ハイッリッヒ・フォーゲラー展

▼2001年1月2日〜2月12日、東京駅のステーションギャラリーで開催された、

「ハインリッヒ・フォーゲラー〜忘れられた愛と春の画家」

を見に行きました。

 チラシ

「白樺」発刊百年を記念してのものだそうで、私の予想の外からのアプローチでした。もちろん私も、フォーゲラーが「白樺」の表紙を描いていたことは知っています。しかし、そこからフォーゲラー展へ繋がるとは予想していなかったのです。たまたま現在私は白樺派のメッカ我孫子市に居住しており、友人の友人が「白樺文学館」を市内に開設したばかりです。浅からぬ因縁を感じます。

フォーゲラーについては『ファンタジック・イラストレーター・リスト/フォーゲラー』の中に入っていますので、ここで読んでいただければご理解いただけるかと思います。非常に劇的な生涯を送った人です。

▼展示は4つに分かれており、第一の部屋には彼が青春時代を過ごしたドイツはブレーメン郊外の芸術村、ヴォルプスベーデ時代の大小の油絵が飾ってあります。

イラストからの印象で、あまりオーソドックスな絵を描くとは思わなかったので驚きました。タッチはかなり荒っぽく、ディバイディズム、特にセガンティーニを連想させます。しかし、色彩の鮮やかさ、デッサンの確かさ、匂うようなロマンチシズム、という要素はユーゲント・シュティルの代表的な画家の一人という評価を実証しています。リアリズムで描かれた作品と、モザイク的な装飾的な絵と、それぞれがなかなかにレベルの高いものに仕上がっています。

夏の夕べ(1905)

あこがれ(1900頃)

メルジーネ(水の精・1912/壁画パネル)

第二の部屋は、フォーゲラーがナチスに追われて旧ソビエトへ逃げ、そこで描いた油絵作品群です。この部屋は旧東京駅の赤煉瓦の壁を使ってあり、作品にぴったりでした。

この作品群は第一の部屋とはまったく異なる、ロシア構成主義的なポスター様の油絵ばかりです。当時のプロバカンタ用に雑誌の口絵やポスターに使われたものと思われます。アバンギャルドといえば言えますが、大きな油絵にもかかわらず小さく区切られてちまちまとした印象を与えます。そして、当然にもロマンチックな香りはどこにもありません。こうした作品も描けたんだ、と驚くとともに、前の部屋とのあまりの断絶に無惨な気持ちになるのは否めません。

ソビエトの土地における勤労学生たちの冬の任務(1924)

第三の部屋と廊下に木版・銅版イラストの展示があります。伝統の銅版画の細密さに驚きます。当時の画家たちはずいぶんと目を酷使したようです。私はこのイラスト類にはなじみがあるので、やっと知っている友人に会ったような気になりました。廊下にはリルケ詩集や「白樺」の表紙などが飾ってありました。

第四の部屋にもっとも驚かされました。フォーゲラーは建築物の設計から家具調度品の設計、陶磁器・アクセサリー・各種装飾品など、ありとあらゆるものをデザインし、制作していたのでした。それらの設計図・デザイン画・デッサンが並んでいます。

数世代の違いはありますが、ウィリアム・モリスの提唱した「生活の中に芸術を」という「アート・アンド・クラフト運動」をモリス以上に忠実に実践していたのがフォーゲラーだったのです。この事実は衝撃的でした。多少飛躍して言うと、彼が後に社会主義運動にのめりこんでいくのはほとんど必然だったことがわかりました。

最後に、私はフォーゲラーがスターリンの粛清にあってシベリアで処刑されたのではないかと推測していたのですが、各種文書の中にその証拠はありませんでした。むしろ彼は、献身的なソビエト建設運動を推進する側にいて、その運動のただ中に倒れたようです。スターリン体制の中で外国人共産党員が過酷に扱われた事実は沢山ありますが、彼がそうした憂き目に会わなかったとすれば、まったく幸せなことだったかもしれません。

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