7 駅前留学

  日本人、特に若い日本女性は、へらへら照れ笑いするばかりで自己主張できない、というのが世界的な共通認識らしい。以前アメリカでのコカ・コーラの宣伝でも、そういう日本女性をからかったCMがあった。たしかにからかわれても仕方ない面はあると思う。なにしろ日本では目立たなくしている方が得策、はっきり主張すると浮いてしまい、却って立場を悪くすることさえある。ところが、そういう典型的日本女性が外国に数年留学すると、見違えるほどアグレッシヴな、自己主張人間となって帰ってくるのはなぜか。わずか数年で、いったいどういう教育をほどこすと、あんなに性格を変革できるのか。

 実は私も留学で自己変革した人間である。留学といってもいわゆる「駅前留学」ですけど。大学院を終了したばかりの頃、これからはインターナショナルだ!と燃えた私は、某デパート内の英会話スクールに通いだした。一応実力選別テストも受けて、中の上レベルのクラスに入ったのだが、運悪く初日の授業に30分ほど遅刻してしまった。こういう会話クラスでは、最初の30分で必ずひとりずつ自己紹介をする。最初こちこちだったメンバーも、全員の自己紹介が終わる頃には少しずつ打ち解けて、クラスには連帯感が生まれだす。その大切な最初の30分を遅刻した私は、かなり心細い思いでドアをノックし教室に入った。緊張のあまりへらへら照れ笑いしていたと思う。"Sorry,I'm late."蚊の泣くような声でいうと一番後ろの席に座って、その日はあまり先生と顔が合わないよう、俯きがちにしていたと思う。気後れしてしまったのだ。

 先生はとても知的で少々辛辣なイギリス人女性で、初日から面白い宿題を出してきた。その日習ったイデイオムを使って小話を作る、という私好みの宿題だったため、初日のさえない印象を払拭しようと、はりきって小話を考えた。一応話の落ちでくすっと笑えるような小話が出来上がり、翌週私は定刻に教室にいき、こんどは前の方のいすに腰掛けた。

 全員に自習させている間に、先生はひとりひとりの机の上に置かれた宿題の小話を読み始めた。私の所に来た彼女は、予想どおり落ちの所でくすっと笑ってくれた。「とてもよく出来た小話だ。ところでどこから写したの?」一瞬先生の言葉を聞き違えたのかと思ったが、彼女は再び言うではないか。「別に責めてるわけではない。面白い小話だけど貴方が書いたんじゃないでしょ。どの本から写したの?」いえいえ、これは長い時間をかけて自分で考えたものですと、幾度繰り返しても全く信じてくれない。とりつく島もない。そのとき私は、前週の行為がいかに自分のイメージを損ねていたかを深く悟ったのだった。遅刻して、照れ笑いして、無言で俯きがち、これが彼女に与えた印象は、「うすらばか」以外のなにものでもなかったのだ。「うすらばか」の私が,しゃれた小話なんて考えられるはずない、というのが彼女の明解な分析だったのである。

 たぶん留学してアグレッシヴに変貌した人たちは、みんな最初この「うすらばか」扱いを経験したにちがいない。そのイメージを覆そうと奮闘するうち、自然と自己主張をするようになっていったに違いない。私は、それを手軽に駅前留学で経験出来たわけだ。

 ちなみにその後、私は名誉挽回のため英語に燃え、3ヶ月で目を見張るほどの上達をして、先生にも見直してもらうことが出来たのだった。めでたしめでたし。もっとも当時の英語の知識は今ではすっかり忘却し、残っているのはアグレッシヴな性格だけである。

2000.8.18