質問22 「わたしを束ねないで」における詩の省略について

 女声合唱組曲『わたしは風』の終曲「わたしを束ねないで」では、詩の第4節「わたし
を名付けないで〜知っている風」の部分は作曲されていませんが、これには何か理由があるのでしょうか。この部分とてもいい詩(女性として頷ける)
なので、何故省かれたのかとても興味があります。

 静岡県 H.F.
東京都 Y. 

解答
 最初に静岡のH.F.さんからご質問がありメールでお答えしたところ、続けてYさんからも同じご質問をいただいたので、一度ここでちゃんとお答えしておくことにしました。「わたしを束ねないで」は新川和江さんの第5詩集『比喩でなく』(1968年 地球社刊)に収録されています。多くの人に愛され教科書にも載っているポピュラーな作品だからこそ、かえって作曲者としては自由に取り組むことが出来た気がします。詩は5節から成りますが、5回それぞれに表現を変えながら同じ主題を繰り返し
語っています。そのなかで第4節の表現だけが、比喩なしでもっともストレート。「わたしを名付けないで/娘という名 妻という名/重々しい母という名でしつらえた座に/座りきりにさせないでください わたしは風/ りんごの木と/泉のありかをしっている風」内容的にはこの詩の核です。とてもダイレクト。なぜこの節を省略してしまったかというと・・。

 第一に、5節全部音楽を付けると長くなりすぎて構成をまとめにくい。第二に、この節の言葉のリズムが一番旋律に乗せにくい。という作曲上の理由に加えて、第4節は内容自体にインパクトがあるので、これに音楽を付けて歌うと、詩として読むよりはるかに「女の自立主張ソング!」風になってしまうのではという心配がありました。声高に歌わずにこの内容を伝えられれば、と思ったのです。そのかわりこの節で一番魅力的な言葉「わたしは風」を組曲の総タイトルにしました。のちに新川先生とお話ししたとき、先生ご自身「わたしは風」という表現をとても気に入っていらして、これをタイトルにしてくれて嬉しい、とおっしゃってました。

 このようにいろいろな配慮をしたというのに、どこかの座談会で合唱指揮の大御所S氏が「お母さんコーラスの大会でこんなウーマンリブみたいな曲を歌うのはよくない」とのご発言。とほほ努力は全然効果なし・・。でも今ごろウーマンリブっていわれても。

2001.11.6