質問44 「思いをこめる」ことと「思いを伝える」ことの違い

 質問15の「詩の解釈に重点を置くのは、合唱指導において有効なアプローチか?」などにあるように、詩や気持ちに重点を置き過ぎたアプローチは、私もよくないと思います。自分が気持ちの指示を出すときも、できるだけ具体的な音に結びつくように心掛けています。(中略)ただ、先生が、どこまで詩に踏み込んで作曲されているのかということがどうしても気になります。先生の作曲方法については、このHPでいくつか触れられていて、それは読ませていただいたのですが、先生がどこまで詩を思われているのかということがよくわかりません。さらに言えば、曲に、どこまでメッセージ性を持たせたいのかということを知りたいのです。合唱への取り組み方自体については、掲示板やQ&Aなどで先生が言われていることが非常に参考になり、自分もそのように取り組んでいきたいと思うのですが、そういったことではなくて、演奏を通して何かを伝える(詩人の思いであったり先生の思いであったり)ということに関してはどうお考えなのでしょうか?

 掲示板より転載

解答 

 質問下さった方の真剣な姿勢がわかるだけに、どうお答えしていいか悩むところです。始めにひとつ断っておきたいのは「合唱への音楽的取り組み」と「詩の思いを伝えること」とは、相反することではまったくありません。私が「楽譜を分析して構造を掴むように」というと「そんな数学的な冷たい演奏はいや!」と拒否反応を示す方がおられるのですが、どうして曲の構造を掴むことが冷たい演奏に繋がるのか、まったく理解に苦しみます。私に言わせれば、表現技術の裏付けのない「熱い思い」こそが演奏を無表情にする原因であることが多いのです。スポーツを「根性」で乗り切ろうとするのと似ています。

 もちろん「思いをこめる」ことは言うまでもなく不可欠なことです。でもそれは必要条件ではあるけれど十分条件ではありません。「演奏に思いをこめる」ことと「その思いを聴き手に伝える」こととは似て非なるものだからです。じぶんがいくら張り裂けそうに思いを込めても、自分の思いを音楽に変換するHow toを持たなければ、気持ちをこめたことで力んで音色が暗くなり、熱い思いで言葉にしがみつくことでシラブルごとに力を入れすぎ、結果的にフレーズはずたずた、肝心な言葉の意味さえ不鮮明になってしまいがちなんです。歌い手はそれで気持ちいいかもしれませんが、聴き手にとっては「思いが伝わる」どころか、日本語のはずなのに言葉も聞き取れない「退屈な音楽」でしかありません。「聴き手に思いが伝わる演奏」でなければ何にもならないのです。

 そのためには、フレーズを意味なく分断しないための上手なブレスのしかた、音楽に流れを持たせるためのフレージング技術、フレーズごとに効果的に音色を変化させる方法、そして音楽の流れの上に「言葉」を効果的に乗せるための発音技術が不可欠です。それらは詩を解釈すると同時に楽譜を深く読み込むことで手がかりを得られます。だから何度でも譜面をよく読んでとお願いするのです。思いをこめた演奏を聴き手に伝えるためにはしっかりした読譜が不可欠なんです。

 こういうと、音楽的な取り組み方はわかったけれど、木下さんはどこまで詩を思っているのですか、という質問が飛んできます。憮然とする私。あのですねえ、私の詩を選ぶセンサーはとても鋭いんです。委嘱先から詩を指定された2〜3の例外(普段自分で詩を選べない時は作曲を引き受けない主義です)を除いて、はっきり気に入った詩にしか音楽はつけないのです。惚れ込んだ詩しかテキストには選ばないのです。

 曲にどこまでメッセージ性を持たせるかって・・、(「メッセージ性」ってわかりにくい言葉ですが、「テキストにこめられた思い」と解釈していいのなら)私の音楽すべてに持たせています。頭で詩の解釈しただけではわからないでしょう。だからこそ、楽譜をちゃんとみて欲しいのです。フレーズが緊張感と大きな流れをもってうねったとき、はじめて私の音楽は自己主張をはじめます。シラブルごとにまのびする演奏では、私が音楽に仕掛けた詩への思いがまったく観客に、そして歌い手にも届かないのです。

 作曲家はその思いを全て曲に託します。朗読やシュプレヒコールならともかく、合唱は音楽です。だからどんなに詩の思いを伝えたくて詩の解釈をしても、音楽上のアプローチが「正確な音取り」だけでは、聴き手には何も伝えられないのです。詩の思いを浮かび上がらすために、まず音楽を立体的に立ち上げることが必要です。詩人の思い、またその思いにインスパイアされた作曲家の思いを客席に伝えるためにこそ、フレージング、ブレス、音色、ディクションなどの表現技術が必要なのです。そうやって立体的に立ち上がった音楽に効果的に言葉を乗せたとき、はじめて言葉がリアリティを持ち、詩人の思いと、作曲家の詩への思いが同時に浮かび上がってくるはずです。

2004.4.5