季刊・東ティモール No. 2, January 2001

<西ティモール>

ほとんど進まない難民の帰還

 昨年9月6日におきた西ティモールでのUNHCR職員殺害事件で、難民帰還作業はストップした。インドネシアは民兵の武装解除・解散を約束し、安保理派遣団も現地訪問した。ごくわずかな住民の帰還があったものの、13万人の東ティモール人難民の大半が戻ってきていない。状況はあまり変わっていないようだ。



援助さえもらえれば

 10月17-18日、東京で開かれたCGI(インドネシア援助国会合)でインドネシアへの53億ドルの援助が決定した。それまで世銀・米政府などが援助と民兵の武装解除・解散問題をリンクさせるかまえをみせていたが、援助が決定した瞬間からインドネシア政府の民兵武装解除・解散の努力は急激にスローダウンした。10月23日、ユドヨノ政治治安調整相が、民兵のもつ武器は100-200丁になりこれで41%-91%の武装解除が終了したと語ったのが最後だ。

安保理派遣団

 国連安保理派遣団は、11月9日から17日にかけて、東ティモール、西ティモール、ジャカルタを訪問した。派遣団は14日に西ティモール入りし、クパンでピート・タリ州知事、キキ・シャナクリ第9管区司令官(当時)などと会談し、ノエルバキとヘリワンにある難民キャンプを訪問した。さらにジャカルタではメガワティ副大統領、ユドヨノ政治治安調整相、アクバル・タンジュン国会議長、ダルスマン検事総長、アルワィ・シハブ外相、国内人権委員会と会談。またいずれの場所でもNGOと面会した。
 その報告書は、民兵の活動はまだ続いており、その排除・武装解除の継続が必要であり、裁判も遅れているといった、インドネシアにかなり注文をつける内容となった。しかし、安保理はこの報告のフォロー・アップをしておらず、インドネシア政府の対応も何をやっているのかよくわからない状態だ。
 派遣団がインドネシア政府と一旦は合意したはずの、西ティモールの情勢評価のための国連の治安専門家派遣についても、のちになって結局行き詰まったと報道されている。(AFP, Nov. 21)(報告書についてはうしろの要約を参照)

散発的な帰還

 もちろんまったく帰還が進んでいないというのではない。
 UNHCRのジュネーブのスポークスパーソンによれば、アタンブアの事件以来、10月31日までに1,070人の難民が東ティモールに自力で帰還したという。帰還難民は西ティモールの役人に金を払い、トラック代を自分で出して、帰ってきたと語っている。(Indonesian Observer, Nov. 1 [AFP: Geneva])
 また11月22日には、元インドネシア軍兵士だった東ティモール人とその家族410人が、東ティモール東部のコムに船で帰還した。これについて、国連に保護を求めた民兵指導者のひとりジョアニコ・セザリオが、到着した者のうち30人が逮捕され、裁判にかけるためディリに連れて行かれた、また6人が住民に暴行を受けたなどとインドネシアのメディアに語ったが、インドネシア軍西ティモール司令官ブディ・ヘリヤント大佐はこれを否定した。
 民兵指導者が帰還を了承すれば、難民の大量帰還が可能になると考えられるところから、民兵指導者への説得作戦がいろいろと行われてきた。しかしどれも結果を産みだしてはいない。
 例えば、11月14日、国境に近い東ティモール領内のモタアインで、民兵指導者、国連、東ティモール人指導者の会議がもたれた。参加した民兵指導者は、ジョアニコ・セザリオ、カンシオ・ロペス、ネメシオ・ロペス、ドミンゴス・ペレイラ。これに7人のCNRT代表と2人のファリンティル代表が加わった。国連に近い筋によれば、ジョアニコは6,211人の部下を帰還させる具体的なプランをもっていたし、カンシオとネメシオは故郷のアイナロの視察に興味をもっていたという。(South China Morning Post, Nov. 16)
 それどころか、デ・メロ特別代表の補佐官パラメスワランによれば、カンシオは、公正ならばという条件付きで東ティモールの裁判を受け入れる用意があると語った。(Sydney Morning Herald, Nov. 18)
 11月23日には、シャナナが西ティモールにおもむき、オエシロ・ナパンという町にあるインドネシア陸軍戦略予備軍の駐屯地で、民兵指導者たちと会談した。シャナナは民兵たちに無条件の和解をしたいので東ティモールに帰るよう求めた。元アンベノ(オイクシ)県議会議長だったジョアォン・コルバヴォ(統合派)は、「来週5万人の難民がオイクシに戻るだろう」などと語った。(Kyodo, Nov. 24)
 12月20日、ジョアニコ・セザリオはバウカウに向けて視察にとびたった。彼の部下6000人が安全に帰還できるかどうか様子を見るためだ。
 しかし1月末現在、こうした努力が実を結んだとの報道はまだない。

大半が帰りたくない?

 大した進展がないまま年を越した難民問題だが、新年早々、「実は大半の東ティモール人難民が帰りたくないようだ」との発言が、イエズス会難民サービス(JRS)のフランク・ブレナン神父(オーストラリア人)の口からとびだした。情報源はUNHCRで、UNHCRは難民のうち5万人がインドネシアにとどまりたい考えだと発表した。約19,000人がインドネシア軍兵士または公務員であったため何らかの年金を受け取れる立場にあり、とどまることに利益を見いだしているらしい。(AFP, Jan. 4)
 なお、UNHCRは1月の最初の2週間で、帰還作業を終了させたいと言っている。

難民が住民の家に放火

 年末の27日には、東ティモール人難民(大半がトゥアプカンからの)が西ティモールのポト移住村の家々を焼き払うという事件がおきた。ポト移住村というのはインドネシア政府がインドネシアにとどまりたい東ティモール人難民のためにつくった村で、176軒が東ティモール人用、124軒が地元住民用に建てられている。社会的な統合をすすめるため、わざと一緒に住むように計画されている。どうやらサッカーゲームをめぐる諍いが原因で対立が激化したらしい。(AFP, Jan. 3)
 焼かれた家はほとんどが地元住民用で159軒。被害総額は50億ルピア(6,250万円)にのぼるという。難民たちはノエルバキ、トゥアプカンに移された。(Antara, Jan. 3)
 就任してまもないインドネシア軍第9管区司令官ウィルム・ダ・コスタ少将が、問題をおこした難民は強制帰還させるなどと語ったとの報道を受けて、UNTAETは、「難民の帰還は自主的なものでなければならない」とこれに反対する立場を明らかにした。(AFP, Jan. 18)
 こうしているあいだに、今度はアタンブアで地元の高校生が東ティモール人難民高校生2人を殴るという事件がおきた。これに怒った東ティモール人難民たちがバスに乗ってアタンブアの新しい市場にかけつけ、けがをさせた高校生をさがしたが見つからず、腹いせにそこにいた関係のない若者1人に暴行して、口や頭にけがをさせた。震え上がった市場の商人たちは店じまいをして帰ってしまった。(Antara, Jan. 22)

インドネシア人難民の人質事件

 東ティモールからの難民の中には、もともとインドネシア人で東ティモールに移住していて帰ってきた人たちも含まれている。
 1月25日、これらのインドネシア人難民たち約1000人がピート・タロ州知事、地元警察署長ジャコブス・ウリ准将、軍司令官ブディ・ヘリアント大佐、州議会議長ダニエル・オダ・パレら少なくとも4人を人質に、クパンの州庁舎にたてこもった。
 たてこもっている難民の指導者、パウルス・ルピタンは、東ティモールに残した財産の賠償といった要求が認められるまでたてこもると言っていたが、インドネシア政府が交渉の姿勢をみせたため、26日には4人を釈放した。(Kyodo, Jan. 25-26)
NGOの主張

 クパンを訪れた安保理派遣団に西ティモールで難民支援にたずさわるNGOの共同声明が手渡された。「西ティモール人道NGOフォーラム」と名乗るNGOの集まりは、インドネシアの民兵解散・武装解除がまったくでたらめであることを訴えている。以下はその概要。




西ティモール人道NGOフォーラム

2000年11月14日

(要点のみ要約)


 11月24日の武装解除式典(メガワティ副大統領も出席した)は国際社会をあざむくトリックに他ならず、そこで集められていた武器は民兵たちが東ティモールからやってきた1年前にすでにとられたもので9月22日にトラックでクパンから運ばれてきたものだ。
 民兵たちは解散したとは言うものの、実際にはまだ旧来の指揮系統で動いている。カンシオ・ロペスは10月14日にクパンのチュンダナ・ホテルで開かれたセミナーで、自分は東ティモールに部下を送ってゲリラ活動をさせたなどと語っている。またジョアイコ・セザリオの指揮するバウカウ拠点のサカも活発だ。
 UNHCRスタッフ殺害事件につながったオリビオ・メンドサの葬式の際、民兵たちは制服を着てエウリコ・グテレスの指示のもと軍隊式の儀式を行っていた。
 ジョアォン・タバレス率いるハリリンタルは11月8日、示威行進を行い、アタンブアの難民に国連派遣団と話をしないよう脅迫した。
 UNHCR殺害事件の容疑者として捕らえられた人物は、ネメシオ・ロペスによれば「替え玉」にすぎないという。インドネシア警察はこの発言を調査しようとしない。またインドネシア警察・軍は意図的にUNHCR事務所の警備を行わなかった可能性も数々の証言から指摘されている。


東ティモール・インドネシア安保理派遣団報告

2000年11月18日(安保理への報告は20日)

(関連部分のみ要約)


 派遣団は安保理決議1272号(1999)と1319号(2000)の実施状況視察のため東ティモールとインドネシアを訪問。派遣団の構成は、ナミビア、マレーシア、チュニジア、ウクライナ、英国、米国各国連大使、アルゼンチン国連公使の7人。東ティモールを11月12-13日、インドネシア(西ティモールとジャカルタ)を14-17日に訪問。
 以下は決議1319号実施に関連する部分の要約。

 (A) 難民

 難民キャンプでは民兵による迫害がまだ続いている、難民たちは帰還のために金を払ったり家畜を差し出したりしているといった情報がある。難民キャンプではまちがった情報が伝えられており、インドネシア政府はUNTAETと協力して、難民が自発的に帰る決心を下せるよう、また統合を求め続けている者たちに対しては住民投票の結果を受け入れるよう説得すべきだ。
 インドネシア政府が「タスク・フォース」(難民帰還担当チーム)をつくって、難民の登録を始め、インドネシアへの定住を求める者の移住計画を進めていることについては、このプロセスから統合派の人間の関与を排除する必要がある。また登録作業が信用されるためには国際機関の参加が必要だ。しかし国際機関の復帰は、治安が完全に回復しないとできない。国連が通常の手続きにしたがって、別な治安状況評価チームを派遣すべきだ。
 インドネシア政府は、東ティモールに残った者にせよ、インドネシアに定住する者にせよ、元公務員・軍人への年金支払いを行うべきだ。和解を促進する。

 (B) 治安

 インドネシア政府は、組織としての民兵はもはやいない、いるのは「元民兵」だと言っているが、どのようなかたちで存在するにせよ、これらの民兵の存在は安保理決議実施の障害だ。彼らはキャンプから排除され、重大な犯罪を犯した者は裁きを受けなければならない。そのための断固たる措置が必要だ。

 (C) 正義と和解

 東ティモールでの裁判は、UNTAETの能力の限界もあって、あまり進んでいない。しかしこれに失敗すれば、人権尊重、アカウンタビリティにもとづく文化を東ティモールに築く上でネガティブな影響があるだろう。
 派遣団はインドネシアでの裁判のペースがゆっくりなことに憂慮を表明した。インドネシア政府は裁判は確実に行うと明言し、国連人権高等弁務官事務所との協力を求めた。
 和解については、各方面が努力しているものの、統合派からの十分な反応を引き出すことに成功していない。統合派指導者たちは、インドネシアとの統合を未だもって主張しており、その上で無条件で東ティモールへの帰還を求めている。派遣団は重大犯罪の処罰と住民投票結果の受け入れは、恒久的な和解プロセスから切り離せないと説得を試みた。


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