書評

住民投票に向けた交渉の舞台裏

Jamsheed Marker, East Timor - A Memoir of the Negotiations for Independence,
McFarland & Company, Inc., Publishers, 2003, 220p.
ジャムシード・マーカー著
『東ティモールー独立交渉回顧録』、2003年。

松野明久

 住民投票の合意(5月合意)でインドネシア軍が治安を担当することになったのは、インドネシアの強固な反対と主にはオーストラリアが平和維持軍派遣に否定的だったからだ。ジャムシード・マーカーの回顧録は、そう言っているようだ。
 5月合意についてわれわれが知りたいのは、どうしてインドネシアに治安をまかせることになったのか、それはインドネシアへの妥協だったのか、妥協だったとすればなぜそこまで妥協しなければならなかったのか、という点だ。
 ジャムシード・マーカーは、コフィ・アナン国連事務総長の東ティモール問題担当特使として、5月合意に至る交渉仲介の要の人物だった。彼が書いた交渉の舞台裏、となれば当然期待は高まる。
 ジャムシード・マーカーは、パキスタンの外交官で、アフリカ、ソ連、東欧、西欧、日本、アメリカといった国々で大使をつとめたあと、国連大使となった。もともと外務省職員ではなく、民間からの登用で最初から大使となり、大使だけをつとめるという変わった経歴で、本人曰く、30年以上も「非キャリア組の大使であり続けた」。
 国連大使時代にコフィ・アナンと公私にわたって交わり、それが1997年2月、彼が東ティモール問題担当特使に任命された背景だ。この本もコフィ・アナンに捧げられている。

「憤然と」拒否

 さて、インドネシアはなぜ治安責任を国連に譲らなかったのか。話は、住民投票の方法をめぐって交渉が実質討議に入った1999年3月10-11日のニューヨークでの会議からはじまる。インドネシアのアリ・アラタス外相、ポルトガルのジャイメ・ガマ外相、そして国連の3者協議だ。このころまでにはインドネシアが提示する自治案はほぼかたまり、ポルトガルも、国連が投票を管理するのであれば、自治案のテキストに異議を唱えるつもりはないと返事をしていた。ジャムシード・マーカーは次のように書いている。

なかんずく重要なこととして、われわれは治安問題を論じた。そしてわれわれは、今回の事業全体にとって明白に重要な問題について、最も強い言葉でわれわれの憂慮を表明した。われわれは、治安維持のために国連(部隊)を現地に駐留させることを提案したが、アリ・アラタスは憤然としてこれを拒否した。治安は本質的にインドネシアの責任となるべき機能であり、したがってこれは民族の名誉と主権の問題であると、彼は力を込めて主張した。(139ページ)

 この交渉では治安についての合意はなかった。その後、国連政務局東ティモール担当のフランセスク・ベンドレルやサムラト・タムエルらがインドネシアと東ティモールを訪問し、ニューヨークに帰って4月、次のように報告した。「もし、インドネシア国軍が中立の立場をとらず、民兵を武装解除するか無力なものとするかしない限り、住民投票前後の時期、とりわけ住民投票の結果が東ティモールのインドネシアからの分離と出た場合、状況がコントロールできなくなる危険性がある。」

治安協定から削除された項目

 4月6日にはリキサ教会での虐殺、4月17日にはディリのマヌエル・カラスカラォン邸虐殺がおきていた。国連事務局は4月半ばまでに、住民投票の3種の合意文書案を作成し、4月22-23日でニューヨークで行われたポルトガル・インドネシア外相協議で、コフィ・アナン事務総長がそれを両外相に提示した。協議はコフィ・アナン自身がリードした。
 用意された文書案の3番目が「治安に関する協定」だった。準備された文案は、本には書かれていない。しかし、マーカーは次のように書いている。

外相たちが合意文書案をもちかえって本国政府の承認をえるため、4月23日にニューヨークをたったあと、われわれは情勢をレビューするため、部局間ミーティングを開いた。そこでわれわれは、インドネシアが文書案の次の項目について削除を求めたという事実を論じた。

A.インドネシア軍は民兵を武装解除する
B.インドネシア軍の早期の実質的な撤退が必要だ
C.残るインドネシア軍とファリンティル部隊は投票1月前に宿営地に入る
D.国連文民警察が訓練を行う(151ページ)

 どうやら、これらは文書案から削除された。しかし、マーカーたちは、これが協定というかたちになろうとなるまいと必須の条件であり、何らかの形でそれがインドネシア政府指導部に周知されることが必要と考え、アナン事務総長がハビビ大統領にあてて書簡を出すことになった。書簡は4月30日に送付された。アナン事務総長は次の点を投票実施の最終決定に重要だと指摘した。

1.武装市民グループの早急の管理
2.武装グループの示威行動の即時停止、平和的手段による政治的意見表明の保証
3.暴力の使用を扇動した者、脅迫した者の速やかな逮捕・起訴
4.法秩序の維持はインドネシア警察の専管事項
5.インドネシア軍の投票1月前の指定地への撤退
6.マスメディアへの自由なアクセス
7.平和安定委員会(インドネシアがつくった)への国連のフル参加、ファリンティルの武装解除の必要性(152-153ページ)

 マーカーによれば、ハビビ大統領はこの書簡について受け取りの返答をせず、アラタス外相はマーカーに口頭で、内容はインドネシア政府にとって受け入れがたいものだったと語った。マーカーは書いている。

これ(アラタス外相の返事)には、われわれも満足しなかった。しかし、たとえそれがインドネシア政府の喉元に書簡をつきつけるようなものではなかったとしても、少なくとも、われわれは、治安状況を評価する暗黙の基準となるように、自分たちの憂慮を誤解されようのないやり方で伝えたのだ。(153ページ)

 マーカーは、成立した合意の治安部分の弱さについては、次のように回顧している。

上記の文書案(すでに修正された)は、私の考えでは、要件を確保するものではなく、望まれるべきものを多く残したかたちとなった。しかし、もしわれわれがあの時、もっとがっちりとした文書を手にしていたとしても、インドネシア政府がそうした約束を現場で実施できていたかどうかは非常に疑わしかっただろう。(151ページ)

オーストラリア、アメリカの立場

 4月27日にはハワード豪首相とハビビ大統領がバリで会談を行った。この時、オーストラリアはハビビ大統領から文書案について基本的了承をえて、それを国連に通知した。そしてオーストラリアは「エイド・メモワール(覚書)」を書いて、フォローアップした。
 この覚書は、ポルトガルが治安問題を再び提起しようとしてることに懸念を表明し、この時点で治安問題をとりあげればインドネシアの拒否を誘発し、交渉全体を破産させかねないと警告した。また、国連側の軍事オブザーバーというアイデアについては、3者協議の場で出なかったことから、国連が設定目標をかってにずらしたと解釈して、インドネシアが憤激するだろうと指摘した。そして、バリでの会談から、インドネシア政府内に国連軍が投票前に東ティモールに展開することに非常に強い抵抗があり、したがって、国連は協定を署名する際にインドネシアに対して期待していることをはっきりと示すべきだと提言していた。さらに、覚書は、ハワード首相がハビビ大統領を説得して国連文民警察官の数を30人から300人にふやし、オーストラリアがこの文民警察官に力をさく用意があると書いていた。
 治安問題を取り上げることに慎重だったのは、米国も同じだった。4月29日の会議で、スタンリー・ロス国務次官補は、アナン事務総長のハビビ大統領への書簡の言葉遣いについて憂慮を表明し、何か強いことを言ってハビビ大統領が最後の最後で手を引いてしまうなることのないよう警告した。武装解除や軍事オブザーバーについて具体的な言及をさけるようにも言った。
 5月4日、ジャムシード・マーカーは、最後の外相協議にのぞむアナン事務総長にメモを出した。その時、治安に関する協定が細部を欠いている、と指摘した。また、インドネシア国内でハビビ大統領に路線に反対する勢力について、次のような評価を行っていると指摘した。つまり、(1)民兵の武装解除や軍の撤退は約束しない、(2)状況がどうであれ8月8日に投票を実施する、(3)あらゆる手だてを使って自治案をキャンペーンし、CNRTの活動はできるだけ制限する、ということだ。
 アナン事務総長は、協議中、国連が投票管理をするときに通常求める治安基準についてひとつひとつあげて説明した。アリ・アラタス外相は、国軍の撤退に関してはいかなる具体的な言及にも強固に反対した。それどころか、選挙の開始日を協定文中に書き入れることすら提案した。しかし、結局、先に提案されていた文書がそのまま通った。

国軍が鍵

 ジャムシード・マーカーは、アラタス外相がどうしてそこまで「憤慨」したり、「強固に反対」したりしたのかについて、詳しく書いていない。アラタス外相は、民族の誇りや主権をもちだした。しかし、果たしてそういうことだったのだろうか。国連はそれが求める治安基準については言うべきことは言ったという。それについて反論することは、通常難しい。あんまり非論理的な反論はできないし、アラタス外相にしてもはずかしいだろう。
 結局、治安の鍵を握っていたのはインドネシア国軍で、国連はインドネシア国軍と直接交渉することはしなかった。できなかったのだろうか。インドネシア国軍は、インドネシア国内でも自立した組織といってよく、政権がどう決めようと、勝手に行動する力をもっている。そういう国軍を育てたこと自体が、この場合、国家としての一貫性を欠く原因になったのだが、そういう特殊事情の場合、国連が直接に国軍にアプローチする以外、方法はなかっただろう。★


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