甲府南ライブ 2006/10
     
10月28日(土)
数年前から「やろうよ」ということになっていたのに、いろんな事情で出来ないでいたライブが、突然に近く実現した。
山梨在住のTの企画だ。それなりに気合を入れて準備した。
ライブ当日になった。6時に起床。昆布茶を一杯飲んで6:30に出発。
車には前夜、三本のギター二台のアンプ・譜面台・小道具を入れた袋が搭載してある。
天気は少し曇り、気温は肌寒い程度。6号を登り、16号を北上し、7時には常磐道に乗った。
早朝の割りには車が多く、前後に車を従えて外環へ。
ここでたちまちのろのろ運転になった。
その後も何度も渋滞し、結局外環を出たのは8時だった。

大泉インターを降りて、比丘尼交差点を右折し富士街道に向かう。途中、東映通りに入ってしまい、大泉学園駅を迂回するルートになった。しかしこちらの方が道は広い。
石神井中学前で富士街道に入り、南下。
やがて昔の通勤ルートだった新青梅街道に出た。すぐに田無。北原交差点を曲がってひばりが丘駅前をめざす。
ジョナサン前の駐車スペースに車を停め、店に入ったのは約束通りの8:30ちょうどくらいだった。
予定よりは30分ほど遅れたわけである。外環の混雑は予定外だった。

     
 
     
  カガミユウナ氏は店の一番奥にいてコーヒーを飲んでいた。
簡単な挨拶をして、私はモーニングセットを頼んだが、これがかなりのボリュームだった。
トースト二枚、スクランブルエッグ、サラダ、ソーセージ。味もよい。
朝食抜きで来てよかった。

ユウナのハードケース入りのギターを後ろに積み、ルートの確認をする。私は16号を回るコースを希望したがユウナはかなり楽観的で、「調布からでもそんなに混まないでしょう」と言う。
私はそれにはかなり疑問だったが、間を取って小金井街道経由で府中インターへ向かう。
途中までは快適だったが、小金井街道はJR線手前で工事中通行止めになっていた。
そこから方向感覚が狂い、しばらくどこを走っているのかわからない状態になってしまった。
あらためて地図を確認し、やっと国分寺街道に出て南下、大国魂神社まで行って20号に入ることが出来た。

     
 
     
  しかしそこからがまた大変。国立府中インターを入った途端に大渋滞。
「こんなに混んでるとは思わなかった」というユウナのぼやきを聞きながらも、
「表示だと15キロ渋滞だ、そのくらいならすぐだよ」と言って果敢に渋滞の中へ飛び込む。
八王子料金所までところどころで早く流れる程度で約1時間。
私は、「16号だと遠回りだし、同じくらいかかったよ」と強がりを言う。
その後も小仏トンネルくらいまでは混雑するがそれからは快調。
談合坂SAで休憩、電話を入れて再発進。

甲府南インターで降りて、笛吹川沿いに南下する(笛吹ラインというらしい)。「道の駅とよとみ」の手前の豊積橋を渡ったところがTの住居だ。
この行程は上の地図をご覧あれ。
     
  元・田富町、現・中央市に到着したのは13:00近かった。
頭が大きく足の短い犬がさかんに鳴いてじゃれてくる。名前はサスケ。
ジョニー・Tは「2時になるとふんでたから、意外に早かった」と言う。
疲れていたけど、今日のライブ会場の下見に出かける。
  「BOSS」という店で、なかなかいい雰囲気である。
楽器を降ろし、チューニングなどする。
PAが用意されているが、使い方が分からない。あとから若いものが来てセッティングする。しかしボーカルマイクの音量が上がらない。
「音量が上がらないと表現の幅が縮まるけど、それは程度問題だ」とユウナ。しかし余裕はあったほうがやりやすいのは確かだ。
ユウナはしっかり数曲を演奏し、私は少しだけ音出ししてからジョニー家に戻る。
 

手前から、T、私、ユウナ
  ★これが店長。いかにも「昔悪かった」んだろうな?と思わせるバリバリの雰囲気。  
   
 
   
  時間までとりあえず「温泉に行こう」ということになる。
三人でカローラを使うがハンドルは「オレもう運転に飽きた」とジョニーに譲る。
彼は「こんな長い車はひさしぶりだなあ」と言いながらエンジンを始動した。そしてハンドルを回して「こりゃ楽だ」と言った。パワステも久しぶりらしい。
ジョニーの車はリヤウィンドにユニオンジャックのステッカーを貼ったモーリス・ミニで、
始動の時には猛烈な音をたてる。かなりのジャジャ馬らしい。
笛吹川を渡り、桜峠方面の農道を登り、「みはらしの丘 みたまの湯」に向かう。
   
  山を切り開いた場所で、木や草がない。外観はどこにもある木造平屋のスパ・リゾートスタイル。カウンターで入浴料を払い、脱衣場のロッカーに衣服を置いて入る。
源泉、低温浴槽、中温浴槽、サウナ、露天風呂という構成で、湯は関東特有のウーロン茶色だ。
 
みはらしの丘というだけあって、甲府盆地を見下ろす露天風呂からの眺めはなかなか。
しかしそれよりも暮れかかる空の広さが気持ちいい。
私とジョニーは太って横にふくれているがユウナは贅肉のないアスリートの体つき。
それでも「このごろトレーニングしてないから筋肉が落ちた」と言う。
  湯から上がり、温泉付属食堂の畳テーブルについて昼食にする。私とユウナはザル蕎麦を食べ、ジョニーはビールを頼む。ついでだからと三人とも地ビールを堪能する。
ジョニー宅に戻って、サスケを連れてスーパーへ酒と食料の買出しに行く。テレビのニュースなど見ながら時間を待つ。
6時近くなってからタクシーで再度BOSSに。
  入ってみると満杯の客。結婚式の二次会だそうで、ライブとは無関係の人々である。
その中で果敢に音出しをする。私はピックで弾ける三曲を歌ったが、ユウナはタイミングをはかっていて解散時間になってしまい、ついに唄えなかった。
  「ブルースは邪魔にならないから羨ましいよ」とユウナ愚痴る。
しかし舞台の前にいたオッサンは私に
「『失恋レストラン』をやってくれ」
と言ったのだった。しかたなくサワリを歌ったのだが、それを話すとみんな爆笑した。
     
 
 
★ウオーミングアップ中の私
★急遽作ってくれたディスプレイ。店長はデザイン系か?
     
  結婚式二次会はますます盛り上がり、だんだん不安になる。
やがてジョニーの友人という中年男性がやってくる。彼は学生時代にダイナミックプロに来たことがあって、私にも会った事があるのではないか、という。いくらなんでもそんな昔のことは覚えていない。ちょっと沢野ヒトシさんを思い出させるヌーボーとした大男である。
彼の
「夜中に酔っ払ってジョニーのアパートに来て寝ている男を『おきろー』とたたき起こしたら知らない青年で、お互いにびっくりした、ジョニーはもう引っ越した後だった」
という話が面白かった。
  8:30になるとさすがの盛り上がりも一段落し、結婚式二次会が終了。
私は目の前にあったカラオケ用のマイクをヤマハ・コードレスアンプにつないで音出ししてみた。そうするとかなりしっかりした音が出て、ユウナも喜んだ。
そうして音出ししていると、本日のギャラリーたちがぼつぼつと来訪してきた。
  近所の若い者の集まりである。
本当は「無尽」の集まりなのだそうだが、「ライブをやる」という話は通してあるそうなので、とにかく観客である。
すごくお洒落な青年たちだ。スカジャンを可愛くしたような素敵なジャンバーを着て、みんな帽子を被っている。店長が別の場所で経営しているハーレークラブのライダーたちらしい。
  そういうことで、私のライブの一曲目は『ビッグ・バイク・ブルース』にした。
これはかなりうけて、いきなりライダーたちの仲間意識をくすぐったらしく、以後の曲にみんな暖かい拍手をくれるようになった。
予定していた曲順は変わってしまい、かなりゴチャゴチャになったがそれも仕方がない。
Z2(カワサキの伝説的バイク)からカタナ(ハンス・ムートデザインのスズキの未来的デザインのバイク)に乗り継いだジョニーが「オレも大好きな歌なんだ」と言っていた。
  オープンGのモーリスからオープンDの改造エレキ、ノーマルのトーカイとギターを取り替えながら演奏。ノーマルでやった『ローリン・ストーン』『フーチークーチー・マン』それに『16トン』がこういう舞台では歌いやすかった。
  指弾きのブギーは指が動かなくなっていて辛かった。
最後に『俺と悪魔のブルース』で締めたが、あとで『コカイン』をやらなかったことに気が付いた。
ノーマルでやるかオープンDでやるか迷っていたのが悪かった。
  終わってカウンターに戻ると9:30ぴったり。ビールで喉を潤す。
ユウナのステージが始まる前に「沢野」氏の息子とバンドメンバーがやってきた。昼間にPAを調整した青年たちである。ギャラリーが増え、ほぼ満席になった。
  ユウナが演奏を始める。相変わらずの迫力だが、以前聞いた時に比べると柔らかくなっていて聞きやすい。こちらに聞かせようとする気持ちが伝わり、歌に説得力が増している。
彼も進歩しているんだなあ、と感心する。
  特に
「Tさんはここのマスターに俺のことを説明して
『永ちゃんと長渕を足して二で割ったようなやつ』
と言ったそうで」
と前置きし、『ウィスキー・コーク』と『とんぼ』のメドレーをやった時は大うけだった。
終わってユウナは、
「ギターの音がよく響いたし、歌もよく聞こえた、こんなアンプは初めてだ」
と、私の二台のアンプをしきりにほめていた。
     
 
10:30過ぎにライブ終了。
しばらくは雑談タイムになる。ビールやバーボンをけっこう飲む。
11時頃、客が帰り始め、われわれも店を出る。タクシーでT宅へ帰還。

BOSSへ行く前に買い置きしておいた食料と酒で宴会を始める。
ドラマーでボクサーだったユウナが歌い始めたきっかけは、「柳田」というブルースマンらしい。面白い人だったようだが若くして亡くなったそうだ。

Tは私とユウナに、
「歌えるって羨ましい、話にしたってうまい、やっぱり場慣れしているからかなあ」
と言う。
私とユウナは、「バカ言うな」と笑い、
「歌うということは恥をかくことだ。誰だって最初からうまく歌えるわけがない。恥をかいてだんだん慣れるんだよ、悔しかったらおまえも歌え」
とさかんにTを責めたてた。
Tは「いやあ〜」と照れているだけだった。

私は1時頃までつきあっていたが、意識がもうろうとなり、
「寝たほうがいいよ」と言われて廊下をはさんだ隣の部屋の布団にもぐりこんだ。座敷からはユウナの大声が聞こえてくるので「これじゃ眠れないかも」と思ったが、次の瞬間には爆睡していた。

 
     
  10月29日(
翌朝は一人で10時頃に起きた。上天気だ。
朝刊をゆっくり読んでいるとユウナが起きてきた。
11時頃、携帯電話でTを起こす。
車二台で県道に出て、一度引き返して「道の駅」に入る。
そこで彼らはウドン、私は焼肉定食を食べた。

道の駅の野菜売り場を眺めたあと、
「じゃあまた、春にでも」と言ってTと別れる。
私とユウナはカローラで藤野へ。
1時ころに兄の家で土鈴を受け取り、そこから運転をユウナに代わる。
高速を調布で降りて北上、ひばりが丘へ。
2時ころ、ひばりが丘駅前でユウナと別れ、私は外環へ。

富士街道が谷原手前でつっかえてしまったので、石神井中学校前まで引き返して比丘尼交差点へ。そこから外環に乗れてあとはスムーズに帰宅できた。
それでももう日が傾いて夕暮れが迫っていた。(おわり)

 
     
 
     
  ★今回と関係ないけど、忘れていて先日もらった03年3月の藤野駅前「シーゲル堂」ライブの写真。ハープは写真家のガクさん、スライドは兄。見えない位置にベースのTさん、ボンゴのオキョウさんがいる。ガラス戸一枚なので寒く、上着を着たままなのが街頭ライブみたいでリアル。
     
 
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