わたしのパソコン恐怖体験

これは4年前にあるパソコン雑誌に掲載したものです。

なにも知らないドス時代の私の苦闘の記録です。

1*苦しみのハードディスク

 (イントロダクション)

 私のパソコン初体験は友達に「結婚祝だよ」と送られたPC−CLUBでした。友達は趣味と仕事の両刀でパソコンを使う男で、片手にあまるほどのパソコンを持っていたのです。

 タダでもらったPC−286Cはなかなか優秀なマシンでした。そのままでもゲームをやり、お絵かきソフトを使う分にはなんの不満もありません。ワープロを使うとちょっと遅いし面倒だし、苦しい気はしましたが、それはワープロ専用機があるのでたいした問題にはなりませんでした。

 ハードディスクを導入しようと思ったのは、ひとつはパソコン通信をやるのに、通信ソフトにFEPを組込む必要があり、それはフロッピー・ディスクのレベルでは不可能だと思えたからでした。(今はそうではなかったと気がつきましたが)もうひとつは、ワープロ専用機が調子が悪くなってしまったからです。私のワープロは10年もののEPSON・ワードバンクJで、もうとっくに生産中止になり、ブランドそのものも消えてしまったろくでもない奴です。事ここにいたってはHD導入やむなし、私はそう決心しました。

 市内といってもバイクで10分ぐらい走る町外れのパソコンショップで、キャラベル製120メガのHDDを買いました。

 (MS−DOS全システムが必要)

 買ってきたHDDは汎用のものとしてはもっとも安く、SCSIボードもついていて、おまけにファイル管理ソフトもインストール済みでした。私は喜んでHDDを起動し、ワープロやお絵かきソフトを登録しようとしました。ところが、

 「ソフトをインストールするためには、MS−DOSの全システムが必要です

というメッセージが出て、管理ソフト「ソフト・キッカー」は私の命令をいっさい無視したのです。これでは、せっかく買ったHDDがなんの役にも立ちません。

 PC−CLUBをくれた友人はNEC製のMS−DOS・システムディスクをつけてくれていたので、それまで私は「これ一枚あれば世の中のパソコンはみんな使える」ものと信じていました。無知とはおそろしいものです。私はあまりのショックで半日ボーッとしていましたが、しかたなく尻を持上げて近所のパソコンショップでEPSON・DOS3.3を買ってきました。

 (初期化できないハードディスク)

 NECのシステムディスクで起動してしまったHDDは、私のいいかげんな考えでも初期化をやり直さないといけないらしいことが分ります。「ソフトキッカー」が消えてしまうことに多少の不安を感じつつ、買ってきたDOS3.3のマニュアル通り「装置初期化」に取り組みました。「拡張フォーマット」と「256バイト」「装置初期化開始」を選択してリターンキーを押します。ガッチョンガッチョンと不快な音を出しながら初期化が始りますが、5分、10分たっても終了の表示が出ないのです。私は待ちくたびれて部屋を出、お茶をのみつつテレビを見ていました。20分たって戻ってみると初期化メニューが出ていたので、やれやれと思いながら「領域確保」に移ろうとしました。ところが、

 「このハードディスクは初期化されていません

というメッセージが出てそれ以上作業は進まなくなったのです。

 私はギョッとしながらも、もう一度カーソルを「装置初期化」に合せました。3つのウインドウを指定し、初期化が始ります。(心配することはないさ)私は自分に言い聞かせました。(フロッピーを1枚初期化するんだって数分はかかるんだ、その120倍だから何度か作業が必要なんだよ)と。ところが、2度めも3度めも結果は同じです。私は気が狂いそうになりました。HDDもDOSも欠陥品で、こんな努力は無駄である、金も時間もドブにすてたようなもんだ……そういう考えが浮びます。夕方から深夜まで、4〜5時間もその作業を続け、深い徒労感におそわれながら、「もしかして」とHDDのマニュアルを読み返します。すると「初期化」の項目の最後にカッコ付きで小さく、

 (Jシリーズは512バイトフォーマットのみの仕様です。ご注意ください

と書いてありました。キャラベルさん、そういう基本的なことはもっと大きく書いといてください!私の失われた時間をどうしてくれる……ほっとしたのと情けないのとで、私は思わず涙ぐんだのでした。

 (再インストールした「ソフト・キッカー」

 512バイトでめでたく初期化を終わったHDに、こんどは「ソフト・キッカー」をバックアップ・ディスクからインストールすることにしました。しかし、付属のディスクは5インチです。これを3.5インチに落としてもらうためにまたも中古パソコンショップに出かけます。ひまそうな店長は喜んでこの作業を引き受け、1枚500円のバックアップ料を取りました。外づけドライブを買うことを考えれば安いものです。帰ってきてさっそくインストール作業にかかります。これは簡単に終わり、鮮やかなウインドウが起動しました。よしよしと思い、ワープロソフトをMAOIX登録する作業にかかります。画面の指示にしたがい、順次ディスクを入れて行きます。さあ終わった、と思ったとたん、画面に、

 「登録ファイルが開けません。MAOIX登録を中止します

というメッセージが出てきました。「なぜだ?」と思ってファイルマネージャー画面を開くと、データ部分のディレクトリが存在しません。今度は正真正銘の欠陥ディスクだったのです。

 それでもソフト・キッカーのマウス操作は魅力なので、もう一度ファイルエディイター登録を使ってみることにしました。「インストール済みの」アプリを登録する方法だと書いてあるので、首を一回ひねってHDDを再度初期化しました。それからワープロソフト、「ソフト・キッカー」の順にインストールします。セレクタ位置を決め、ファイルエディタ画面を出し、首を三回ぐらいひねってからワープロの起動バッチを書込みます。初期画面に戻り、どきどきしながらセレクタをクリックしました。見覚えのあるオープニングが出てきました。起動成功です。「やった!よかった……」と感動しながらメニュー画面をながめていると、どこかヘンです。そう、マウスのカーソルがない。どこに行ったんだかなあ、と思いながらテン・キーで「文書作成」を選びます。編集画面があらわれましたが、これもどこかヘン。最下段のファンクションキー表示はありますが、二段目の入力モード表示がないのです。キーを打ってみても半角文字しか出てきません。私はアゴをはずしました。

 マニュアルをなめるように読み直し、あちこちの解説書をひっくりかえし、どうやらこれは「FEPが登録されていない」状態であることがおぼろげながら分りました。でも当時の私はCONFIG.SYSを書き直す、などという芸当はおもいつきもせず、泣く泣くHDを再初期化したのです。

2*三日で壊れたPC486SE2

 (イントロダクション)

HDで私のパソコン生活は快適になりました。ワープロは早いしペイント・ソフトもリセットなしに使える。起動に時間がかかるのと音がうるさいのと100メガ以上も残っている空き容量には少々不満でしたが、そんなことはどうってことはないのです。HDDが自分の机の上に乗っているのはどえらくカッコいいように思っていたのです。

巷ではパソコンの低価格化競争が進んでおり、PC−CLUBなどはほとんどクズどうぜんで、そのうち車のように金を払って引き取って貰うようになるとのうわさでした。(これはもう現実化している)でも、私にはなんの動揺もなかったのです。新型機を導入するのはウインドウズVer.4からでいい、DOSのあいだはこいつでやっていこうという固い決意があったからです。

 その決意を揺らがせのは、PC−CLUBの不調です。キーの反応がだんだん鈍くなり、ついにはCAPSキーが反応しなくなったのです。英文だけとはいえ、小文字しか使えないのは寂しいものがあります。友人に相談しても、ゴミでもたまってるんだろう、というだけです。ツメを二・三本折りながらカバーを開けて掃除機でホコリを取ったりしましたがそれでも直りません。私はあっさり降参し、新型機導入にふみきることにしました。それがなぜPC−486SE2だったのか、説明する必要もないでしょうが、あえて言えば98フェローは音源がついてなかったからでしょうね。

 (「セットアップ・キューピッド」よ、お前もか!

 秋葉原のあやしげな安売り店からえっちらおっちらダンボール箱を運びました。SE2を取り出し、狭いうちには邪魔になるからとダンボールは捨ててしまいます。それから手際よく30分もかかって配線を終えました。

 SE2には「セットアップ・キューピット」(SQ)というソフト管理メニューがついています。ついているものは使わなければソンのような気がしたので、またまたHDDを初期化し、インストールしました。ソフト・キッカーによく似た画面が出てきました。でも、マウス対応じゃないぶんこっちのほうがせこいです。それはあきらめるとしてワープロソフトを登録します。メニューから「アプリケーション登録」を選び、「自動インストール」を指定します。松のディスクを入れ、リターンキーを押すと、

 「登録するアプリケーションは、松Ver.5です」

と自動的に判別するところはなかなかおりこうさんです。それから画面の指示にしたがって順次5枚のディスクを入れて行きます。登録が終わると、うれしいことにセレクタにワープロソフトが書込まれています。私は御機嫌でそのセレクタを押しました。松のロゴが出てメニューが表示されます。順調だったのはそこまでで、私の背中に冷たいものが走りました。メニューに、マウスポインタがありません。あわてて「文書作成」画面を開くと、またまた入力モード表示がないのです。

「ななな、なんだこりゃ〜」

私は叫びました。SQもSKと同じく、FEPを認識していないのです。なにがキューピットだ、なにが自動インストールだ、この役たたずめ〜と、私は怒りました。でも一人でパソコンを怒鳴りつけてるところは、よそから見るとバカを通り越して危ないものがあります。

ソフト・キッカーの時と違い、その時の私はCONFIG.SYSについて多少の知識が入っていました。DOSのメニューから「ファイルの編集」を選び、SQのCONFIGを呼出してDEVICEに松茸を書込みます。リセットしてSQを起動し、松のセレクタを押すと……やっぱり元のままです。理屈は分りませんが、私の力では局面を打開することは不可能のようです。へそのあたりから空気がぬけたように、敗北感がおそいました。私はもう怒ることも忘れてただ黙々とHDDをフォーマットしました。

 (COMMAND.COMが違います

初日はSQとの格闘で過ぎてしまい、他のソフトを使うヒマがありませんでした。ただ、毎晩楽しみにしていたノーマル麻雀ソフトが使えなくなっているのが哀しかった程度です。二日目、HDDの中のソフトは正常に動きましたが、ディスクのゲームや実用ソフトが起動しなくなりました。最初は

COMMAND.COMが違います

というメッセージが出て、それでも動いていたのですが、やがて

ソフトウェア・インストレーション・プログラムを使ってください

というメッセージになって停まってしまいました。私はNECのDOSとEPSON・DOSをまぜこぜに使っているのが悪いのかと思い、全部のディスクをEPSON・DOSでシステム化しなおしました。問題はそれで解決したように見えました。

三日目、HDDを起動すると、いきなり

「COMMAND.COMが違います」

のメッセージが出てきました。一応ワープロは動きましたが、不気味です。ためしにゲームディスクを入れてリセットしてみると、

NO SYSTEM

の表示が出たっきりです。フリーソフトのディスクも市販ソフトのディスクも、まったく認識してくれません。かろうじて、HDDを起動してプロンプトを変更し、そこからFDを使ってEXEコマンドで立ち上げることが出来るだけです。当然FDでファイルを開けない市販ソフトは動かす術がありません。「こわれた!」私の頭の中はのたうつ白いワニの大群に占拠されてしまいました。

 あわててゴミ捨て場に走りました。おととい捨てたダンボール箱が残っていれば返品なり交換なりが出来るはずです。ところが柏市の清掃局は二日も前のゴミを残しておくほど怠慢ではなく、箱は陰も形もありません。私は頭を抱えました。

 (さあ、いつになりますかねえ

返品が出来ないのなら修理するしかありません。エプソンの千葉支社に電話して故障の状況を話すと、

そういうケースは聞いたことがありませんねえ

と言われました。「修理してほしいんですけど……」と言うと、

 「調布にサービスセンターがありますから、そっちに宅急便で送ってください」

と言うのです。「宅急便」と聞いて、私は頭を16回くらいひねりました。それでもこのまま放っておくわけにはいきません。近くのコンビニから野菜のダンボール箱をもらってきて、たまたまあった発泡スチロールの箱を分解して内側にはり、SE2を詰込みます。そして宅急便の受付けへ持って行ったのですが、中がパソコンだと聞くと

ダメだ」

と言うのです。高価なもの、精密機械などリスクの高いものは受け付けない規則だそうです。

 「高価なものといったって今どきのパソコンは安い、精密機械といったって壊れてるのを修理に出すんだ」

 私は必死に反論しました。すると受け付けの兄ちゃんはしきりに電話をかけ出します。3本くらいあちこちに問い合せてから、やっとOKが出ました。

 送料は自己負担ということで、秋葉原を足を棒にして歩き、ねばり倒してまけさせ、配達料を節約するために抱えて帰った、その努力が無になりました。それでもすべてがパーになるよりはましですからね……。

SE2を旅に出してから二週間たちました。そろそろ結果が出たかと思ってサービスセンターに電話してみました。係員は

「ああ、あのSEですね」

と答えました。原因はまだ調査中、たぶん基盤の故障、パーツさえあれば取り替えるが、とのことです。とにかく忙しく、部品も不足気味なので修理完了は、

 「さあ、いつになりますかねえ……

なのだそうです。私はなるべく早くお願いします、と言って電話を切りました。

 ところが、またしてもなんの音沙汰もなく二週間が過ぎてしまったのです。計1ケ月。さすがの私も待ちくたびれました。妻などは「とんでもない!」とプリプリ怒るのです。私は妻がおっかないので、再度サービスセンターに電話を入れ、係を呼びます。「いったいどうなってるんだ」「これ以上待っていられない」「まだかかると言うのなら代わりのパソコンをよこせ」と、私としてはかなり厳しく要求したのです。すると係の兄ちゃん(若い声だった)は「今日中に調べて返事します」と言ったのです。怒られてから真剣になるんじゃ遅いと思うけど……。

 実際にその日の夕方電話が入り、部品をみつけて修理を終え、さっき発送したとのこと。出来るんならさっさとやればいいのに……と思うのは外部の人間のあさはかさなのでしょうか。ともかく二日後にSE2は帰還し、私の長いトラブル地獄は終わったのです。

さて、私はこれらのトラブルによって多くの事を学びました。

  1. オマケのメニューソフトは使わない方がいい……負け惜しみではなく、CONFIGやAUTOEXEC.BATを勉強するにはああいうものは邪魔になります。
  2. マニュアルは小さい字で書かれた部分ほど大切だと言うこと……大きく書かれていることなんか常識だったりしますからね。
  3. 安さに目がくらんで新機種に飛びついてはいけない……初期トラブルというのはどの機種にも起こります。できればマイナーチェンジが済んだ頃買う方が安心です。
  4. サービスセンターは甘やかさないこと……だって、サービスしないのにサービスセンターなんて名乗る方がおかしいですよ。等々です。

こうした教訓をこれからの人生に活かせれば、流した涙はけっしてムダにはならないでしょう。

ならないと思う。

ならないんじゃないかな……。ま、ちょとムダなような気もするが、いいじゃないですかそんなことは。あとで笑い話になるんだから……。

(「パソコン倶楽部」94年7月号掲載)

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