42 浪人時代

 受験シーズン真っ盛り。私もその昔一浪して芸大の作曲科を受験、幸運にも合格して作曲家の卵として一歩踏み出したのだが、今考えると、よくあんな面倒、複雑な大量の作曲技法を短期間に集中して修得できたものだと思う。若いって脳味噌が柔軟なんだな。今同じことやれといわれても記憶力が退化していて到底無理な気がする。それに入試用の勉強って、実践ではあまり役に立たないこともわかってしまっているし。
 当時作曲の師匠は「君たちの一生でこれほど大量に作曲することは二度とないだろう」とまで言っておられたが、それはちょっと違った。記憶力は退化したものの、作曲量は年々増えてる私(最初が少なすぎたとも言えるが)。作曲の個展演奏会を開くための準備だってかなりハードだし、今取り組んでいるオペラも大変で、朝から晩までびっしり作曲というスケジュールが延々秋まで続くのかと思うと泣きそうです。やはりプロの世界はきびしい。それに比べたら浪人時代の勉強量なんて大したことありません。

 浪人時代といえば思い出されるのは、毎日図書館にでかけ、5〜6時間ぶっとおしで
和声や対位法やソナタ形式の曲を黙々書き続けたことだ。別に書物を調べる訳ではないので図書館からすれば邪魔者だが、入試本番はピアノを使えないので、ピアノを使える自宅でだらだらやるよりも図書館のしんとした雰囲気の中で作曲するほうがずっとはかどるのだった。だからお昼も自宅には帰らず、図書館の食堂で安くてそこそこ美味しいミックス・フライ定食を食べ、休憩時間には友人と落ち合って喫茶室でアイスクリームなど食べながらおしゃべり、気分転換には新刊雑誌(何といっても図書館なので殆ど揃っている)をめくり、それなりのささやかな楽しみを見つけて、結構楽しく毎日を送っていたのであった。

 そんな作曲の実践勉強のほか、ピアノ、ソルフェージュ、聴音などの実技ものも時々腕を磨いておかねばならないし、一般教科も代々木ゼミナールの単科コースに週一通って勉強(というより気晴らし)していた。浪人生は忙しいのである。そういえば代々木ゼミナールでは秋に運動会があるのだが、物好きな友人と共に朝早く出掛けて開会式から参加したら、あんパンとパック牛乳が配られた上、開会のスピーチをしたエライさんから「代ゼミの運動会の開会式に出た者は必ず入試に合格するジンクスがある!」
とお墨付きをいただき、「そうか、私は合格するんだ!」と妙に深く大きい確信を持ったのであった。合格の要因は案外こういう単純な暗示にあったのかもしれない。ちなみにその運動会では「2人3脚」で堂々3位入賞して鉛筆三本の賞品も獲得、合格の確信はさらに強まったのである。

 そんなこんなで灰色ながら楽しい浪人生活だったが、一浪といばっているわりに、実は私、現役の年は入試を経験していない。ピアノ科だった私が本格的に作曲科への転向を考えて勉強し始めたのは高校2年と遅かったため(高校ではピアノ科のまま卒業)、作曲の師匠から受験を止められたのである。
 師匠によると「絶対落ちるとわかっていたら、経験のために受験を許可するけど、君は受験したら受かる恐れがあるから受けちゃだめだ。」というのである。大学というのは入ったときの技量で4年間が決まってしまうから、ぎりぎりの実力で入ると最後まで伏し目がちのまま過ぎて4年が無駄になる。準備に一年多く費やして入試勉強以外の作曲知識をたっぷり身につけてから入学し、余裕を持って大学生活を送るべきだ」とおっしゃるのだったが。そうは言っても受験チャンスは一度より二度のほうが合格の確率がずっと高くなるし、高校生の心理では何といってもストレートで合格するのがステイタスであるから受験を懇願したのだが、師は「だめ」の一点張り、結局泣く泣く現役入試を諦めたのである。

 当時はなんて横暴な!と思ったものだが、今考えると一浪して本当によかった。師匠に大感謝。たった一年の勉強量の違いが人生にこんな大きい差を与えるとは。 浪人中入試勉強を離れて室内楽曲を書いたり、オーケストレーションの基礎を学んだり(歌も書きました「ロマンチストの豚」とか)したことが、大学入学後、即、実践知識として役立つことになり、私は伏し目がちの無駄な4年間を送らずにすんだのである。それどころか根拠のない自信に満ち溢れた学生へと変貌していき、それはそれで問題があるのだった。

2003.2.9