<人権裁判>

インドネシアの人権裁判、やっと始まる

松野明久


 待ち望まれた東ティモールに関する特別人権法廷がやっとはじまった。中央ジャカルタ地方裁判所には、統合派支援者たちがつめかけ、気勢を上げている。この裁判は、インドネシア政府の政治的意思の欠如、メガワティが出した大統領令による取り扱い事件の制限などから、たとえ有罪判決が出たとしても、まったく不十分なものにしかならないことは明らかだ。ふたつの裁判の経過を記す。

(1)ソアレス(元州知事)とシラエン(元警察署長)

 3月14日、元州知事のアビリオ・オゾリオ・ソアレスと元東ティモール警察署長のティンブル・シラエンの公判が始まった。外では国粋主義団体「インドネシア民族統一戦線」(FPBI)の支援者数百人が集まって気勢をあげた。「UNTAETはテロリストだ」「焦土作戦はオーストラリア・ポルトガル・国連が望んだこと」「ティモールはオーストラリアの人形」などと過激なスローガンをかいた横断幕を広げた。

訴追内容

 アビリオとシラエンはともに彼らの部下による重大な人権侵害の責任を問われている。事件としては、リキサ教会襲撃、マヌエル・カラスカラォン宅襲撃、ベロ司教邸襲撃、そしてスアイ教会虐殺の4つが上げられている。シラエンについてはさらにリキサのUNAMET事務所襲撃が加えられている。ただいずれの場合も、彼らが直接の実行者ではなく、アビリオの場合は「不作為」、シラエンの場合は「予防に失敗」が問題となっている。ソアレスは最低でも10年、最高で20年の刑の可能性があり、シラエンは最高死刑となる可能性がある。二人とも拘置所には入れられていない。
 初日、アビリオは起訴内容を「理解できない」と述べ、弁護チームはUNAMETなどに投票後の暴力の責任があると主張した。一方シラエンは起訴内容は「理解できる」が「同意できない」と述べた。(JSMP/IPJET, 14 March)

遡及的適用

 アビリオの弁護士は、法律の遡及的不適用の原則(インドネシアの修正憲法第28条iに明記)から、当法廷は過去のケースを裁く権限がないと主張した。これについて裁判官は、4月4日、ニュールンベルク裁判や東京裁判、旧ユーゴスラビア法廷などの例においても、重大な犯罪の場合、遡及的不適用の原則は正義の確立のために採用されていないとして、却下した。

ウィラント「この法廷はおかしい」

 4月4日証言に立ったウィラント(元国軍総司令官兼国防相)は、「国家が国家の使命を誠実に実行しようとした国家の僕を裁かなければならないなんて、良心をもつ者なら誰でも心が痛むはずだ」と言い、自分はそもそもハビビの決断に対して警告し、それでも住民投票を成功させるため16項目もの努力を行ったと語った。そして5月合意以後は警察が治安の責任者であって、軍は適宜アドバイスを行っただけだと語った。(JSMP/IPJET, 4 April)
 法廷を出たウィラントはマスコミに、この法廷は本当に理解できない、何百万人もの死者を出したユーゴスラビアとちがって、東ティモールでは死者は100人にも満たない、それにそれは紛争だったんだからと語った。(Kompas Cyber Media, 4 April)

ダミリ「シラエンはよくやった」

 シラエンの弁護で証言したアダム・ダミリ(当時ウダヤナ司令官)は、4月11日、「アラーに誓って言うが、国軍と警察が行ったことは民族のプライドを保持せんがためだった」とのべ、「自分はとられた措置が最大限のものだったという報告を受けている。そうでなければ、犠牲者は数百人に及んでいただろう」と語った。(Kompas Cyber Media, 11 April)
 また、「ティンブル・シラエンがそうしたことを起こるがままにしていたというのは見てもいないし、聞いたこともない。もしそうしたことがあったとすれば、4000人いたUNAMETのスタッフは故郷には帰れなかっただろう」、また「ベロ司教と難民たちは(命を)救われたと聞いた。軍と警察が動かなかったら、今ごろ司教は死んでいるだろう」と語った。(Reuters, 11 April)

アビリオ「行政は機能していなかった」

 アビリオは4月17日の公判で、UNAMETが6月に到着して以後、文民行政の権威は機能していなかったと語った。例えば、ディリのUNAMET事務所開所式で彼は襲撃され、「警備の連中は何もできなかった。壊れた車で逃げてこなければならなかった」という。(注)そして結果発表後は9月6日に彼自身がジャワに避難したと語った。(Kompas Cyber Media, 17 April)

スラトマン「私は努力した」

 8月始めに交代させられるまで、東ティモール司令官をしていたトノ・スラトマン准将(当時は大佐)は4月18日、アビリオの公判に証言者として出廷し、「私は治安に責任があった。そして4000人の国際監視員(オブザーバー)の誰一人として殺されなかった」と語った。(AP, 18 April)
 (問題はオブザーバーではない。オブザーバーも国連スタッフも殺されなかった。殺されたのは東ティモール人たちであり、彼が司令官をしていた1999年8月までには、数々の殺害事件がおきていた。)
 また、スラトマンは「州知事は暴力を回避すべく、統合派と独立派の和解会議などあらゆることを行った」と弁護した。

シラエン「上層部こそ責任者だ」

 シラエンは4月24日、自分は治安についてはできる限りのことをやった、と感情的になって語った。そして「治安の国レベルの責任者はウィラントとフェイサル・タンジュン(政治治安担当調整相)で、自分は単なる現場の人間にすぎない」とも語った。
 また彼は「アンボン(マルク)やポソ(中スラウェシ)の宗教紛争で死んだ人の数に比べれば、東ティモールの死者は少ない」と述べ、東ティモールの人権侵害が誇張されていると訴えた。(Jakarta Post, 25 April)
 (実際、統合派の資金的スポンサーとなり、公金を横領してまで民兵を養っていたアビリオに比べ、シラエンの「罪の深さ」がどれくらいか、はっきりとしない。シラエンは、当時の軍の勝手な行動から比べれば、治安の責任を負わされていろいろやろうとしていたことは事実。彼に責任がないとは思わないが、責任者はやはり軍のはず。)

人民治安隊?民兵?

 検察側証人となったムアフィ・サフジ(元警察副署長)とドミンゴス・ソアレス(元ディリ県知事)は4月25日、国防省はKAMRA(人民治安隊)を設立し、これと民兵はちがうものだとしながらも、ディリの人民治安隊にはアイタラク(民兵組織)のメンバーが入ったと証言した。(Jakarta Post, 26 April)

(注)6月4日、ディリでUNAMETの事務所開きがあり国連旗が掲げられた。それで興奮した若者たちがアビリオの車を襲撃した。アビリオにけがはなかった。

JSMP/IPJETとあるのは、Judiciary System Monitoring Project(東ティモールの裁判モニタープロジェクト)とInternational Platform of Jurists for East Timor(東ティモールのための国際法律家グループ)が共同で行っているという意味で、ジャカルタの裁判を見ている。


(2)スアイ教会事件

 1999年9月6日、スアイのサンタ・アベ・マリア教会でおきた虐殺事件についての公判が3月19日、中央ジャカルタ地方裁判所で始まった。起訴されているのは次の5人。

  ヘルマン・スディオノ(元コバリマ県知事)
  リリ・クサルディヤント(元スアイ軍司令官)
  アフマド・シャムスディン(元スアイ軍司令部参謀)
  スギト(元スアイ軍司令部セクター司令官)
  ガトット・スビアクトロ(元スアイ警察署長)

訴追内容

 検察によると、事件では約27人が殺され、その中には3人の神父も含まれていた。(東ティモール側の情報では200人ぐらいが殺されたと言われている。)襲撃はインドネシア軍の下級兵士が支援した民兵マヒディ(統合決死隊)とラクサウル(さそり)が行ったものだが、被告たちはこの虐殺を防止しなかった罪に問われている。もし有罪となると、最低10年から最高死刑までの可能性がある。
 初日はウィドド現国軍総司令官はじめ国軍オブザーバーがいて、さらに30人の特殊部隊、エウリコ・グテレスも傍聴していた。外ではインドネシア民族統一戦線が騒ぎ、ときおり法廷の進行が聞き取れないほどだった。(JSMP/IPJET, 19 March)

イスカンダル一等兵「死体を運ばされた」

 4月23日、ソニ・イスカンダル一等兵は、彼の上司で被告の一人、スギト大尉(当時)から教会襲撃の翌日、遺体を運び埋めるよう指示されたと証言した。「スギト大尉は私に『車の中に遺体がある。それを埋めよう』と言われた」と語った。イスカンダルはピックアップトラックを運転し、スギトはミニバスを運転した。車はもうひとつあったが、それは東ティモール人の民間人が運転した。彼らは教会から30キロほど離れた海岸の近くに「約25体」を埋めた。
 イスカンダル一等兵は司令官のアフマド・シャムスディンの運転手をつとめていた。
 また彼は、「私は上官の命令にしたがって穴を掘った。穴は三つ。ひとつは男の遺体用、もうひとつは女の遺体用で、三つ目の穴は3人の神父用だった」とも語った。
 もうひとりの証言者、イ・ワヤン・スカ・アンタラ軍曹は、スアイの教会には虐殺のあったとき一人の軍人もいなかった、また避難民たちが危険にさらされているという事前の兆候もなかったと語った。そして、いずれにせよ、避難民たちは軍がそばに寄ることを許さなかった、どうやって彼らを守ることができただろうか、とも述べた。
 このふたりの証言者は、いずれも、(提出された)彼らの書類は軍警察によって署名しなければ解雇するとの圧力のもとで署名したもので、無効にしてほしいと要請した。(AFP, 23 April, Jakarta Post, 24 April)★


国連人権委員会議長声明


 ジュネーブで開かれていた第58会期国連人権委員会は、4月19日、東ティモールについて議長声明を発表した。世界中のNGOから、インドネシアの人権法廷を認めてしまうような議長声明であり、東ティモールでの人権侵害について正義をもとめることから、国際社会は一段とはなれていると批判されている。骨子は次の通り。

1.東ティモールの独立を歓迎。東ティモール政府が国際人権諸条約に加盟することを勧奨。
2.東ティモールでジェンダー担当首相顧問の就任を歓迎。
3.東ティモールの司法努力、そして真実和解委員会の設置を歓迎。
4.インドネシアによる人権法廷の設置を歓迎。国際基準にしたがって裁判を行うとのインドネシアの約束を想起。オランダ人記者殺害についてのさらなる調査を勧奨。
5.インドネシアの人権高等弁務官とUNTAETとの司法協力の重要性を再確認。西ティモール難民の解決に向け協力を要請。

 問題は4.だが、国際基準を求めているが、すでに裁判の枠組み自体が基準を満たしていない。5.は犯罪人引き渡しが想定されているが、はっきり書かないと守られないだろう。★


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