコースの一つ、 エベレスト・クーンブエリアの北西に位置する。北には8000m級のローツェがどっしりと 控えている。周りを氷河に囲まれており、その名の由来の通り、孤立した島のような山容 であるのが印象的だ。私たちはアイランドピークに加えて、アイランドピーク登頂後、時 間的に余裕ができたらの場合を考え、同クーンブエリアにあるメヘラピーク(5849m)登 頂も計画に入れた。 計画立案から出発までの3ヶ月間は、私たちにとっては厳しいものであったが、何とか 準備を済ませて出発することができた。 出発まで ネパールのトレッキングピークを登るには、代理人としてエージェントを指定し、ガ イドを随行することが義務づけられている。エージェントには、カトマンズのコスモトレ ックに、事前にメールにてお願いした。今回の登山に関わるエージェントとの連絡や、航 空券の手配などの諸手続きは、同行の麦谷水郷がほとんどやってくれた。 日本での準備品としては、当初はハイキャンプ設営予定だったので、ハイキャンプで の日本食や嗜好品、α米、それから薬類。登はん具や火器などの装備は現地調達できるも のとの兼ね合いを考慮して用意した。ロープ、ツェルト、乾電池、個人装備なども用意し た。ちなみにEPIガスカートリッジは現地で入手可だ。 そんなこんなで膨れ上がった荷物のおかげで、既に出発前から私たちは、まるでお土 産をたんまり抱えて帰国してきた旅行者のような格好となってしまった。 トレッキング 2/24,カトマンズ着。2/25,コスモトレックで雇ったガイドとともに、ルクラまでセ スナ機で飛ぶ。ルクラでポーターを3人雇い、アイランドピークBCでの食糧を購入。ポ ーターの荷物重量は、普通一人当たり30kgが相場らしいが、今回は50kgもの荷物となった 。一方の私たちはといえば、10kgそこそこ。相当な歩荷であり、かつ高所だというのに彼 らは元気だ。 BCまではトレッキングである。我々一行は、さながら水戸黄門のように毎日ゆっく り村々を渡り歩き、前進していく。特に急な登りでは本当に牛歩のごとく進む。高度順応 のためとはいえ、軽い荷物でゆっくり歩くのはとてもじれったい。ほかにも毎日、宿泊地 に到着した後近くの放牧地や丘へ200〜500mほど登ったり、またナムチェ、ディンボチェ 、チュクンにて2泊して体を慣らした。 そうこうしていくうちに3/6、アイランドピー クBCに到着。3/7、上部を偵察する。雪はかなり上に行かないと無く、そこまでは日本 の夏山を思わせるような感じ。もちろん夏山には程遠く寒いのだが、5800mの高さまで雪 が無いのは意外だった。偵察を終え、アタックではハイキャンプを設営しないことに決め た。ハイキャンプに泊ることによる体力消耗を防ぎ、一気にBCからアタックするのが狙 いだ。 アタック 3/8,星がきれいに瞬く深夜、2時起床。朝からダルバートを食べ、ポーター3人を残し て出発。麦谷は食いすぎのため、かなり苦しそうなのがおかしい。イムジャ・コーラ沿い に山腹を巻くように15分ほど歩き、そこから登高開始する。荒れた草地状の斜面を、大き く逆くの字形にあがる。相変わらずの牛歩ペースだ。逆くの字に上がり切った頃岩帯とな り、HC地に着く。麦谷は腹の中が消化しきれないのか、しきりに「吐きたい吐きたい」 とつぶやく。岩壁の基部一帯がHC地になっている。そこを過ぎてから、岩尾根に挟まれ た顕著な涸れルンゼの右岸を登る。ルンゼをしばらく登ったところで途中から左岸にトラ バースする。ルンゼをトラバースした後は尾根を巻くように右上気味に登り、尾根上のリ ッジに出る。 さらに9時頃リッジの上部に出、雪に覆われた上部が開けた。青く透き通り、永久に溶 けそうにない氷の壁が目の前に見える。先行していた2人パーティーに追いついた。彼ら はHCからのアタックだ。ここでザイル、プラ靴、アイゼンを装着し、コンテで登る。早 朝の食べ過ぎでコンディションがよくなかった麦谷も、今はもう問題ない。天気は快晴だ が、風が冷たい。手足の指先の感覚がなくなりそうだ。雪上に出るとすぐにクレバス帯に なった。所々の裂け目をジグザグに慎重に登り、広い雪田に出る。正面に頂稜の側壁が立 ちはだかる。高さは200m程。記述ではザイルを出した場合もあったようだが、今回は傾 斜がそれほどきつくなく、ノーザイルでも問題なかった。雪はコチコチでしかも一面尖っ ていて登りにくい。日本の3000m級とは違う雪質を実感する。 11時頃、頂稜稜線に出た。360度のパノラマである。ローツェが間近に迫り、アマダブ ラムがずいぶん低くなった気がする。そこからスタカットの準備をして頂上を目指す。し かし、リードで登り始めた麦谷がルート上に走っている大クレバスを見つけ、前進できず 1P目にして登頂を断念せざるを得なくなった。 高山病 写真を撮って下山に移る。ところが、下山では麦谷に異変が起きる。頂稜雪壁を下り 始めたとたん、倦怠感を訴え出したのがその始まりであった。確かに頂稜上では私も非常 に体がだるくボーっとなっていたし、麦谷は登り出す時から腹の不調を訴えていた。高所 においては、ある程度の頭痛や倦怠感は付き物である。しかし、麦谷はひどい頭痛を訴え 始めただけでなく、さらに意識ももうろうとしてきた。それがはた目に見てもよく分かる 。そういう状態であったが、我々はなんとか雪上を下り終え岩稜帯に戻る。ようやくHC 地を過ぎた頃、麦谷は時々倒れ込み始め、自力で下るのは難しくなった。血痰も出た時に は、ヤバイとさえ思った。高山病だ。しかしとにかく下に降りることを先決にして、ガイ ドと二人で麦谷の両肩を支えて午後1時、BCに戻る。 その後麦谷は無事回復したが、3人とも予想以上の疲労のため、メヘラに登る予定は取 りやめ、翌日から下山にかかることに決定。 同行の麦谷は「もう2度とやるもんか」といいつつヨセミテに2度も通っている奴であ るが、今回も同じようなことを言っているので、再チャレンジの機会はまた訪れるかもし れない。 期間:2000年、2/24〜3/15 メンバー:麦谷水郷(23)、中島辰哉(23) http://www.asahi-net.or.jp/~BA8K-ITU
なまら癖ーX隊マッキンリー大滑降
SPECIAL EXPERIENCE 佐々木大輔 DAISUKE SASAKI 僕等なまら癖ーXは 5月31日に札幌を出発し、翌6月1日にはカヒルトナ氷河上のランディングポイン トに降り立った。メンバーはスキーヤーの児玉、佐々木、ボーダーの奈良、コロラド育 ちのリオ、山登り初めての山木と5名。 前半は暑さを避けて夜間行動をとり、C3(33 00m)からは通常どうり昼に行動。しかしここでリオが肺水種にかかり、ランディン グポイントまでソリでおろす。再び登行を続け、3日遅れの10日にB,C入り。しかしこ こから悪天候に捕まり、なかなかハイキャンプに入れない。まあ焦っても仕方ないの で、そんな時間を利用してヘッドウォールをスキー&ボードで滑って遊ぶ。 1週間待たされ、やっとハイキャンプに上がったのが16日。しかしここでも天候には恵まれず、 18日の深夜にアタックを試みるが悪天に捕まり敗退。 翌19日は佐々木・奈良がレス キューガリー(スノーボード日本人初滑降)を滑ってB,Cへ食料&燃料を補給しに行く。 2日後の21日。やっと晴天が訪れアタック。快晴の中スキー&ボードを担いでピーク を目指すが、デナリパスを越えると雲の中に入ってしまい悪天の中苦しみながらも18 時に無事頂上へ。アイゼン・ピッケル初体験の山木も元気に登頂。ピークからは児玉・ 佐々木が日本人3〜4人目のスキー滑降。奈良が日本人初のスノーボード滑降に成 功。ウェザーメーターからH,Cへは標高差約500m、所々蒼氷が顔を出す中を慎重に 滑る。 翌22日は奈良・児玉が再びレスキューガリーを滑降。途中で標高差700mの 大きな雪崩を起すが、大事にはいたらず無事B,Cに滑り降り大喝采を浴びた。 今回はデコボコチームではあったが、チームワーク・山を楽しむことにかけては最高 のメンバーで、悪天候にもメゲズに時間をかけ明るく楽しく過ごしたのが成功の秘密だ ろう。僕等に素晴らしい経験を与えてくれたマッキンリーに感謝で一杯だ。 http://www.asahi-net.or.jp/~BA8K-ITU
CLIMBING誌の「ギンスー」ボルト問題
クライミングには他のスポーツのようにはっきりと規定されたルールがない。基本的には 何をやってもOKだ。けれども、こういう方向でやっていこうという倫理がある。そして、 そういう倫理はいつでも