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神話『ブルーポールズ』
【第6巻】(未来の巻)-3
こうしてビハールでのナユタの新しい生活が展開していった。ドレッシェルはナユタにマーシュ大学での講演やあるいはできることなら定期的な講義をして欲しかったようたが、ナユタはそれは受けなかった。
その代り、ナユタはドレッシェル教授と個人的に意見交換したり、ドレッシェルのゼミに定期的に出席することにし、さらに、バルマン芸術院にも席を作ってもらい、新音楽の探求を行うとともに、バルマン芸術院のメンバーとの交流を行うことにした。
ナユタが出席した最初のゼミで、ドレッシェルが取り上げたのは、「進歩」についてだった。
ドレッシェルは次のように話を始めた。
「ルガルバンダが拓いたこの世界は、ある意味、良くも悪くも、欲望を満たすことを第一にした社会だった。ルガルバンダの覇権が倒れた後も、ルガルバンダによって火をつけられた神々の心の内の欲望は決して消えなかった。欲しいものを手に入れるためにしのぎを削る社会、それが手に入れば、次の欲求に必死になる社会、より多く手に入れる者が羨望のまなざしを浴び、より多く手に入れようと努力することが優れたことと評価される社会だ。さらに、ヴィダールが始めた創造によって地上で激しい技術革新が起こり、それによって得られる快適さや新しい喜び、新しい興奮などが神々の世界にも押し寄せると、その欲望はさらに高まったように見える。当時、地上では、進歩があたりまえのこと、当然のこととして捉えられ、神々の世界でもこれからは進歩の時代だということが大いに叫ばれたものだった。」
そう語るドレッシェルは一枚のグラフをスクリーンに映し出した。
「これはよく知られたグラフだが、」
と言って、ドレッシェルは説明を続けた。
横軸が年、縦軸がエネルギー消費量の片対数グラフだった。ウパシーヴァ仙神が言っていたことに相当するグラフだった。グラフには二本の線があり、一本が地上のもの、もう一本が神々の世界のものだったが、二本とも指数関数的にエネルギー消費が増えてゆく様子を示していた。ただ、そのグラフでの最新の年はシュリー紀元百六十年だった。
「このグラフによって、進歩は加速度的に起こり、その速度はどんどん速くなってゆくと主張された。進歩は加速度的に進むという説が、ある意味、通説となったわけだ。ある技術革新が起こると、それが派生的にさまざまな新たなブレークスルーを引き起こすため、進歩がどんどん速くなると説明された。だが、このグラフを見て、おやっと思った者もいると思うが、このグラフは紀元百六十年までしか示していない。これがこのグラフのみそなんだが、それでは、その先はどうなるか?」
そう言って、ドレッシェルは次のグラフを出した。
「最初に出したエネルギー消費量の推移を示したグラフはシュリー紀元百六十年までのものだったが、これは、その後の変化を示したものだ。」
そのグラフによれば、エネルギー消費量は、シュリー紀元百六十年以降は伸びが緩やかになってきているのが見て取れた。
「少なからぬ学者がこのデータに基づいて、進歩が緩やかになり、やがて進歩は止まると主張した。だが、これに反対する学者も多かった。彼らは、エネルギー消費量の増加がなくなっても、あるいは減少に転じたとしても進歩は加速度的に進む。エネルギー消費を抑えられること自身が進歩なのだ。彼らはそう主張した。」
それはナユタがウパシーヴァ仙神から聞いていた話の通りだった。
ドレッシェルは話し続けた。
「私たちの実感としてはどうだろう。たしかに加速度的に進歩が起こっている領域も少なくないが、進歩が緩やかになってきている科学領域が増え、全体としての変化はかつてに比べてだんだん緩やかになっているように私は感じている。かつては、世の中に進歩に取り残されまいと必死についてゆく神々がたくさんいたものだが、いまではそんな心配をする者はほとんどいないんじゃないだろうか。」
この問いかけに、出席者の多くがうなずいた。ドレッシェルが続けた。
「定常になるのか、進歩は続くのか?それはまだ議論されている。だが、進歩が緩やかになっているのは間違いないと私は考えている。また、一部の学者は、無限の欲求がある限り、この社会は無限に進歩を続けると主張しているが、ほんとうにそうだろうか。君たちはどう思う?」
この問いかけに、
「先生。」
と、さっそくひとりの学生が手を上げた。
「以前のゼミで、先生は、たしか、過去の神々と創造された人間の世界を見てくると、進歩し発展した社会は必ず、その発展によって生じる矛盾によってその発展を阻害する力が働き、社会の崩壊や停滞につながる、ということをおっしゃっておられました。そう考えると、一部の学者の言う無限の進歩はありえないことになると思います。」
「良い視点だ。ではまず、この点から議論しようじゃないか。」
そう言って、ドレッシェルは微笑んだ。
「たしかに私はそう言った。だが、進歩は無限と主張する学者たちはこう言っている。現在の我々の世界は、自らの社会の発展が引き起こす矛盾とそれによって生じる阻害要因を克服できているとね。たしかに一見するとそう見える。かつての進歩や発展は、社会格差と貧富の差を増大させ、その結果、支配者と被支配者の軋轢が増大した。その軋轢を抑え込むために、さまざまな権威や武力が必要となり、それらが交錯して社会の歪み、矛盾が増大し、極限的な悲惨さを生み出しさえした。だが、今、我々の世界では、進歩と発展は社会格差と貧富の差を縮小させ、社会の根本矛盾を解消する方向で進歩が進んでいる。ギランダ法案や資産税法が大きな役割を果たしているとも言える。だから、発展を阻害する力は生まれず、新たな欲求が新たな進歩を生み、進歩は無限に続く。一部の学者たちはそう主張しているのだ。」
別の研究員が発言した。
「でも、無限ということはそもそも原理的にありえないのでは?」
「たしかに、原理的に、無限というのはおかしいかもしれないね。ただ、進歩は無限と主張している学者たちはこう主張するだろう。言葉通りの無限というのは適切ではないかもしれない。ただ、現在は究極のところにまったく到達していないわけで、『進歩は実質、無限に見えるくらいこれからも続く。』という意味なのだ。言葉の表現として、『進歩は無限』と言っているだけなのだ、とでも言うのではないだろうか。」
この言葉に出席者たちは考え込んだ。誰もが、ドレッシェル教授は進歩は無限には続かないと考えているのだということを知っていたが、「進歩は無限には続かない。」ということを主張する論拠を持ち出せなかった。
発言する者がいないのを見て、ナユタが発言した。
「新参者の私が発言するのはおこがましいかもしれませんが、」
「いえいえ、どうぞ自由に発言なさってください。そういう場ですから。」
ドレッシェルが笑顔で答えると、ナユタは
「ありがとうございます。」
と言ってさらに続けた。
「私は以前、森でウパシーヴァ仙神と進歩は停滞しつつあるという話を交わしたことがあります。そのときのウパシーヴァ仙神の言葉を思い出しながら今しゃべっているのですが、進歩は不満から生まれ、逆に満足は進歩を停滞させるとは言えないでしょうか。私はこのビハールに来てまだ日が浅いのですが、ここではっきり目の当たりにしたのは、現代の社会が神々の心を非常に満たしているということです。物質的な充足と時間的なゆとりがあり、制約のない自由な世界であり、さまざまな喜びや楽しみで満ちている世界です。そんな世界は、新たな進歩を生み出す力を弱めるのではないでしょうか。現状に満足する心は進歩を生み出さない、とは言えないでしょうか。先生は、発展によって生じる矛盾によって発展を阻害する力が働くと言われたとのことでした。発展には不満が不可欠なのに、発展によって不満が減少し、そのことが発展を阻害することにはならないでしょうか。」
ドレッシェルは軽くうなずいて、少し話題を変えて次のように言った。
「その点を考える上で、ネオビートニクは良い題材だと思っています。神々の世界でネオビートニクが、シュリー紀元百五十年頃、ビハールに出現したのをご存知ですか?」
「ええ、直接には知りませんが、情報は入っていました。」
「そもそも、ビートニクは、創造された地上で、最後の世界大戦が終わってしばらく経って現れた現象でした。当時、若者たちが突然、だらしのない身なりでニュークルツの一角にたむろし始め、放縦の生活を始めました。彼らは義務を嫌い、古い価値観を否定し、反抗の精神を露わにしました。フリーセックスを賞賛し、闘争を忌み嫌いました。そう言う意味では、自由性愛はビートニクの産物でもあります。当時、多くの人々はそれを理解せず、偏狭な敵意か、冷笑を伴った無視で対応したものでした。」
「ただ、その現象はわずか数年で消えたと聞いています。当時、私もニュークルツにいて、その若者たちを目にしましたが、社会に浸透することはなかった。」
ナユタがそう口を挟むと、ドレッシェルは軽く微笑んで言った。
「社会に浸透することはなかったという表現は正しくないのではないかと思います。たしかに、表面上は消えたかもしれません。でも、それは消えたのでもなく、彼らが世の中に同化してものでもありません。世の中が彼らを受け入れたのです。そして、彼らの精神こそが、次の時代の基礎となる精神なったのです。」
ナユタがなるほどという表情でうなずくと、ドレッシェルは、スクリーンに別の資料を映し出した。『地上のビートニクと神々のネオビートニク』と題された資料で、何年か前の学会での講演資料のようだった。
ドレッシェルはその資料を使って説明した。
「神々の世界に、ネオビートニクと呼ばれる現象が現れたのは、シュリー紀元百五十年頃でした。当時は、百四十七年にギランダ給付法が施行され、ある意味、一切働かなくても生きてゆける制度ができた直後でした。ギランダ給付法に反対する神々は、そんなことをしたらみんなが怠惰になり、社会のモラルが崩壊すると警鐘を鳴らしたのですが、まさにそれが形に表れたのがネオビートニク現象と言えます。精神構造的には、創造された地上での過去のビートニクの影響も大きかったと思います。彼らはかつての地上のビートニクと同じように、神々の義務を嫌い、古い価値観を否定し、自由恋愛と自由性愛を賞賛し、闘争を忌み嫌いました。」
「ただ、そのネオビートニクも長くは続かなかったのでは?」
ナユタがそう言うと、ドレッシェルはその通りという表情を見せた。
「地上のビートニク同様、ネオビートニクは長くは続きませんでした。しかし、先ほど、地上のビートニクは消えたのではなく社会が受け入れたと言いましたが、同じように、ネオビートニクも社会に受け入れられたのです。なぜなら、ネオビートニクの精神は、世の神々の心の奥底に眠っていた精神だったからです。本当に望んでいるものと結びついたものだったからです。」
「それはどういう意味でしょう。」
「それまで神々の世界は常に緊張した世界でした。ヴァーサヴァの創造の時代までは、神々は清貧の中で生きていました。偉大な神々ですら、贅沢にはまるで無縁でした。しかし、ルガルバンダ時代に入ると経済的な発展、技術の進歩が始まりました。そして、ヴィダールが新たな創造を始めると、創造された世界での科学技術の進歩を取り入れることによって飛躍的な経済発展が始まりました。そして、ギランダ給付法です。この豊かな社会こそネオビートニクの源泉です。安定した経済が当たり前であり、不安も貧困も欠乏もない世界、その中で育った若い神たちの心にあったもの、それは、古い権威の否定でした。彼らには成功への努力は無縁だったのです。」
ナユタは答えた。
「たしかにそうかもしれません。そういう意味では、神々は使命を忘れ、ひ弱になり、ただ、自分たちの欲望にだけ目を向けているように見えます。」
「その通りです。かつてのヴァーサヴァの時代にはすべての神は為すべきものを持っていました。偉大な神々はそれぞれ崇高な使命を背負っており、それ以外の神々もみな世界を支えるための義務を持っていました。しかし、今やそのようなものはこの世界を生きるために必要なものではなくなりました。必死に働く必要はなく、変化も進歩もゆっくりした世界で、けれど、刺激だけは求めている世界です。そして、刺激は溢れんばかりに提供されている。だから、いわゆるハードワークをする者はいなくなりました。もちろん、好きで必死で働く者がいないわけではありませんがね。そして、基本的神権という考え方がすべての神々を護っている。理想をめざし、自らの使命を果たそうとする崇高な精神、モノを求めず精神の清らかさを尊ぶ心は失われてしまったように見えます。」
「それに関連するかもしれませんが、今の世の神々は本を読まなくなったと聞いています。かつては、宇宙開闢以来のすべての書物を読んだというルガルバンダのような神もいたわけですが。」
「同感です。ただ、厳密なことを言うと、必ずしも本を読まなくなったわけではありません。むしろ、現代はかつてないほど本が読まれ、そしてかつてないほどのスピードで消費されているのです。ただ、その本というのは、軽い本です。神々の興味をそそる題材について書かれた本、底の浅い小説などなどです。古典を読む者はめっきり減りました。自らを高めるために哲学書を読み、思索に耽るということもなくなりました。」
「そういった意味では、皆、自らの感覚を満たし、喜ばすために本を読んでいるということですね。そして、世の神々の生き方も。」
「その通りです。かつて、偉大な神々の心の本質は世界への挑戦であり、世界との戦いであり、それがさまざなま英雄的精神と英雄的行為、まさに創造的行為を生み出してきました。それは、例えばナユタさんでした。ナユタさんは、世界との際限のない戦いをするよう運命づけられていたように、私には見えます。そして、あなたは常に求め続け、決して満足することがなかった。」
「そうかもしれません。そして、現在も、この世界の在り方に対する強い疑念が心の底に沈んでいるのも事実です。」
そのナユタの言葉にうなずくと、ドレッシェルは言った。
「その現在の世の中こそ、進歩がもたらしたものであり、そして同時に、その行き着く先は進歩の終焉ではないかというのが私の基本的な考えです。しかし、かつては進歩の終焉を予言し、警告を発する者も多かったが、今はそんな者たちも少なくなりました。みな、この世界に満たされているのです。でも、少なくとも、私は科学技術の進歩が終焉とまでは行かないとしても、進歩が緩やかになっているのは実感していますし、それが我々の世界に及ぼす影響は決して小さくないと信じています。私の研究室で、科学技術の進歩と我々の世界の関係について検討を重ねている学者がいますので、次回は、彼女に話をさせたいと思います。ナデシュダ博士、どうかね。」
名前を呼ばれたナデシュダという女神ははっきりした声で笑顔を見せた。
「ありがとうございます。準備させていただきます。」
「よろしい。では、次回は二週間後に。」
ゼミが終わると、ナデシュダはドレッシェルとナユタのもとにやって来て、改めて挨拶した。
「ナユタさんが問いかけられている神々の在り方というものに対して、科学技術の進歩がどのようにかかわっているかを私の研究に基づいてお話しさせていただければと思います。」「ありがとうございます。それで、ナデシュダさんはどういうバックグランドをお持ちなんですか?」
ちょっと意表を突かれた質問だったのか、一瞬彼女は口ごもったが、すぐに答えた。
「私は大学で心理学の講座で学び、神々の欲望や衝動の起源、すなわち、何によって欲望や衝動が起こるのか、何が欲望や衝動に作用するのかを研究して、博士号を取得しました。それで、今は、ドレッシェル先生の研究室で、何が科学技術の進歩を引き起こすか、進歩の速度を決めいてる因子は何なのか、それと神々の欲望や衝動がどう関わっているのか、ひいては社会がどう作用しているのかを研究しています。」
「それはおもしろい。二週間後が楽しみです。」
「ナユタさん。彼女は気鋭の学者ですのでね。期待していただければと思います。」
そうドレッシェルが付け加えた。
二週間後のゼミで、ナデシュダ博士は、まず、こう前置きした。
「今日は最新の研究成果も交えて、科学技術の進歩の影響について論じることが目的ですが、その核心に入る前に、一つの質問、一つの問題提起をしたいと思います。」
そう言って、彼女は、スクリーンに文字を映し出した。そこには、
「なぜ、産業革命は創造された人間の世界で起こり、神々の世界では起きなかったか?」
と書かれていた。
ナデシュタ博士は次のように続けた。
「産業革命は、創造された世界で、ある時期、ある地域で発生しました。蒸気機関が発明され、それに連動するように、鉱工業の革新と拡大が次々に引き起こされました。私たちは歴史の事実としてただ単純にこのことを受け入れています。しかし、立ち止まって考えるなら、なぜ、産業革命は創造された人間の世界で、あの時期、あの地域で起こり、地上の他の地域や神々の世界では起きなかったかという疑問が湧いてきます。神々の世界は極めて長い歴史を持っています。しかし、神々の世界では一度も産業革命は起こりませんでした。なぜなのでしょうか。」
これはナユタにとっても考えたことのない新しい問いかけだった。でも、たしかに、考えてみれば、その疑問はたしかに疑問だった。
ナデシュタ博士は言った。
「今日はこのことが主題ではないので、簡単に答えたいと思います。それは、かつて地上の歴史学者ジョゼフが唱えた『挑戦と応戦』という概念、あるいは、我々の世界で最近イアンという歴史学者が言っている『発展のパラドックス』という概念で答えられ得るでしょう。文明の進展によって引き起こされる社会の中での軋轢とそれに対する人々の応戦が、それまでなかった新しい世界を生み出すのです。狩猟採取社会から農耕社会へ、集落から都市へ、封建国家から中央集権国家への移行もすべてそのような力によって生み出されました。そして、産業革命は、先進国家間の競争が生み出す軋轢の力で生み出されました。まさに、創造された世界のあの時期、産業革命という応戦がなされる環境が生み出されていたのです。一方、神々の世界にはそのような環境は生まれませんでした。もし、ルガルバンダ帝国が打倒されず、別の帝国との並立、さらに、どの帝国にも属さない複数の辺境という構図が生まれ、それぞれが競いながら発展する構図となれば、あるいは、神々の世界にも産業革命が生まれたかもしれません。しかし、そうはなりませんでした。ルガルバンダの帝国は打倒され、民主的で平和な単一世界が生まれたからです。」
ナデシュタ博士はさらに続けた。
「さて、その後のヴィダールによって創造された世界は産業革命によって急速に発展した科学技術によって進歩を続けました。そして、私たちの世界はその科学技術を学ぶことで同様の進展を続けてきたのです。そして、今、科学技術の進歩は、私たちをこれまでにないほどの高みに昇らせています。では、今後の科学進展と社会進展はどうなってゆくのでしょうか?それには大きく二つの意見があり、加速度的進展理論と漸近集約理論と呼ばれています。誰か、これを簡潔に説明できますか?」
若い学生のひとりが手を上げて答えた。
「加速度的進展理論では、科学技術の発展と集積によってさらに新しい次のブレークスルーがより短期で生み出されるため、進歩は加速度的に進むと主張しています。だが、疑問を挟む学者がいなかったわけではありません。そもそも無限などというのはありえないのではないか、という発想です。これが漸近集約理論に結びついています。一方、漸近集約理論では、すべての科学技術の進展はS字カーブを描くという経験則に基づき、また、進歩が無限ということはないという考え方から、進歩はだんだん緩やかになると予想します。」
「良いでしょう。では、どちらが正しいのでしょう。君の意見は?」
「ぼくが今感じているのは、進歩が緩やかになってきている科学領域がある一方で、加速度的に進歩が起こっている領域も少なくなく、それらが社会をさらに大きく変えつつあるのではないかということなのですが。」
「良いでしょう。実際、過激な加速度的進展理論者は別として、多くの加速度的進展理論者はこう主張しています。社会と科学技術が無限に加速度的に進歩するかどうかについては意見を保留してもいい。なぜならそれは今考えねばならない喫緊の課題ではないからだ。ただ、言えるのは、現在、そして近い将来は、まだ、進歩が緩やかになるのではなく、加速度的に進展する状態なのだ。そう彼らは主張しています。でも、本当でしょうか?技術だけに焦点を当てればそういう考えになるかもしれません。しかし、その技術を開発するのは誰なのか?ということを考えねばなりません。」
「だから、神々の欲望や衝動との関係が大事になる。」
そう、ドレッシェルが口を挟んだ。
「その通りです。産業革命について言及しましたが、その革命を起こした人々にはそうするだけの理由があった。さらに、その後の科学進展も、人々の欲望や衝動が生み出したブレークスルーと改良とによって加速度的に進展したのです。それを受け継いだ神々の世界でも、より良い生活、より便利な生活という欲望が大きな原動力となり、進歩を生み出すことが自らの大きな利得になるという社会構図の中で、創造された世界に依存しない進歩が可能となりました。しかし、今、どうでしょうか?ギランダ給付法はすべての神に安定した豊かな生活を保証し、神々は今の生活に満足して生きています。もちろん、科学技術が引き出す新しいものは常に心を高ぶらせ、神々を惹きつけます。ただ、新しいものを受け入れるには自らも何らかの変化が必要となることに留意しなくてはなりません。そのため、その新しいものが何を生み出し、もっと端的に言えば、今不満足な何ものを叶えてくれるのかという点がポイントとなります。進歩が早ければ、それだけ大きく心を動かされる。しかし、心の抵抗も比例して大きくなる。そのとき、それによって得られるものがそれに対応するだけ大きければ、神々は新しいものを次々に受け入れるでしょう。しかし、今、神々は満たされた世界に生き、そのため、新たに得られるものの価値は相対的に低下しつつあります。そのため、神々は、次第に新しいものに以前ほどは強く惹きつけられなくなり、以前ほど熱狂しなくなっているように見えます。今以上に何かを求めないなら、進歩はそんなには進まない。産業革命のようなことはもう起きないのです。」
ナデシュタ博士は別のグラフをスクリーンに映し出した。そのグラフでは、全宇宙の総生産金額の年次推移がプロットされていた。そのグラフはまさにS字カーブを描いていた。
「このグラフを見て、どう思いますか?」
ナデシュダ博士のこの問いかけにナユタが答えた。
「このグラフを見る限り、答えは明白なのでは?進歩は止まりつつあると言えるのでは?」
しかし、ナデシュタ博士は首を振った。
「いいえ。進歩が続くと主張する学者たちは、進歩と生産金額が相関するという考えに同意しないでしょう。実際、かつての創造された地上の世界においても、年平均成長率十パーセント程度の高度成長期が終わり、年々の成長率が二〜三パーセントあるいはそれ以下に低下しても、技術の進展、すなわち進歩はその後も続きました。そして、そこには、技術の進歩によって価格が下がるという事象も深くかかわっています。実際、以前よりはるかに高性能のものが同じ価格で手に入るようになり、あるいは、同じ機能であれば、はるかに安く手に入るようになったのです。」
ナユタがうなずくと、ナデシュタ博士は続けて言った。
「ですから、このグラフ一枚で、進歩が終焉すると主張するのはやや乱暴で、学者としての分析が不十分と思います。そこで、私は、このようなことを考え、分析するとき、まず、この世界にとって重要な技術分野を特定し、それぞれについて、どのような経緯をとっているかを分析することが必要と考えました。この場合、その技術分野が少なすぎてはいけません。誤差が大きくなりすぎますからね。ただ、一方で、多すぎると分析が煩雑になり、また、分析の統一性が保てなくなる恐れがあります。そのようなことを考えて、私はここに映し出した三十の分野を選びました。」
次のスライドが映し出された。スクリーンには、メモリ技術、演算技術、情報処理技術、食糧生産管理技術、自動調理技術、コミュニケーション技術、移動体技術、エネルギー技術、センサ技術、ロボット技術、フレキシブル技術、ディスプレイ技術、ゲーム技術、映像処理技術、感情操作技術、仮想現実技術、ナノ分子制御技術など、彼女が選び出した最先端技術分野が並んでいた。
「これらの技術について生産金額の年次推移を示したのが次のスライドです。」
次のスライドが映し出された。三十の技術それぞれについてのプロットが打たれたグラフで、それぞれの技術についてすぐに理解するのは難しかったが、彼女は言った。
「非常に見にくいグラフになっています。三十もの分野すべてを一緒にプロットしていますからね。でも、全体を見るにはこのグラフは適しています。見てお分かりと思いますが、現在において、急速に進展している分野は必ずしも多くありません。でも、三十年前には、多くの技術が急速な進展の最中だったのです。」
ひとりの研究生が発言した。
「たしかに、説得力のあるグラフと思います。ただ、選ばれている技術が現時点で主要と見なされているものであるため、そのように見えるということはありませんか?これから急速に伸びる技術はまだ注目されておらず、取り上げられていないということはないでしょうか。これから三十年後に先生と同じように、その時点で重要と思う技術分野を三十選んでこのようなグラフを作ると、三十年前は多くの技術が急速に進展していたけどということにはならないのでしょうか?」
良い視点だった。ナユタもなるほどと思った。だが、ナデシュタ博士はうなずきつつもこう答えた。
「非常に重要な視点と思います。ただ、それを検証するのは簡単ではありません。三十年経てば、明白になってくるでしょうが。それで、そのような批判も考えて、別の検討を行いました。」
そう言うと、彼女は別のグラフを示した。
「市場規模がひとり当たりのギランダ給付金の一万倍以上ある商品で、過去十年間に市場が十倍以上になった商品をリストアップし、その数を年ごとにグラフにしたのがこちらです。このグラフを見ると、その数が年々減少していることが分かります。これこそが進歩が停滞しつつある明白な証拠ではないかと思えます。さらに大事なことは、それが神々の心に何を引き起こすかということです。」
そう言うと、彼女はスクリーンにさらに別の一枚のグラフを映し出した。
「これは諸先輩方の調べたデータも含めてまとめたものですが、過去三十年に渡って集計してきたアンケートの結果です。毎年、その年に出たトピックス的な新技術や新商品について、無作為に選んだ被験者に五段階の評価をつけてもらっています。これを見ると、大きな傾向として、新しいものが神々の心を高ぶらせる傾向がだんだんと減じているのが分かります。それはそのまま、新しいものを生み出す努力によって得られる利得が小さくなってきていることを意味しており、新しい科学技術を生み出そうとする力を削いでゆくことになります。そして、実際、政府の予算も科学技術のためより、安定のためにより多く注ぎ込まれている。もし、ギランダ給付法がなく、そのための予算を科学技術に注ぐなら、もっと進歩するのかもしれませんが。」
「では、あなたは進歩は止まると。」
そうナユタは口を挟んだ。
「ええ。おそらく、理論としては、加速度的進展理論と漸近集約理論はそれぞれ正しい面を持っています。そして、現実の世界は、その二つの力がせめぎあう場と見えます。かつては、加速度的進展理論の正しさを証明するような技術進展が起こる領域が数多くあり、もちろん、今もそれは少なくありません。ただ、相対的に見るなら、その率は下がっているように見えます。」
その後もナデシュタ博士の提示した内容を巡って議論が続いたが、進歩の終焉についてこれほどはっきりした見解を聞いたのはナユタは初めてだった。まさに、ウパシーヴァ仙神が言っていたことが、科学的に主張されていたのだ。
だが、ゼミの最後で、ドレッシェルは次のように言った。
「たいへん有意義なゼミだった。だが、この問題を考えるとき、もう一つ重要な点は、今日の議論とは逆の議論です。心、欲望、社会が進歩というものにどう影響するかということが彼女の研究課題で、それは非常に重要なのですが、もう一つの視点は、科学技術の進歩というものが神々の欲望や衝動にどう影響するのか、ひいては社会にどう作用するのかということです。」
そうドレッシェルは言い切ると、さらに続けて補足した。
「進歩が停滞し、変化に乏しい世界が実現した時、その中で神々はまどろんで生きるだけになるようにも思えます。かつての創造された地上の世界で、進歩から取り残された未開の地域では、まさに同じことが起こっていたのです。それは言ってみれば、何かを目指し、新しい何かに挑戦する心がなくなるとき生まれる世界とはどんな世界なのかということでもあるのです。」
これこそが、ドレッシェルが心に抱いている問題の核心なのだとナユタは思い至った。たしかに、この世界のことを考えるためにもっとも重要なことは、進歩が終焉するかどうかではないはずだった。大事なこと、本質的なことはもっと他にあるはずだった。
その日、家に帰って、ナユタは考え込んだ。パキゼーの法が輝いて以降、世界はただ下り坂になっているのかもしれなかった。たしかに、世界の本質はパキゼーが見抜いた通り、空であるとしても、この世界において、真なるものが何であるかは依然として謎であり、その真なるほんとうのものを求めねばならなかったのではないか。そして、一方で、今の神々の在り方は、真理から目をそむけ、ただ、享楽に興ずるだけではなかったか。それがナユタの心で渦巻く疑問だった。
「真理が輝かねばならないはずだ。」
そうナユタは心の中でつぶやいた。
なんのために生きているのか?存在し続けることにいかなる意味があるのか?仮にその意味が空であるというのが自明であるとしても、存在することの意味が問われ続けねばならないのではないか。それがナユタの心の中の声だった。
数日後、ナユタは進歩についてナデシュタ博士ともっと議論してみたかったので、ドレッシェルと一緒にナデシュタの部屋を訪ねた。その部屋でさまざまな話をして議論を深めることができたが、話をしている最中からちょっと気になった写真が一枚飾ってあった。その写真はナデシュタともうひとりの女神が写っていた。議論が終わってから、ナユタは軽く水を向けた。
「あそこに素敵な写真がありますね。」
ナデシュタは微笑んで言った。
「ありがとうございます。私のパートナーです。プライベートパートナーです。」
ドレッシェルが口を挟んだ。
「ナデシュタが同性愛ということはみんな知っているのですが、敢えて言わねばならないことでもないので、ナユタさんには言っていませんでした。でも、彼女はオフィスにふたりの写真を飾っていることでも分かるように、特に隠し立ていているわけでもありませんので。」
ナユタが言った。
「なるほど。同性愛のことは私も知っていますが、同性愛だと自ら言われている方に会うのは初めてでして。」
ナデシュタが言った。
「そうですね。同性愛は決して多数じゃありませんし、自分が同性愛だということを今だに隠そうとする者もそれなりにいますから。でも、とにかく、私にとっては自分の心にとって自然なんですよ。ナユタさんは異性愛ですよね。」
「そうですね。その自分の心にとって自然という点から言うと、私にはとても男性を愛するというのはありえないですね。」
「よく分かります。私は心が男でして、ナユタさんと同じく男性を愛するというのはありえないんですよ。一方、私のパートナーは心も体も女性なんですが、男は汚らわしいと感じてどうしても嫌なんですよ。聞くところによると、シュリー女王も同性愛者ではないけど、どうしても男は汚らわしくて嫌だと思っているみたいで、だからずっと独り身のようですけど。」
ナデシュタ博士の部屋を辞した後、ドレッシェルが言うには、マーシュ大学の教員や職員の五パーセント弱が同性愛者ということだった。ほんとうはもう少しいるのかもしれなかったが、ロボット相手の同性愛で済ませる者も少なくないので、表に出てくるのは五パーセントくらいということだった。
さて、シュリーとヴィダールは、ナユタがビハールに来たことに対してどう対応するかについては、明確な指針を持っていなかった。もはやナユタに世界を動かす力などないと判断していたシュリーとヴィダールは、特にナユタと関わる必要性を感じてはいなかったが、そうは言ってもルガルバンダを打ち倒し、現代世界を創り出したヒーローでもある著名なナユタがビハールに来ているというのに無視して良いのかという疑問もあった。また、ナユタが来ていることを活用できないかという思惑もあった。
そんな中、具体的にナユタとの会談を進言したのは、法務省長官に就任していたライリーと長らく財務省長官の職にあるシャンターヤだった。
ライリーは、シュリーと供にビハールに出てきた後、シュリーの警護を取り持つ近衛兵団長を務め、さらにヴィダールが丞相に就任してからは、公安局長官、安全保障省長官などを歴任していた。そして、創造の停止に際しては積極的に停止を進言し、創造停止後には法務省長官を務めていた。ライリーの堅実で筋を通す仕事ぶりとシュリーへの忠誠、さらにはその誠実な姿勢には政府内外から大きな信頼が寄せられていた。
ライリーは、今回、ナユタがビハールに出てくるに際しても、財務省長官のシャンターヤの協力を取り付け、シャンターヤはイルシュマと連携してナユタの宿泊場所として高級高層マンションを手配し、サポートを怠らなかったのだった。
ライリーは、シャンターヤと共にシュリーとヴィダールの前に進み出ると、進言して言った。
「かつてのヴァーサヴァ神の創造以来、シュリー女王とナユタとの間に軋轢が生じたままとなっておりますが、これで良いものかどうか。そもそも、シュリー女王とナユタとは一度として戦火を交えたことはありません。そして、前回の創造に際しても、意見の相違から相互不信が生じたかもしれませんが、その創造も既に停止され、過去のものとなりました。今回、ナユタは都に出てきて政府の準備したものを素直に受け入れており、決してシュリー女王との間に諍いを起こしたいわけではありますまい。今回、改めてナユタとの会談の場を設け、かつての軋轢を修復する機会とすべきかと考えます。」
この提案に、ヴィダールは即座に賛成した。シュリーの同意も確認すると、ライリーはさっそくナユタとの会談を設定した。
ナユタ自身は必ずしもシュリーとヴィダールを訪問することに気乗りはしなかったが、住まいや大学での活動などで政府側から多大なサポートを受けていることもあり、面談を断る理由は見当たらなかった。
ナユタが宮殿にシュリーを訪問すると、型通りの挨拶の後、ヴィダールが現在の世界について説明して言った。
「創造を停止して以来、世界はより安定し、繁栄したものとなりました。ある意味では、ナユタ殿に提案いただいた創造の停止を実行したことが今の繁栄の基になっていると言って良いと思います。そして、今、神々はいがみ合ったり、争ったりするのではなく、まさに宇宙憲章に謳われている通り、『すべての神々はみな他の神々のために存在し、働いている。』のです。そして今ではすべての神々が幸せなのです。」
シュリーも満足げにうなずいた。それに対して、ナユタは次のように語った。
「たしかに、さまざまな諍いが止み、すべての神々が幸せになっているとすれば、それ自身、良いことかもしれない。ただ、私は次の二つのことを言いたいと思っている。一つは、たしかに、幸せであることは不幸であることよりは良いかもしれないが、では、幸せであれば、それで良いのかという点だ。我々が存在し生きている意味は、ただ幸せであれば良いと言えるものかどうか。何のために生きているのかという根源的な問題を忘れ、ただ日々の享楽に耽り、物質的に満たされ、楽しく暮らせるからそれで良いと言えるのかどうか。神々が自分たち自身の在り方を考え直し、見つめなおす必要はないのか、という点だ。そして、もう一つの点は森の神々のことだ。森の神々は、世俗を離れ、清貧の内に生きてきたし、今もなお基本的にはそうしている。これに対して、世俗の世界は森に押し寄せ、森の神々の生活を脅かしている。この二点が、神々が幸せだからそれで良いという貴神の考え方に対して、私が提起したい問題だ。」
シュリーはこの言葉にちょっと渋い顔をした。
「相変わらずだな。」
という不愉快そうな表情がちらりと浮かんだ。
しかし、ヴィダールはそんなナユタの言葉にさらさら動揺したりはしなかった。ヴィダールは微笑を浮かべて答えた。
「ナユタ殿、この世界のことについて真摯なご提言をいただき、まことにありがとうございます。ただ、まずは世の神々の動きは、我々とて自由に制御できるものでないことを申し上げねばなりますまい。我々は専制君主として、神々を奴隷のように制御しているわけではありません。神々がどうするかは神々の自由。我々がそのあり方をダメとか、直せとか言えるものでもない。何といっても、宇宙憲章に述べられている通り、神々の権利、自由が保障されています。また、ナユタ殿が申された二つ目の点、すなわち森に関することについては、確かに考えさせられるものもないではないが、それもやはり、神々一般にこそ、申されるべき事項でありましょう。政府に対して要求されるべき事項ではないように思います。」
ライリーもにこやかな表情で、冷静に付け加えて言った。
「森のことについて言えば、政府は森の神々を保護する方向で政策を進めています。もし、政府が適切な対応をしなければ、世間の神々は自分勝手に森に進出し、その結果、森はあっというまに破壊されてしまったかもしれません。それに対して、政府は世間の神々に節度を要求し、さらに、森の神々にはさまざまな保護を与えています。奥地に移るための費用も用意していますし、森の神々にもある一定の生活レベルを保証する法律を整備してきました。」
ヴィダールが再び言った。
「ナユタ殿が申された第一の点に戻りますが、それは神々の在り方に関するより本質的な問題かもしれませんが、政府としては、以前より、平和になり、繁栄し、神々が幸せであることをもってして、適切な政策実行を行っていると申し上げざるを得ません。もちろん、どんな政策を実行すればより良いのか、もしご提案があれば、私どもとしても耳を傾けされていただく余地は十分持っています。」
この答えは決してナユタを満足させなかった。彼はこう語った。
「政府として行動、政府としての可能な政策という点では、適切な答弁かもしれない。しかし、問題意識の低さが気になるというのが私には気にかかる。」
このナユタの言葉に、シュリーが何か言いかけたが、ヴィダールが軽くそれを制した。シュリーはおそらくこう言いたかったのだろう。
「ルガルバンダの帝国を倒した後、神々の在り方に疑問を持ち、森に逃げ出したのはナユタではないか。それをほんとうに問題と思うなら、森に隠遁せずに政府に留まり、その問題に取り組むべきではなかったのか。」
だが、そんなことを言っていては関係がこじれるだけと理解しているヴィダールは、シュリーの発言を制すると、穏やかな表情で言った。
「いや、ナユタ殿。問題意識が低いというご指摘については、私の説明が不適切だったかもしれません。先の私の説明は、政治の視点から申し上げたものです。私も元々は森の神。ナユタ殿が申された問題は十分認識しています。ただ、繰り返しになりますが、政府としてできることの限界と、とにもかくにも、平穏ですべての神が幸せな状況、そして神々の自由と権利が守られているという点から、先に述べたような答えしか政府としては申せないということをご理解いただきたいのです。」
ナユタが納得できないという表情を見せると、ヴィダールはさらに続けて言った。
「これもぜひ申し上げたいのですが、かつての神々の世界、創造された人間たちの世界では悪がはびこっていました。もちろん、崇高なもの、正しいもの、立派なものもたくさんあったわけですが、同時に、同じだけ多くの悪がありました。世界の底では、いつも、虚偽、策略、裏切り、搾取などが渦巻いていました。そういったことをうまくやって成功した者も多かったわけですし、少なからぬ者がそういうことをすることが成功には必要だと信じていました。これは単に私の個神的見解として述べているのではありません。創造された地上で発達してきた『ゲーム理論』はそれを見事に実証しています。だから、世界はいつも軋み続け、人であれ、神であれ、皆、心をざわつかせて生きてきたのです。けれど、それは今大きく変わりました。科学技術の進歩とギランダ給付法、そして我々政府のさまざまな取り組みによって、今や、神々は、あくどいことをやって他神を出し抜くよりも、得られるものに基づいて穏やかに生きる方がはるかに良いことを理解しています。狡いことをしなくても十分に満足のゆく生き方のできる世界、悪賢いことをすることがかえって自分の立場を損なったり、自分自身の心を損なったりするような世界が実現しているのです。そのことこそ、現政府の貢献と思います。ぜひ、この点をご理解いただければと思います。」
ナユタが「それはまあそうだが。」という表情を見せると、ヴィダールは柔らかい笑顔を見せて言った。
「ともかく、ナユタ殿の活動には、我々としてもできる限り支援いたします。ビハールでの宿泊場所も用意させていただきましたし、最優秀のロボットも用意させていただきました。ともかく、ビハールで、思いのまま活動していただけるよう政府としても精いっぱいサポートさせていただきます。ナユタ殿の活動が、神々の世界に良い影響を生み出すことに繋がればありがたいことですし、また、今の世界を直に見られることが決してナユタ殿にとって無意味ということはないと信じています。また、森に帰られる時が来たとしても、森にお帰りになった後も、ナユタ殿がなすべきと考えられる活動ができるよう支援をさせていただきます。」
この言葉に、ナユタはこれ以上の議論は無意味ということを悟った。ともかく、政府としてナユタの活動を支援すると言っている以上、これ以上言うべきことは何もなかった。
ナユタは言った。
「ともかく、ビハールに来てからの体験は貴重でした。もうしばらく滞在し、この世界を見させてもらうことにします。ただ、私が申し上げた二つの点、これは決して軽い話ではないと考えていますので、それを今日はお伝えできて良かったと思っています。」
シュリー、ヴィダールとの会見で特に得られるものはなかったが、世界の現状と政府の認識や方針を再確認できたという意味だけはあったといってよかった。
一方、法務省長官のライリーはナユタをそのまま帰らせはしなかった。
「今日の会談がナユタさんにとって不本意だったことは素直に認めます。でも、いろいろお話ししたいこともありまして。」
そう言って、ライリーはナユタを別室に案内した。別室に入ると、ライリーは言った。
「まず、少しだけ弁解させていただきたいのですが、シュリーもヴィダールも何らナユタさんに対して敵愾心を持ってはいません。ただ、シュリーは過去のことが心の棘となってあまり友好的な態度になれない面があるようですが、これについてはただただご容赦いただきたい。また、ヴィダールはこの世界を支えねばならない立場にあるゆえに、あのような発現になっているわけで、そこはご理解いただきたいと思っています。」
ナユタは軽くうなずきながらもちょっとシニカルな調子で言った。
「それについては分からなくはないが、ただ、現在の世界をどうすべきかという点については、大きな見解の相違があるのも事実だな。」
ライリーはうなずいた。
「それについてはその通りかもしれません。ただ、シュリーにしてもヴィダールにしても、ナユタさんが別の意見を持っておられることを禁じたりはしていませんし、そのような意見にも理があることも認めています。ですので、その意見の相違については、お互いが意見の相違が存在することを素直に認め合うということでよろしいのではないかと思いますが。」
「それについては、そういうことだろうな。」
ナユタがそう言うと、ライリーは笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございます。それで、今日、ナユタさんを呼び止めさせていただいたのは、この世界の現状についてです。我々としては、この世界のことをより理解していただきたいので、いろいろご説明したいこともありますし、また、今後の活動支援のこともありますし。」
「なるほど。たしかに、世界は大きく変わったからな。」
「そうです。そして、世界は平和になったとお思いになりませんか。まさに隔世の感があります。神々は笑顔で日々を送り、悩みなく快活に生きています。もちろん、ナユタさんが申されたように、神々の真の在り方という視点からすれば、考えるべき点はあるでしょう。ただ、そうだとしても、恐ろしい戦いが神々の宇宙を覆っていた時代、そして少なからぬ神々が悲嘆の内にただ空を仰いでいた時代より、よほど良い時代と言えるのではないでしょうか。」
「それはたしかにそうかもしれないが。」
そう言ったナユタに、ライリーはさらに続けて言った。
「この世界を支えているのは、決して科学技術の進展だけではありません。一つには、ギランダが提唱した『基礎給付基本法』が大きな役割を成したわけですが、もう一つ説明しておきたい重要なものが自由性愛です。自由性愛の運動はオルダスという作家が始めたものでしたが、最初はやや反社会的な面ももった運動でした。ですから、ある意味、それは危険なものでした。しかし、私はその自由性愛にこそ、神々の世界の混乱を鎮める鍵があると理解しました。」
ナユタは用心深い口調で応じた。
「たしかに、自由性愛は新しい時代に、新しい神々が生み出した運動のようだな。また、ロボットの権威のトゥクール教授からは、自由性愛が創造された人間の世界にも存在していたと教えてもらったよ。歴史の父と呼ばれた人物が記した書物にも書かれているということだった。」
「そうですか。それなら話は早い。ただ自由性愛は歴史の父なる人物の書いたものに取り上げられているだけではありません。もっと一般的です。創造された世界のことについて研究しているマーシュ大学の研究者たちは、古文書などをひも解き、実にさまざまなことを明らかにし、野合という自由性愛が頻繁に行われていたことも明らかにしています。例えば、ある神社の祭礼の夜には、白手ぬぐいを被っている女性は、人妻であれ、寡婦であれ、処女であれ、社地の内外で自由に交合することが許されたそうです。また、別の神社では、男女陰陽の形の供物を作り、祭礼の期間中は男女が行き交えば必ず交合したそうです。処女はもとより、人妻であっても、この祭りに来た限りは、男を拒むことはできず、親も夫も拒めなかったそうです。さらには、祭りの夜、すべての女性が必ず三人の男と関係せねばならないという村もあったそうです。こんな事例は枚挙にいとまがないのですが、これらの事例からも分かるように、部族の安定のために、自由性愛は有効なのです。ただ、自由性愛は競争を抑制する方向に作用するため、結果として部族の活力を失わせる方向となります。そのため、複数の社会が競合する人間の歴史の中では不利となり、結局、淘汰されたのでしょう。ですが、今のこの平和な単一世界である我々の世界では、ある意味、自由性愛こそふさわしいと言えます。何といっても、社会の中の不穏な要素を格段に取り除くことができますからね。」
「政府として自由性愛を推進したということか?」
軽い驚きと興味を持ってナユタはそう聞き返した。
「そうです。そして私たちは自由性愛こそ本当の意味で健全と考えています。」
「自由性愛こそ健全?」
「ええ、かつての人間や神々の世界が性ということに関してどんな世界だったか、考えてみてください。もっとも、これは、社会の暗部、タブーに取り込まれた世界なので、明瞭には見えていなかったかもしれませんが、私たちはその実在した世界を見なければなりません。例えば、かつての社会では、良家の子女というものは、結婚するまで性欲を持ってはならないし、処女でなければならないとされていました。また、姦通は最大の冒涜として非難され、人間の世界ではしばしば死刑がその罪に対する最も適切な罰とされました。だが、人も神も性欲の衝動から逃れることはできない。だから、男たちは、社会の表面を覆う道徳の仮面の下で、その性欲を満たしたのです。売春宿に行き、妾を囲い、あるいは召使い女に相手をさせたのです。一方、貧しい女たちは、売春の館に座り、路上で男に声を掛け、あるいはサロンやキャバレーで男から手が伸びてくるのを待っていたのです。とても健全と言える世界じゃない。」
「自由性愛によって健全な世界ができるということか?」
疑問を呈する口調でナユタはそう言ったが、ライリーは快活に続けた。
「そうです。もちろん、政府としてあまり急激なことはできませんが、世の神々の許容範囲の中で少しずつ自由性愛を推進してきました。実際、自由性愛を妨げるさまざまな障害を取り除くことで、自由性愛の実現に力を尽くしたつもりです。それに、自由性愛を基軸にした社会は、子供を欲しがりません。これは神口の増加を抑えるための決定的な作用を及ぼしました。家族を求めず、子供を求めなくなったからです。すべての個神が個神として独立して、親や家族に束縛されることなく自由に生きる社会なのです。かつて、家族によって満たされていたものが、今は自由性愛によって満たされているのです。」
「それで政府が推進した方法は?」
「最初に行ったことの一つが男女の垣根を取り払うことです。例えば、今の世で普通のことなのでナユタさんもご存じでしょうが、昔は男女別々だった更衣室や浴場を男女共用にしました。」
「えっ?そうなのか?」
ナユタがびっくりしたようにそう言うと、ライリーはナユタがびっくりしたことに驚いたようだった。
「ご存じなかったんですか。たしかに、久しく森にいらっしゃいましたんでね。でもビハールで大浴場にでも行けばすぐに分かりますよ。」
「それで女神たちは平気なのか?」
「最初は抵抗がありました。だから男女共用を作った後も、男性専用の更衣室、女性専用の更衣室を残しましたし、男女別の浴場も残しました。でも、だんだんみんな男女共用に慣れてきて、男女別を求める神は少なくなりました。今でも女性専用は残っていますが、つい最近、男性専用の更衣室や男性専用の浴場が完全廃止になりました。もっとも法律的には、公の場で女神が立ち入ることのできない場所を作ってならないというものですが。」
「さすがに女性専用は残したわけだ。」
「ええ、ほんとう男性専用も女性専用もなくそうとしたんですが、さすがに女性専用をなくすのには反対意見もありましてね。」
「なるほど。男性専用をなくすのには抵抗はなかったということか。」
「いや、実は、保守派の古株の男性議員から、『女性専用を残すんだったら、男性専用も残すべきだ。』という意見が出されたんですが、別の議員から『あなたが行っておられるゴルフ場であなたはいつも男女共用更衣室と男女共用浴場を使っておられるそうですね。そのゴルフ場にも訊きましたが、男性専用更衣室や男性専用浴場を使う男神は皆無とか。』と言ってやり込められましてね。それで男神専用の更衣室や浴場はあっさり廃止が決まったんです。」
「そうすると、多くの女性たちは男性の目のある場所で服を脱いだり、裸になったりするのも平気ということか。」
「そういうことです。もっともすべての女神がということではありませんが。」
「なるほど。そう言えば、以前の創造された世界では公園やビーチでトップレスの女性がいたが、今、ビーチとかプールとか公園はどうなっているんだ?」
「ビーチは全裸許容。プールは性器を覆うことが義務づけられています。これにはいろんな動きや意見があってのことなんですが、まず、ビーチは極めて開放的な空間なので全裸を許容するが、プールでは全裸になる必然的理由がないということになっています。ただ、男性が胸を覆っていないのに女性だけが胸を覆うというのはおかしいということで、女神が胸を隠す必要はありません。もちろん胸を覆いたい女神はそれで良いし、ビーチやプールに水着を着けて入ってもかまいません。ビーチについて言えば、以前は性器を覆うことを義務づけたビーチと全裸許容のビーチを併設することも多かったんですが、結局、水着を着けた者たちも平気で全裸許容ビーチに行くようになったので、今ではすべてのビーチが全裸許容です。一方公園ですが、これは場所によります。ビーチに隣接する公園は全裸許容。ビーチに隣接しない郊外の公園は性器を覆うことが義務づけられています。一方、市内の公園はより公共性が高いということで、性器に加えて乳首を隠すことが義務付けられています。以前の人間の世界では、首都の公園でトップレスの女性が日光浴をしていたりしたようですが、我々の世界では市内では陰部も乳首も覆わねばならないということです。女性が胸を覆うのだから当然男性もということです。」
「なるほど。男女間の差を設けないということには相当にこだわっているわけだな。」
「そういうことです。だから、女性専用更衣室や女性専用浴場がなくなるのも時間の問題かもしれません。実際に女性専用を使う女神はどんどん減っていますから。」
「世界は大きく変わったわけだ。」
「そうですよ。ナユタさんもぜひそういう現場を見てみて下さい。」
「それで、ライリーさんも女性と共用の更衣室や浴場は平気なのか?」
ライリーはははははと笑って答えた。
「正直、最初は抵抗がありましたよ。私も古い神ですので。すぐ目の前で女性が平気で服を脱いで着替えたりするとドギマギしたものですが、今はもうどうということもなくなりました。ナユタさんもきっとそうなりますよ。」
「それにしても、神々の心というものは変わるものだな。」
「そうですね。でも、そのためのいろいろな施策は政府としても打ってきましてね。」
「それはどんな?」
「例えば、まずは学校です。男女共用の更衣室は学校ではいち早く取り入れました。これによって子供たちは幼い頃から男女共用に慣れてゆきます。水泳の授業の後に全裸で入る浴場も男女共用にしました。」
「まあ、子供は無邪気だから、さしたる支障もないかもしれないが。」
「その通りです。また、自由性愛自身についても、小学校の低学年から教えています。男女の児童が裸になって戯れ遊ぶ場を最低でも一週間に一時間設けることを義務付けています。そして重要なのが、実際の性行為を子供のうちから見せることで、ビデオ視聴の時間を設けることも通達で義務付けました。一番難しいのは、思春期に入るころで、恥ずかしがる女の子もいないわけではありませんが、それも低学年の頃からの経験がハードルを下げてくれます。小学校の高学年にもなると、授業でのその時間に実際に交合に及ぶ子も出てきます。そんな子は大得意で、先生もたいへん褒めてくれますのでね。」
「なるほど。そんな風に育った神は男女共用にもすぐに慣れ親しんで、そんな若い神が増えれば、男女共用や自由性愛を抵抗なく受け入れる神が増えて、世の空気も変わるというものかもしれないな。」
「その通りですよ。今では、両親が子供の目のあるところで平気で性行為を行うこともよくあるようですし。」
そう言ったライリーは、さらに学校での性教育について、教育要領などの資料や、その教育のための教師用研修プログラムなども交えて説明し、さらに言った。
「別な面から言いますと、売春が廃れることにも結びつきました。かつての世界では娼婦というのは普通のことでしたのでね。」
「たしかにそうだな。ビハールにはアルセイスのような者もいたしな。」
「ええ、そうですね。でも彼女も今は娼婦を止めてビジネスをやっています。」
「ああ、そうみたいだな。街でアルセイスの名前のかかった店も見たよ。」
「その通りです。売春はほんとうは禁止したかったのですが、なかなか男たちの本音の欲望を止めることができなかったし、禁止しようとすると一部の娼婦からも反対が起こったりしてなかなか実現しませんでした。しかし、自由性愛が広まるにつれ、そもそも売春で女を買う必要性も意味も乏しくなった。そのため、売春の需要はどんどん下がっていき、一方、それまで性を売らねばならなかったみじめな女性はギランダ給付法のおかげで救われ、彼女たちも売春をせねばならない状況でなくなったのです。」
「ということで、売春はなくなったというわけか。」
「ええ、少なくとも表向きは。もっとも、自由性愛の相手に何かを与えてはいけないということはないわけですし、自由性愛で金を稼ごうと思う女神も少なからずいます。でも、少なくとも、売春しなければ生きていけなくて嫌々やっている売春婦というものはなくなり、また彼女たちが客を取るための娼婦の館もなくなって街の風紀という意味でも格段に向上しました。」
「たしかに、ビハールの売春の館が並んでいた区域はなくなって、おしゃれなこぎれいな店が並んでいたな。ともかく自由性愛が社会に行き渡り、社会の安定を支えているというわけか。」
「ただ、ほんとうに安定しているかどうかは分かりません。今、社会の中で起こっているのは、若者たちの自由性愛離れですので。」
「どうして?」というような表情をナユタは見せると、ライリーは続けた。
「性的満足を与えるものは男女間の交合だけではありませんのでね。」
「それはロボットとの性行為のことか?」
「ええ、一つはそうです。ある意味では、自由性愛とは言っても、結局は他者との関係ですからね。昔の神々や人間たちにとってみれば、異性との交際と性的な関係が作り出す愛というひとつの閉じた世界は自明に近いことだったでしょうが、今の若者にとっては違います。そもそも性的な満足は今では異性との関係とかによらず得られる。そうだとすれば、その方がはるかに気楽というわけです。そのひとつがロボットとの交合です。今ではロボット相手にほとんどほんとの異性相手と同じ性的満足が得られますからね。いや、異性相手以上の性的満足が得られるといっても良いかもしれません。」
「ロボットの権威のトゥクール教授からは、女神にとっては、男神だと一回射精してしまうと終わってしまうが、ロボットだと自分が満足いくまで相手をしてくれるのでロボットの方が良いという女神が増えているという話も聞いたよ。」
「その通りです。また、男神にとっても、現実にはなかなか出会わないようなタイプの異性ともロボットであれば関係できますしね。だから、特に独り身の男神や女神にとってはロボットは便利な存在です。独身の神が家にいるロボットと交わるのは今やごく普通のことでしてね。」
この言葉を聞いて、ナユタは探るように訊いた。
「たしか、あなたも独身だったはずだが、家でロボットと交わっている?」
ラーリーは肩をすくめて笑い、言った。
「まあ、そういうことです。何の気兼ねも要りませんのでね。ときに、ナユタさんは?たしか、トゥクール教授は最高級でしかもナユタさん好みのロボットをお届けしたと言っていましたが。」
ナユタは苦笑して言った。
「いや、私はちょっとそういうことは。」
「それは残念な。せっかくナユタさん好みのロボットをトゥクール教授がお届けしたわけだから、ぜひ交わってみてはとは思いますがね。」
「まあ、考えておくよ。しかし、そういう話になると、私が知っている独身の神もロボットと交わっているんですかね。」
「ええ、そうですよ。誰がというのは言わずにおきますが、家に異性のロボットを置いて、そのロボットと交わっていない神の方が少ないと思いますよ。」
「じゃあ、シュリーも?」
ライリーはちょっと口ごもって言った。
「それはちょっと私からは言えません。女王のプライベートに関わる話ですので。この話はこのへんで終わりにしましょう。ただ、もう一つお伝えすると、今、新しい別の現象が起こっています。それは、少なからぬ若者たちが異性やロボットとの直接的交合ではなく、心理工学技術によって性的満足を得る方法を選んでいるということです。心理工学のことはご存じで?」
「その言葉は耳にしたことがある。心をコントロールする技術、心に満足や快感をもたらす技術が進展しているという話も聞いたことがある。ただ、詳しくは知らない。」
「そうですか。では、せっかくですから、一度、心理工学のことを誰かに説明させましょう。ウダヤ技術院にハルドゥーンという専門家の教授がいますので、説明してもらうようにしますよ。本当は、心理工学という名称より、メンタルマネージメントとかメンタルコントロールとかの方が良いのではないかとも思いますが、ともかく、これはぜひ学んでおかれるといい。それで、詳しいことはハルドゥーン教授から聞いていただくとして、心理工学もいろいろありますが、今一番注目されているのは、薬物や信号刺激によって心を制御したり、さまざまな満足を与えたりするものです。この技術によって、そのうち、フラストレーションとか、イライラとか、怒りとか、不快感とか、憤りといった言葉は死語になるかもしれません。昔は、そんな感情に対するものとして酒があったわけですが、今の薬物や信号刺激は酒なんかよりずっと効果があり、しかも弊害もありません。そして、心理工学の技術で得られるもののひとつが性的満足なのです。男神が射精したり、女神が絶頂を感じたりするときと同じかそれ以上の興奮や満足を心理工学は与えてくれるのです。」
「それは簡単なのか?」
「簡単です。薬を飲むか、特定の電磁波刺激を浴びればいいだけですから。それにポルノ映像を組み合わせばより効果的と言われています。」
「ポルノ映像か。」
「ええ。ネットでポルノサイトはご覧になっていますか?」
「いや。いかがわしいサイトには近づかないようにしているので。」
「いかがわしいという表現が適切かどうかはちょっと疑問ではありますが、」
と笑って、ライリーは続けた。
「ともかく、ポルノサイトはかつて人間たちの世界で女たちが親のために売られたり、生活や金のために身を売っていたのとはまったく違う世界です。神気のある女神は堂々と自分の性を売ってスターとなり大金を稼いでいます。また、神目に晒されたくない女神は顔を出さずに自分の体のポルノ映像を売り、その映像はかつての人間界でのスター女優たちの顔とデジタル合成され、新しいポルノ映像として世の男神たちを楽しませています。」
「いろいろあるわけだ。」
ちょっとあきれ顔でそう言ったナユタに、ライリーは「まあそうですね。」という表情で続けた。
「ただ、ポルノ映像にもロボットがどんどん進出してきていましてね。ロボット女神のポルノ映像も増えているようですし、男神が女のロボットと交合したり、女神が男のロボットと交わったりもあります。さらに、そもそもすべて神工合成で作成されたポルノ映像も増えていて、かつての人間界の女性の顔を用いたポルノ映像も最近神気が出てきていると言います。ともかく、心理工学にポルノを組み合わせるということで、ポルノ映像を楽しみながら、薬を飲むか、特定の電磁波刺激を浴びるかして寝るという若者が増えていると言います。眠りと夢はそもそも我々の幸福感、充足感を与えてくれるありがたいものですが、それに性的満足が加わるというわけです。」
「しかし、絶頂までの満足があるとすれば、男神であれば、夢精が起こったりするんじゃないのか?」
「起こります。でも、今は、そんなことになっても液体を完全に吸収してなんの不快感も違和感も与えない下着が普通ですからね。なんの問題もありません。」
「なるほどな。」
「ただ、このために、若者を中心に、異性間の関係を敬遠する者が増えてきつつあるのも事実です。他者との交わりの煩わしさから自分の中の幸福にひきこもる者がますます多くなっているのです。これがこれからの時代にどんな作用をするのか、よく見極めねばならないと思っています。」
「ということは、心理工学も功罪相半ばしているということか。」
「ええ、どんな素晴らしいものにも負の一面というものはあるものですから。ただ、技術はそれ自身、進展してゆきますので、それは自然な成り行きとも言えますし、基本的には、心理工学は社会の安定に寄与するはずです。ですから、政府として、どの程度に心理工学を後押しするのか、心理工学がもたらす負の作用に対してどう対応するかということがポイントなのです。ある意味では、自由性愛の教育や啓蒙をもっと強化することが心理工学の負の作用を減じることになるのではとも思っています。いずれにしても、一度、ハルドゥーン教授に心理工学のことを説明させましょう。」
そう言うと、ライリーは話題を変え、ビハールでのナユタの活動についての支援についても細かく説明していった。一通りの説明を終わるとライリーは言った。
「ともかく、ナユタさん。政府はできる限り、あなたの活動を支援するつもりです。ご希望があれば、なんでもおっしゃってください。ところで、これをお渡ししたいと思います。」
そう言うと、ライリーは一枚の紙をナユタの前に差し出した。
「ここに載っているのは、アルセイスのやっている大浴場とロボットの館です。イルシュマとアルセイスの系列のものは全部自由に利用できることは既にご存じと思います。ですので、この大浴場とロボットの館も自由にご利用になれます。どちらも神気の施設ですよ。ともかく、現在の世界の内情を知るために役立つと思いますので、ぜひ行かれてはと思います。」
「たしかに、ありがたいことにイルシュマの関連のものはただで利用させてもらっている。コンサートやレストラン、エレアザルのシアターとかいろいろ。でも、アルセイスの大浴場とロボットの館はちょっとな。」
そう言ってナユタはあまりいい顔をしなかったが、ライリーはそんなことは承知の上という体で言った。
「よく知っています。ナユタさんの高い理想はたしかにすばらしい。でも、現実は現実です。異性に対する性的欲望というのは人にしろ神にしろ根源的な欲望でもありますので、それを満たすことはどうしても必要です。だから、それを満たす新たな習慣やビジネスも生まれてくる。ある意味、その格好の例がアルセイスです。彼女は変わり身のうまいビジネスパーソンとも言えます。かつては、自らの美貌と妖艶さを活かして男性に体を任せて金を稼ぎ、その金を活かして娼婦の館を開いた。ソロンやあなたは非常に厳しく批判していましたが。その後、シュリー女王の治世になって、彼女は女性や子供、家族連れも楽しめるアルセイスランドを作ったりしてきましたが、今や全方位のエンターテインメント事業を展開しています。そして、娼婦の館の代わりにロボット娼館を作り、ロボットの娼婦や男娼のレンタルもやっています。特に、彼女の館のロボット娼婦は評判が良いですよ。どういうタイプの男はどうすれば喜ぶかということに関して、彼女が培ってきたノーハウを活かし、それに先端のRI技術を駆使して、相手の男性の好みに合わせてそのロボットの言動を瞬時に最適化する技術はたいしてものです。」
「なるほどな。」
「無理にとは言いませんが、ちょっと覗くだけでもそれなりの経験になるのではないかと思いますし。ちなみに、ロボットの館について言えば、男神だけでなく、女神もたくさんやって来ます。この館への出入りは完全に秘密裏に行うことができますので、その点も安心して下さい。」
「まあ、そういうことなら。」
と言ってナユタがその紙を受け取ってくれると、ライリーは笑顔を見せて言った。
「ありがとうございます。繰り返しになって恐縮ですが、私としては、良いも悪いも全部含めて今の世を直に見ていただきたいと思っています。決して、世の風潮を追認し、それに追随するのが政府の役目とも思っておりませんので。とにかくナユタさんには自由に活動していただきたいので、何でもサポートさせていただきます。遠慮せずにおっしゃっていただければと思います。」
こう言って、ライリーはナユタとの会談を締めくくった。
ライリーとの対談を受けて、改めて現在の男女間のことに興味を持ったナユタは、さっそく次の日、アルセイス系列の大浴場に行った。そこは、まるで宮殿かと思えるほどの豪奢な外観で、入るとすぐにコンシェルジュの女神型ロボットが迎えてくれた。ロボットはリストバンドの情報を確認すると、大浴場内の施設を説明してくれた。
それによれば、大浴場は最上階の四階にあり、世界一の広さの露天風呂もあるという。三階のフロアーは酒や飲み物、食事が楽しめるフロアー、二階はさまざまなスポーツ施設、そして一階はショッピング街とレストラン街ということだった。どのような楽しみ方をするかは自由だが、典型的な例では、スポーツで汗を流し、大浴場に入り、最後に酒や食事を楽しむ者が多いということだった。
ナユタは一階から見て回ったが、改めてビハールでの活気を実感できた。最後に四階の大浴場に上がると、更衣室は男女共用であり、ナユタのロッカーのすぐ近くでは男神や女神がためらうこともなく衣服を脱いでいた。ライリーが最初はドギマギしたというのもよく分かったが、男神も女神も陰部を特に隠すでもなくごく当然のことのように浴場へと入っていった。
ナユタも衣服を脱いで浴場に入ったが、そこはなんとも広々としてかつ豪勢であり、海や山の絶景の中で露天風呂に入るような気分にさせられる場所だった。大浴場に神々が行くのも分かるというものだったが、ここはまた男女の出会いの場でもあるようだった。さすがに公衆の面前であるだけに性行為的なものに及ぶ者はいなかったが、ここで出会い、気が合えば場所を移して気の済むままに自由性愛を楽しむということのようだった。
その浴場で気づいたことの一つは、男神も女神も陰部の毛をきれいにカットしたり、カラフルな色に染めたり、あるいはすべて剃っていたりする者が少なくないということだった。後に聞いたところによると、髪を適度にカットしきれいに整えるのと同じく、陰毛の手入れも身だしなみの一つと考えているためということだった。異性の目がある場所で裸体を晒すことがあるということを踏まえ、髪やファッション、ネイルなどと同じような感覚で美容的なたしなみとして陰毛の手入れをしているということなのだろう。
大浴場を出ると、ナユタはせっかくなのでと思って、ロボットの館に行くことにした。ロボットの館に行くには直接そこへ行くのではなく、自動運転タクシーに乗らねばならなかった。タクシーに乗って行き先を告げると、タクシーはロボットの館に向かった。タクシーの窓はマジックミラーになっており、外からは誰が乗っているか分からない構造になっていた。ロボットの館に着いてタクシーを降りると、そこに受付があり、赤い制服姿のコンシェルジュの女神型ロボットが迎えてくれた。他のタクシーはおらず、誰にも知られることなく、秘密裏にこの館を訪れることができるシステムになっているのが分かった。
コンシェルジュのロボットは、ナユタのリストバンドを確認すると、別室に案内して用意されたガウンと下着に着替えるように言った。使い捨ての衣類だった。
ナユタが着替え終わると、コンシェルジュのロボットは再び部屋に入ってきて、言った。
「ここは初めてですね。お好みの子やご指名の子はありますか?もし、お好みの子やご指名の子が特にないなら、こちらで候補の子をセレクトいたしますが。」
「じゃあ、それをお願いするよ。」
そうナユタが言うと、コンセルジュのロボットはタブレット画面をナユタに提示した。そこに出てくるいくつもの質問の答えを選択すると、部屋の大画面テレビに候補の女性ロボットが六名表示された。コンシェルジュのロボットがにっこり微笑んで言った。
「ではひとりづつ自己紹介させていただきますので。」
それぞれのロボットが自己紹介してくれたが、いずれも美しい顔立ちでナユタにとって好感が持てるタイプのように思えた。六名の中からひとりを選ぶと、ロボットコンシェルジュはナユタを連れてエレベータに乗り、エレベータを降りるとそこはホテルの一室のような場所だった。
「こちらでお待ち下さい。すぐに参りますので。来た子は自由になさってけっこうです。どんなことをしてもかまいませんので。」
そう言うとコンシェルジュはお辞儀をして出て行った。
ソファーに座って少し待っていると、ふんわりした黒髪のミドルヘアーの女神型ロボットが入ってきた。清楚で落ち着いた雰囲気のロボットで、ほっそりした体つきに短い丈の青いワンピースを着ていた。身のこなしも上品で、素敵な印象だった。ロボットは微笑みながら言った。
「こんにちは。アレトゥーサといいます。ここに座って良いですか?」
アレトゥーサと名乗ったロボットはナユタの横に腰を降ろすと、ナユタの手を取ってそっと自分の太腿を触れさせ、ナユタの手に自分の手を重ねた。太腿や手の温かさといい、表情や身のこなし、言葉も含めてほんとうの女神と何の違いもなかった。
かつて人間の世界でヒッパルキアと交わった以外、女と交わったことのなかったナユタの心の中にかすかな性的な欲望が揺らいでいた。浴場で女性の裸を目にしたことでナユタの性的欲望に火がついたのかもしれなかった。いかなる女神とも交わったことのないナユタが女神型ロボットを相手にするというのも奇妙な感じがしないでもなかったが、今はそういう時代なのだ。
「私を気持ち良くさせてくださいね。」
と言ってナユタの目を見つめるアレトゥーサの体を抱き寄せると、その体は柔らかく暖かで、軽く触れた弾力のある乳房がなまめかしかった。ナユタは顔を近づけてアレトゥーサにキスした。生身の神でも人間でもなく、相手がロボットというのはちょっと変な気分だったが、実際にはロボットと感じさせるものは何もないのだ。そして、ナユタが心の中で感じたのは、自分がまさに自由性愛とかロボットとかいう世界に足を踏み込みつつあるということでもあった。森の世界とはまったく違うこんな世界がこれから自分で体験するのだと思うと、奇妙な感覚だったが、悪い気分ではなかった。
アレトゥーサはしばらく唇を離そうとしなかったが、唇を離すとささやくように言った。
「素敵なキス。恥ずかしいけど、服を脱がせて。」
ナユタが青いワンピースの背中のファスナーを下げて脱がせると、アレトゥーサが身についているのは、肌の透けて見えるブラジャーとショーツだけだった。乳首も陰毛も透けて見えた。アレトゥーサはナユタに抱きついてキスし、ナユタのガウンを脱がせるとベッドに誘った。
ベッドに倒れ込むと、アレトゥーサはナユタにまとわりつき、ナユタもアレトゥーサの体を愛撫し、唇を吸った。ブラジャーを外すと、乳房はそれほど大きくはなかったが、形は良く、乳首はつんと上を向いていた。乳房はふんわりと柔らかく、ナユタが乳首を軽く吸うと、アレトゥーサは軽い喘ぎ声を上げた。ナユタも興奮してきた。股間の男根は勃起を始めた。愛撫を続けるとアレトゥーサは何一つ嫌がることもなく肢体をくねらせて言った。
「ああ、気持ちいい。ショーツを脱がせて、あそこも撫でて。」
ナユタがショーツを脱がすと、ショーツは既に愛液で濡れていた。ナユタが陰部を愛撫すると、アレトゥーサは大きな喘ぎ声を上げてのけぞり、快感に悶えた。陰部からは愛液が溢れ、ぬめぬめだった。
「こんなはしたない女は嫌い?でも、気持ち良いの。ああ、ナユタさんのものが欲しいわ。」
そう言うと、アレトゥーサはナユタと唇を合わせて舌を絡ませ、ナユタの下着を脱がせた。ナユタの男根は大きく勃起して反り立っていた。アレトゥーサはナユタの男根を愛おしそうに愛撫し、手で握りしめてしごくと、男根を口にくわえ込み、亀頭を舌で舐め回した。ナユタは初めての経験でびっくりしたが、その気持ちよさは否定できなかった。
「はしたない?でも、気持ち良いでしょう?」
アレトゥーサがそう言ってしゃぶり続けると、ナユタの男根はさらにいきり立った。ナユタは我慢できなかった。ナユタはアレトゥーサをゆっくり押し倒すと、女陰に男根を挿入し、アレトゥーサの乳房を揉みしだき、男根を思い切り前後させた。アレトゥーサは黒髪を振り乱して大きくのけぞった。
「ああ、良いわ。最高よ。最高のペニス。もっと、もっと突いて。」
そう喘いで体をくねらせるアレトゥーサの姿にナユタの興奮は絶頂に達した。
「いく、いく、もう駄目です。いく。」
と喘ぎ声を上げて悶えるアレトゥーサの深膀にナユタが激しく射精すると同時にアレトゥーサも果てた。ロボット相手の性交がこんなに気持ちの良いものとはまるで予想だにしなかったが、その快感はかつてのヒッパルキアの時よりはるかに良かった。ヒッパルキアは有能ではあったが、異性として特に気に入ってもいない気の強い女で、ただ求められるままに抱き合い、射精しただけだった。しかも戦時下での緊張の中でのできごとであり、ナユタも性的に興奮はしたが、それ以上ではなかった。だが、アレトゥーサとのセックスはゆったりした気持ちで性を楽しむことができ、それまでのナユタの神生にはなかった不思議な充足感をナユタの心にもたらした。
ロボットの館から家に帰ると、いつも通りアミティスが優しい笑顔で迎えてくれた。そこには心安らぐ落ち着きがあった。アミティスは素敵で、ナユタの心を静かに癒やし、安らがせてくれる魅力があった。
以前、トゥクール教授からアミティスを抱くことを勧められたときには、アミティスと性の交わりをする気持ちにならなかったのだが、ライリーの話を聞き、さらにアレトゥーサとセックスしたことで、アミティスはどんななんだろうかという気持ちがナユタの中に芽生えていた。
改めてアミティスを眺めると、整った美しい笑顔と均整の取れたすらりとした肢体、そしてふっくらした胸やヒップ、色白のなめらかな腕やふくらはぎなど、女性としての魅力に溢れていた。
アミティスを抱くとアミティスはどう反応するんだろうか、アミティスも女として悶え、艶めかしい表情を見せるんだろうかと思うと、ナユタは女としてのアミティスに強く惹きつけられた。
次の日の午後、早めのお風呂から上がると、ナユタはバスローブだけを纏ったまま、アミティスに後ろから抱きついた。柔らかな胸に手を当て、軽く揉むと、アミティスはいつもの涼やかな声で言った。
「気持ち良い。」
アミティスは体の向きを変え、ナユタを見つめた。素敵な表情だった。ナユタが唇を合わせるとアミティスは嫌がることもなく唇を吸ってきた。
「ベッドに行こう。」
とナユタが言うと、アミティスは、
「ええ。」
と言ってついてきた。
ナユタがベッドに上がると、アミティスも身を横たえた。衣服の胸元からふっくらした乳房がのぞき、少しまくれ上がったスカートから伸びる白い足がナユタの心を誘った。ナユタがアミティスの服をはだけると、アミティスはブラジャーをしておらず、ふくよかな形の良い乳房の先の乳首がつんと立って扇情的だった。ナユタが乳房を軽く揉むと、アミティスの顔に軽い恍惚の表情が現れ、アミティスの口から軽い喘ぎ声が漏れた。その反応は、かつてのヒッパルキアやアレトゥーサよりはるかに敏感に思えた。ロボットのアミティスは、わずかな性的な刺激で反応するように設計されているのだろう。そう言えば、トゥクール教授は、アミティスは他の男に対しては完全に体を閉ざすと言っていたが、ナユタに対しては実に敏感に性的に反応するように造られているのかもしれなかった。
アミティスの頬は真っ赤になり、乳首はつんと勃起してきた。その乳首にナユタが愛撫すると、「ああ、」という声がアミティスの口から漏れた。ナユタは乳房をさらに揉みしだき、乳首を愛撫したり吸ったりし、アミティスのすべすべしたもち肌の体をなで回した。アミティスは大きな喘ぎ声を上げ、体をくねらせた。ナユタが衣服を脱がせると、何とアミティスはパンティを履いていなかった。
ちょっと驚いたようにナユタは言った。
「パンティを履いていないんだね。ブラジャーもしていなかったけど。」
アミティスは頬を紅潮させ、恥ずかしそうに言った。
「ええ。でも、この家では必要ないでしょう?外に出るときは、ちゃんと履いているんですよ。」
ナユタがアミティスの股間に手を伸ばすと、陰部は既にしっとりと濡れていた。そのように体が反応するように造られているわけで、たいした技術と言うほかなかった。アミティスの濡れた陰部を触り、指を抜き差しすると、アミティスは大きく体を仰け反らせて身悶えた。
「ああ、もう駄目。行きそう。あそこにナユタさんのペニスを入れてください。」
色っぽい声だった。アミティスの口からそんな声が漏れるのもびっくりだったが、アミティスの様はまさに男を誘う妖艶な女神そのものだった。ナユタの陰棒は硬直し、いきり立った。その興奮は、ヒッパルキアとのときやアレトゥーサのとき以上だった。
ナユタは自らの男根をアミティスの愛液で滑る女陰に滑り込ませた。男根はするっと入った。膣の中の入った感触はヒッパルキアやアレトゥーサよりはるかに気持ち良かった。心理的なものもあるかもしれないが、技術的に男を満足させるように最高レベルに造られているように思えた。
ナユタが男根を前後させるとアミティスはさらに大きな喘ぎ声を上げ、身をくねらせた。ナユタが限界に達して精をアミティスの吐き出すと、アミティスは美しい笑顔を浮かべて言った。
「とっても素敵でした。最高です。」
「ぼくもだよ。」
とナユタが言うと、アミティスはナユタの体をしっかり抱きしめて恍惚の表情を見せた。その様はロボットとは思えないなまめかしさだった。
だが、ナユタと性的に交わったことはアミティスには何の変化ももたらさなかったようだった。彼女は次の日からも何事もなかったかのように、今まで通りの明るいにこやかさでナユタに接した。現代の自由性愛の時代にはそれが普通なのかもしれなかったし、あるいは、そこが人間や神とロボットの違いなのかもしれなかった。
さて、ライリーはさまざまな行事やパーティに来賓としてナユタを招くことを考え、しばしば打診してきた。だが、ナユタはそのほとんどを断り、受けたのはほんのわずかだけだった。そして、ナユタはマーシュ大学での研究やバルマン音楽院での活動に専念したのだった。
一方、ライリーが段取りしてくれたハルドゥーン教授との会談はしばらく経ってから実現した。現代の科学技術のもっともホットな領域である『心理工学』の専門家であるハルドゥーン教授のもとを訪ね、簡単なあいさつを終えると、ハルドゥーンはさっそく切り出した。
「最初にまず申し上げておきたいのは、心理工学を性的快楽の観点から考えている者たちも少なくないのですが、心理工学は決して性的満足のためのものではないという点です。性的満足は、心理工学のほんの一部の応用でしかありません。」
ナユタがなるほどという表情でうなずくと、ハルドゥーンは冗談交じりに続けた。
「それと、心理工学という言葉は、あまり先端の匂いがしないかもしれませんが、言葉が新鮮かどうかが技術の先進性と必ずしも一致するわけではありませんのでね。」
「でも、まさに最先端の技術だということは、ライリーから聞きました。ただ、ライリーは、メンタルマネージメントとかメンタルコントロール技術とかの方が良いとか言っていましたが。」
「たしかにね。でも、昔、ある事件のせいでマインドコントロールという言葉に非常に悪いイメージがついてしまったものですから、メンタルマネージメントとかメンタルコントロールという言葉は、マインドコントロールに類するものというような負のイメージが生まれるので、好まれないのです。いずれにしても、言葉が大事なわけじゃない。ところで心理学はご存知でしょう?」
「ええ、いちおう、どんなものかというくらいは。」
「でも、心理工学は、心理学をはるかに超えています。名前から言うと、心理学を活用する単なる応用技術のように思えるかもしれませんが、全然違います。心理学よりはるかに高度な学問であり、技術なのです。心理学は心のことを知り、解析する学問であり、応用としても、せいぜい心理療法やカウンセリング程度のものでした。行き過ぎるとマインドコントロールとかになるわけですがね。しかし、心理工学は、薬や外界からの刺激によって直接心理に影響を及ぼし、制御する技術なのです。」
「薬ですか。」
「ナユタさん。薬にやや負のイメージを持たれているかもしれませんが、その印象は払拭しなければなりません。心に影響を及ぼす物質としてもっとも古いものの一つはアルコール、すなわちお酒です。これは創造された人間界でも我々の神々の世界でも、古来より重宝されてきた。ただ、アルコールの効果は限定的だし、あまり飲みすぎると錯乱や中毒も招く。人間界では、アルコールは健康や家計に問題を引き起こす元凶として、しばしば禁酒が政策として取り入れられたほどです。もう少し強い物質となると、人間界で大きな問題となった麻薬があります。たしかに、麻薬は心に対して一定の効果はあるが、しかし、その効果は不適切な副作用を引き起こすものでした。破壊的な心理状態を醸成もしたし、社会的にも大きな問題も引き起こすものでした。人間界で麻薬が禁止されたのはまさに正しい処置でした。なかなか守られなかったという現状もあったようですがね。それに対して、今、我々の世界の学者が取り組んでいるのは、そんな弊害のない薬です。ダイレクトメンタルケアと呼ぶ学者もいますが、実際、かなりの効果を上げていて、一部は実用になっています。一方、私などが取り組んでいるのは、薬ではなく、電磁波の効果です。耳には聞こえない波長の電磁波によって心理に効果を及ぼすという手法です。音楽がただ波長だけでは意味がなく、音色やメロディ、リズムが重要であるのと同じように、心理工学でも、電磁波の音色、メロディ、リズムなど、音楽と同じ要素が重要です。音楽ならそれを耳で聞けばいいわけですが、我々が対象としている電磁波は耳では聞こえないので、測定装置、評価装置を駆使して解析することが必要となります。」
「どんな風に使うのですか?」
「例えば、室内にその電磁波を流す。そうすると、ある心理、例えば、リラックスするとか、楽天的になるとか、幸せな気分になるとかするわけです。寝ているときに、それを流す手もあります。ソフトメンタルケアという名で、一部の先進の住宅にはすでに取り入れられ始めています。ナユタさんも森で家を建てられる時とかには、ぜひ採用願えればと思います。また、性的興奮を起こさせる電磁波もあります。夜寝ているときにそれを流して寝れば、夢の中で性的興奮の絶頂を迎え、男神であれば、たいていは夢精します。家に導入する場合は、それらのいろいろなパターンを組み込んで、その時の気分で選べるようになっています。」
「技術はどんどん進歩しているのですね。」
「そうですよ。ドレッシェル先生は進歩は停滞しつつあるというお考えのようですが、まったく正しくありません。ただ、我々の研究の目的は進歩がまだまだ進んでいるか、停滞しつつあるかを解き明かすことではありませんので、その点を議論する気はありません。我々はただ進歩を進めるだけです。それに、進歩がどうなるかは、時間が経てば自然と分かる話なので、別に、今から思い悩む必要なんてないじゃありませんか。もちろん、技術によっては、飽和しているものもある。でも新しい分野はいくらでもあるのです。少なからぬ学者が、もうあまりやることがないとか言っていますが、それはある意味で能のない学者の言うことです。そんな学者は重箱の隅をつつくような研究をやっている。でも、能のある学者は、やるべき価値のある新しい分野を見い出す力を持っていますのでね。」
まったくハルドゥーン教授もトゥクール教授に劣らず留まるところを知らず多弁だった。その技術の専門家にその技術を語らせたら、そういうものかもしれなかった。たしかに、今は、寡黙に実験室に閉じこもってコツコツとフラスコを振って実験を繰り返し、綿密にデータを取る時代ではないのかもしれない。実際、現代では、自らの技術を説明し、アピールする能力は優秀な学者に必須の能力と言えたし、昔のように実験の腕が成果を大きく左右するということもなくなったようだった。成果を左右するのは資金の大きさであり、クマルビのように、寡黙に自分の能力と発想だけを頼りに研究する時代ではなくなっているのだ。
面会の最後で、ハルドゥーンは、森に家を建てる時には、最新の心理工学技術を導入させて欲しい、無料で入れさせるので体験して欲しいと依頼した。ナユタは森に帰った後は、バラドゥーラ仙神が既に移り住んでいるシュンラット高原に家を建てるつもりで準備を進めていたが、ちょっと渋って言った。
「たしかに、森に帰った後に家を建てるつもりです。でも、実際にどれほど使うかは分かりませんよ。それに結果を報告するのも面倒だし。」
しかしハルドゥーンは鷹揚としていた。
「良いのですよ。ナユタさんの家に入れたという実績だけで十分。それで宣伝効果としてもとが取れますので。」
気が進まない面もあったが、そういうことならとナユタは了承した。
(2017年6月3日掲載 / 最新改訂:2026年8月21日)
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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』 第6巻(未来の巻)