58 メメント・モリ

 先輩や年長の方が亡くなるたびに、日頃はあまり考えない「死」のことを否応なく考えます。先日亡くなられた関屋晋先生の追悼演奏会を聴きながら、久しぶりにしみじみと哲学的になった私。一昨年亡くなられた辻正行先生の時は、闘病なさりながらの最後二年間のご活躍があまりに見事で壮絶で、「死」とは何か、「生きる」とは何かを深く考えずにはいられませんでした。充実した人生を生きた方は最後も見事です。

 親しい人が亡くならずとも、人間時々自発的に「死」を想うことは大切で、「死」としっかり向かい合うことで、より「生きる」時間を充実させることができるように思います。

 自由業のせいかいつまでも学生気分が抜けず、年齢意識の希薄だった私が、初めて強く「死」を意識したのは37才の時。車を運転中のアクシデントで、時速100キロのまま壁に激突する直前のことです。これはもう文字通り「死」と向かい合いました。数秒前まで機嫌良く鼻歌うたいながらハンドル握っていたのに、「突然ですがあなたの人生はこれでおしまいです」って強制終了させられてしまうんですね、事故死する時って。よく走馬燈のようにそれまでの人生が浮かぶといいますが、私の場合「せっかく修行したのに何も作品を書かなかった・・もっと全力で作曲しておけばよかった!」という後悔が頭をぐるぐる回りました。自分でも意外なほどぐるぐると。

 シートベルトをしていたおかげで生き残ったのはいいが、強度のむち打ちで首が全然動かなくなり、一週間は全くの寝たきりになっていました。衝突の直前は「死」を思い、寝たきりの一週間は残された「生」をどう生きるか真剣に考えました。「死」を直視したからこそ、残された「生」を真剣に考えるようになったんですね。あの事故がなければ、未だに「まだ若い、まだ時間はある」なんてすべてを先延ばしにしていたかもしれません。ちょうど人生半ばの37才という年齢でああいう強烈な経験をできたのは本当に貴重だったと思います。

 次に「死」を見つめたのは、事故後しばらくして作曲の師匠が相次いで亡くなった時。石桁真禮生先生は80才、黛俊郎先生は68才でしたが、芸大で大きな影響を受けた作曲界の巨人たちが相次いで逝ってしまい呆然としました。石桁先生のお通夜で、遺影を見上げていたら「君だって大して時間は残ってないんだから、もう悩んでないで書きたい曲をどんどん書きなさい」という先生の声が聞こえた気がしました。ずっと委嘱を受けるだけだったのが、初めて自主的に個展をやろうと思ったのはそのときでした。

 その次は40才になったとき。40という年齢は誰しも「死」と「残された時間」を考え始める年ですが、私の場合、ただでさえプライベート面での転機、作曲上のスランプなどで落ち込みがちなところへ、車の事故、恩師の相次ぐ死、可愛がっていたペットの死、親の癌発病(その後完治して今もぴんぴん)などの出来事が頻発する中での40代突入だったので、しばらく深刻に「メメント・モリ」な毎日が続きましたが、おかげでその後は人生が充実し始め、いろいろ新しい方面の活動も活発化し、緑の豊かな所への引っ越しも完了。たまに真剣に「メメント・モリ」して人生設計を見直したり立て直したら、日頃はあまり深刻になりすぎず忙しく働き、遊び、おいしいものを食べるというのがよいようです。

「メメント・モリ」はラテン語で「死を想え」という意味。

2005.4.24