番外編・テート
ギャラリー展で考える
98年1月から3月まで「テート・ギャラリー展」が上野の東京都美術館で行われた。
(都合で過去形)考えることがたくさんあるので、ここに書いておきます。
このJ・E・ミレーの「オフェーリア」を知っている人はどれだけいるでしょう?
近代美術といえばフランス印象派しか教えない日本の美術教育の隙間にすっぽりと入ってしまっているのがこの絵なのです。
思えば悲しい話ですが、当時のヨーロッパでも事情は同じで、「印象派」の横行の前に悲観して自殺した「古典派」の画家もいたのです。(アルマ・タデマ派のG・W・ゴッドワード)
この「オフェーリア」を見ても「写真みたいね」で終わってしまう感覚が根深く植え付けられているのが日本の実態でしょう。「絵はわからない」「難しい話はいい」
そういう人をたくさん作ってしまった「美術教育」。それは本当は美術教育の放棄ではなかったのでしょうか。
この「テート・ギャラリー展」を見ればよくわかるのですが、美術は始めは王侯貴族のものでした。入り口からしばらくは肖像画が圧倒的な量を占めています。
それが次第に庶民の画像となり、大衆化していきます。
4点のゲインズボロ、5点のコンスタブル、4点のターナー。気分はどんどん盛り上がりまして、8点のブレイクで感動の極に達します。
ラファエル前派の部屋に入りまして、「オフェーリア」の前に立つと、なんだかどうでもいい気がして来ます。
モリスのギネヴィアを見ても、改めて感動は起こりません。(本当はちょっと感じた...モリスはうまくないんだよね)
王侯貴族ではなく、庶民がモデルになる。それだけで「絵画の冒涜」よばわりをされた時代だったのです。
絵画の「大衆化」を最も早く達成していたのが 江戸期の日本でした。それを直接的に取り入れたのがフランスでした。そういう形式・存在をコピーするには、それを支える社会的な基盤が必要でした。フランス革命はダテではなかったのですね。
でも、彼らは「大衆化」と同時に「商業化」や「オタク趣味」なども同時に取り入れました。美術の
価値感覚が迷子になって行くのもこの時からです。
美術の価値ではなく、「商品」の値段になってしまうとだれもそれを計ることはできないのです。(市場原理になるのですね)
この美術の「商品化」が今日の「美術的価値」の混乱を産んでいるのです。
「オフェーリア」が提出する一種のリアリズムが絶対にいいものだとは言いません。でも、この絵がどれだけの技術と時間と才能を駆使して書かれたかを考えるために、この実物を一度見てみるというのもいいと思います。