30 美しいスコア

 先日、某吹奏楽作品コンクールの譜面審査で80冊以上のスコアを見る機会を持った。驚いたのは、そのうち9割(目算で)がコンピュータ出力の楽譜だったことだ。十数年まえに私がパソコンを導入したとき、回りでそんなことやっている酔狂な人はほとんどいなかったことを思うと、じつに感慨深い。

 私が昔からパソコンを導入しているのは、別に新しいモノ好きのためではない。ペンを握る筆圧があまりに強くて(鉛筆の芯をボキボキ折りながら書いたっけ)指、腕を痛めてしまい、作曲家なのに楽譜が書けない由々しき事態になったのがきっかけだ。推敲を重ねて作品を仕上げていくタイプの作曲家なのに、腱鞘炎のため楽譜を書き直すのがどんどん億劫になって推敲を怠り、作品の出来にも悪い影響が出始めたころ、幸運にも「FINALE」という画期的な楽譜作成ソフトが発売になったのだった。

 当時非常に高価なソフトで、たしか16万円したと思う。なにしろ必要に迫られているから泣く泣く買いました。おまけにMac専用のソフトたっだため、他社のパソコンよりどう見ても高価なMacを購入せざるを得なかったのである。以来ずっと、文句いいつつMacから離れられない私・・。

 楽譜作成ソフトというのは購入してからが大変で、使用法が実に複雑なため一通り使いこなせるまでにえらく時間がかかる。私が「FINALE」を使って苦心惨憺の末最初に書きあげたのは、日本現代音楽協会のオーケストラ演奏会に出品する「消えていくオブジェ」という作品であった。美しい管弦楽スコアを自分で作れたと鼻高々であったが、今考えるとかなり見にくい楽譜だったのではないかと思う。

 のちに「フィナーレ・ユーザーズ・クラブ」に入会して、作曲家兼コンピュータ浄書のプロH氏に添削していただいたところ、「これは単に音符を入力しただけの読みづらい楽譜で、浄書楽譜とはまったく呼べない」とにべもなく言われてしまったのである。その後、何度もクラブの勉強会に出席したり、K氏の添削を受けたりして、かなり浄書の腕は上がった私であるが、出版レベルの浄書に仕上げるのは今でも本当に苦労する。

 パソコン本体とノーテーション(楽譜作成)ソフトの性能の著しい向上で、今なら一般の人間にも出版譜なみの美しく見やすい譜面が簡単に作成できると思っている人は多いだろうが、実はそれは幻想でしかない。ソフトの初期設定のまま楽譜を打ち出した場合、未だにとんでもなく見にくい楽譜しか出力できないのだ。美しい楽譜は書き手に浄書の知識があり、ソフトの使い方を熟知している場合しか打ち出せないのだ。

 最初の話題に戻るが、某吹奏楽作品コンクールの譜面審査で見た何十ものコンピュータ出力楽譜のうちかなりのものが、手書き譜より却って読みづらかったと言わざるを得ない。最初から読む気が起こらないほど見にくい楽譜も2〜3あった。手書き譜の場合楽譜の書き方は書き手の音楽性と連動するものだが、パソコン譜の場合ほとんどは浄書知識の欠落とソフトの使用法の勉強不足によるモノだと思う。私自身パソコン浄書の大変さは身に染みてわかっているので、どんな見にくい楽譜も区別せず一生懸命見るように努めたが、一般的に作品コンクールの譜面審査では、読みづらい楽譜はかなり不利である。

 これだけコンピュータ譜が普及した今、楽譜作成ソフトの使用法や浄書の知識を大学や専門学校のカリキュラムにきちんと取り入れる時期がきているのではないだろうか。

2002.4.18