47 楽あれば苦あり?

  昔の親って子供をしつけるとき、よく格言を口にしたような気がする。私も子供の頃「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。」というのをよく親から聞かされた。今苦労しておけば、きっとそのうちいいことがある。楽して先にいい目をみると、あとでそのツケがまわってくるみたいな意味だろう。子供の頃覚えたことって頭に刻み込まれて、大人になってもなかなかその呪縛から逃れられない事が多いが、私の場合も、なにか楽しいことをする時決まってこの言葉が頭をよぎり、どことなく後ろめたい気分になったものだ。あのままいけば、積極的に「楽」を追い求めることもなく、かといって困難にあえて立ち向かうわけでもなく、煮え切らない一生を過ごして終わってしまうところだった。

 そんな私の考えを180度変えたのは、叔母の闘病だった。英語ぺらぺら、外資系の世界でエグゼクティブ・セクレタリーとして颯爽と働いていた叔母はキャリア・ウーマンの走りともいえる人で、私の憧れの人だった。ばりばりの仕事人間で、今は忙しくて時間がないけれど会社を定年退職したらマンションの部屋を思い切って改装する、今は時間がないけれど定年退職したら日本中旅行してのんびり温泉に浸かって歩く、と口癖のように言っていた。楽しみは全部定年後にとってあるようだった。

 だが皮肉なことにその日が来る少し前に不治の病にかかり、そのまま長い闘病を経て帰らぬ人となってしまった。最後は完全看護で名高い病院にわざわざ入院したのだが、当時の終末医療というのは「完全看護」を売り物にしている病院でさえ、プライバシーや個人の尊厳などはほとんど考慮してくれず(今だにそう改善されていないが)、誇り高い叔母にとっては本当に希望のないつらい闘病だったと思う。

 「苦あれば楽あり」って嘘だったのか。あんなにがんばって生きてきた叔母がどうしてこういう終わり方をしなくてはならないのか?私は誰に向けていいかわからない怒りでいっぱいだった。こんなことなら叔母は定年を待たずに、温泉に行きたいと思った時行っておくべきだったのだ。部屋の改装をしたいと思ったとき、有給を取って休んででも改装しておくべきだったのだ。節約して老後の貯金なんかせずに、どんどん使っておくべきだったのだ!

 人生の残り時間と健康がいつも保証されているわけではないのだから、人は苦労を味わっている最中でも、同時に楽しみをどん欲に味わわなくてはいけないのだ、今しか得られない「楽」は今味わっておかなくてはいけないのだと、そのとき私は強く思ったのだった。

 真面目に作曲の勉強を続けてきたにもかかわらず深刻なスランプに陥り、仕事も職もなく鬱々としていたわたしは、叔母の死を契機に、「苦」を一旦放置して「楽」を積極的に求めるべく方向転換し、ほぼ十年の月日を見事に浪費してしまうことになった。そして十年たってわかったのは「苦」を伴わない「楽」は結局「退屈」でしかないということだった・・とほほ。おまけに久しぶりに真っ当作曲人生に戻ってみたら、十年前に放置した「苦」はそのままの場所にそのままの形で残っていて、何の進展もないのだった。やれやれ。自分自身が真剣に立ち向かって解決しない限り、時間をおいても問題はなにひとつ片づかないのだ。そういうい訳で、今ごろ真剣に作曲と向かい合う私・・。
 文字通り「楽あれば苦あり」。やはり「苦」と「楽」はワン・セットとして、いつも程良いバランスを保つのが一番いいようだ。

2003.9.4