37 占い

 女性誌には必ずといっていいほど「占い」のページがあるし、朝のテレビ、ラジオでもその日の運勢コーナーがある。デパートの7〜8階や深夜の繁華街にもよく占いコーナーが設置されていて年季の入った先生方がスタンバイしておられる。日本人はかなり占い好きな国民といえるだろう。もっとも先日見たアメリカのテレビドラマでもニューヨークのキャリアウーマンが占いに精を出していたから、これはもはや日本に限ったことではないのかもしれない。

 少し前に大ヒットした動物占いなどは会話を盛り上げる調味料のようなもので罪がないが、その点運勢占いには案外本気になる人が多いようだ。自分ではコントロールできない未来への期待と不安が入り交じる時に「占い」に耳を傾ける気になるのだろう。
 若い女性なら「結婚運」、就職、転職を考えている人なら「仕事の成功運」あたりが一番ポピュラーなところだろうか。深刻なところでは病気や不幸続きの人が運勢の好転を求めて占いに頼るというケースもあるが、相談事が深刻になるほど占いにすがる度合いが強まり、占いも怪しげになっていく気がする。占いはあくまで気楽に楽しみたい。

 私の場合「ホロスコープによる週間占い」など全く関心無いのだが、そのくせ演奏会前になるとそういうページをちゃんとチェックする。「新しいチャレンジには最高の一週間、周囲にあなたの才能を示す絶好の機会です」なんて書いてあると、そうかそうか演奏会は成功間違いなし、私の前途揚々だ!と単純に喜ぶし「今週は運勢最悪、どこにも出掛けず家で読書して運勢の回復を待ちましょう」なんて書いてあっても、全然気にしない。その占い師のことを無能と思うだけだ。要するに欲しいのは自分を元気づけてくれる励ましの言葉のみ、という都合のいい人間なのですね。

 ところがそういう一見ドライな私も実は・・、浪人の時たまたま読んだ運勢(一生の長期運勢)占いの言葉に大きい影響を受けて人生が変わってしまった愚か者である。

 当時は東京芸大の作曲科入試を控えて、毎日図書館でフーガやソナタ形式の曲をもくもくと作曲していた。別に図書館でやらなくてもいいのだが、入試は楽器なしで5〜6時間以内に曲を書き上げなくてはならないものだったから、図書館に籠もってやるのが一番集中力を保ててよかったのだ。朝からぶっとおしで作曲して、一応一曲上がると、遅い昼を食べに館内のレストランに行き、帰りに軽い本を選んで20分くらい流し読みする、というのが日課だった。

 ある日たまたま運勢判断の本を手にとった。占いなんてそのころから全然信じていなかったが、好奇心に勝てず自分にあてはまる項を読んでしまった。読んでいるうち興奮して頬が紅潮してくるほど素晴らしい運勢であった(内容は秘密。文字にすると効力が薄れそうなので)。そんな素晴らしい運勢だったにしては現実は冴えないじゃないかといわれそうだが、その運勢には数々の素晴らしい言葉のほかに「あとほど良くなる」という一言があったのだ。これほど人に希望を持たせる言葉があるだろうか。実際は最後までぱっとしないかもしれないが、死ぬ直前まできっとあしたは・・と期待を持って生きられるではないか。

 もしその時の運勢が不吉だったりつまらないものであったら5分で忘れることができただろうが、あまりすばらしい運勢だったがために、その輝かしい内容は柔らかかった私の脳味噌に深く深く刻み込まれてしまったのだった。

 今のところその占いがもたらしたのは悪影響のほうが大きく、20〜30代を無気力に
ぐうたら過ごしてしまった。だって「あとほど良くなる」というからには、若いうちにあまりがんばって成功して運勢が上がりすぎたら早死にしそうではないか。
 もうそろそろ年齢的にいい(というか、あとがない)ので、ここらで一歩ずつ新たな世界を開拓し始めるとするかな。「あとほど良くなる」という言葉を信じて・・。

2002.9.24