2001年前半日記
◆今年はけっこう雪が降ります。10センチ以上の積雪は二度ありました。近所の子どもたちは、みんなで集まってかまくらを作っていました。
 
 
 
◆二月、連休の中日(紀元節ね)に犬吠埼温泉に行きました。途中で『大原幽学記念館』に立ち寄りました。写真は幽学の住んでいた家。
 
 
 
 
◆2月15日、母艦が壊れました。いろいろいじってみましたが、復活しないので、やむをえずマザーボードとCPUを買ってきてグレードアップしました。顛末は「トホホなアップグレード」をご覧ください。
 
◆三月、虚無僧の取材をしていて、松戸小金の「一月寺(いちげつじ)」を尋ねました。ここはまったく別の寺に変わっていました。
 
 
 
 
◆アップグレードしたものの、マザーボードとCPUが壊れていないということがわかったので、これで二号機を作ることにしました。札幌から「ほしい」という注文がありました。
しかし、この二号機はかなりジャンク度が高かったので、札幌でもいろいろとトラブルを起こしました。申し訳ないこってした。
 
◆リビングの雨戸の裏があまりに殺風景だというので、壁画を描きました。アイルランドのアラン島の風景ですが、ペンキではかなり表現が制約されます。それでも半日かけて描きました。
 
 
 
 
◆はめ込みましたら、けっこう雰囲気が出ています。夜が楽しみになったという感じです。
 
 
 
 
 
 
◆3月25日、父の七回忌です。久しぶりに一家がそろいました。でも、坊さんはかなりいい加減なお経を読みました。あまりに有り難味がないので、情けなくなりました。
 
 
 
 
◆雨模様の中、久保田の墓へ七回忌のお参り。母は般若心経や喝文を空で読めるため、生臭坊主よりよっぽど有難いお参りになります。
 
 
 
 
 
◆七回忌のあと、兄一家とともに唐津へ行きました。ここは映画「男はつらいよ」で何度も出てくる呼子の港。
 
 
 
 
 
 
◆虹ノ松原で子どもたちは大はしゃぎ。本土の海を見たのは初めてのようです。(子どもたちは沖縄と九州のダブルです)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
◆唐津行きの翌日、私とかみさんは有田へ。陶器市が終わったところなので閑散とした町並みです。ゆっくりとあちこち散策することが出来ました。有田が初めてのかみさんは巨大な壺や皿、華麗な器の数々に驚嘆の声を上げていました。
 
 
 
◆3月30日、かみさんを送って駅の構内に入ったとたん、ドカンとぶっつけられました。免許とりたての18歳の娘さんが、後方確認せずに発進してぶっつかったようです。びっくりしました。
 
 
 
 
 
◆4月6日、昨年末から製作していた新刊が来ました。締め切りを急がされた割には遅い発行です。結局、ゆっくり打ち合わせしていればこんなことにはならなかったのに・・・と考えてしまいます。
 
◆5月某日、オニギリを作ろうとしていると、チビ猫がしきりに鳴きます。そこで海苔を与えると、バリバリ食べてしまいました。猫にもいろいろあるもんです。
 
 
 
 
 
◆この数年、コツコツ練習してきたブルースをカセット録音し、それをハードディスクに移して、さらにCD-Rに焼いてみました。形だけはなかなか立派なアルバムが出来上がりました。最初のディスクは二枚だけ。それから、3枚、5枚と焼き増しし、結局30枚ほど製作しました。聴きたい方はメールください。(笑)
 
◆5月の連休、藤野町の兄の家に泊まりに行きました。その夜はブルース合戦で暮れ、翌日の昼飯は私の手打ち蕎麦です。麺棒の代わりに掃除機のビニールパイプを使い、まな板の上で打ちます。ちょっと太めでしたが、好評のうちにみんなで食べ尽くしました。
 
 
 
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