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残光

 

ブルックリンからグリニッジヴィレッジへ

タイムズスクウェアからブロンクスへ

一服のヤクを求めてさまよい歩く

ぼくの時代の最良の精神たちよ、

アメリカの詩人は狂気の沸騰する時代のただ中でそう書いた。

そして、人間たちへの深い悲しみのまなざしを投げて

ガンガーのほとりの死体焼き場へとおもむいた。

ホモセクシャルとヤクの衝撃的な痙攣と

吠えずにはいられない神聖な精神の爆発、

ぼくはその詩をひとり静かに

日本の古都の小さな喫茶店で読み、

いつか人間たちのいなくなった遊星の上の

雪の降り積もったエンパイアステートビルに

天使たちが降り立って

冬の日の朗々たる光を浴びるだろうと

破れたノートの切れ端に書き付けた。

 

深い霧が意識を厚く覆った長い道の途上で、

ほんの一瞬存在が透明になった時間だった。

無意識の闇の上にある人間の意識のような

無限の海のはてない眠りの中で、

ぼくは突然、

存在の核心に突き当たるための

何者かの一撃を感じとることができた。

 

そうだ、

かつてアル中の画家は

ペンキをキャンバスに放り投げた。

そして錯綜する色と線で

混沌とした宇宙の底に潜む

深く敬虔な響きを描き出した。

インドで修行した音楽家は音によるマンダラを描いた。

そして単調なフレーズの繰り返しによって

存在が時間と空間から自由になる瞬間を

無限の中へ溶出させていった。

一方、学者たちは緻密な計算を繰り返し、

存在の核心に迫ろうと試みた。

そして数億年前にうごめいていた生き物たちを

意識の中に復活させてみせた。

四十六億年の地球の歴史をひもとき、

たった一度のビックバンを描いてみせた。

小さな花粉の中の生命の輝きにも

巨大な宇宙の冷徹な法則が脈打ち、

その重々しい時の流れが

小さな蟻たちの体の中にも凝集していることを証明してみせた。

 

百数十億年前のたった一度のビックバン、

けれどウパニシャドの作者たちは

四十三億二千万年がブラフマーのただ一夜であり、

ブラフマーの一生は百八ブラフマー年続くという

巨大な宇宙を知っていた。

インドラにインドラが続き、

ブラフマーにブラフマーが続く。

たとえ大地の砂粒の数、

空から降る雨粒の数を数える者がいたとしても

次々と並んでゆくインドラの数、

空間の広大な無限性をかいくぐって

それぞれのインドラ、

それぞれのブラフマー、

それぞれのシヴァをいだいて

ずらりと並んでいる宇宙の数を

いったい誰が数えることができようか、

といわれる宇宙の渦。

その宇宙の臍にヴィシュヌが座り、

永劫のまどろみの中に横たわっている。

やむことなく繰り返される創造と破壊、

その破壊を愉悦に満ちた、

けれど冷淡な表情で踊る

宇宙の破壊者たるシヴァ、

その表情には

宇宙の法則に従って淡々と己のなすことをまっとうし、

それを己の喜びとしてゆく神の心が溢れ出している。

 

その踊りはきれいな美術館の一室の

小さなガラスケースの中に収められていた。

ぼくは静かな美術館をゆっくりと歩き、

人間たちの狂気と沸騰する野望とが生み出した

途方もないものどもの残骸を見て回った。

そして人ごみをかきわけてエンパイアステートビルに上り、

青空の下に広がる煌々としたビルディングの群れや

夜の美しい夜景に目を見張った。

 

けれどビルから見渡せる煌々たるネオンの下では

今日も生き物たちの喘ぎと呻きが続いているのだ。

カディッシュの祈りを歌った詩人も年をとった。

ペンキをキャンバスに放り投げたアル中の画家は

電柱にぶつかってあの世へ行った。

存在の苦悩を謳ったユダヤの詩人はセーヌ川に身を投げた。

カシスで石や魚たちと書いた画家は

馬肉にあたって一生を終えた。

存在を探求する者たちへの

情け容赦ない仕打ちが

依然として遊星の上を荒れ狂っている。

 

かつてブッダは菩提樹の下に七日間結跏趺坐し、

縁起の神秘を測り終え、

一切の個別化された存在の束縛についての

新たな理解を廻らせたものだった。

生きとし生けるものすべてを束縛する

生れついての宿命的な力を

輪廻の輪から離脱させたものだった。

けれど、

金色の鳥が舞う荒野で仏頭を刻んだ仏師たちは舞台を降り、

瞑想のブッダはパキスタンの野のただ中に立ちすくんでいる。

 

ぼくはアメリカの静かな公園の

小さな池のほとりで立ち止まった。

その池に住むみずすましたちは

千年前この池にいたみずすましたちの

末裔かもしれなかった。

十万年前には

この池のほとりで

一匹のかもしかが水を飲んだかもしれなかった。

けれど一千万年前にはこの池はなかった。

ここは海の底だった。

一億年前、十億年前、ここには何があったのだろう。

そして百億年前、地球はまだなかった。

いや、“ここ”なんてことはありえない。

いかなる場所もこの巨大な宇宙の中で

ものすごいスピードで動いているのだ。

何十億もの恒星からなる銀河系宇宙、

その銀河系を含む二十の銀河群、

その銀河群が構成する超銀河集団。

ゴーゴーと粒子と粒子の運動を続ける

冷たい宇宙。

けれど運動の火炎が絶えず飛び交い続ける熱した宇宙、

百数十億年前のたった一度のビックバン。

けれどヴィシュヌはその創造と破壊を

数えることもなく繰り返しているのだ。

微妙で地上のものでない

官能的な魅惑と

夢のように優雅な妖艶さ。

悟りの体験への内的な没頭と

穏やかな離欲の精神。

 

ぼくはたった一人で歩いた。

無言のビルディングの哄笑のはるか上空で

何ものでもないものたちの残光が輝いていた。

 

[付記]

この作品の冒頭部分などで、アメリカの詩人アレン・ギンズバーグの代表作『吠える』(Howl)の詩句を用いています。

 

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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 第7詩集『架空世界の底で』