48 違いのわかる女

 大昔のインスタント・コーヒーのキャッチ・コピーに「違いのわかる男」というのがあった。違いのわかる男がどうしてインスタントコーヒー飲むんだ?という突っ込みを入れたのも懐かしい思い出。ところで味の違いがわかるようになるためには、どのような修行をすればよいのだろう。答えは簡単、とにかく最高級のものを数多く味わうことだ。高級やグルメやハイソとは縁のない私だが、それでも美味しいモノを食べ続けるうちに何度か劇的に味覚の変化が起きた経験がある。

 まだ自宅でソルフェージュの受験指導をしていたころ、お中元やお歳暮の時期になるとお酒、お菓子、小物などいろんな物を頂いたが(実にいい時代だった・・)、中で、毎夏冬、決まってゴディバ(ベルギー)のチョコレートの大箱を贈ってくださる方がいた。デパートで見たらそれはなんと\5,000の値がついているのだった。ひえ〜もったいない。が・・。その方は毎年2回大きなギフトボックスを律儀に贈ってくださり、そのたびありがたくお腹に収める、ということを繰り返して数年たったある日、急に甘いものが食べたくなって、久しぶりにスーパーで普通のチョコを買って食べた。それまで好物だったそのチョコに対し初めて「あれ、チョコレートってこんな味だっけ」と不満を感じたのだった。「カカオの含有率が低すぎる」「つなぎに使われているパサパサした物はいったい何か?」のような、以前は考えもしなかった不審が次々に湧き起こるのだった。ゴディバを食べ慣れるにつれて、チョコレートの味に厳しい、違いがわかる女になってしまったようだ。

 「揖保の糸」という高級そうめんを毎年贈って下さる方もいた。いただいておいてあれだが、なんだ、そうめんかあ・・と少々落胆しつつ、夏の昼間などよく食していたのだが、珍しく頂き物が切れて、スーパーで廉価の物を買って食べたところ、えらくまずいのである。それまでそうめんの味は同じと思っていたのに、「揖保の糸」を長く食して、違いのわかる体になってしまったのだ。同じことが「ワイン」や「チーズ」でも起きた。

 考えれば、音楽も美術も服装も宝石もみんな同じですねえ。最高級のものに多く接し続ければ、かならず違いのわかる人間になれることでしょう。しかし・・、違いがわかることがはたして幸せといえるのだろうか。普通のチョコやそうめんを食していれば、たまに食べる高級品の真価はわからなくても、不平の少ないリーズナブルで平和な人生を送れるものを、たまたま分不相応な高級品を口にしたばかりに、その他大多数の普通のものを「まずい」とか「質が低い」と思わざるをえず、しかもいつも高級品でかためるほどの経済力もなく・・。

 脳味噌が疲労していつも甘いものを強烈に求めているこのごろ。先日デパ地下に出掛けた折、足はゴディバの前でとまった。もはや誰も贈ってくれる人がいないので、自分のためにきれいな宝石箱のようなチョコを買い求めた。「オータム・ギフト」\3,000。秋限定のナッツ類の入ったチョコの詰め合わせだ。少なくともチョコの味だけは「違いのわかる」私、たまにはこのくらいの贅沢も許されるのではないだろうか。

2003.10.8