15 合唱と生き甲斐

 昨年の秋、八ヶ岳高原音楽堂でという素晴らしいホールで、合唱の講習会を行った。指揮の岸信介先生、伴奏の私、合唱に参加して下さった皆さんの心が演奏を通してひとつになった楽しい2日間だったが、その最後の食事会で、或る年輩の方が静かに呟いた一言が今も忘れられない。

 「母が亡くなってくれたので、ここに来ることが出来ました。」これだけだと、誤解を与えそうだが、そのご婦人は90才を超えたお母様の看護を長年やってこられて、もう精神的にも体力的にもぎりぎり、これ以上続くと共倒れになるという直前に、お母様がお亡くなりになったそうだ。それで、今までは絶対参加できなかった泊まりがけの講習にも参加することができるようになったとのこと。「いい時期に亡くなってくれたのは長年看護した娘への、母からのプレゼントだったと思います。」というようなことを淡々と話してくださった。肉親を失った深いかなしみと、最後までしっかり面倒見たという満足感と、ハードな看護からの開放感と。そのご婦人のおだやかな口調から、老人看護の過酷さが垣間見えて強く胸を打たれたのだった。

 寿命が伸びれば伸びるほど、看護を必要とする人も増えるわけで、今のところそのハードな仕事は、お嫁さんや実の娘、つまり女性の肩にずっしりかかってくる確率が非常に高い。そうでなくとも、主婦というのは家族の調整役として、自分を抑えなくてはならないことが多く、孤独でストレスのたまりやすい職業(?)だと思う。そこに看護の仕事がのしかかってくる訳だから大変だ。しかも今の日本では、妻が看護で大変でも外に出てしまう夫や子供達は忙しくて全然知らん顔だったりするから、主婦の孤軍奮闘ぶりは涙ぐましいものがある。私の母も、むかし一時期叔母の看護で疲労困憊していたが、私といえば、まだ実家に住んでいる頃で時間もたっぷりあったはずなのに、作曲の締め切りがあるからなどと理由を付けて、ほとんど手伝わなかったのが、今でも心残り。

 前述の女性はまた「ただ看護に明け暮れるだけの何の希望もない毎日だったら、とっくにつぶれていたと思います。週に一度、母親をデイ・ケア・センターにあずけて、合唱の練習に通うことが、唯一私の生き甲斐で、その週一度の合唱のよろこびがあったから、何とか看護を続けることができました」というようなことをおっしゃった。音楽には、合唱にはそういう力があるのか、とあらためて思いましたね。ひとりでピアノを弾いたりするのも楽しいが、何人もでアンサンブルをする喜びは、さらに快感が大きいですからね。それに、ヴァイオリンとチェロとホルンのアンサンブルなどは、簡単に出来るものではないけれど、合唱だったら、誰にでもすぐ始めることができる。

 世のためになる事などあまりしてこなかった私だが、せめて、合唱が生きる支えという人のために、シンプルで美しくしかも内容の深い、大人のための曲を提供出来たらなと思う。案外それが一番むずかしかったりするのだが。

2001.2.12