五色沼会津旅行記

 鶴ケ城

8月9日、かみさんの田舎へお盆帰省に合わせて、裏磐梯五色沼を巡り、ついでに会津若松を尋ねました。

出発は遅目の10時。空は荒れ模様で、時々小雨が降ります。しかし時折のぞく太陽は強烈に暑いのです。

 利根川大橋でいきなりの大渋滞につかまりました。橋の照明を修理しているようです。利根川を越えるのに30分もかかってしまいました。少し走ると、今度は牛久で工事渋滞です。ここでまた30分かかりました。もうすでに11時です。表示を見ると、この日は6号線はずっと照明の工事をしているのでした。予定では昼までに水戸に着くはずでしたので、6号を行く計画を変更して土浦北インターから高速に乗ることにしました。

常磐高速はけっこう流れていて、午後1時にいわき中央インターに着きました。ここで降りて食事にしました。

 インターを降りるとすぐ「トンカツみのる」という店があります。探しまわるのも面倒なのでここに入りました。店の周囲に珍しい花がいっぱい飾ってあるところが高得点です。食べたのはロースカツ定食海老天ぷら定食で、どちらもまあまあの味でした。

「みのる」店頭の花

食事を終え、国道49号猪苗代湖に向かいます。この道は淡々とした山道で、さしたる見物もなければ渋滞もなく、郡山まで順調に流れました。しかし、郡山の手前数キロの地点で激しい雷雨になりました。雷鳴は天地を轟かせ、車の中にいても鼓膜が破れそうです。ワイパーを最速にしても前が見えません。

しかもかみさんがエアコンの電源まで切っていたので、フロントガラスの曇りを消そうとしても出来ません。うろたえて左に寄ろうとしたら、縁石に乗り上げそうになりました。しばらくコンビニの駐車場で雨の弱まるのを待ちました。

10分ほどすると雨も小降りになったようなので、再出発しました。須賀川近くの小さな町では、道路が冠水して商店街が水浸しになっていました。

 郡山市内で若干の渋滞のあと、猪苗代湖への山道は順調でした。しかし雨はその後も降り続け、安達太良山の山容は見ることが出来ませんでした。中山峠を越えるとすぐに猪苗代湖の湖面が見えました。こちらはなかなかの景色でした。

115号のバイパス沿いのコンビニでお茶を買って一休み。かみさんは酒屋で地酒の「猪苗代湖」を買って来ました。そこから五色沼はほんの一息で、宿の「裏磐梯国民宿舎」への入り口を思わず通りすぎるところでした。

 五色沼入り口から少し入り、宿に着きました。午後5時半過ぎていました。宿は大き目の山小屋という感じで、内外ともにお洒落なところはまったくありません。部屋はバス・トイレも洗面所すらもなく、寝るだけの狭い6畳間でした。窓の正面に磐梯山がそびえ、この景色だけが豪華でしたが、おしくも厚い雲が山頂を隠していました。

 磐梯山

まずは浴衣に着替え、風呂に入ります。期待していた温泉ではなかったのですが、他に客がいなかったので貸切状態でのんびり入りました。窓から入ってくる風が涼しく、湯上りでぼーっとしているといい気分でした。

 食事は食堂で、10個ほどのテーブルはほぼ満席です。メニューは刺身に天ぷらに茶碗蒸しと何の変哲もない夕食です。それでもビールを一本つけて周囲の雑談を聞きながら食べれば、それも旅の味わいというものです。

 8時頃にはもう寝酒の宴会にしました。クーラーボックスに入れてきた発泡酒が二本、それに「猪苗代湖」の4合瓶だけでは足りず、自販機のビールも数本飲み、それでようやく眠りにつきました。

翌10日、午前6時ごろに目覚めて朝風呂に入ります。7時から食事ですが、かみさんがなかなか戻ってきません。食堂に入ったのが7時50分頃。他の客はもう誰もいませんでした。

「子ども連れのお客さんがが多いから、みなさん早かったですねえ」

「ゆっくり食べてください」と宿のおかみさんに言われても、片付けが進んでいるのを横目に見ながらではあまりゆっくり出来ません。オカズはハムがふた切れに、卵に海苔だけという貧しい朝食でしたが、茶碗があまりに小さいので私はおかわりしました。せめてアジの開きくらい付けて欲しい……安い(ここの一泊一名6800円は高いほう)国民宿舎でも頑張ってるところはいっぱいあるんだから。

赤十字の碑

毘沙門沼

 次の赤沼は鉄分が多くて酸化鉄の赤色が岸辺を染めています。真中ほどの深泥(みどろ)沼に来ると、私は疲れてしまいました。水辺の雑木林の中は涼しいのですが、高低差のある道を歩いていると汗が背中を流れます。

「もう帰ろうよ」と私が言っても、山女のかみさんは「もう少し行こうよ」と承知しません。さらに弁天沼ルリ沼まで行きましたが、そのころになると疲れた顔の観光客が増えました。けっこう荒れた道なのに、背広に革靴の叔父さんたちがいました。写真学校の生徒たちらしいカメラと三脚を抱えた若い男女の一団とすれ違いましたが、半分眠っているような顔ばかりでした。たぶん、夕べは大宴会で寝てないのでしょうね。

「眠そうだね」と声をかけると、みんな苦笑いしていました。

 

 弁天沼はかみさんが一番気に入った沼の色で、明るいコバルトブルーが銀色に変わるグラデーションが見事でした。遊歩道の8割ほどを歩いたところで引き返し、毘沙門沼で中年のアベックと写真を撮り合い、売店でミネラルウォーターを買って水分を補給しました。

 弁天沼

 夏のキャンプには絶好の場所だと思いました。出来れば数日の日程を組んで湖のそれぞれをじっくり楽しみたいところです。

毘沙門沼のボート乗り場で

一休みすると時間はもう11時近く。夕方までに長岡へ着かなければならないことを考えると、あまり時間はありません。会津へ向かいます。

 115号を戻って戸ノ口古戦場などを見ながらというコースもありますが、戻るというのがシャクです。磐梯山ゴールドラインは早いけど、20キロ足らずで730円も取るのでパスです。残る選択肢は喜多方市を抜けるコースだけ。小野川湖から桧原湖の湖畔を走り、ひばらビューラインを駆け下ります。下りまた下り、どんどん落ちて行くと、下界の暑さが身にしみます。

喜多方は熱い田園地帯、緑の稲穂が一面に広がります。121号をひたすら南下、国道49号を横切り、さらに南下して会津若松駅前を通りすぎます。こじんまりした条里制の町並み、駅前通りだというのに狭く、江戸時代の面影が仄見えます。標識にそって何度か方向を変え、鶴ケ城城内に入りました。

 ここは珍しく城内に大きな無料駐車場を備えています。天守以外は見て廻るだけならタダです。ここを拠点にレンタサイクルで市内観光というのも出来るわけです。今回は時間がないのでやりませんが。

車を停めた時点で午後1時近く。かみさんが「腹すいて倒れそう」だと言います。見栄はって朝食でおかわりしなかったせいでしょう。昼食ならヒエキ蕎麦喜多方ラーメンにしたいところですが、かみさんが餓死する前にということで、城内の軽食レストランに入りました。そこで山菜ピラフ海老ピラフ、おまけに焼き蕎麦を食べました。それぞれの量は思ったとおり少なかったのです。かみさんは緊急措置としてアイスクリームも食べました。

櫓あとから外堀を眺める

 

 会津と列藩同盟の戦い方は、どうも太平洋戦争の日本軍と共通する、非合理的な思考と行動が目立つ気がします。自滅的な戦いだからこそ、理性的であるべきなのですが。

しばし感慨にふけった後、地図を見ながら近くの観光スポットを探します。城から1キロほどのところに「竹久夢二資料館」という文字を見つけたので歩いていこうとしました。ところが会津市内の暑さは格別で、しばらく歩いたら頭がくらくらしてしまいました。やむを得ず駐車場に引き返し、車で行きました。ところが近くに来てもそれらしい看板が見当たりません。居酒屋のようなノレンの店があるだけです。コンビニに車を停めてその「長尾酒店」に入ってみました。そこは日本酒の専門店で、酒蔵庫はガンガン冷房をきかせています。店の親父さんはかみさんに利き酒を勧め、かみさんは片端から飲みました。親父さんは日本酒が温度よりも光に弱いことなどを教えてくれ、「夏子の酒」についてなど話がはずみました。結局、夢二はどうでもよくなり、長尾酒店が「心中する」という河野合名酒造の酒「春高楼」純米を買い、店を出ました。

 利き酒

道を戻って今度は県立博物館に入りました。本当は戊辰戦争の資料を集めた所の方がよかったのですが、これはこれで見ておきたかったのです。シックな平屋の建物で、部屋ごとに案内嬢がいます。しかし客は少なく、展示物はごく一般的なものが多かったです。戊辰戦争に関するコーナーはほんの一角で、松平容保(かたもり)の肖像写真と白虎隊の絵物語があるだけでした。福島県の商業・農漁業や磐梯山の噴火について勉強してしまいました。

時間は3時を回ったので、心残りながら会津を離れることにします。本当は県道で山越えしたかったのですが、それだと長岡まで3時間では着かないかもしれません。仕方なく磐越道に乗ります。磐越道は上下ニ車線しかない悲しい自動車道です。亀ドライバーがいても負い越しさえ出来ません。所々にある追い越しコーナーを使ってかろうじて100キロを維持します。北陸道から関越に入り、長岡に着いたのは5時少し過ぎでした。

余談ですが、長岡に来て「荷物がない」とかみさんが騒ぎます。私が車に積むのを忘れた、と言うのです。でも、宿を出るときに私は三つ、かみさんは二つの荷物を持っていて、私の三つの荷物は確実に積みこんだのです。そう言って記憶をたどると、かみさんは会計を済ましている間にその紙袋を宿の冷蔵庫の上に乗せたのを思い出しました。そこで宿に電話すると、確かにその荷物は預かっているということでした。着払いの宅急便で長岡へ送ってもらうように頼み、翌日無事に荷物は届きました。忘れ物大王のかみさんの記録がまた一つ出来たわけです。

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