12 聖歌隊

 聖歌隊、実に懐かしい響きである。大学入学から大学院終了までの7年間、私はいつも聖歌隊でオルガンを弾いていた。というとまるで敬虔なクリスチャンのようだが、これは教会ではなく、結婚式場の挙式部屋での話だ。芸大入学とほぼ同時期に、高校時代の親友Hさんから、K会館での結婚式の挙式オルガニストのアルバイトの話が持ち込まれたのだ。もともと彼女のお姉さんのグループがやっていたのだが、卒業や結婚で続けられなくなって、Hさんを中心にメンバー若返りを図ることになったらしい。結局、高校時代の友人がもうひとり加わって、3人で分担することになったのだが、ふたを開けてみると、これが実に楽ちん。おまけにバイト代が破格に高い。一応特殊技能(ちょっとピアノが弾ければ別に音大生でなくても弾けそうな内容だが)で、おめでたい席のご祝儀料金も加算ということらしい。学校の講義はちゃんと出て、合間にやっていたにもかかわらず、最盛期、月に20万円という収入を上げたこともある。このバイトのおかげで、学生時代にお金に困ったことは一度もない。ありがたいことだ。

 だがこのバイトをやって本当によかったと思うのは、楽で率のよい賃金などということだけではなく、社会の仕組みを肌で知ることが出来たことが大きい。それまでピアニストを目指し、途中から作曲の勉強に打ち込んで、よくいえば純粋、悪く言えば世間しらず、もの知らずの固まりであった私が、ここで学んだことは、もしかすると大学で学んだことより大きいかもしれない。とりわけ大きい教訓は、「やりたいことがはっきりあり、自分の能力にある程度自信を持ち、リスクを引き受ける勇気があるなら、安定を求めるためだけに、安易に就職したり、どこかの専属になってはいけない」ということだった。

 我々オルガニストはK会館と直接契約をしており、聖歌隊の歌い手は、某音楽家派遣会社から派遣されていたのだが、同じ職場で、同じような仕事をするのに、両者の労働条件はまるで違っていた。直接契約の私たちは、会館からの報酬を当然全額受け取るのだが、派遣の人達は、一日に数回ある仕事のうち、一回目だけは6割受け取るが、二回目以降は、なんと2割しか手にしていなかった。あとは全額、斡旋料ということで会社にいってしまうらしい。なお驚いたのは、当の派遣の人たちはそれを、当たり前のこととしてなんの疑問ももっていないらしいことだった。素直といえば素直だが、考える行為自体を会社に任せっきりにしてしまうのか、と非常にショックをうけたのを覚えている。

 7年間オルガンを弾いていて、一度だけベース・アップ交渉をしたこともある。みんなでじゃんけんをしたら、私が負けてしまって、交渉をひとりで行う羽目になったが、あくまで運の良い私のこと、たまたま交渉を行った挙式課の課長さんは、部長昇進が決まった直後で、私の無謀とも言えるベース・アップ要求をにこにこ聞き入れてくださったのである。こう書くと、お金のことだけ言っているように聞こえるかも知れないが、そうではなくて、すべての責任を自分で引き受けることで、権利も堂々と主張でき、リスクも、社会や他人のせいにせず、潔く負う覚悟ができる、ということを学んだのである。大学院を修了したあと、この恵まれたアルバイトを泣く泣くやめたが、収入はガタ落ち、仕事も知名度も何もなく、おまけにスランプのドツボにはまりながらも、フリーの立場を通したのは、そのときの教訓があったからだ。もっとも今となって、それが正解だったと大声で胸を張って言えるかと聞かれると、ちょっと複雑な思いもよぎるが。きっと、良かったんでしょう・・、そう思い込むことにしよう。

2000.12.11