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神話『ブルーポールズ』
【第6巻】(未来の巻)-2
次の日はドレッシェルとの最初の対話だった。ドレッシェルはまずこう言って切り出した。
「この世界のことについて、さらには、この世界の今後についていろいろな角度から議論したり、研究したりしてゆきたいと思っています。現代の新しい世界を語るのに、もちろん、本質的な視点もあるでしょうが、まずは、目に見える現象から捉えるという切り口で始めたいと思っています。目に見える現象として現代の大きな特徴として挙げられるのが、ロボットと自由性愛ではないかと考えています。ロボットについては、明日、トゥクール教授を訪ねますので、今日はまず、自由性愛について話をしたいと思います。ただ、その前に、社会の現象としてこういったことを考える前提して、まず、神口の点を踏まえておくのは有用と思います。ナユタさんは、神口が過去から現在まで、どのように変化しているがご存知ですか?」
「いや、過去より神の数が飛躍的に伸びていることは知っていますが、必ずしも明確には把握していません。」
「そうですか。たしかに、過去の神口を明確に示す資料は必ずしも多くないので、推測が入らざるを得ないのですが、学者たちはだいたいこんな風に言っています。」
そう言って、ドレッシェルはグラフのプリントアウトされた紙をナユタに渡し、神口について説明していった。
「彼らによれば、ナタラーヤ聖仙やヴィカルナ聖仙が創造を行っていた時代の神口がだいたい数万から十万だったそうです。ヴァーサヴァが創造を行っていた時代には神口が百万近くになり、ルガルバンダが繁栄を築いた頃に二百万程度、シュリーが戴冠した頃に三百万程度だったらしい。その後、地上での産業革命の影響で生産性が格段に上がり、神口は急激に増加し、二回目の世界大戦の頃一千万くらいでした。さらに神口は四千万くらいまで増加しましたが、その後は、子供の誕生が減って増加ペースが鈍り、現在は五千万くらいです。これの意味するところが分かりますか?」
「どういうことでしょう。」
「かつての世界を知る神、かつての世界を生きた神は非常に少ない割合しかいないということです。」
「なるほど。」
「ルガルバンダの帝国を知る者は五パーセントもいない。ヴァーサヴァの創造の時代を生きた者は二パーセント。ナタラーヤ聖仙やヴィカルナ聖仙の創造を知る者に至っては、一パーセントにも満たない。ほとんどの神は、ヴィダールの創造以降に生まれたのです。皆、清貧の神々の在り方などとは無縁の世界に生まれ育った。このことを理解しなくてはならないと思っています。ある意味、大きなジェネレーションギャップが存在するわけですが、何と言っても、今の世界の主役は、地上での二回の世界大戦後に生まれた者たちです。彼らが、この世界の八割を占めているんですからね。私もそのひとりですが。」
ナユタが納得したのを見て、ドレッシェルは続けた。
「さて、今日、話題にしたい自由性愛についてですが、昔からいる神々の方にとっては違和感があるかもしれませんが、この世界の八割を占める者たちにとっては、さして抵抗のあるものではないという点をまず踏まえておかねばならないと思います。ナユタさんも自由性愛についてある程度はご存じでしょう。」
「ええ、ただ、あくまでもテレビやネットからの情報だけですが。ともかく、普通の意味での結婚や恋愛をする神は少なくなったということは聞いています。」
この言葉にうなずき、ドレッシェルはさらに続けて言った。
「この世界を大きく変えたのは、もちろん一つには技術の進歩であり、それによって安定した満足のゆく生活をかなえることができるようになったことです。まさに、生活のための三大要素である衣食住の満足が得られ、さらには、さまざまな楽しみが提供されるわけですからね。だが、もうひとつの重要な要素は自由性愛だと思います。」
「たしかに、そうかもしれませんね。男女間の心の問題は、そもそも社会の根底に結びつくものでしょうからね。」
「その通りです。ある意味では、かつては、男女間の感情による結びつきこそが社会の基底を形作っていたと言っても過言ではないかもしれません。そして、男女が互いに惹かれ合う感情は恋愛という形で具体的に姿を現し、結婚と言う形で社会システムに組み入れられました。そして、男女間の感情、それは愛とか恋とか呼ばれていましたが、それは美しい面を呈することもある反面、同時に、さまざまな憎しみや軋轢を生んだのも事実でした。しかも、それに性行為が結びつき、俗に言われる不倫だの三角関係だのといったおぞましい世界を現出させもしました。それらは普段は世界の表面には出てきませんが、世界の底ではいつもそれらが渦巻き、そのどろどろとした汚泥のごときものが堆積し、神もそして創造された世界の人間もそんな泥土の中で生きてきたのです。」
「それはたしかに否定しません。かつてヨシュタは愛に惑わされて最後の瞬間に挫折しました。地上では、歴史は女によって作られるとか、夜作られるとか、世界は美女によって動かされるとかいった格言めいたことを語った歴史家もいましたしね。」
「その通りです。実際、人間の世界でも神々の世界でも性の欲望がさまざまに世界を歪ませて、軋轢を引き起こしてきました。人間と神々の世界の醜聞にいかに性に纏わるものが多いかを見ただけでも納得できるというものです。それは人間と神々の世界において、性がある意味、抑圧だということに因っています。それに対して自由性愛はその抑圧を取り払い、性の喜びと満足だけを与えてくれるのです。それによって世界の軋轢も歪みも減り、性に纏わる醜聞も劇的に減る。良いことずくめなのですよ。そんな自由性愛を唱えたのがオルダスという作家でした。オルダスのことはご存じで?」
ナユタがよく知らないと言うと、ドレッシェルは続けて説明した。
「オルダスは未来社会をテーマにした作家でしたが、前回の創造の最後の頃、地上では子供の数がめっきり減り、さらには、結婚そのものの数が減ってきていました。ある意味、現在に通じる前兆だったのでしょう。文明がますます進化するにつれ、結婚は減り、子供は減り、さらには恋愛まで減ってゆきました。男女はもはや互いに支え合う必要のある存在ではなくなり、互いに独立して、それぞれがそれぞれの生き方をする世界に変わってきつつありました。そんな中、オルダスは創造が停止された翌年、つまりシュリー紀元百三十二年に、早くも自由性愛を唱えました。男性と女性の性的結合というものは、男女の根源的な欲望を満たすものであり、深い至福と陶酔ともいうべき純粋な喜びを与えてくれるものだ。この喜ばしい行為をなぜ自然な形で行ってはならないのか。そうオルダスは主張しました。たしかに、それを妨げていたのは、ある意味、結婚、家庭、家族などという社会的に我々の在り方を規定する概念だったと言ってもいいのでしょう。彼は、かつての社会は歪みを持って存在していたと断言しましたが、ある意味、その通りと思います。そして、かつての創造された人間の世界と異なり、我々の世界では子供は両親が望まなければ生まれてきませんので、これらの制約や歪みを乗り越えるハードルは比較的低かったとも言えます。ともかく、異性の誰かを独占する意味は希薄となり、あるいは、誰かを自分のものにしたいという気持ちも意味に乏しいものになり、ただ、性の楽しみだけがこの快適な社会の中での一つの大きな楽しみとして残ったのです。それが自由性愛です。自由性愛は、遊んだり、スポーツをしたり、映像を楽しんだり、会話を楽しんだりするのと同じような楽しみの一つになりました。もちろんそこに軋轢が皆無とは言いませんが、かつてとは比べ物にならないほどになり、それが社会の安定と平穏に大きく寄与していることは疑いようがありません。」
「今、世の神々は、実際、どのように自由性愛を、どの程度の頻度で楽しんでいるのでしょうか。」
このナユタの質問には、
「はははははっ。」
と大きく笑って、ドレッシェルは続けた。
「できれば、ナユタさん。あなたご自身で体験されることですけどね。まあ、それはともかく、今は、世の神々は恋愛とか結婚に捉われずに性愛を楽しんでいます。かつて異性をお茶や食事に誘ったりしたのよりもっと気楽に、今はお互いにベッドに誘っていますよ。女神から男神を誘うことも普通ですし、ネットで相手を見つけることも簡単にできます。そして、性関係をもったからといってなんのあとくされもありません。毎日のようにと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも毎週のように違う相手を相手にしている男神や女神は無数にいると思いますよ。また、グループセックスやゲームセックスも頻繁に行われています。自由性愛に関する様々なイベントもあり、オプトネット上ではさまざまな饒舌が飛び交っています。ナユタさんはそんなサイトを覗いておられないかもしれませんがね。ともかく、今では、自由性愛が当たり前になり、処女とか貞操とかいった観念は意味を失い、完全に死語となりました。夫婦というものは今でもありますが、その絆はかつてよりはるかに弱いものになっていると言えます。結婚する神々よりも離婚する神々の方が多く、夫婦の数は年々減る一方です。そして、夫婦においても、いわゆる浮気は日常茶飯事で、夫婦の会話の中にも、今日は誰々と寝てきたとか、今度は誰々とやる約束をしたといったことが、当たり前のように話されているようです。さすがに、公衆の面前で交合に及ぶなどということはまだありませんが、ともかく、若い神々は自由に性交流を楽しんでいます。また、自らの裸体や性行為をオプトネットにアップして金を稼ぐ女神も少なくありません。なんと言っても今や彼女たちはスターであり、アイドルですからね。」
「ある意味では、それが進歩の賜物ということなのでしょうか?」
「私はそう考えています。自由性愛が良いかどうかは別として、これが進歩の結果であり、また、進歩した社会の安定を支えているという面は間違いなくあると思っています。何よりも、恋愛とか結婚とかということから必然的に生じていたさまざまな軋轢を失くし、一方で、かつて、恋愛や結婚によって得られていたよりもはるかに豊かな性愛の喜びを享受できるようになったのですからね。」
「しかし、そのような性の解放と言っていいような現象は別の問題を引き起こしたりはしないのでしょうか。例えば、強姦とかはどうなったのでしょう。」
真顔でそう訊いたナユタに、ドレッシェルは笑って答えた。
「ナユタさんがご存じかどうか分かりませんが、強姦ももはやほとんど死語に近いですよ。まず、抑止するものの一つには、この前お渡ししたパーソナルチップによるセーフティシステムがあります。女性が性関係を拒否したいなら、ただ、声を上げればいい。彼女のチップはその声に反応して、警報音を発し、さらには男性を抑止する電磁信号を発します。また、その男性が誰かを女性側のチップが読み取り、自動的にその情報が中央局に送られるようになっていますから、あとでおとがめが来るというわけです。その場のやり取りもすべて自動的に録音されていますしね。」
「その男性がチップを持っていなくてもですか?」
「チップがなければ、個人は特定されませんが、一方で、チップを持たない者が近づけば自分のチップが警告を発するので、実質的には、チップを持っていなければ、異性にも他人にも近づくことができないのです。今、私と会っているナユタさんのチップが警告を発しないのは、私がチップを持っているからなんですよ。」
「なるほど。チップは防犯という意味でも重要なんですね。」
ドレッシェルはさらに続けた。
「正直言って、異性への性的な欲望が高まって抑えられなくなり誰彼かまわず異性を犯したいとか、誰かひとりの相手にご執心なんていうのは過去の話です。自由性愛をベースとした行動様式が、それらの圧力を劇的に下げました。歪んだ性的欲望などというものはほとんど消え去ったのです。もちろん、性交渉には相手の同意がいる。でも、女性の側にしても、この自由性愛のご時世で、気楽に男性と楽しもうという風潮なわけですから、まあ、この人と一回やっても良いか、というような軽いノリですよ。どうしても嫌な相手に対しては、断れば済む話ですし、断っても迫られたら、さっき言ったようにセーフティシステムを作動させることができるわけです。男性の側もそれは分かっていますから、無理にその相手をなどとは考えず、それなら別の女性に向かうだけの話です。ですから、セーフティシステムも実際に作動することはほとんどありませんし、さっきも言ったように、強姦だとか手込めなどといった言葉はほとんど死語になっているのです。」
「なるほど。技術が男女間の問題も解決というか緩和しているわけですね。」
「そうです。でも、自由性愛というのは本来決して男女間のことだけじゃありません。自由性愛というのは、まさに言葉通り自由な性愛なのです。つまり、自由性愛の概念が認めるのはすべての性愛の形態であり、すなわり、男性同士、女性同士の同性愛、複数の者たちによるグループ性愛などすべてを含みます。」
ナユタが深くうなずいて言った。
「かつては、同性愛は異常なものと見られ、グループ性愛のようなものは野蛮な風習のように見られていましたが、今はすべて自然なものとして受け入れられているわけですね。」
「そうです。むしろ、男女間のペアの関係とかそれに基づく結婚というようなものだけを基軸にするというのがむしろほんとうの心の内にある自然な状態からの乖離と言うべきでしょか。もっとも、大多数の者は普通の男女間の一対一の関係が好きなようですが。相手をいろいろ変えたいとは言っても、同性と交わったり、乱交したりするのではなく、一対一で異性を相手にしたいというのが多数です。」
「いずれにしても、自由性愛は世界を変えたということですね。」
ナユタが深くうなずくと、しかし、ドレッシェルはさらに続けて言った。
「ただ、我々のあるべき姿が何であるか。そして、これから我々はどこに向かうのか、あるいはどこに向かうべきなのかは別の問題だと思っています。このことをあなたとともに探りたくてあなたをビハールにお呼びしました。また、自由性愛の問題以外に、技術自身のこと、芸術や哲学のことなど、さまざまな者たちにお引き合わせしたいと思っています。そこから何が生まれてくるか、それを私は楽しみにしているのです。」
「ありがとうございます。ぜひ私も共に考えたいですね。よろしくお願いします。」
こうして、ナユタのマーシュ大学での新しい活動が動き出した。
次の日、ドレッシェルは、ウダヤ総合技術院のトゥクール教授のもとへナユタを連れて行った。
「ロボットのことを説明しておこうと思いましてね。自由性愛とは別の意味で、かつての世界とのひとつの大きな違いはロボットの存在ですからね。ロボットはまさに世界を変えましたから。」
とドレッシェルは言った。
トゥクールはロボット研究の第一人者であり、ナユタとの挨拶を済ませると、まず、ロボットのさまざまな基礎能力について語った。
「ロボットの基礎能力はかつての地上の人間はもとより、神々をもはるかに超えています。鼻で匂いをかぎ分ける感度は犬の能力を超え、目は可視光だけでなく、紫外線や赤外線を識別することができます。ですから、我々にとっては真っ暗闇という場所でもロボットの目は見えており、例えば、月明かりがかすかに差し込む暗い室内でも、普通に行動でき、物事をこなせるのです。さらに、ロボットが見聞きしたものはすべてメモリーされています。ただ、家庭用や個人用のロボットでは、メモリーに保存されたものは絶対に取り出せないようになっています。そんなものが取り出せたら、プライバシーも何もあったもんじゃなくなってしまいますからね。それから、ロボットは疲れ知らずです。もちろん、必要もないのに動き回る必要もありませんから、例えば、夜は、自らをスリープ状態にしてじっとしてますが、時間が来れば起きますし、あるいは、呼びかけられたり、不意に音がしたりすれば、すぐスリープ状態から復帰します。ロボットはきゃしゃな体をしていても、腕や体の力はあなたよりはるかに強いですからね。百キロもの重さも片手で軽々と持ち上げますし、百メートルを五秒で走ることもできれば、十時間走り続けることもできます。また、繊細な作業を正確に行うこともできます。その記憶力や計算能力は完璧です。メモリを消去しない限り、忘れるということはないわけですからね。」
トゥクールは、アミティスについても言及した。
「アミティスはロボットの中でも最高レベルのものでしてね。機能は最高仕様になっており、さらに、アミティスは、膨大な統計解析に基づいて、魅力的なロボットに仕上げられています。まず身体ですが、体型は理想的な八頭身で、顔の中での目や鼻、口の位置も均整がとれています。ところで、女性の身体的魅力という観点で重要な要素は何だか分かりますか?」
ナユタがすぐに答えられずにいると、トゥクールは続けた。
「それは、若さと左右対称性とウエストとヒップの比です。これはかつての創造された人間の世界での研究結果に基づくものであり、さらに、この神々の世界でもそれが当てはまることが実証されています。まず、若さですが、これは性関係をもつ能力に相関するためです。ですから、アミティスも、若々しくなめらかな肌、つやとはりのある筋肉、光沢のある髪を持ち、軽やかな足取りやうら若い女神特有のしぐさを身につけているのです。」
「なるほど。たしかに、アミティスはそうですね。」
「ええ。次に左右対称性ですが、身体は本来は左右対称なものですが、実際には環境ストレスによってしばしば崩れます。ですから、左右対称性は、環境ストレスに対する耐性を示しており、人間においても神においても左右対称性を維持している者ほど魅力的に見えるのです。特に、顔の左右対称性は非常に重要です。もうひとつがウエストとヒップの比ですが、長年の研究の結果、この比が0.7:1の女性がもっとも男性から魅力的に見えることが分かっています。ですから、アミティスはウエストとヒップの比がぴったりその値になっています。」
ドレッシェルが口を挟んだ。
「たしかに、ウエストとヒップの比は大事かもしれないね。ウエストが細く、ヒップの大きな女性というのは魅力的に見えるものだからね。ただ、トゥクールさんは重要な要素として三つを挙げられたが、もっと他にも重要なものがありそうな気がするんだが。例えば胸の大きさとか。」
トゥクールは大きくうなずいた。
「おっしゃるとおり。ただ、先に挙げた三つの要素に対する評価は、ほとんどの人間と神々で共通しているのですが、胸に関しては好みのばらつきが相当に大きいんですよ。」
「そうですか。大きい方が好まれるのかと思っていたが。」
「たしかにその通りで、定性的には大きい方がより魅力的だと言えます。ただ、どの程度大きい乳房が男性から見て魅力的に見えるかという点では、ある女性研究者が膨大なデータを元に解析したことがあり、一番好まれているサイズを結論づけてはいるのですが、同時に、好みのばらつきも相当大きいということがその論文には併記されています。」
「なるほど。それで一番好まれているサイズはどのくらいなんだい。」
この質問に、トゥクール教授は、はっはっは、と笑って答えた。
「俗に言うDカップが一番好まれます。Dカップというのはブラジャーの規格ですがね。」
「では、アミティスもDカップ?」
「いや。実はDカップよりは少し小さめです。Cまではいきませんが。」
「それはどんな理由で?」
「実は、アミティスはナユタさんの好みに合うように設計していますので。」
「ナユタさんの好みを聞いたんですか?」
トゥクールは大きく笑った。
「いやいや、何も聞いてはいません。でも、アミティスは、ナユタさんの好みをいろいろ調べて設計しているんです。」
「ほう、どうやって?」
ドレッシェルは興味津々だった。
「そもそもナユタさんは有名神ですからね。いろんな情報が得られます。ナユタさんに関する情報を細かいものまで含めて収集し、その膨大なデータを解析してアミティスに反映させるのもまさに現代の技術の粋と言っていいと思いますよ。ただ、一番参考にしたのは、実はクレアさんの意見でしてね。」
「クレアですか。」
今度はナユタが驚いたように言った。
「ええ、何と言っても、あなたの一番そばにいた女神と言えば彼女ですからね。彼女にはたくさんの意見をもらいましたよ。最初は、クレアさんに似せてアミティスを作ろうかとも思ったのですが、クレアさんから、ナユタさんは普段の生活ではあまり希望やわがままを言わないので、お節介とまではいかないとしても、控えめなのよりいろんなことを勧めてくれるロボットとが良いんじゃないかと提案されましてね。それで、声もクレアさんよりちょっと高めでかつ明るめにしたんですよ。でも、アミティスの顔つきはなんとなくクレアさんに似ているとは思いませんか?」
「ええ、それは初めて会ったときに感じました。」
「そうでしょう?うり二つなのもどうかと思って、姉妹だったらこんな感じかなという風に設計したんです。それとさっきの胸のサイズの話ですが、これに関しては、クレアさんのサイズをこっそり教えてもらいましてね。それより少しだけ大きめにしてあります。彼女は自分の胸よりもう少し大きい方がナユタさんは好きなんじゃないかしらと言ってましたし。」
「クレアはそんなことまで言ったんですか。まあ、クレアにはいろいろと世話にもなったし、助けてももらいました。素敵な女性でもありましたから、アミティスがその妹のような感じなのは悪い気はしませんが。」
「そう言っていただけるならありがたい。もっとも、アミティスの体型や顔かたちをクレアさんに似せているというのはここだけの秘密です。クレアさんに言うと、嫌がられるかもしれませんので。ただ、いずれにしても、性格や姿形などナユタさんのご希望に沿って変えることは可能です。何か希望はありますか?」
「いや、特には。」
「そうですか。それなら良かった。今後も希望があればおっしゃって下さい。胸のサイズを変えるくらい、ほんの三十分程度のことですから。それから、もう一つお伝えすべき重要な点は、アミティスは女性としての身体的魅力だけでなく、ロボットとしての最高度の『心』を持っているということです。」
「心ですか。」
「そう、心です。あなたも、ビハールに来られてアミティスに接して、心を感じませんでしたか?」
「それはたしかに。機械を相手にしているとの感じはありませんでした。それにしてもロボットと心というのはどう考えたらいいのでしょう。」
そう問いかけるナユタに、トゥクールはまさにそれを説明したいのだとばかりに説明を始めた。
「ロボットと心ということは長年の大きな研究課題でした。そもそも心とは何かということから始めねばなりませんからね。難しいことを言い始めればきりがありませんが、少なくとも我々の普通の生活、普通の日常生活に関与する心については、かなりのレベルまで来ました。例えば、あるものを見て美しいとか美しくないと言います。しかし、実際にあるものは、そのあるものにすぎず、美しいとか美しくないとかいうのは、心がそう感じているにすぎません。おいしいとか、おいしくないとか、もっと言えば、うれしいとか、悲しいとか、幸福だとか、不幸だとかというのもすべて心がそう感じているわけですから、その判断基準をロボットに持たせれば、ロボットはその『心』 を持つことができるわけです。その判断基準は、ロボットの中に組み込まれた膨大なメモリとRIによって作られるのです。」
「RIって、なんですか?」
そう口を挟んだナユタに、トゥクールは答えた。
「ああ、すみません。RIは専門用語ですが、ロボティクスインテリジェンスの略で、我々の頭脳に匹敵するものとお考えいただければ結構です。だから、それはたいへん複雑で錯綜した世界でもあって、極めて高度な数学計算、統計計算、確率論などが必要とされます。ですから、ナユタさんはよくご存じでしょうが、ウバリート学園のナキア先生にもたいへんお世話になっていますよ。」
「なるほど。彼女は天才的な数学者ですからね。」
「ええ、彼女自身は多次元空間解析に取り組んでいて、今は七次元数学空間にもっぱら専念しているようですが、その彼女にとってみれば、我々のRIの数学はたいしたもんじゃないようですよ。ちなみに、ロボットを作るための素材にはクマルビの開発した新素材をかなり使わせてもらっています。彼もしばらく前にウバリート学園に移って、新材料の開発に取り組んでいますからね。」
ドレッシェルが口を挟んだ。
「ナキア先生ともクマルビ先生ともウバリート学園では親しくさせてもらいました。クマルビ先生はウダヤ技術院の副院長職は性に合わなかったようで、ウバリートに一教授としてやって来て、『やっぱり自由に研究できるのが一番。』と言うのが口癖でしたよ。」
「なるほど。クマルビらしいな。まあ、ふたりには、昔、たいへん力になってもらったからな。」
トゥクールが言った。
「そのようですな。実は、今、私のところには、ナキア先生やクマルビ先生の弟子は結構いましてね。話を戻しますが、さっき言ったRIですが、RIによって得られた判断基準に基づいて次の行動を起こす、すなわち、笑ったり、泣いたり、怒ったり、悲しんだり、褒めたり、謝ったりするわけです。ですから、普通の生活でいうところの『心』をアミティスは持っていると言えましょう。」
「そう言えば、アミティスは、初対面の時とか、褒められたりしたときには、すぐに頬が赤くなりますね。」
「それがまさに、心をもっている証拠です。ただ、心というものは、様々な分野で学者が取り組んではいますが、依然として、我々自身にとっても解明し切れているわけではありません。例えば、アミティスが持っている心というのは、まさに我々によって与えられた心であって、それ以上ではありません。彼女は自分の意思はもちません。また、邪悪な心は彼女には植えつけられていません。そんな心を植え付けたロボットや自分の意思を持ったロボットも研究室ではいっぱい試作されていますがね。それと、真に創造的な分野を切り開く能力はロボットは持っていない。また、そのうちご説明する機会もあるかと思いますが、ロボットは、絵を描いたり、音楽を作ったりすることもできますが、あくまでも、現在ある絵画表現や音楽表現の範疇の中のことであって、そこから抜け出るまったく新しい新機軸の創出はできません。」
「なるほど。ともかく、アミティスはなかなかのロボットいうことですね。」
トゥクールは胸を張って笑いながら答えた。
「その通りです。そして、アミティスの心、そして性格はみんなから好かれるようになっていますし、さらに、あなたの好みに合うロボットになるよう設計されていますから、あなたの好みに合うはずです。もっと言うなら、アミティスはクレアさんの性格に近いものをいろいろ持っているんですよ。」
これにはナユタもなんとなく納得させられた。アミティスといると心がくつろぎ、心が安まるのはそのためだったんと思えた。トゥクールはさらに続けた。
「ただ、アミティスはその状態にとどまりません。今後、さらに、あなたの反応によって、修正が加えられます。学習機能ということになりますがね。」
「ということは、アミティスはこれから変わってゆくわけですか。」
「そうです。変わってゆくとも言えるし、変えてゆくことができるとも言えます。主神が笑顔を見せれば、それが主人を喜ばせると分かり、次もまたそうしようとします。主神が嫌な顔を見せれば、次回からそれはしないようにします。そんなふうにして、ロボットはますます主神のお気に入りになってゆくのです。ファッションのセンスや趣味、化粧の濃淡、髪型、しゃべり方、言葉使い、態度や表情なども主神の気に入るように変わってゆきますよ。まあ、その点では、昔よく飼われていた犬のような存在ですね。ただ、犬よりはるかに賢いし、はるかになんでもでき、我々の言葉を完全に解し、言葉をしゃべれますのでね。」
「それにしても、傍目には、神と見分けがつきませんね。」
「その通りです。ただ、体を切っても血は出ないし、物を食べることもありません。暑い寒いといって不快になりはしませんが、温度と湿度は正確に測っていて、それに応じて服装を変えます。」
さらに、トゥクールはアミティスについて次のように説明した。
「ともかく、アミティスは最新のタイプでしてね。昔のロボットは基本的に受け身で、言われたことをしたり、こちらからなんか言ったことに対して反応するだけだったんですが、最新のものは自分から提案したり、話しかけたりできるようになっています。アミティスはあくまでもメイドとしての役割に徹するように初期化してありますので、今のままでは自分から相手を誘惑したりはしませんが、セックスの相手だってしてくれますよ。ついでに申し上げておくと、こういうことに意味があるかどうか分かりませんが、アミティスは処女ですので。そもそもこの時代に処女などということはほとんど意味を持ちませんし、また、ロボットにおいて、処女ということがこれまたどういう意味を持つかということもありますが、ただ、ともかく、アミティスはあなたのためのロボットですのでね。」
このトゥクールの説明に、ナユタは、
「そうですか。」
とだけ言ったが、トゥクールは性に関することはとりわけ重要なことと考えているらしく、さらに説明を続けた。
「この現代の世界で、いかに自由性愛があたりまえになったと言っても、やはり相手のあることですから、同意も必要なら、相手の機嫌も取らなくちゃならない。だけど、ロボットには、そんなことは必要ありません。ロボットはいつでも受け入れてくれますからね。しかも、女神のなかには、ロボットだと何回でもやってくれるので、男神よりロボットの方が良いなんていう者も少なくありません。ロボットは相手をしなくても不機嫌になることもないし、つっけんどんな態度をとったり、冷やかな言葉を浴びせかけても喧嘩になることもありません。それに、依然として性行為について恥ずかしいという思いを持っている女神もまだまだ少なくないのですが、ロボット相手の性行為であれば、どんな痴態を演じようと恥ずかしがる必要はないし、どんな破廉恥な性行為をしても、それが外に漏れることも、噂になることもありません。さっきも言ったように、そういうロボットが見聞きしたものは絶対に取り出せないようになっていますからね。ですから、自由性愛よりもロボットを好む神は男神でも女神でも徐々に増えてきているのも事実です。」
「そうですか。世はまさに自由性愛の時代になり、さらにロボットも相手になるというわけですね。」
ナユタがやや冷ややかな口調で言うと、トゥクールはまじめな顔をして言った。
「そうです。自然な性欲を素直に認め、それに合致した社会システムとすること、これこそ英知というものではありませんかな。実際、独身女神のための家事ロボットはたいてい男性器を備えています。男性の家事ロボットが良いという女神のためのロボットが男性器を備えているのは驚くに当たらないでしょうが、世の女神の多くは女性型の家事ロボットを望んでいます。しかしセックスの相手もして欲しいという女神も多く、そんな女神のための女神型ロボットが男性器を備えているのです。ですから、姿やしぐさは女性で、性器だけが男性ということになります。そんなロボットの開発には女性技術者が活躍していて、私のところにもそんな女神型ロボットの開発に携わる女性技術者がたくさんいます。何と言っても、女性の希望はなかなか我々男性には分からないものですからな。」
大きく笑ってここまで話すとトゥクールはさらに別のことを語り出した。
「ところで、ナユタさん。自由性愛をこの現代のものだと考えるならそれは大きな間違いですぞ。かつての創造された世界で、『歴史の父』と言われた歴史家の書いた書物には、こんな話が出てきます。マッサゲタイ族というある部族では、妻を共有して自由に交わっていると書かれています。その部族の男たちは、ある女に欲望を抱くと、その女の住む馬車の前に自分の箙を懸け、なに憚ることなくその女と交わったそうです。その歴史家は、部族民全部が親近となって、お互いの中に嫉妬や憎悪の念を生じさせないようにするためだと書いていますが、実際、そのような風習はかなりあったようで、別の個所でもそのような男女の交わりは何度も言及され、婚礼の初夜に花嫁が全部の客と交わるとか、女は男に身を任すごとに足環を一つはめるとか、あるいは、正規の結婚制度はなく家畜同様に交わるとか、さまざまな話が出てきますよ。」
「そういった意味では、」
とドレッシェルが口を挟んだ。
「さっき、トゥクールが言ったように、自由性愛は共同体内部の軋轢を減らす役割をしていると言えると思いますね。そして私は進歩が緩やかになってきたということと、再び自由性愛が復活してきたという間にどのような関連があるのかという点にも非常に興味を持っています。」
「ただ、私は進歩が終焉に向かいつつあるというドレッシェルさんの見解には同意しませんがね。」
トゥクールはさらに続けて言った。
「我々の世界で太陽は巨大なエネルギー源ですが、かっては、そのエネルギーを直接に有効利用することは困難でした。植物は直接に利用していましたが、その活動により大きなエネルギーを必要とする動物は直接利用できませんでした。だから、かつては、植物を動物が食べ、その動物を別の動物が食べるという食物連鎖によって自然界が成り立っていたのです。しかし、今、我々が食べるものは、太陽エネルギーによって直接作り出すことができます。すなわち、肉も魚も太陽光によるエネルギーによって工場で作り出され、動物や魚を殺して食する必要はなくなったというわけです。そして、あらゆる機械やロボットが太陽光を直接使って動きます。しかし、現時点でも、エネルギー変換効率は百%ではない。それはすなわち、無駄にロスしている部分があるということで、今後のさらなる改善が可能ということです。それはすなわち、技術進歩の余地はまだまだあり、だから進歩はまだまだ続くということですし、ロボットの技術もまだまだ進歩しますよ。終焉なんてとんでもないと思っています。まあ、いずれが正しいかは歴史が証明してくれるでしょうがね。ともかく、話を戻すと、現時点で、ロボットは、性的満足を与えてくれるところまできているということです。」
「そうですか。それで、ロボット相手でも実際の神相手と同じだけの満足は得られるのですか。」
ナユタがそう聞くと、トゥクール教授は、大きく笑い、先のナユタとドレッシェルとの自由性愛について会話の際にドレッシェルが言ったのと同じように言った。
「それはぜひご自身で体験してみられることですよ。ぜひアミティスを相手にしてみていただきたいですな。」
トゥクールはさらに続けた。
「少なくとも肉体的結合から得られる快感については、ロボットはまったくひけをとりません。むしろ、ロボットの方が上かもしれません。ただ、そうは言っても、感情面からいうと、ただ従順なロボット相手では刺激に欠けている面もあり、依然として実際の神の方が良いという意見も根強いものがあります。ただ、最近は、様々なタイプのロボットができ、決して、言いなりになるだけではないロボットも増えましたので、好みやその時その時の気分でロボットを選ぶなど、ロボットが良いと言う神はどんどん増えています。レンタルロボットやロボットの娼婦の家もありますしね。ちなみに、娼婦というとどんなをイメージがお持ちか分かりませんが、少なくとも人間界の娼婦とは全然違います。人間界にいた娼婦は、妖艶で、場合によってはいかがわしい雰囲気もあったかと思いますが、ロボットの娼婦は全然違いますよ。もちろん、人間界の娼婦のようなのが良いという神々もいるので、そのような娼婦もいますが、まったくそれとは違ったタイプのロボット娼婦も揃っています。また、ロボット男娼もいますので、ともかく、取り揃えられている娼婦と男娼の中に、必ずお気に入りの相手がいると言っても過言ではありません。」
ロボットに関して、まったくトゥクールは多弁だった。ドレッシェルが口を挟んだ。
「別の意味で言えば、ロボットもポルノ産業の仲間入りというか、今ではポルノ産業の重要な一要素となっていると言えますね。」
「たしかに、そうですな。それにしても、自由性愛が普及すればポルノ産業は衰退するだろうと考えた学者も少なくなかったが、現実には減らないどころか、逆にますます繁盛し、いまやロボット技術まで大きく貢献していますよ。」
「それはどのように考えたら良いのですか?」
そう訊いたナユタにドレッシェルが答えた。
「かつての人間の世界もそうでしたが、男性の性的衝動は女性よりはるかに強いと言われています。ある学者は膨大なデータを元に、その比は1.8倍から2.1倍だという論文を発表しています。その学者は、だから、自由性愛で女性は十分に満足するだろうが、男性にはさらなる性的欲求があり、それが膨大なポルノ産業を支えているのだと主張しています。たしかに、その通りかもしれません。」
「まあ、ポルノ産業はほとんど男性のためのものだからな。ある意味では、ここまで片方の性だけに特化した産業は珍しいとも言えますし。特に、大きな産業ではね。レディースポルノに力を入れている者もいないわけじゃないが、男性用のポルノに比べてば、とてもビジネスとして大きく成功しているとは言えませんからな。」
そう言ってトゥクールは大きく笑うと、再び、アミティスに言及した。
「さっきも言ったように、アミティスは、自分から媚を売って誘惑すようには設定されていませんが、主人の反応で変わりますので、主人が誘惑を望めば、そのように変化してゆきますよ。もちろん、そのように設定することも可能ですし。まあ、まずは、軽い気持ちでやってゆけば良いんじゃないでしょうか。ちなみに申し上げておきますと、アミティスはナユタさん以外の男性に対しては性的に反応しないように設計されています。アミティスはナユタさんのためのロボットですからね。だから、別の男がアミティスの唇を奪おうとしてもアミティスは唇を閉ざし、胸を触れば胸は硬直し、体を撫でると肌はイガイガ肌になります。陰部も別の男に対しては完全に閉ざされ、いかなる神もこじ開けることはできません。」
そう言うと、トゥクールは、そのように体が変化するメカニズムについて説明してくれた。トゥクールによれば、アミティスに組み込まれているRIが相手を正確に検知し、相手がナユタ以外の男の場合、RIから発せられた電気信号によって、体のさまざまな部分の状態が瞬時に変化するのだという。この技術は、フレキパッドに使われている技術をさらに発展させた最新技術ということだった。
これらの説明を滔々と語ると、トゥクールは改めて言った。
「それでアミティスはお気に召していますでしょうか?」
この問いかけに、ナユタは笑顔を見せつつ、淡々と答えた。
「ええ、十分に素敵ですし、とても気が利くので、ありがたいです。」
この答えを聞くとトゥクールは満足げに笑い、上機嫌に言葉を続けた。
「それは良かった。ぜひ良き家族の一員として可愛がっていただければと思います。私自身は娘を嫁にやった父親のような気持ちでおりますのでね。」
家に帰ると、アミティスがいつもの明るい笑顔で迎えてくれた。改めてアミティスを眺めると、アミティスは美しい女性で、体型もナユタ好みだったし、胸やヒップにしても女性としての魅力があった。だが、トゥクールが勧めたような性の対象として見る気持ちにはなれなかった。ナユタにとっては、あくまでも素敵な家族の一員だった。
二日後、シャルマが、プシュパギリとギランダを呼んでナユタの歓迎の席を設けてくれた。ナユタが、住む場所やロボットのことではたいへん満足していると言うと、プシュパギリはシャンターヤのことに触れた。
「直接の連絡は来ていないかもしれないが、経費面では、財務長官のシャンターヤが何かと便宜を図っているようだ。最高の待遇を指示していると聞いている。費用面のことで困ったことがあったら彼に相談すると良い。」
「ありがとう。でもお金で困ることなんて何もない。ギランダ法案のおかげもあるし。」
そう言ってナユタが笑うと、ギランダが応じた。
「基礎給付基本法に感謝いただけて光栄です。この法案はこの世界に住まうすべての神に恩恵をもたらしていると自負しています。」
「初めて聞いた時には大胆な法律だと思ったよ。かつて地上では生活保護という制度があったが、それをさらに推し進めた法律というところかな。」
ギランダは首を振った。
「申し訳ないが、それは全然違います。すべての者にあるレベル以上の生活を保証するという建前で言えば表面的には似て見えるかもしれないが、本質は全然違います。かつての生活保護は、自らの力で自分の生活を構築できない弱者を救済するがその本質でした。もちろん、病気やその他のやむを得ぬ事情で自分の生活を構築できない者もいましたが、同時に、自分自身の努力不足や怠慢で生活保護を必要とする者もたくさんいました。その視点から言えば、かつての生活保護はある意味、人生の落伍者を救うという面の強い法律でした。しかし、基礎給付基本法は根本的に違います。この法律は弱者を救済するのではなく、すべての者に生活に必要な基礎となる資金を政府が与えるというものなのです。そして、その意味するところは、世界を変えるということなのです。」
「世界を変えるか。」
「ええ、かつて創造された世界で、ジークムントという心理学者が、魂の中にある野蛮なもの、根源的な憎悪と破壊衝動は絶対に根絶できないと主張しました。彼の学説は、地上での二度の世界大戦で実証されたように見えなくもない。でも、私はそれは正しくないと信じてきました。それが基礎給付法の出発点なのです。」
「かつての人間たちの社会では、富なくしては徳も成り立たぬ、と言われていたしな。」
「その通りです。基礎給付法によって、争うことよりもただ素直に受けることがはるかに自分にとって大きな利得があるという世界が実現できたと思っています。まさに、ジークムントの言った根源的な破壊衝動は克服されたのです。」
この言葉を受けて、プシュパギリが発言した。
「ジークムントの説が正しいかどうかはよく分からないが、少なくとも社会格差を是正する方向にギランダの法案が大きく寄与したのは間違いない。かつての社会は、人間の社会でも神々の社会でも、放っておけば自然に社会格差が拡大してゆく社会だった。富める者はますます富み、貧しい者たちはますます貧しくなる社会だ。実際、創造が停止される少し前の人間の社会では、人口の一パーセントの富豪たちが富の八割以上を握っていると言われていた。神々の世界はそこまでひどくはないが、それでもギランダ法案ができる前は大きな格差が存在した。そして、そんな格差はそもそも単純には貧しい者たちを虐げているとも言えるし、実際問題として、さまざまな社会の軋轢と不安定さをもたらす。その意味で、社会格差、経済格差を適正な程度の範囲に収めるためにギランダの法案は大きな役割を果たしたわけだ。」
シャルマも言った。
「ある意味では社会格差が進歩を導くとも言えるし、進歩の結果、社会格差が拡大するとも言えるが、いずれにしても、ギランダの法案は社会格差の縮小に大きく寄与し、世の中に大きな安定をもたらしたわけだ。」
そう言われてギランダは素直にうれしそうだったが、彼は同時にこうも言った。
「ただ、あの法律だけではうまく機能しなかったでしょう。ある意味、基礎給付法が成功したのはシャンターヤが作った資産税法のおかげです。」
「それはたしかにそうだな。」
シャルマはそう言うと、続けて言った。
「ギランダから基礎給付法の相談を受けたとき、理念としては素晴らしいが、実際に、財源という点でうまく機能するのかと正直、疑問に持ったよ。たしかに、ロボットが世界の生産を支えるようになり、すべての神々がある一定以上の生活をするのに必要な消費量を世界全体の生産能力が上回ってきたのは事実だが、ただ、神々に支給する基礎給付の財源という点が大丈夫かと思ってね。それで、財務長官になっていたシャンターヤに相談したらどうかと言ったんですよ。」
「なるほど。」
ナユタがうなずくと、ギランダがその先を説明した。
「最初、シャンターヤは難色を示したんです。政府財政の観点から言えばノーだ。そう彼ははっきり言いました。でも、同時に、少し時間をくれないか、策を考えてみる、とも言ってくれた。何と言っても、昔からの仲間ですからね。しばらく経って彼が持ってきたのが、資産税法の原型でした。彼はプシュパギリに相談してこの法律の考え方をまとめたんですけどね。」
「そうなのか?」
「ええ。でも、考え方は簡単です。」
そう言って、プシュパギリが続けた。
「要は、たくさん持っている者からたくさん取ると言うことです。ただ、たくさん収入がある者からたくさん取るのではなく、資産が多い者からたくさん取る仕組みに変えたわけです。ご存じと思いますが、ざっくり言えば、それまでは収入と消費に対して税が掛けられていたのを、シャンターヤの税制改革で、収入に対する課税を廃止し、代わって資産に対して課税するようにしたわけわけです。これは経済的にも大きな効果を生みました。それまでは収入に対して課税されるだけだったので、いくらでも蓄財が可能だった。しかし、資産税法によって、ただ金や資産を保有していても、それはただ年々減ってゆくだけになった。だったら、金を使って資産を減らし、税率を下げた方が利口だという心理も働く。資産税法の最大税率は五%ですからね。」
「その金が世の中に出て行くことによって経済も活性化するわけだな。」
ナユタがそう言うと、その通りという表情でプシュパギリが続けた。
「また、ある一定以上の資産を持っている者にとっては、資産税の方が基礎給付より多くなります。それはある意味では、ある一定以上の資産をもっている者は基礎給付を受け取っていないのに等しいと言うことです。」
「しかし、資産に課税するのは、個神の資産を把握するという点で難しい点もあるんじゃないのか?」
「実際、それが一番の課題でした。ただ、時代がキャッシュレスになり、すべての売買取引などが電子的に把握できるようなったおかげで、解決できています。金融資産は把握されていますし、資産税法以降に購入された資産、すなわち、土地や建物、金、ダイヤ、宝石、美術品等ですが、それらも把握されています。もちろん、それ以前に購入された資産には自己申告されていなければ課税できていないわけですが、その資産を売ろうとすると、過去に遡って資産税法に基づいて課税され、その税率も通常の三倍になりますので、なかなかこの税法の網をかいくぐるのは簡単ではありません。」
「なるほど。そう言った意味でも、みんなの努力でこの世界がより良い世界になっているということだろうな。」
そう言ってナユタが三神をねぎらうと、ギランダがおもむろに言った。
「でも、創造が停止され、基礎給付法も成立し、もう、自分たちが為さねばならないものはなくなったようにも見えます。それと、この前議会に提案された男女議員同数法はご存じでしょう?」
ナユタが知らないと言うとギランダが説明した。
「かつての世界は、この神々の世界にしろ、創造された人間たちの世界にしろ、基本的に男優位の社会でしたが、ヴィダールの創造の最後のあたりから女性の社会進出が目立ってきました。」
「たしかに、そのようだな。」
「もっとも、女王のシュリーは、同性の進出を必ずしも喜んではいなかったようなのですが、ユビュは女性の進出に力を入れていましてね。ウバリート学園からはたくさんの優秀な女神が輩出され、社会のさまざまなところで活躍しています。そして、ウバリート学園では、昨年、ついに、女性の教授の数が男性の教授の数を越えたということです。マーシュ大学ではまだ女性教授は四分の一程度ですけどね。」
「その旗頭はナキアかな。」
「ええ、ご存じのように、彼女は、世界初の女性教授で、ウバリート学園では副学長としてユビュを支えています。」
「クレアもがんばっているんだろうな。」
「そうですね。また、政治の世界でも女神がどんどん進出してきて、今、議員の三分の一が女神です。それを男女同数にしようというのがその新しい法案です。」
シャルマが口を挟んだ。
「強制的に男女同数にするのが良いかどうかは疑問もあるが、能力を有する女神が増えてきている現状を踏まえるなら、適切な法案とも言えるな。皮肉な言い方をするなら、男神も議員の半数を確保できるわけで、将来的には、男神保護の役割を果たすかもしれないけどな。」
ギランダが再び言った。
「そんなわけで、今後男神の議員は大幅に減るわけで、シャルマは議員からの引退を表明していますし、我々も身を引くのにちょうど良い時期かと思っています。」
「もっとも、一番早く引退したのは、ナユタとヴィクートだがな。」
そう言って笑ったのは、シャルマだった。この言葉にちょっと苦笑いしてナユタが訊いた。
「だが、シャルマも森に別荘を建てて移るとか聞いたが。」
「いや、実は建てるんじゃなくて、古城を一つ買い取ったんだ。」
「古城?」
「実は別荘を建てようかと思って土地を見に行ったんだが、そのとき、ついでに森のはずれにある古城を案内されて。外観は古風な作りだが、内部は全部リフォームされていて、気に入ったんで即決で買ってしまったよ。」
「古城って高いんじゃないのか?」
そうプシュパギリが言ったが、シャルマは笑った。
「いや、安いもんだよ。せいぜい高級車一台分くらいの値段だ。土地の値段なんてただに近いしな。」
「じゃあ、これからはそっちで暮らすのか?」
ナユタはそう訊いたが、シャルマは否定した。
「ああ、そこで少しのんびり暮らそうと思ってるけど、ただ、何もしないのもつまらないので、ビハールの家と行ったり来たりを考えてる。ありがたいことに、コンサルや講演などの依頼も次々あるんでね。」
シャルマらのコンサルタント料や講演料が法外とも思えるほどの高額であり、それにもかかわらず依頼が絶えないという話もネットで読んだことがあった。
「それで古城での生活はどうなんだ?」
「すこぶる快適だよ。召使いロボットが三台いるんで、庭の手入れや家の中のことはすべてやってくれる。朝、起きて、木々に囲まれたベランダで鳥のさえずりを聞きながら飲むコーヒーは格別だよ。それから犬と散歩に行くんだ。」
「犬を飼ってるのか?」
「ああ、ロボットだがね。トラジーって言うんだ。毎朝、散歩をねだるんでかわいいよ。その時間が近づくとそわそわしてきて、おれがぐずぐずしていると、せかすしな。だが、ともかく、ビハールのせわしなさから解放されて、ゆっくり冷たい空気を吸えるのが良いよ。」
政治の世界から身を引き、新しい生活を始めるのはシャルマだけではなかった。プシュパギリもギランダも次回の総選挙には立候補しないということで、プシュパギリは故郷のヤズディアに帰るつもりということだった。
「今もヤズディアの大学で客員教授を兼任しているんだ。年にほんの数回授業をするだけだがな。それで議員を辞めたら学長に就任して欲しいという話がきていて、その話を受けるつもりだ。」
一方、ギランダは一切仕事はしないつもりと言い切った。
「おれは、おれの作った基礎給付法を活用させてもらうよ。かつて、ルガルバンダとの戦いで敗れた後、行者に扮して世界を放浪したことが懐かしくてね。もう一回、世界を隅々まで訪ねてみたいんだ。」
三神それぞれ自分の新しい生き方に踏み出そうとしているのがよく分かった。久しぶりの再会の場で、話は尽きなかったが、そんな中でナユタはイルシュマのことを持ち出した。
「ところで明後日イルシュマが会いたいと言うので会うんだが、おまえたちはイルシュマとの関係はどうなんだ?以前は、イルシュマがヴィダールの創造を支えたこともあって、対立していたはずだが。」
この質問にはまずシャルマが答えた。
「今はいちおう和解している。創造も終わったことだしな。創造が生み出したおぞましい世界という点では創造には問題があったと今も信じているが、一方で、あの創造によって生み出された高度な科学技術が今の我々の世界を支えているわけでもあるから。」
これを受けてプシュパギリが言った。
「まあ、ともかく、イルシュマはとてつもなく優秀な男だからな。シュリーとヴィダールの政府を支える大番頭のようなもので、政府の政策に沿ってビジネス展開もするし、自分のビジネスに都合の良いように政策を変えさせてもいるしな。政府への寄付や献金の額も半端ない。世界の富の何割かはイルシュマのものらしいよ。」
ギランダが付け加えた。
「実際、ヴィダールの創造で一番儲けたのはイルシュマですし。最近も、『スチュアート提督の野望』という映画がネット公開されてたいへん話題になっていますが、知りませんか?」
「スチュアートとは、あのニコベラン空襲の?」
「ええ、そうです。スチュアート中将が関わった世界一の戦闘機の開発から、空母艦隊の創設、ニコベラン空襲、ビーラム沖開戦へと物語は展開するわけです。あの大戦でのできごとはたくさんの作品のモデルになっていて、イルシュマにしてみれば、儲けるための恰好の素材を提供してくれたというわけですよ。」
「なるほどな。」
「ただ、イルシュマはただ儲けのことだけ考えている男ではありませんね。ご存じの通り、ユビュ様のウバリート学園の創設の時には資金を提供しましたし、今も奨学金などさまざまな支援を行ってます。また、美術品を収集して美術館を開いたり、科学・芸術・文学などの分野ですぐれた功績のあった者への賞も出しており、芸術文化面での貢献も小さくありません。」
「芸術方面では、エルアザルも一緒にやってるんだろうな。」
「ええ、そうです。芸術面ではイルシュマもエルアザルに頼り切ってますからね。さっき言った映画も実際の作製はエルアザルの会社が請け負っていますし。まあ、エルアザルも我々とは比べものにならないほどの金持ちですよ。」
プシュパギリが付け加えた。
「ただ、あいつも儲けるだけじゃなくて芸術、文化を育成するのにもちゃんと力を注いでいる。バルマン芸術院やマーシュ大学にも多額の寄付をしているし、演劇家や俳優を養成する学校も作っている。その学校に入った者は学費から食費からすべて無料だそうだ。とにかく、かつてヤズディアで一緒に戦ったときから、勇気と知恵のある男だったからな。」
「そうか。それじゃあ、エルアザルにも会わなくちゃな。ともかく、明後日はイルシュマに会うことにするよ。何か用件があるのかどうかも分からないけどな。」
ナユタはそう言うと、それ以上はイルシュマのことは言わず、別の話題に移っていった。
二日後、イルシュマの秘書から伝えられた超高級ホテルに行くと、すぐにコンシェルジュが最上階のレストランの個室に案内してくれた。
イルシュマは既に来ていて、
「来ていただいて、ありがとうございます。」
と笑顔で挨拶したが、体型はかつてとは大きく違ってでっぷり太り、貫禄がついていた。
ナユタは笑って言った。
「久しぶりだな。それにしても、ずいぶん貫禄がついたものだな。」
給仕が席を引いてくれて、ふたりが席に着き、給仕が乾杯用のスパークリングワインと前菜を並べると、イルシュマは、
「再会を喜んでおります。積もる話もございますし。」
と言って乾杯し、料理を勧めて言った。
「今日の料理は、ビハール屈指のシェフに作らせています。ご堪能いただければと思います。」
前菜にはサクラマスとアスパラのスモーク、イクラとワカサギの南蛮漬け、ウニの冷製パスタ、などが並んでいたが、とてつもなくおいしかった。
「たしかに、うまいな。森から出てきて、ビハールのマンションに住むようになって、準備してもらったロボットが作る料理もおいしくてびっくりしたが、これもまた格別だな。」
「ありがとうございます。それにしてもナユタさんはビハールはほんとに久しぶりなのでは?ビハールもずいぶん変わって驚かれたのではないかと思いますが。」
「ああ、前にビハールにいたのは、まだヴィダールの創造の時代だったからな。」
ビハールの新しい生活や住む場所のことなどでひとしきり会話が弾むと、ナユタはさらに言った。
「それにしてもイルシュマも偉くなったもんだ。保有資産はシュリーの資産をはるかに越えているらしいし、おまえに関する本もたくさん出ているらしいな。最近も『イルシュマに学ぶ成功の秘訣』とかいう本が出たそうだな。」
「恐れ入ります。でも、偉くなったわけではありませんよ。ある意味、メディアが彼らのビジネスのために私を利用しているだけです。成功者を取り上げて、ある意味、そいつをヒーローに仕立て上げるわけですから。それに、私がやって来たビジネスには失敗も多い。ただ、トータルして成功による利得が失敗による損失を上回っているだけです。世の中の者たちが見ているのは仮面に過ぎないということです。」
「まあ、それはそうかもしれないな。」
「ええ、だから、私が本当は何に苦労し、何に心を配ってきたかはどの本にも書かれていません。結局、世の中は美談やヒーローを欲しているということです。クマルビも言ってましたよ。成功した技術者、研究者がしばしば取り上げられるが、思いつきがうまくいったとか、失敗からヒントを得たとか、そんなのはまやかしだって言ってました。たしかに、一回だけならそれで成功することもあるんでしょうが、繰り返し成功するための秘訣はたゆまぬ努力と綿密な取り組みだけだと言っていました。」
「だが、ともかく、おまえもクマルビもそれからナキアもみんなよくやってるよ。とろこで、一つ聞いておきたいんだが、一昨日、シャルマらに会って話を聞いたところによると、いちおうおまえとも和解状態ということのようだな。」
「ええ、お陰様で、ありがとうございます。ヴィダールの創造が閉じられて、シャルマらも創造が生み出した科学技術が現在の世界を支えていることをいちおう認めてくれていますし。ただ、本質的に同意できたわけではなく、私はシャルマらが厳しく糾弾していた創造された世界の問題点、人間たちが生み出すおぞましい世界そのものについても、この世界で何が起こりうるか、何が生じうるかを形にして見せたという点で価値があったものと思っています。」
「まあ、それは分からなくもないが、それは創造者の言い分であって、創造された者たちの立場に立ったものの見方ではないだろう。かつての地上であったように、人間のためにモルモットの命を犠牲にして研究をするのとなんら変わらない。」
「ただ、そのモルモットたちは人間のために役に立つわけで、同じように、人間はわれわれ神々の役に立つわけです。」
「だが、その意味するとことは、我々神々も人間と同じように傲慢な発想に立っているというわけだ。」
「そう言われればその通りです。神々は結局、傲慢な存在だということで、私はそれを否定はしません。それが現実だと思いますので。」
「だが、本来は、我々は、神の道とか、真理への道を歩むべきではないかと思うが。」
ちょうど、給仕が次の料理やワインを持ってきたのでちょっと話が中断したが、ワインで改めて乾杯し、次の料理に手をつけると、イルシュマは改めて言った。
「ナユタさんは真理とか神の道とか言われる。けっこうなことです。しかし、そもそも、神の道とはなんぞやです。たしかにナユタさんは真の道を求め、神としてのあるべきものを目指しておられるかもしれない。しかし、世のほとんどの神にとって、求めているのは、ただ、自らの満足や充足、自らの平安や慰安、そういったものではないですか?それが傲慢な発想、傲慢な存在というならその通り。ですが、それが現実です。現にある実の姿です。そして、そんな神々によってこの世界は成り立ち、維持されている。森の神は真理を追い求めているかもしれないが、森の神だけでは世界は成り立たない。これもまた真理ではありませんか?」
「それについては、その通りかもな。ただ、おれは、それに同調する気はないということだ。」
「立派な心がけであり、気高いお心です。ただ、私の道はそこには通じていない。そして、世の神々の道もまたしかりです。たしかに、ナユタさんに、世の神々に同調していただく必要はありません。ただ、これだけはご理解いただきたいのですが、この現在の世界を維持するということを怠れば、またいつでもかつてのルガルバンダ時代のような暗黒の時代に逆戻りしかねないということです。そして、今のこの世界を支えているのは、森の神ではなく、この世界のまさに傲慢な姿勢の世の神々なのです。」
ナユタが残念ながら同意せざるを得ないといった表情でうなずくと、イルシュマは大きな笑顔を見せて言った。
「だが、ともかく、ナユタさん。私はこれからもナユタさんをお支えいたします。何なりとお申し付けいただければと思います。」
ナユタも笑って冗談めかして言った。
「その言葉はありがたいが、おまえはシュリーやヴィダールにすり寄り、彼らの御用商神とか言われているんじゃないのか?」
イルシュマは笑い飛ばした。
「御用商神と言われているというのは事実ですし、実際に、そんなことをやっているのも事実です。ですが、それはビジネス上のディールでしかなく、敬意からではない。ディールと言っても、多分に政治的なディールの要素を含んでいますが。ともかく、私の心は、かつてバクテュエスで初めて会ったときからずっとナユタさんと共にです。そして、ナユタさんやユビュ様が私に道を開いて下さったことへの感謝を忘れたことは一度としてありません。ユビュ様のウバリート学園には少なからぬ貢献をさせていただいておりますし、今後も継続してゆきます。」
「そのようだな。ナキアやクマルビもウバリート学園を支えているようだし。」
「ただ、私に言わせれば、ふたりとも世間から隔離された学園に逃避しているようなところもありますし。でも、まあ、そこの水が合うならそれでよし。妹のナキアはむしろウバリート学園の僧院のような生活が好きなようですしね。」
「まあ、そうかもしれんな。数学の数式に打ち込むには、ビハールの喧噪よりも良いだろうな。」
「それにナキアは自由性愛を毛嫌いしていて、「自由性愛なんていやらしい限り。心を情欲にかき乱される生活なんてまっぴら。」と言ってますので。ともかく、ナユタさんが森におられたときには私が為すことはなかなかなかったのですが、今回ビハールに出てこられたのですから、いろいろとお手伝いさせていただいたり、支援させていただいたりしたいと思っています。」
「その申し出自身はありがたいがな。」
「そう言っていただいてありがたく思います。それにしても、この世界は様変わりし、立派になったとは思いませんか?もちろん、それが、真理とか、神の道とかに照らしてどうかというのはあるかもしれませんが、でもともかく世界は豊かになり、困窮と苦労が常に根底にあった神生は、喜びと幸せに満たされた神生に変わった。そして、世界は平和のうちに時を刻んでいる。」
「まあ、それについては同意するよ。神々は生き生きとし、皆喜びをもって生きているように見えるしな。そして、それが、ヴィダールの創造によってもたらされたということも否定はしない。こうして、おまえとこんな高級なレストランでこんな高級な食事をできるのもそのおかげだし。かつて、ベルジャーラで初めて会ったときには考えられもしなかったことだ。」
「そうですね。惨めな辺境の民族のひとりに過ぎなかった私が、こうして、ナユタさんと優雅に食事を楽しんでいる。まことに万感迫るものがあります。」
「そうだったな。厳しい時代だったからな。だが、あの時、初めて会って、おまえの才能はすぐに分かったよ。」
「ありがとうございます。私にとっては、正直言って、バルマン師やマーシュ師、ユビュ様のために力を尽くしてはおりましたが、未来が見えていたわけではありません。その私にとって未来が見えたのはナユタさんがベルジャーラに来られた時でした。そして、あの夜、ナユタさんがサントゥールを響かせられた。その響きを聞いて、私には目の前に未来が開けてくるように思えたものです。そして、おそらくユビュ様も同じ思いだったのではないかと思いますが、ルガルバンダとの戦いに起つことを決意されました。」
「そうだったな。それにしても、あれ以来のおまえの献身には感謝しているよ。」
その言葉にイルシュマが軽く頭を下げると、ナユタはエルアザルのことを聞いた。
「そういえば、エルアザルは依然として活発に頑張っているようだな。」
「ええ、とにかくやり手ですので。ナユタさんはエルアザル・シアターには行かれましたか?」
「いや、ビハールのことはまだよく知らなくて。」
ナユタがそう言うと、イルシュマはシートディスプレイを取り出して指で操作した。壁際の天井からロールディスプレイが降りてきて、そこにシアターの写真が映し出された。
「エルアザル・シアターはビハールで一番の劇場でして。演劇もやれば、ミュージカル、コンサートなどもやります。大きなホールもあるので、美術展もときどきやります。もっともナユタさんの影響と思いますが、エルアザルは決して下卑なものはやりませんでね。例えば、ただ人気があるだけのミュージシャンなどは絶対に舞台に立たせません。」
「なるほど。そういうことなら、ぜひ行ってみたいものだな。」
「それでしたら、いつでもどうぞ。エルアザルの事業はすべて私のビジネスの範疇にあり、私のビジネスに関するものはナユタさんはすべて無料でご利用になれますので。クレンペラーのコンサートもありますし、ちょうど今週末は地上でナユタさんも関わられたセルゲイの舞踊もやる公演があります。」
「セルゲイの舞踊か。それは懐かしいな。」
「では、席をお取りしましょう。何枚用意しましょう。私がお付き合いしても良いんですが。」
「いや、一枚でいい。ひとりで行くよ。」
「分かりました。それでは、最上の席をお取りしましょう。エルアザルにも言っておきます。」
そう言って、イルシュマはタブレットで予約を入れてくれた。
「予約は簡単ですので、今後、自由に何枚でも予約いただいてけっこうです。」
「そんなことをしたら、赤字になるんじゃないのか?」
とナユタは笑ったが、イルシュマも笑って答えた。
「大丈夫です。ナユタさんがどんなに頑張っても、劇場がそれで埋まることはありませんので。」
そう言うと、イルシュマはさらにエルアザル・シアターでの催し物などをひとしきり説明してくれ、さらにアルセイスのことを持ち出した。
「ところで、アルセイスですが、彼女とは以前にも増して幅広く提携していましてね。」
「そう言えば、ビハールでアルセイスという名の掲げられた店があったな。」
「ええ、アルセイスは商才がありますので。今では、服飾、インナーウェア、アクセサリー、エステなど女神向けビジネスに力を入れる総合ビューティー企業にもなっています。また、レジャーも従来型ホテルやテーマパークなどに加え、レジャーセンターやバーチャル・ゲーム、キャラクタービジネスなどにも力を入れ、いわば、総合エンターテインメント企業になっています。」
「なるほどな。以前、ヴィダールの創造の最中に会ったときには、ビハールの娼婦の館もやっていたが、今はなくなっているな。」
「ええ、もう、そういう時代じゃありませんから。その代わり、今はロボットの館をやっています。ロボットが娼婦や男娼を務めています。」
「そんな館があることはトゥクールから聞いたよ。」
「そうですか。いずれにしても、私の事業だけでなくアルセイスの事業に関わるものもナユタさんはすべて無料で利用できるようになっていますので、ぜひいろいろ活用下さい。」
そう言うと、イルシュマはビハールでの住まいのことや大学でのことなどに話題を移した。道は違うかもしれないが、かつての仲間との交流にはやはり心温まるものがあった。
その週末、ナユタはエルアザル・シアターに出かけた。その劇場は宮殿に続く大通りからちょっと入った広場に面していた。ナユタが劇場でリストバンドをかざすと、すぐに上品なコンセルジュロボットが歩み出て言った。
「ナユタ様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」
そのロボットについて行き、案内された部屋に入ると、待っていたのはエルアザルだった。
「おお、久しぶりだな。」
と声をかけたナユタに、エルアザルは深々と頭を下げて言った。
「ほんとうにご無沙汰しております。今回、ナユタさんがビハールに出てこられたと聞いて、ぜひここにも来ていただきたいと思っていました。」
開演までそんなに時間があるわけではなかったので、挨拶と簡単な話だけだったが、エルアザルは公演の後、一緒に夕食をと言ってくれた。
公演では、さまざまな踊りが披露された。ヤズディア、ドルヒヤ、バクテュエスなどの地方の伝統的な踊りもあれば、セルゲイが手がけた舞踊もあり、さらには最前衛の創作舞踊もあった。セルゲイの舞踊では、かつてナユタやマティアスが作曲した音楽が使われ、ナユタは目頭が熱くなるのを押さえられなかった。
公演が終わると、劇場内のレストランでエルアザルと夕食を共にした。
「いかがでしたでしょう?ナユタさんの目から見ると、いろいろ至らない点もあるかと思いますが。」
とエルアザルは言ったが、ナユタは笑って答えた。
「立派な公演だよ。伝統的なものもあれば前衛もある。良いことだ。それにしても、セルゲイの舞踊は久しぶりに見たが、ほんとに懐かしかったよ。」
「ありがとうございます。それにしてもセルゲイは、ほんとに斬新で芸術性の高い舞踊を残してくれたものだと思います。よろしければ、今後の催し物などを定期的にご案内しますが。」
エルアザルがそう言うので、案内をもらうことした。エルアザルはさらに舞踊のための音楽をお願いできないかとか、この劇場の出し物のための顧問になってくれないかとも言ったが、ナユタはやんわり断った。
「また機会があったらな。今回は、この現在のこの世界を見るためにビハールに来たんだ。たぶん、そんなに長くは居ないし。」
エルアザルは残念がったが、ナユタがエレアザルの事業に理解を示してくれたのにはほんとうにうれしいそうだった。
(2015年10月25日試行掲載 / 2017年3月3日掲載 / 最新改訂2026年8月20日)
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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』 第6巻(未来の巻)