著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 9, October 2002

ポルトガル語によって疎外される若者たち

松野明久

 東ティモールの憲法は、ポルトガル語とテトゥン語を公用語としている。しかし、ポルトガル語ができない者たちを、政府は徐々にマージナライズ(周縁化)している。若者たちの間では、このままでは自分たちは意思決定のプロセスから疎外されてしまうという危機感が強まっている。


2つの公用語

 そもそも、公用語が2つあることのあいまいさが、解決されていない。
 74年世代(74年の独立運動勃興期の世代)は、政党を問わず、圧倒的にポルトガル語派だ。憲法についての議論が始まる前、彼らの間では、ポルトガル語だけを公用語にし、テトゥン語には「民族語(National Language)」という地位を与える考えが主流だった。
 しかし、その後、インドネシア教育世代の若者たちの主張が強まり、最終的にはテトゥン語も公用語としての地位を獲得した。「民族語」という概念は放棄された。
 しかし、公用語が2つある場合、2つともできないといけないのか、ひとつだけできればいいのか、という点が決まっていない。若者たちは、おそらく、テトゥン語ができれば公務員にもなれ、裁判もでき、学校教育も受けられるという、ひとつだけできればよしとする事態を期待していた。
 しかし、どうやら、政府の考えは違っていた。
 政府は、2005年までに小学校教育をすべてポルトガル語で行えるようにするという目標を設定した。その後、中学・高校・大学と、ポルトガル語による教育を実現していく方針だ。
 ある大学教師は、政府のポストに応募したが、ポルトガル語ができないとだめだと言われ、自分から断念したと私に語った。ポルトガル語を使うようにという圧力は、裁判所など司法部門でこの間強かった。テトゥン語ができないアナ・ペソア法相は、熱烈なポルトガル語派だ。また、自身が長く住んだモザンビークの司法関係者の援助を受けるには、ポルトガル語が必須なのだ。
 しかし、東ティモールで国連暫定行政が行った調査(Household Survery)によると、ポルトガル語を理解する人の割合はたったの5%にすぎない。テトゥン語は82%、インドネシア語は43%、英語は2%だった(前号参照)。

ポルトガルの援助

 東ティモールの熱烈なポルトガル語派を資金的に支えているのは、ポルトガル政府だ。若者たちには、これが文化的な新植民地主義とうつる。
 東ティモールのモニタリングNGO「ラオ・ハムトゥック」が出しているニュース・レター(第3巻7号2002年10月)によると、2002年度のポルトガルの東ティモールに対する援助総額(2420万ドル)のうち、1250万ドルがポルトガル語教育に向けられている。
 すでに小学校教師3600人のうち3500人がポルトガル語研修を受けた。また、中学高校には151人のポルトガル人講師が派遣され、外国語としてのポルトガル語を教えている。国立東ティモール大学には、ポルトガルから常時12-15人の講師が3ヶ月サイクルで派遣され、電子工学、情報工学、農学、経済学、ポルトガル語などを教えている。
 また、ポルトガル政府は314人の学生に奨学金を与え、ポルトガルで学ばせてもいる。ただし、そのうち8人はすでに帰国。ドロップアウトして仕事をしている者もいる。来年度はこの奨学金は廃止される。さらに、ポルトガルは100人の東ティモール人学生がインドネシアで学ぶのに奨学金を与えている。
 8月26日、ポルトガル政府とカトリック・ディリ教区は、ディリにポルトガル語の学校を開設する協定に調印した。この学校は、サント・ヨセフ中学校の裏の敷地に建設され、ポルトガルのカリキュラムをそのまま使う。ベロ司教は、この学校を出たら、ポルトガル語とポルトガル文化を身につけることになる、そこからポルトガルの大学にも行けると語った。
 カルティン・サントス大使は、ポルトガル政府は今後50年間ほどこの学校を支援し、東ティモール人が自分たちで運営できるようになったら移譲すると述べた。(Timor Post, Aug. 27)
 こうしたポルトガルによるポルトガル語支援を受け入れているアルミンド・マイア教育相は、ポルトガル語の公用語化は、民主的な手続きをへて決まり、憲法にも定められたことであり、政府はそれを実行しているだけだと言う。(Sydney Morning Herald, Aug. 16)
 今、世界銀行は、ポルトガルの出版社リデル(LIDEL)が、東ティモールの学校で使う本5万冊を印刷するのを資金援助するかどうか、検討している。内容は東ティモール人がチェックし、東ティモール人がイラストを描くらしい。決まれば17万ユーロがこれに使われる。(Lusa, Oct. 25)
 一方、テトゥン語による学校の教材はまだひとつもない。

若者たちの反発

 「憲法ではテトゥン語を発展させることになっているが、それができていない」
 そう語るのは、フレテリンの国会議員ジョゼ・ロバトだ。彼は、フレテリンの第2代党首でインドネシア軍に殺された伝説的指導者、ニコラウ・ロバトの息子だ。彼は、テトゥン語を公用語として憲法に明記させるロビーの先頭にたっていた。
 「彼らはポルトガル語をロマンティックに見ている。それは愚かな政策であり、将来、われわれ自身にはねかえってくる」
 元フレテリンの国会議員で、今は議員を辞めオーストラリアに留学している、アデリト・ソアレスはこう批判する。(Sydney Morning Herald, Aug. 16)
 ポルトガル語推進はフレテリン政権がやっていることだが、フレテリンの若手政治家たちは、概してこれに反発している。
 国会では、政府がポルトガル語の文書や法案を、テトゥン語やインドネシア語の翻訳をつけずに、出してくることも多い。あるフレテリンの若手議員は、「記者から政府案はどうだと聞かれても答えられない。最近では、議会の権威も落ちてしまったよ」と、私に語った。若手議員は政府に苦情を言っているが、改善されないと言う。
 東ティモール大学言語学研究所は、テトゥン語を発展させるという趣旨で設立された研究所のはずだ。ベンジャミン・コルテ・レアル学長は、研究所所長を兼任する言語学者でもある。しかし、この研究所に専任の研究員はおかれていない。
 東ティモールの一般の生活の中では、ポルトガル語を使うことはまずない。
 東ティモールテレビ(TVTL)は、朝昼夜のニュースしか制作していないが、それはすべてテトゥン語だ。登場する政治家たちもみな、テトゥン語でインタビューに応じている。ポルトガルの番組がそのまま流れているときもあるが、内容的につまらない。むしろ、人びとはインドネシアのテレビ放送、とくにニュースや(インドネシア語に吹き替えられた)海外のドラマ、コメディ・ショー、サッカーをよく見ている。
 東ティモールラジオ放送は、4言語で放送を行っている。ディリで出回る2つの新聞も4言語を使っているが、記事として一番多いのはインドネシア語で、次いでテトゥン語だろう。ポルトガル語は、ポルトガルの通信社ルサが提供してくれるものをそのまま載せている。東ティモール人が書いているポルトガル語の記事はない。
 現在、大学の授業はインドネシア語とテトゥン語で行われている。小中高の授業も、基本的にはテトゥン語かインドネシア語であり、3年後にすべての授業をポルトガル語化するという政府の方針は、実現可能性が薄い。現場では、教師たちが不可能だと訴えている。
 町で買い物をしても、テトゥン語か、せいぜいインドネシア語だ。教会のミサも、基本的にはテトゥン語で行われる。指導者たちによれば、テトゥン語は文法など未整備の、公用語には不適切な言語だから、ポルトガル語を推進しなければならないのだそうだ。
 しかし、2002/2003年度の予算には、テトゥン語を整備したり、発展させたりするための予算は、最初から計上されていない。★


情報活動9号の目次ホーム