憲法、ほぼ決まる

松野明久


 2001年12月には発表されるはずだった東ティモールの憲法は、遅れに遅れて、結局3月初旬に発表ということになった。1月31日の時点ですでに151条が採択されているが、いくつかは作業部会にさしもどされており、またいくつかの条項が独立(5月20日)前に発効することを定めるだろうと予想される第152条がまだ通過していない。主に国連暫定行政機構(UNTAET)のプレス・リリースから、これまでに決まった憲法について報告する。


憲法の構造

 前文から始まる憲法は次の6部に分かれている。

 1部 基本原則
 2部 基本的権利と義務
 3部 政治権力の組織
 4部 経済・財政機構
 5部 国防治安
 6部 憲法の保障と改正

 以下、各条項をみていくが、採択は88議席のうち60人が賛成しないといけない。

国名と独立宣言の日(第1条)

 国名は「東ティモール民主共和国(Democratic Republic of East Timor)」、独立宣言の日は1975年11月28日と定められた。これはフレテリン、ASDT、社会党などが主張してきたことである。しかし、昨年10月に制憲議会、ついで国連安保理が2002年5月20日を東ティモール独立の日と決議しており、同じ制憲議会がこうした矛盾した立場を示すのは問題だといえる。
 厳密に言えば、昨年の制憲議会の決議は主権の委譲ということのはず。国際的に(マスコミも含めて)5月20日を独立と呼んでいるのは便宜上の話だ。とはいえ、マリ・アルカティリもラモス・ホルタも5月20日を「独立」と呼んでいて混乱を助長している。これまでの東ティモール内の論議からすれば、11月28日が独立で5月20日は主権委譲というのが「本音」だろう。国際社会(インドネシアなど)への気遣いから11月28日を「独立宣言の日」、5月20日を「独立の日」と使い分けるつもりなのだろうか。
 ちなみに国名については賛成71、反対4、棄権11。独立宣言日については賛成70、反対6、棄権8だった。
 これとの関連で、1999年8月30日(住民投票)を民族解放の日とする動議が出されたが、賛成14、反対59、棄権15で否決された。ただこの日は前文においてその意義が認められるということになった。

国籍(第4条)

 第4条では、東ティモール人の親をもつ者は国籍をもつ、(東ティモールで生まれたが)親が外国人である者、または親が不明の者は17才までに国籍取得の意思を表明すれば国籍をもつ(以上を「生来の国籍」とみなす)、(生来の国籍でない)取得された国籍をもつ者は外交団および軍隊に勤務することができない、などと定められた。
 条文全体がわからないので判断しにくいが、今東ティモールにいるインドネシア人の移民ですでに17才を越えている者は東ティモール国籍が取得できないということになるように思われる。さらに、ポルトガル時代にマカオから移住しすでに30年以上住んでいて根付いているような中国人はどうなるのか。おそらく彼らは申請して受理される、すなわち「取得された国籍」ということになるのだろう。しかし、東ティモールで生まれすでに17才を越えている中国人は、常識的な意味ではもはや東ティモール市民以外ではありえない。彼らは二級の国民扱いにならないのだろうかという点が心配される。

領土(第5条、6条)

 領土はティモール島の東部にオイクシ、アタウロ島、ジャコ島をくわえたもので、地方への権限分散を国家は尊重すること、またオイクシ、アタウロの2地域は特別な配慮を受けることが定められた。

基本的権利、法の支配(第7、8、9条)

 基本的権利の保障、法の支配。さらに東ティモールがポルトガル語を話す諸国と特別な関係を維持することが定められた。

国際連帯(第10、11条)

 民族解放を闘っている人民との連帯、そうした活動に従事している者の亡命の受け入れが定められた。さらには東ティモールの自由を勝ち取る上ではたしたレジスタンスの役割を認めるとの条文が入った。
 前者の関係でいうと、パプア人の闘争はどうするのだろうか。民族解放(national liberation)ということばが鍵ではないか。つまりパプア人の闘争は「ナショナル」ではなく「エスニック」だと論じることで、パプア人支援をしない、つまりはインドネシアとの関係を悪化させないことを想定していると考えられる。しかし、国際法的に言えばパプア人の闘争は「ナショナル」といえなくもない。議論の分かれるところだろう。

政教分離(第12条)

 第12条は国家は教会その他の宗教から分離されなければならず、またさまざまな宗教を尊重しなければならないと定めた。
 この条項が制憲議会を通ったのは12月11日のことだが、今年に入って1月29日、ルオロ議長は政教分離に反対する「教会・憲法作業グループ」の手紙を読み上げた。手紙はベロ司教ら3人が署名してるもので、第12条の削除を求めていた。書簡はその他のテーマについても論じている。

公用語(第13条)

 テトゥン語とポルトガル語の両方が公用語として認められた。国家はその他の東ティモールの言語についても発展させることが義務づけられた。
 またずっとあとになって第147条で、英語とインドネシア語を行政の使用言語として認めた。これによって4つの言語が事実上、当分の間入り乱れて使われることになる。その後どうするかは自然の淘汰をまつということなのだろう。
 言語問題は非常に懸念されたことだったが、しかるべきところに決着を見たという印象だ。これは政党による違いよりも、エリート対一般市民、ポルトガル教育世代対インドネシア教育世代の対立で、フレテリンの内部にもポルトガル語公用語政策批判はかなり渦巻いていたということだろう。

国旗、国歌など

 国旗、国章(エンブレム)、国歌については別途法律で定めることになった。

差別(第16条)

 第16条は差別禁止をうたっているものだが、「何人も皮膚の色、人種、性、性的志向、民族的出自、社会的・経済的地位、政治的・イデオロギー的信条、宗教、学歴、肉体的および精神的状態を理由に差別されない」というドラフトから「性的志向」(sexual orientation)がぬけた。長い議論の末、52人がその削除に賛成した。そのかわり、そこに「結婚に関する地位」ということばが賛成57で挿入された。つまり、結婚しているか否かで差別されない、ということだ。
 こうした「性」「結婚」に関する事項は、カトリック教会としては主張のあるところ。つまり性的志向の認知はホモセクシュアルを認めることになるので反対だ。東ティモール社会はこうした点についてはかなり保守的で、ヨーロッパ並の人権水準を憲法に盛り込むことは実現しなかった。
 ただ「結婚しているか否かによる差別の禁止」は、ひとまずは人権を確保するという観点からは進歩であり、結婚の絶対性を主張するカトリック教会の意見は受け容れられなかったということだろう。東ティモールでは結婚は教会によって行い、教会に登録するのがふつうで、したがって結婚は教会が司る分野ということになる。(教会から嫌われた人物はそうした結婚・登録を拒否されることもあったと聞いている。)したがって、どのようなことが想定されるにせよ、教会と国家の分離という観点から、少なくとも国家の側はそうしたカトリック教会の側における結婚・非婚という区別に関知しないという原則がうたわれたことになる。

基本的権利(第20-55条)

 第22条は、憲法に保障された基本的権利はその他の基本的権利を排除するものではなく、すべて世界人権宣言にしたがって解釈されると定めた。また第24条では、非常事態の場合に停止できない基本権を定めた。第27条では、不法な命令、基本的権利を侵害する命令に背く権利を定めた。
 また第32条は人身保護令状の請求権を認め、第33条は推定無罪の原則、不法にえられた証拠の無効性を定め、第34条で身柄引き渡しを定めている。ただし政治的理由による身柄引き渡しはできない。
 さらに第41、42条は平和的な集会結社の自由、人種主義的・拝外主義的な結社の禁止、第43条は移動の自由を定めた。第45、46条は選挙権、第47条は請願権を定めた。
 第48条は、すべての国民が国防に貢献する義務があるとうたい、軍務については別途法律で定めるとしている。徴兵制を考えている議員もいるので、今後の議論の成り行きが注目される。
 第50条はストライキ権を認め、第52条は消費者保護をうたっている。ユニークなのは広告については法律で定めるが、あらゆる形態の隠蔽された、間接的な、あるいは誤解を与える広告は禁止するとうたっていることだ。
 第53条では私有財産権を認め、第54条では社会保障の権利、第55条では保健・医療の権利を認めている。

大統領

 大統領の権限はやはりあまり強くない。
 第75条では職務中の不逮捕特権を認めているが、第76条で議会の許可なく海外に出ては行けないと定めている。第77条では、大統領は辞任した場合次の選挙に出馬できない、大統領が死亡もしくは永久に職務遂行が不能となった場合、国会議長がこれを代行することを定めた。ただし大統領選挙は90日以内に行わなければならず、大統領代行(=国会議長)はこれに出馬できない。また大統領が一時的職務履行不能状態になった場合も国会議長が代行する。
 第86条によれば、大統領は国家評議会によって補佐される。これは議会の解散、政府(=事実上の内閣)の解散、宣戦布告・和平の布告についてアドバイスする。

議会

 第88条で、議会は52人から65人によって構成され、任期を5年とすることが定められた。そして第94条で選挙から6ヶ月間と大統領の任期の最後の6ヶ月間、および非常事態下では議会を解散できないことが定められた。第95条は議会が会期中でない場合、運営委員会を設立することを定めている。これは国会議長が委員長をつとめ、副議長、各政党の議席配分に応じた数の委員で構成される。
 議員には一定の不逮捕特権が与えられる。

政府

 第98条で「政府」とは首相と閣僚であると定義された。(これは「内閣」というべきもの。せいぜいのところ「政権」。しかしここでは用語にしたがって「政府」としておく。)第100条で、議会で最大多数の党ないしは最大数を集めた連合が首相を選び、首相が提案した政府メンバーを大統領が任命すると定められた。
 ということは首班指名が議会全体でなされることはないということだろう。
 第103条で政府の政策について議会は議論するが、それは5日を越えないとされ、不信任は議員の4分の1の提案によって提出され、過半数の賛成をもって成立するとされた。
 第106条は政府の解散の条件を記している。それは首相が辞任したときか、議会が政府の政策を二度に渡って連続して拒否したとき、信認案が否決または不信任案が可決されたときである。大統領による政府解散は、この条件を満たしたときのみ可能とされている。

司法

 司法は独立である(第112条)。第115条では、最高裁判所およびその他の通常裁判所、行政裁判所、行政・税・会計裁判所、軍事法廷を設置することが定められた。
 検事総長については第125条で大統領が任命すると定めている。ただし検事総長には顧問評議会が設置され、それは大統領の任命、政府の任命、検察の選挙による者2人、議会に選ばれた者の合計5人で構成される。また検事総長は下級裁判所で違憲と判断された法律について最高裁に判断を仰ぐことができる。

憲法改正

 第144条では、憲法改正は非常事態下ではできないことが定められた。
 第146条では、条約の批准はケースごとに所轄官庁が決定できると定められた。これはかなり効率いい反面、いろんな対外政策が議会の同意をえずして決まっていってしまうということになる。

移行規定

 1月31日、制憲議会は独立後それが通常の議会へと移行することを決定した。UDTのジョアォン・カラスカラォンらは解散選挙を求めたが、議会への意向は賛成65、反対16、棄権2,欠席5で決まった。現在首相となっているマリ・アルカティリは、もし解散選挙を決議すれば自分はいかなる暫定内閣にも参加しない(つまり辞任する)と表明していた。国連もまた改めて選挙をやることは不可能だと述べていた。
 第148条aは、重大犯罪法廷をそれが裁判を完了するまで継続して設置することを定め、第148条bは「受容・真実・和解委員会」の設置を定めた。
おわりに

 憲法は全文が制憲議会を通ったあと、そのテトゥン語訳、インドネシア語訳がつくられ、それが3月初めまでには完成し、3月9日に正式公布されると決められている。
 全体としてみると、当然ながら、フレテリンの意見がかなり反映されたかたちでできあがっている。国名、独立宣言の日などは明らかにそうで、政教分離原則、労働権の規定、国際連帯などにもフレテリンの傾向がうかがわれる。
 そしてまたフレテリンはかつてマルクス・レーニン主義政党をつくろうとした経緯もあるわけだが、国家主義的な傾向がうかがえなくもない。自由権の保障についてあまりはっきりしたところが見えない。(報道されていないだけかも知れないが。社会権についてはいろいろと報道されていてわかる。)国民は国防の義務をおうとされるが、具体的にどうこれが実現されるのか不明だ。また、表現の自由との関連で、消費者保護のためとはいえ、広告についてかなり抽象的な規制をもりこんだ。政治的な出版物の広告にもこれは適用されるのだろうか。
 大統領については、政府の一部を構成するものではない、ということは逆に政策遂行の責任をもつポジションではないということを意味する。かなりシンボル的な存在になってしまった。
 そして何より、ティモール・ロロサエというテトゥン語の国の名前はどうなるのだろう。東ティモール民主共和国という正式名称とは別に、一般にこの国をテトゥン語で呼ぶときに使われ続けるだろうか。★


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