44 お花見

 ここ数年、お花見というと青山墓地の桜を見に行っている。わざわざ見に行くというより、レストランのおいしい所が多いので、食事しに行くのがメインで花見はおまけと言った程度だが。

 もっとも青山まで行かなくても、見渡せばご近所にもいくらでも咲いている。私の住んでるマンションは高台にあるので公園を見下ろす形になるのだが、そこにもちゃんとりっぱな桜が咲いて、時期になると公園中にぼんぼりがともされ、夜になると花見で酔っぱらった人の叫び声などが聞こえてくる。また実家のある駅前通りには両側にずらっと桜が植えられているので、その時期車で行くと、桜のトンネルの中を走り抜けるゴージャスな雰囲気を味わえる。でも、お花見と言った場合、いくら立派でもそういう地元の桜では今ひとつもの足りない。やはり「ハレ」を求める訳だから、どこかへお出掛けしたい。

 今まで実にいろいろなところにお花見に出掛けたが、ニュースで見るような大混雑の記憶は1〜2度しかない。どんな満開でも、平日の昼間は案外空いているので、のんびりゆっくり楽しめるのだ。お出掛けは好きだが人混みはきらいな私は、こういう時、自由業でほんとうによかったと思う。たとえボーナスはなくとも・・。

 それにしても天候に恵まれ、料理もおいしく、楽しいお花見をした時の記憶が驚くほど薄いのはなぜだろう。お花見特集の雑誌を読むと、ここも行った、あそこも行ったと思うのだが、個々の記憶がほとんど残っていない。それに引き替え、男の子と二人でお花見にいくため、わざわざ塗りの2段弁当箱を購入し(柄にもなく)朝早く起きて豪華弁当を制作し、わくわく出掛けようとしたら土砂ぶりの雨が降ってきた、とか、友人を載せて車で桜の名所に出掛けたら、駐車場がどこもいっぱいで一時間ぐらいぐるぐる走り回って冷や汗をたっぷりかいたとか、桜ではないが、せっかく水戸まで梅見にいったらまだ二分咲きで風は冷たく強く、お弁当やシートが飛んでいかないように押さえつつ、寒さに震えながら枯れ木の下でお弁当を食べた記憶とかは実によく覚えている。少しくらい苛酷な状況下のほうが記憶に残っていいようだ。

 今までお花見に行った所といえば、東京だけでも昭和記念公園、光が丘公園、代々木公園、小金井公園、靖国神社、千鳥が淵など即座に思い浮かぶし、通り沿い、川沿いの桜並木だったら数え切れないが、一番強い印象が残っているのは、母校東京芸大のある上野公園だろうか。

 あそこは大混雑するので有名で、歩道だろうが公衆トイレの前だろうが構わず青シートを敷いて大酒飲んで宴会をやるといった古来のディープな花見所(たぶん今も)だ。私は学校の行き帰りに何だかすごい光景として眺めていたのだが、ある日長い演奏会のあと夜10時すぎに、さすがに空いただろうと思って友人と立ち寄ったら、至るところに大量のゴミがうずたかく積み上げられ、日本酒とアンモニアの混ざった強烈な匂いが立ちこめていたのが忘れられない。なんだか悪夢のようだったな。江戸時代のようにすべて抑圧された中で花見だけが無礼講だった時代ではないのだから、団体で遊ぶときも、もうちょっとモラルを守ってスマートにやってもいいのでは・・。あれじゃ清掃の方たちやずっと耐えて咲いてる桜がかわいそう。

 やっぱり今のところ私は、おいしいレストランで友人と楽しく食事して(アルコールも入れて)から、ほんのり気分でぶらぶら桜見物する、というお気楽なスタイルが一番好きだ。ま、一度くらいなら隅田川に屋形船をだしてとか、千鳥が淵でボートを漕ぎながらとかもやってみたい気もする。そのうちもう少し時間と教養に余裕ができたら、吉野の桜を見る旅でもして、句のひとつもひねってみたいものだ。

2003.4.7