13 元旦の思い出

 今年は、春に開催する演奏会のことが気になって、お正月休みは2日間だけ(その分
4月にしっかり休むつもり)だが、ちょっと前までは、暇なうえに、好奇心旺盛な相棒
がいたため、ほんとにいろいろな新年の迎え方をしていた。初日の出を見るだけのために、犬吠埼の突端やら、城ヶ島の船の上やら、九十九里海岸やら、実にいろんなところに出掛けたものだ。車で出掛けるのだが、目的地がどこであれ、行きはともかく、帰りが必ずすさまじく混む。一年の計は元旦にあり、という言葉があるのに、初日の出見物帰りの渋滞のなか、西日を浴びつつ、疲れでむっつり黙り込む二人、という無意味な元旦の過ごし方を何度繰り返したことか。今となればそれなりに楽しい思い出ではあるが。

 いろいろな愚かな体験のなかでも、特に印象深いのは、高尾山での初日の出見物の思い出だろうか。私の人生で凍死の恐怖を味わったのは、後にも先にもあのときだけ。
 最近はどこでも暖房が効いているし、そもそも東京はそんなに寒くないので、普段は冬でもかなり薄着の私だ。その日は、相棒との初めての初日の出見物だったので、特に伊達の薄着を気取ってしまったのだ・・が。いくら東京とはいえ、高尾山も一応山である。しかも、初日の出を見るためにてっぺんまでのぼっているから、夜の気温が下がること、下がること。宵のうちは登山途中に升酒とか売っているのを飲んで、暖まったりしていたが、夜がしんしんと更けて、気温がちょっと冗談じゃないほど下がり出した頃、高尾山の頂上で寒さをしのげる喫茶店なんて一軒も開いてないことに気づいたが、もう遅かった。

 ふわふわのモヘアのセーターを一枚着たきりで、その上に大して暖かくもないハーフコートを羽織っていただけの私は、その夜、寒さとはどういうものかを身をもって経験したのであった。映画『八甲田山』の「寝たら死ぬぞう」というせりふを思い出して、寝ないようにがんばりましたね。

 ソ連軍にとらえられた捕虜が送られたシベリアの収容所では、罰として屋外に縛り付けられて一晩放置されると、朝には全員凍死してしまうのだが、みんな寒さのあまり下を向いて両手を堅く組み合わせていたため、その処刑法は「暁に祈る」と形容された、とかいう悲惨な話をどこかで聞いたことがある。寒いとほんとうに下を向いて、祈るような格好になってしまうのだ。その夜、高尾山頂にいたヒマな人々(皆私よりは厚着していたが)も、全員「暁に祈る」格好で、寒さに耐えていましたね。シベリアと一緒にするのもどうかと思うが、そんなことを思い出すくらい本当に寒かったのだ。「高尾山で初日の出待ちの女性、凍死」とか新聞にでたら、思い切り間抜けな死に方だなあ、なんて本気で考えました。

 で、そのときわかったのは、予想を超えた寒さのなかで、体を守るのは実は精神力だということです。その夜、私は本能的にそれを感じて、気を張りつめ続けましたね、朝が来て気温が上がるまでずっと、一睡もせず。そうまでして寒さに耐えたのに、その日は曇りで初日の出は拝めず、げっそりやつれて下山したのであるが、不思議なことにその後風邪ひとつ引かなかったのである。
 もっとも、あらかじめ気温を考慮して、しっかり厚着さえしていれば、そんないらぬ苦労せずに済んだ訳だが。

2001.1.1