39 年賀状

 そろそろ今年も年賀状を用意する時期がやってきた。といっても、とりわけ忙しい時期だから、自分で版画を彫るわけでも、Macで作成するわけでもない。やることと言えば、十月の終わりあたりからバラエティ豊かな市販のデザイン賀状のカタログが出始めるので片っ端からそれを集めてきて、ほぼ出揃ったところで、その年もっとも気に入ったデザインをひとつ選ぶ。私の独断と偏見によるその年の年賀状デザインコンクール審査みたいなものだ。これがなかなか楽しい。栄えある一位を取ったデザインに自分の賀状300枚分の注文を出すだけだが。今年はかなり早くからコレ!というデザインがあったので、審査は楽であった。もう印刷も出来てきてあとはコメントを書き込むばかり。時間の空いた深夜に相手の顔を思い浮かべながら一枚一枚言葉を書き入れていくのは、年末ならではの楽しいひとときだ。

 もっとも私も最初からこんな楽な方法をとっていたわけではない。小学校の図工で版画を知って以来、彫刻刀で板を削る地味な作業は妙に私の性に合って、小・中学生時代ずっと木版の年賀状を作成していた。その頃のものは如何にも子供らしい他愛ない賀状だったのだが、高校に上がった頃から徐々に多色刷りの凝った版画を作成するようになっていった。肝心のデザインは絵心のある母親の役目で、私はもっぱら彫り師と刷り師の役目を果たしていたのだが。自分で彫らないのを良いことに、母親のデザインはどんどん大がかりなものになっていき、大学生のころには5色刷り(版木も5枚彫る)など当たり前、12月はろくに作曲もせずにラジオの年末映画音楽特集やX'mas音楽特集などを聞きながら、ひたすら版木を彫ったり、バレンできれいに何色も刷り重ねていくという職人作業に没頭したものだ。

 そのころは年末になると本格的な画材ショップに出掛けて、細かく彫りを入れるのに適した固くて上質の版木を選んだり、本格的バレン(小学校で使うちゃちな代物とは違ってとても高価・・でもこの善し悪しで刷り上がりが変わるほど重要なアイテム)を購入してきたりして、ちょっとしたプロの職人気取りであった。楽しかったなあ。もし作曲という一生の仕事に巡り会っていなかったら版画職人になりたかったくらいだ。

 心を込めて作った手の込んだ版画だから、受け取った人もきっと喜んでくれるだろうと信じていた私だが、そうでもないらしいと気付かされたのは、もう大学院も終了するころだった。作曲の師の一人から「君は毎年、手の込んだ木版賀状を送ってくれるが、そんなにがんばらず、たまには市販の賀状で気楽にやったら」と言われ、何故そんなこと言うのだろう、何がお気に召さないのだろうと戸惑ったのだが、同じ頃、大好きだった恋人からも「手の込んだ立派な年賀状をもらうと気が滅入る」といわれて大ショックを受けたのであった。自分の一生懸命さを押しつける気は毛頭なかったのだが、どこかに「どう上手でしょう!もっと誉めて誉めて!」という気持ちが表れてしまっていたのかもしれない。それが受取り手を憂鬱にさせていたとは全く気づきもしなかった。

 別にそれが原因というわけでもないが、独り立ちして実家を出た後、作曲もだんだん忙しくなって、いつの間にか市販のデザイン賀状を使うお気楽人間になってしまった。ちなみに母親は、今も洒落たデザインの木版賀状を作って送ってくれる。彫り師の私がいなくなって、彫るのも刷るのも母親自身がやっているようだが、私がしゃかりきに職人していた時よりずっと作品に柔らか味と味わいがある気がする。師の言っておられたのはこういうことだったのか。だが後日、昔の師にお会いしたら「君は最近、市販の賀状ばかりくれるが、たまには昔みたいに手の込んだ木版賀状を作ったら」とおっしゃるのだった。あのねえ。

2002.12.7