○ 07/31

 また背中の調子が悪い。くそっ。歯医者へ行く。くそっ。椅子に長く座ってると背中が痛くなってくる。休憩する。うとうとする。くそっ。働けっ。

○ 07/30

 電車とバスとタクシーを乗り継いで徳島空港脇にある三洋電機の電池工場へDOS/Vマガジン連載の取材。いやあ、ニッケル水素電池について聞きたかったことはだいたい聞けたので満足。一番重要なのは「フル充電してたはずなのに思ったより電池が早くなくなっちゃう」のは何故か、なのだ。そのほとんどはメモリ効果じゃないのだ。ポイントはそこ。
 空港で「ザ・すだち」と「なると金時 いも百」を買って東京へ戻る。いや、この「いも百」はよいよ。美味な上に「明治時代の味」「無着色ですので色がさえておりません」な焼芋ようかんなのだ。
 羽田へ戻ったとたんにげんなり。空港から京急に乗り品川で乗り替え渋谷で乗り替え……はー。羽田との行き来が一番疲れるのだ。

○ 07/29

○ 07/28

 天保山(ちなみに大阪港であります)へ行ってDiMAGE7の作例を撮ったり観覧車に乗ったりする。うーむ。晴天下ではけっこうキレイに撮れるではないか。
 PBG4を使ってると、突然シュロロロロンと音がしはじめる。をを、ファンが回ってるっ。実は、うちのPBG4の冷却ファンが回るのははじめてなのだっ。インタークーラーもなんもなしで長時間動かしていたからなああ。いやあ、確かにけっこううるさいわ、これ。回り出すとすぐわかる。実はあまりにファンが回らないので「もしかして壊れているのだろうか」と密かに思い始めていたので、ちょっとうれしい。でもうるさい。
 そっか、ここまで熱くならないと回り始めないのか。。。。。。

○ 07/27

 早起きする。ふと思い立ってNiftyを解約する。考えたら長いこと使ってなかったのだ。Niftyもパソコン通信の時代からだから長く入会していたなあ。なんか無駄に金払ってる場合じゃなくなってきたので、解約なのだ。
 歯医者へ行く。ついでに不在者投票。DTPWORLDのレビューを書いてメール。MacWIREのコラムを書いてメール。MacPeopleの連載を書いてメール。

○ 07/26

 ちょっとは気温も下がってきたので働く。DTPWORLDにEXPOのレポートを書き、MacWIRE用にEXPOCubicVRMAPを作る。さらにDiMAGE7のレビューを書かねばならなかったのだが、どうも煮詰まったので、サッカー友達の人妻に宅配便で送ってもらった、グランパスvsヴェルディのビデオを観る。ストイコビッチ現役最後の公式な試合だったヤツである。NYに行ってたので観られなかったのだ。

 うう。4万人っすか。ストイコビッチみたさに。よかったなあ。でもねえわたしは忘れないのだ。95年、ベンゲルが就任してストイコビッチがキれてきてグランパスがすごくいいサッカーをしてるのに、メディアはずっとグランパスを「レッズと並ぶ弱いチーム」という先入観でしか見てなくて、7連勝とかしてもダメで、松木などはグランパス戦の解説をしながらグランパスの選手の名前を全然覚えてなくて岡山と小倉を間違えたりしたのだ(走り方も蹴り方も利き足も全然ちゃうやんけっ)。ストイコビッチだってあのころは単に「上手いけどすぐキレてイエローカードをもらう困ったちゃん」扱いしかされてなかったやんけ。でもやっぱ95年が一番よかったと思う。まだ若かったし、ユーゴが制裁をくらってたおかげもあって日本とヨーロッパのムチャな往復もしてなかったからJリーグに集中してて、キックの精度も動きの速さも華麗さも美しさも最高だった。あのころはまだ他のチームにも高価な外国人がたくさんいたにも関わらず、一番光っていたもの。スーパーサッカーがはじめてストイコビッチ特集を組み、そのすごさをちゃんと紹介してくれたときや、MVPを取った時はちょっと溜飲を下げる思いでありました。その後、ワールドカップ予選とかEURO2000予選とかユーゴの空爆とかでやつれていったストイコビッチを観るのはつらかったもん(って、ここまでひとりの選手に感情移入したのって生まれて初めてかも)。
 ベンゲル後の監督選びで右往左往したり、フロントのよくわからん選手の切り捨てとかがなければ、絶対1度は優勝できていたと思うのだよ。それがすごく残念。95年末の天皇杯なんか、観ててまったく負ける気がしなかったもんなあ。あんなに安心して優勝を確信して気持ちよくサッカー観戦したのははじめてだったもんなあ。あのときは平野も小倉もノってたし。
 それにしてもヴェルディはダメね。あんなサッカーしかできんのなら小倉をトップ下にでもおいた方が何倍もましでしょう。速攻じゃなくてビルドアップしてくサッカーをしたいなら、ひとり全体を観てボールを散らしたり相手の予想を裏切ったプレーができる選手が必要なのに、それがいないもの。三浦を真ん中で使うか、小倉をトップ下に置くかするしかないでしょ。あれじゃ。小倉と武田ってすごく合うと思うし。
 ああ、10月の豊田スタジアムの引退試合を観に行きたいと思ってWebにアクセスするとインターネット分は完売しましたという無情な文字。がーん。あんな田舎のスタジアムであんなでかいスタジアムで……しかも10月の試合で完売っすか。まいった。甘かった。仕方ないので名古屋にいる妹に電話して「チケット確保できたらしてくれー」と頼む。引退試合もなあ、グランパスvsレッドスターより、グランパスvsピクシーオールスターズとか観たかったなあ。ストイコビッチと一緒にやってた元グランパスやユーゴの選手を集めて促成チームを作るの。
 FWが小倉と呂比須とミヤトビッチで、MFが平野と望月とデュリクスと浅野と中西とユーゴビッチとサビチェビッチで(笑)、DFがトーレスと小川と飯島と大岩とミハイロビッチと……いかん、ユーゴの選手の名前が全然出てこない……コバチェビッチとかもいたなあ。いっそのこと、今はクロアチアだけどプロシネツキやボバンも呼んじゃえっ。GKが伊藤とディド。他にもFRANCE98や幻のEURO92でストイコビッチと一緒にやってた選手とかも呼んじゃえっ。監督はベンゲルでもクストリッツァでも(こっちはサッカーの監督じゃないってば)。サビチェビッチがプレイイングマネージャーってのもいいな。ああ、そうなったらすげーチームになって面白いのだがなあ。その気になればかなりの選手が集まってくれると思うのだが。

 夜何気なくテレビを観てたら党首討論みたいなことやってた。小泉首相疲れてた。わざとなのかメイクでも隠せなかったのかはともかく、土井たかこがしつこく「近隣諸国を侵略しようとしたこと自体が間違いだったという認識はないのか?」と問うているのに対し、首相は「無謀な戦争」だったとしかいってない。あとは一般的な平和論に終止。「無謀な戦争」だと「勝てない戦争をしかけたことが問題」と解釈できちゃう。「無謀」だったから間違っていたというわけではないでしょ。そういう感覚の人だったってことが暴露されたと見ていいんだろうね、ありゃ。

○ 07/25

 午前中某社へいってミーティングというかなんというか。CubicVRの宣伝もしたりして。
 午後アップルにて新製品発表会。外では雷雨だったらしい。幸い雨の降ってる時間は家の中。
 ヨドバシカメラへ行く。「DiMAGE7にX接点の外付けストロボをつなぎたいので、ミノルタのアクセサリシューにつけるシンクロケーブルください」といったら「実は最近のαシリーズやDiMAGE7はシューからシンクロ信号を取り出せないんですよ」といわれる。なぬっ。
 ハンズへ行ってかさばるものを買う。最近体調不良が続くのでハイテクっぽい枕とか腹筋鍛えるやつとかその手のもの。
 ナンバー買う。うーんやっぱ増島みどりのインタビューものはいいっ。今回も読んでいて「あ、これは増島みどりだな」と思ったら案の定そうなのであった。彼女のスポーツに対する姿勢や視点がすごくしっくりくるのだ。しかしなぜこれだけ忙しくしててこれだけの仕事ができてジョギングとかリフティングまでやっているのだ? 死ぬぞ。彼女の仕事を観ていると、ああ、もうちょっとねじを巻くか、って気にさせられる。

○ 07/24

 歯医者へ行く。削られる。がりがり。穴が空く。膿が出てくる。よしよし。
 37度だそーである。
 Macの調子がおかしいと思ったら、MP3専用のHDDがおかしくなってやんの。くそー。
 しょうがないんで、中身を何時間もかけて他のHDDへコピー。おかげで仕事にならん。がるる。

○ 07/23

 スカイポーターがスーツケースを届けにやってくる。うーん、便利。
 歯が痛い。昔神経を抜いたとこなので、きっとどっかから雑菌が入って根本が膿んでたりするのだ。うぐ。
 午後某社でミーティング。
 歯医者の予約をする。寝る。

○ 07/22

 日付変更線を越えたので22日なのである。
 午後、成田着。暑い。煮立つほど暑い。荷物をスカイポーターに預け、バスに乗っかって新宿へ行き、自宅へ戻る。
 疲れた。ばたん。起きる。最終日のCubicVR日記を書いてメールする。また倒れる。ばたん。

○ 07/21

 早朝起床。健康的。時間が少しあまったのでMacOS X 10.1の画面写真をまとめてコメントつけてMacWIREにメール。
 同じホテル同じ飛行機だったやはぎさんと一緒にJFKへ。帰りはエコノミー(T_T)。狭い(T_T)。混んでる(T_T)。背中がやんわりと痛むので眠れない(T_T)。
 ANAはいくつかもってる映像チャンネルのひとつで飛行機の真下の映像を常時流してくれる。それを観ていたら、なんと「日付変更線」を発見してしまったのだっ。ををっ。もしやと思って、飛行機の位置を示す地図のチャンネルに切り替えたらちゃんと日付変更線の真上を飛んでいるではないか。知らなかった。日付変更線ってちゃんと描かれていたのだ。びつくりである。


左が日付変更線の姿。右はそのときの飛行機の位置。

○ 07/20

 早朝起床。健康的。CubicVR日記を書いてメール……しようと思ったら、STSNが壊れてやんの。IPアドレスは取得できてるから、どうも外へ出ていけてないらしい。はー。なぜかモデムでもつながらず、話にならないので松尾へんしうちらの部屋へ乱入し、そこでメール。ついでにそこでデジカメレポートとフォトレポートを書いてメールし、へんしうちおに昨日のブリーフィング内容をメモして渡す。
 EXPO会場へ行って最後の悪あがき。特に買い物はない。HOODMANでD1用の液晶モニタカバーを買ったくらい。
 へんしうちおに通訳してもらってKaidan社の社長に簡単なインタビュー。
 夜、11人でぞろぞろとグランドセントラル駅地下のオイスターバーに。途中でやはぎさんに付き合ってニューヨーク・メッツの公式ショップへ寄る。うげ。メッツの店なのにイチローグッズまでありやんの。新庄コーナーとイチローコーナーが向かい合ってるのだ。店の人曰く「いやあ、実はうちの売り上げの80%以上は新庄とイチローなのだ。わははは」。なんてこった(笑)。
 とかいってたらちょっと待ち合わせに遅れたが、なんとかグランドセントラル駅到着。ニューヨークへ入ったらオイスターバーは欠かせない。クラムチャウダーやら牡蠣やら海老やらを堪能する。うが。
 ホテルへ戻ってKaidan社社長インタビュー記事をまとめてメール。CubicVR日記は……オーサリングしてるヒマと元気がないので帰国後かなあ。さすがに。

○ 07/19

 早朝起床。CubicVR日記を書いてメール。「パソコン購入ガイド」にEXPOレポートの原稿を書いて写真とともにメール。午後からEXPO会場へ。
 夕方、アップルの新製品ブリーフィング。しかし、英語がわからんと不便だぞこれは。
 ホテルに戻ると、STSNがなぜか絶好調。うーむ。昨日までの遅さ不安定さはなんだったんだろう。
 調子にのってiTunesでストリーミングを聞きながら飯を食いつつ、CubicVRのオーサリングなどを行うも、やはりばたんと寝てしまう。いかん。

○ 07/18

 朝6時半過ぎにホテルを出て(ちなみに部屋を出たのが6時29分で1階にたどり着いたのは6時36分。24階から1階に下りるのに5分以上かかるホテルなのであります)タクシーでコンベンションセンターへ。基調講演の日である。
 相変わらず段取りはいい加減であったが昨年よりはまし。ジョブズが喋ってる間、フラッシュを焚いているメディア関係者を見つけては「No Flash!」とアップルの人間が言いに来るのだが、いちいち相手を間違えてるのがおかしい。カメラにフラッシュを装着してない人間を捕まえて文句いってどーするのだ? 
 基調講演自体はコダックのDC3400をジョブズが放り投げたりしたもののとりあえず終了。
 プレスルームで写真の選別を行い、フォトレポートを作る。引き続き会場を見て回ったりCubicVRを撮ったりしてへとへとになった上にプレスルームでMacPeopleビギナーズにコメントを寄せ、歩いてホテルへ戻る。へとへと。
 ばたんと倒れて眠る。

○ 07/17

 MacWIREにCubicVR日記をアップ。マリオットマーキーズはSTSNを導入して「ハイスピードインターネット」ってサービスをしているんだが、これが遅い遅いっ。ヘタしたらISDN並なの。なんだかなあ。ドアの隙間に封筒が投げ込まれる。日本から来たFAXである。ああ、追いかけてきたゲラチェックだああ。昼頃へんしうちおらと合流してコンベンションセンターでレジストレーション。オンラインで申し込んであったのでパスポートと名前がちゃうやんけといわれつつもつつがなく完了。会場でCubicVR撮ったりブロードウエイでCubicVR撮ったりそれをオーサリングしたりゲラをチェックしたりそんな感じで一日が過ぎていく。
 夜、三井さんらと合流してコリアンタウンで韓国料理っつーか焼き肉。
 CubicVR日記を書いてメール。くそっ、遅いぞSTSN!。

○ 07/16

 なぜ向かい合わせの4人座席なのかよくわからぬ成田エクスプレスに乗ってぐるっと成田空港へ向かう。スーツケースがないのはムチャクチャ楽である。かなり楽である。かなりいい手だ。
 空港でスーツケースを受け取り、ちと荷物を整理してチェックイン。マイレージを使ったアップグレードを利用したのでビジネスクラスなのである。こちとらもう席が広いだけでうれしい。それだけ。エコノミーでNYまでひとりで行くのってしんどいもの。ヘタしたら新幹線より窮屈なんだから。体も心もしんどい。
 CLUB ANA……いろんなビジネスクラスを経験した人によると、イマイチだそうな。普通はもっと椅子がリクライニングするんだそうな。食事も凝ってるんだそうな。わたしはといえば……確かに「なんか違うんじゃない?」というか「テイストに欠けるなあ」とは思っていたのだけど。
 何はともあれ、ビジネスクラスにアップグレードしといたおかげで、背中とか腰にはとても楽なのでありました。それだけはラッキー。

 16日の朝、NY着。何度乗っても日付変更線はナゾだ。
 マリオットマーキーズにチェックイン。99年に泊まったときとほぼ同じ部屋。99年は23階、今年は24階だったってだけのような気がする。よくは覚えてないけど。
 さっそくSTSNを使ってイーサネットでインターネットに接続……遅いぞっ。なんでだああっ。ナゾだあ。これじゃあISDNとかわらへんやないか。巨大ホテルだから? 大勢が一度に使ってるの? うーむ。
 一緒の飛行機だったやはぎさんと昼飯を食い、そのまま五番街とかMOMAとかへお散歩。疲れた。MOMAはすばらしかった。もうほんとに。改装中でかなり縮小されていたけど、でも、ピカソにしろマティスにしろモネにしろウォーホールにしろゴッホにしろ……むちゃくちゃ凄いわ。ただ震えながら泣くしかないという感じ。まいりました。


 疲れたのでしばし気絶。夜中、MacWIREへんしうちおらと合流してCubicVRを撮ったり飯を食ったりする。部屋にもどってまた気絶。やはり疲れた……。

○ 07/15

 午後という話やったのに、12時ちょうどくらいに宅配便がスーツケースを取りに来てしまい、寝ていたわたしは慌てて飛び起きてちゃんと準備できてるんだかできてないんだかわからないスーツケースの蓋をばたんとしめてそそくさと渡したのであった。うーむ。何を詰め込んだのかよく覚えてないぞ。大丈夫か。
 パソコン購入ガイドのレビュー1本とDOS/Vマガジン連載に追加で1文書いて作例とともにメール。
 突然インターネットにつながらなくなる。うげ。今度はなんなんだ。とりあえず普段使ってるASAhIネットから予備でおさえてるDreamnetへ切り替えてみる。うまくつながる。ASAhIネットのホームページを観る。なんともはや、回線障害が起き、東京のフレッツうんちゃらが停止してるらしい。なんだかなあ。そらつながらんわ。うーむ。フレッツISDN対応のプロバイダを複数もっといてよかったと思った瞬間であった。ひやひやさせてくれるわい。
 渡米準備。VisorEdgeの環境を作って必要な情報を転送し、HDDのバックアップを取り、ついでに以前買ったFirewire接続のCD-RWドライブをつないでSCSI接続のをはずし、ついでにSCSIカードも取っ払ってPowerMac G4に関しては完全な脱SCSI環境を完成し、そしたら今までうまく働いてなかったスリープもしてくれるようになり、何はともあれ、渡米前日にやることじゃないよな、これ。

○ 07/14

 渡米前にHDDのフルバックアップでもとっておくかと思ったら、バックアップ用のHDDが足りない。新宿へ買い物に行く。Firewireの40GB HDDが25,000円である。安くなったものだ。ついでについつい赤のVisor Edgeを買っちゃう。あらま。まあこれがひとつあるとあっちで便利だし。最近はなんかあるとビームで情報交換してたりするから。
 ついでにバーゲンだなあってことで丸井でちょいと買い物。暑い中歩き回ってたら少し調子がよくなってきた。ほっ。
 DOS/Vマガジンの連載をまとめてメールする。
 ストイコビッチがホームでラストゲーム。ああ、もう7年か。1993年の秋だったか94年だったか、たまたま古瀬さんに「今度はじまったJリーグって面白いから見てみな」といわれ、どうせなら地元のチームをと名古屋グランパスに注目。でもメタメタに弱くてなんだかなあと思ってたら、94年秋にストイコビッチとビニッチが来日。実はストイコビッチって知らなかったんだけど(90年W杯はけっこう見ていたのだが、ユーゴの試合だけ見そびれていたらしい。90年W杯のオフィシャルフィルムにもユーゴはひとっこともでてこなかったし←これはひでーと思う)、95年にベンゲルがやってきてからだんだんとグランパスのサッカーが面白くなり、ストイコビッチが本来の巧さ美しさ気性を見せ始めた頃から本格的にサッカーにハマっていったのである。
 ストイコビッチがいなかったらたぶんここまでサッカーにハマることはなかった。それほど95〜96年のストイコビッチはキレていた。いろんな人がいってるけど、勝負と芸術が融合してたってのはほんといえてると思う。特にあのわかっちゃいるのに相手DFが間をハズされてコケまくるキレた切り返しとか、前でも横でも後ろでも関係なく自然にパスできる巧さと優雅さといい、エンターテイメント性といい、あやうさといい。
 フェイントは「技」じゃなくて「間」なんだなあと教えてくれた人である。「間」がいいからほんのちょっと蹴るフリをして筋肉を動かすだけで相手DFがつられて転びまくるのだ。あんな痛快なシーンはなかった。一度それを知ると、86年W杯でマラドーナが見せた5人抜きのゴールがいかにすごいかが肌でわかる。あれも「間」なのだ。
 ベンゲルがいたころのグランパスはストイコビッチがボールを持ったらフリーの選手はスペースを見つけて走り出すというお約束があり、「なんで誰もいないとこにパス出したのにちゃんと味方がフリーで走り込んでいるのだ?」とサッカーをフィールドで観る面白さを教えてくれた。今のグランパスでそれを見せてくれるのは、ベンゲル時代にそれを身につけた岡山と森山だけじゃないかと思わせる。当時のグランパスでスーパーサブ的に使われていた中西哲生さんに取材した時もあの時のサッカーはプレイしていて面白かったといっていた。
 ストイコビッチがいなかったらクストリッツァの映画を観ることもなかっただろうし(インタビューでクストリッツァの「アンダーグラウンド」を紹介していたので、観てみようと思ったのだ。実のところ)、ユーゴ空爆にこれほど興味を持つこともなかっただろう。
 最終節は東京ヴェルディが相手か。ああ。くそー。小倉がいるとこやんか。くそー。観に行きたかったなあ。でもNYにいるので無理なのだ。とほほほ。

○ 07/13

 うーむ。やっぱ悪化したかも(バカだ)。でも気を取り直してMacWIREの原稿を書き、DOS/Vマガジン連載をまとめ(つつこれは途中で挫折し)、安静にしてようと思って「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のDVDを観る。これはすごかった。淡々としててリアルでビョークで。ひさびさに感情移入して映画を観たですだよ。こんなん見せられて仕事なんてできるかっ、ってんで寝る。

○ 07/12

 あまりに「医者へ行け」「鍼がいい」「整体だあ」というメールをもらったし、午後まで寝ていてもやっぱ痛いものは痛いので、しょうがないなと近所の整形外科へ行く。ぎっくり腰の軽いヤツでここの筋肉のなんとかがなんとかで固まっちゃってるんでしょうってことで、温めて電気を流すとかいう治療し、処方箋を持って薬局へ行って貼り薬と飲み薬を買う。薬を飲んだらそれなりに痛みが治まったので(まだ重いって感じはあるものの)、たまりはじめてた仕事にとりかかる。
 DOS/Vマガジン連載のテープ起こしをする。パソコン購入ガイドのレビューをひとつ書いて送る。日経NetNaviの特集の残り3ページを書いて送る。ぐほー。なんかまとめてすんげー働いたぞ。うぎゃ。悪化しなければいいが、NY行きを前にして終わらせねばならない仕事は終わらせねばならないしなあ。とほほ。ガンバレあーろんちぇあっ。
 「混沌の屋形船Directぜんぶ」1999年後期編(というか下半期)がアップロードされる。

○ 07/11

 朝近所の喫茶店で日本実業出版社のへんしうとムックについて打ち合わせ。
 どうやらぎっくり腰ではないかという指摘あり。うーむ。そっか。なんでそれを考えなかったのだろう。アホかも。
 テープ起こしは途中までやってダウン。日経NetNaviの原稿に関して電話やメールで打ち合わせ。
 遅れていた「混沌の屋形船Directぜんぶ」1999年後期編についてのコメントをつける。

○ 07/10

 ネコがお腹に飛び乗ったショックで目覚めたのが午前6時。いかん、ブツ撮りしてないや、と慌てて撮影し、早起きしたからには頑張って仕事しようっ、と思ったのは気のせいだったのか、お昼過ぎてからまた寝てしまう。ぐー。
 どうも背中の痛みがひかない。身体を前に曲げると痛い(靴下を履く時とか)。困ったな。アーロンチェアに座っていても鈍く痛むので仕事に集中できないのだ。いったいナニが痛んでいるのだろう。最初に痛みが走った時はそうひどくなかったのだが、その夜にピークを迎え……あとは一進一退の攻防である。以前も疲れがたまるとやってきたものなのでそう心配はしてないのだが、何しろNY行きが控えていてそれまでに終えておかねばならない仕事がいろいろとあるのだ。はー。というわけで、少し弱音を吐いてみた。
 DOS/Vマガジン連載のテープ起こしに取りかかるが集中できないので中断。日経NetNaviの特集の1.5ページ分を書いてメール。

○ 07/09

 気を取り直して写真を整理したり日経NetNaviの連載第1回を書いて送ったり図版を用意したりして過ごす。背中はまだ痛い。

○ 07/06-08

 飛行機で大阪方面へ。いやあ、(前日までに予約すれば)羽田から伊丹まで11,750円っすよ。のぞみだと14,000円以上っすよ。空港までの交通費とか空港までの手間暇とかも絡むけど、でも、最近は新幹線に乗る気がしない。羽田にもっと簡単に行ければなあ。
 PBG4に三脚に各種デジカメにさらにBD-1を抱えて行ったせいか、着いた日に背中を痛める。うーん、今までも疲労が溜まってくるとときどきグキリとやってたんだが、こんなときにコなくてもなあ。おかげでずっと身体ぼろぼろ(泣)。あまりに痛くて仕事もほとんど進まないのであった。
 また天気予報は大はずれ。暑かった。かき氷食いたい。おいしいダッチコーヒーを飲みたい。
 toto買い忘れた。まいっか。

○ 07/05

 ねみー。あぢー。朝からアップルでQuickTimeVRセミナー。なんやかやで参加者だったフォトグラファーふたりとオペラシティのアンナミラーズ。話をしててはたと気づく。ああああああああああ、あの女の子の部屋VRの方でしたかああ。当時はあのQTVRを観て、うーむ、くそー、こういうの撮りたいなあ、銀塩で撮ってるなあ。どうしてこんな狭い部屋でこんなきれいにつながるんだろう、うーむ……とうなっていたのである。こんなところでお会いできるとは。
 MacPeople編集部へよってブツを渡して帰宅して少し寝てMacPeople連載の原稿を書き、MacWIREのコラムを書き、日経NetNavi用の図版を用意する。よく働いた一日なり。

○ 07/04

 レビュー用デジカメを持ってぶらぶらと明治神宮を抜けて新宿へ。FirewireのCD-Rドライブなどを買い物し、日本vsユーゴスラビア。
 その後作例をまとめてメールし、MacPeopleのデジカメレビューを書き、連載用の図版をこしらえて送り、その他もろもろ。いかん、忙しくなってきた。

○ 07/03

 ……ナニをしていたのだかよくわからないほど暑い一日。延々と作例づくりやらメールやら電話やらしてた気がする。ひさびさにWindowsマシンを動かした。たはー。

○ 07/02

 ナニはともあれ懲りずにCubicVRの日々。だんだんとコツがつかめてきた。ふふ。NYまでになんとかなりそうだ。池田さんにもいろいろとレクチャーを乞う。
 MACLIFEの連載をざくっと書いてメール。その他電話やらメールやらで打ち合わせしたりなんやかやで夜になる。

○ 07/01

 ちゃんと朝起きた。せっかく早起きしたので三脚とCOOLPIX 990と魚眼レンズとKiWi990を用意して自転車にまたがり、CubicVR素材撮影に走り回る。ふははははは。なんとなくコツが分かってきた。とりあえず興味あるかたはとりあえずコレをどうぞ。東急世田谷線三軒茶屋駅です。要QuickTime 5.0です。時間と体力があるときにCubicVRページを作ることにして今日はここまで。
 日本vsパラグアイを見ながら……なんか鼻水が出るなあ、だるいなあと思ったらどうも風邪を引いたらしい。くそー。困ったな。
 とりあえず、CubicVRをオーサリングしたり細かい原稿を書いたりメールを書いたりしつつだらだらする。


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