<外交>

ティモール・ギャップ問題
東ティモールから石油の横奪を狙うオーストラリア政府

ステファニー・クープ

「領土の保全を確保するまで、永久的国境ができるまで、東ティモール政府は安心していられない。土地への権利を守るために闘ってきたように、海への権利を守るためにも闘わなければならない」(マリ・アルカティリ東ティモール首相、2003年5月)


 オーストラリア人は、だれに対しても公平な振舞いをすると自慢しているが、オーストラリアと東ティモール間にあるティモール海の石油とガスの資源をめぐるオーストラリア政府の振舞いは、まったく不公平である。この資源のうち最も豊富な埋蔵量を誇る部分は、300億米ドル以上の価値がある。この部分はオーストラリアよりも東ティモールの近くにあり、東ティモールが経済的独立を達成する唯一の現実的な機会となっている。しかし、オーストラリア政府は、開発の収入の大部分を、東ティモールにではなく、オーストラリアに持ってこようと力を注いできた。
 この資源は現在二つの取り決め、すなわち、2002年のティモール海条約とサンライズユニット化協定締結のもとで開発されている。これらの協定は、東ティモールとオーストラリアが恒久的な海域の境界線を決めれば、それに取って代わられる。しかしながら、現行の取り決めは、国際法の原則に基づき境界線が確定されれば東ティモールの領域内に入るはずである地域の資源をオーストラリアに開発させることになっているので、オーストラリア政府は、現在の取り決めを変更したがらず、境界線確定交渉の日程を設定することに対して協力を渋ってきた。 東ティモール政府側は、オーストラリア政府に境界線の画定交渉をはじめるよう何回も求めてきた。ようやく(2003年)11月中旬に予備会談が行われたが、交渉そのものが来年の4月にならないと始まらない見通しである。その間、オーストラリアは、係争中の地域で開発を進め、採掘許可を与え続けていることで、東チモールとの緊張を高め、また誠意のなさを示し続けている。

前提

 以下の議論のために、まず地理的な概念を整理しておこう。東ティモールとオーストラリアとの間で係争中のティモール海海底資源(石油と天然ガス)の主要なものは、ラミナリア・コラリマ、エラン・カカトゥア、バユ・ウンダン、グレーター・サンライズ油田/ガス田の4つである。いずれも、東ティモールとオーストラリアの海岸線からの中央線よりも東ティモールに近いところに位置しており、そのうち、エラン・カカトゥアとバユ・ウンダンは東ティモールとオーストラリアの共同石油開発区域(JPDA:下述)に属しているが、ラミナリア・コラリマ(JPDAの西)とグレーター・サンライズの大部分(JPDAの東)は、オーストラリアが領有権を主張し実質的にオーストラリアの支配下に置かれている。
 各油田のプロフィールは以下の通り。

エラン・カカトゥア:JPDA内の小さな油田で、オペレーターはコノコフィリップス社。計5000万ドルほどの歳入を、オーストラリア、インドネシア、東ティモールにもたらしてきた。約90%の石油がすでに抽出されたと推測される。現在東ティモールはここからの歳入の90%を受け取っている。

バユ・ウンダン:JPDA内の大きなガス田で、オペレーターはコノコフィリップス社。今後約20年にわたり、東ティモールに約30億ドルの収入をもたらすと期待されている。

グレータ・サンライズ:バユ・ウンダンの2倍以上の埋蔵量をほこり、およそ20%が JPDA内に、80%がその東側にある。この部分は現在オーストラリアが支配しているが、東ティモールが所有権を主張している。

ラミナリア・コラリナ:JPDAの西側、東ティモールとオーストラリア双方が所有権を主張している。ウッドサイド社が1999年の後半から生産を開始し、2005年までには資源が枯渇すると見られている。オーストラリアは10億ドル以上の収入をここから得たが、東ティモールには一銭も入っていない。

法的・歴史的背景

 1972年、オーストラリアとインドネシアは、ティモール海の海底領域を画定する条約に署名した(地図を参照)。ポルトガル(当時の東ティモールの宗主国)が話し合いへの参加を拒否したため、この線引きは不完全で「ティモール・ギャップ」が発生することになった。
 当時の国際法では、沿岸国は、水深200メートルまで又は開発可能な範囲まで、自国の領土の自然延長として大陸棚への権利を有していた。オーストラリアは、自分の大陸棚の自然延長がティモール海溝(ティモール島の約40海里沖にある水深3000メートルに達する海溝)に及ぶため、その地点までの海底権があると主張した。
 この主張には反論が可能であるが(例えばポルトガルは、ティモール海溝は大陸棚の分断を構成するものではないため、ポルトガル領ティモールとオーストラリアの境界は中央線によると主張したようである)、インドネシアは結局、ティモール海溝の少し南側を境界とすることで合意した。これは、係争中の領域の80%をオーストラリアのものとする、オーストラリアに大きく有利なものであった。
 当時の駐ジャカルタ豪大使リチャード・ウールコットが、1975年のインドネシアによる東ティモール侵略直前に、「石油とガスの豊富な海底をめぐる条約は、ポルトガルや独立ポルトガル領ティモールよりもインドネシアとのほうが交渉しやすい」と豪政府に助言したとき、オーストラリアが自分に有利な条件をインドネシアに認めさせたことが彼の頭にはあったに違いない。ティモール・ギャップから得られる儲けに目を付けたオーストラリアは、インドネシアによる東ティモール不法占領を黙認し、インドネシアとの交渉の第一歩として、1978年には法的に占領を認めたのである。

 ティモール・ギャップをめぐるオーストラリアとインドネシアの交渉は(不法占領者であるインドネシアは東ティモール人の領土をめぐる意志決定権など有していないにもかかわらず)1979年に開始された。オーストラリアは、単に1972年条約で空白とされた部分を「つなげ」たがっていたが、インドネシアは、国際法と国家の慣行/その実践の変化により、ティモール・ギャップの境界線は沿岸からの中央線であるべきとして、それを拒否した。
 交渉は、1989年、両国が水域問題を一次棚上げし、資源を共同開発するためのティモール・ギャップ協定を締結することで一応の決着を見た。ティモール・ギャップ協定では、3つの共同区域が定義された。真ん中の区域Aでは、オーストラリアとインドネシアが資源を等分することとなった(北側の東ティモール側は区域Cでインドネシアの、南側は区域Bでオーストラリアのものとなった)。
 同協定のもとでの最初の開発契約が国際石油企業に与えられたのは、1991年、サンタクルス虐殺が起きたすぐ後のことであった。1994年には、最初の油田とガス田(バユ・ウンダンとより小規模のエラング・カタトゥア)がA区域で発見された。1994年後半には、共同開発区域の西側でラミナリア・コラリナ油田・ガス田が発見された(この領域は、1972年の海底条約により現在オーストラリアが支配しているが、東ティモールが領有権を主張している)。
 ティモール・ギャップ協定は、当初から、ポルトガルおよび東ティモール人指導者たちにより不法なものとして拒否され、ポルトガルは国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。1995年、ICJは、インドネシアはICJの管轄権を受け入れないため判決を出せないとしたが、同時に、東ティモールは剥奪され得ない自決権を有すると述べた。東ティモールの自決権は、1999年8月、国連主導の住民投票で東ティモールの人々がインドネシアの残虐な占領を拒否することで、ついに行使されることとなった。
 1999年10月、国連暫定統治機構(UNTAET)が東ティモールの暫定統治を開始してから、国連官僚も東ティモール人指導者も、東ティモールの将来に対する海底油田の重要性を認識し、いくらかの収入をすぐに手にするため、既存の石油企業契約を維持して開発を継続すべく振舞った。同時に、オーストラリアとの間で、ティモール・ギャップ協定に代わる協定の交渉を開始した。2001年7月、UNTAETとオーストラリアはティモール海協定に署名し、旧共同開発区域A(現在は共同石油開発区域(JPDA)と言われている)の収入分配について暫定的に合意した。これにより、インドネシア−豪間の50%対50%から、東ティモール90%オーストラリア10%に変更された。
 オーストラリア政府は、この新たなティモール海協定での配分を、極めて寛大なものと宣伝した。けれども、それは、ティモール海で最大の埋蔵量を誇るグレーター・サンライズ田の約5分の1しかJPDAに属していないという事実を曖昧にするものである。残りの5分の4は、ラミナリア・コラリナ油田と同様、JPDA外にあり、オーストラリアが支配している水域にある。UNTAETもオーストラリアも、JPDA外の領域の主権はどこにあるかについて議論を行わなかったのである。
 2002年3月、国際海洋法の専門家たちが、ディリの公開セミナーで、現行の国際法原則に従えば、東ティモールはオーストラリアとの水域境界線として、両国の中央線を主張する権利があり、その中央線は、JPDAの東西境界よりもはるかに東西に広がるものであるとと述べたことで、状況の不公平さがはっきりとした。水域境界がこのように確定されるならば、JPDAだけでなく、グレーター・サンライズとラミナリア・コラリナのほとんどすべてが東ティモールのものとなることになる。専門家たちは、東ティモールが現在の条件を受け入れるならば、本来東ティモールに正当に属している何百億ドルもの収入を失うことになるだろうと語った。

 それから間もなくして、オーストラリア政府は、領海境界線の係争すべてについて、ICJ及び国際海洋法廷(1982年の国連海洋条約(UNCLOS)のもとで生じる紛争を解決するために設置された組織)の管轄から離脱すると発表した。アルカティリ首相が「非友好的な行為」と述べたこの行為により、東ティモールの交渉力は大きく損なわれることとなった。というのも、これにより、東ティモールは、公平な第三者に係争の解決を求めることができなくなり、はるかに巨大な力を持つオーストラリアと直接交渉を続ける以外選択肢がなくなったからである。
 ティモール海以外に大規模な石油とガスを有するオーストラリア側は、国際法のもとでの水域をめぐる交渉を無期限に引き延ばすことが出来るため、東ティモールは苦境に立たされた。東ティモールは、オーストラリアとともに、2002年5月20日、東ティモール独立のまさにその日に、ティモール海条約(TST)に署名した(この条約は、ティモール海協定の合意全部を実質的に含む文書である)。けれども、同条約は、その条項が将来における両国の恒久的な海底境界線を「束縛するものではなく」と明言している。
 TSTに署名した際、東ティモールとオーストラリアは、サンライズ田の「国際ユニット化合意(IUA)」交渉を行うことで合意した。これは20.1%をJPDAの、残りをオーストラリアのものとするものだった。東ティモールは2002年12月にTSTを批准したが、オーストラリアはIUAが完結するまではTSTの批准を拒否した。東ティモール側は、JPDAにあるバユ・ウンダンの開発を開始するために、オーストラリアにTSTを一刻も早く批准してもらいたがったが、オーストラリア側は、バユ・ウンダンからの収入の10%しか得ないため、むしろIUA合意に東ティモールを取り込み、サンライズの開発を進めようとし、そのためにならばバユ・ウンダンの開発を危機に陥れることも厭わなかった。バユ・ウンダンの開発主体であるコノコ・フィリップス社が、2003年3月11日までに両国ともにTSTを批准しないならば日本の顧客がバユ・ウンダンのガス購入契約をキャンセルすると発表したため、緊張が高まった。
 オーストラリアのジョン・ハワード首相が東ティモール首相に電話をかけ、TST批准を拒否すると脅したあと、バユ・ウンダンからの収入を失うことを恐れた東ティモール政府はIUAに署名することを合意した。けれども、東ティモールは係争中の領海をめぐる主張取り下げを拒否したため、TSTと同様、IUAも、その条件は、両国の恒久的な海底境界線を「束縛するものではなく」、境界線が確定されたら合意は「再考」されると明言している。2003年3月6日、東ティモールとオーストラリアはIUAに署名し、同じ日、オーストラリア議会は、TSTを批准した。

国際法のもとでの東ティモールの主張

 1972年にインドネシアとオーストラリアが海底境界交渉を行なったときから、国際海洋法は大きく変化した。今日では、沿岸国は、慣習法とUNCLOSの双方で、海岸線から200海里まで排他的経済水域(EEZ)の権利を認められている。この領域内で、当該沿岸国は海底及び地下、海中資源の開発権を有している。さらに、以前とは異なり、沿岸国は海底の物理的性格にかかわらず、自動的に沿岸から200海里までの大陸棚の権利を有する(東ティモールは2002年10月に200海里のEEZを主張する水域境界法を採択した)。
 東ティモールとオーストラリアの場合のように、向かい合う沿岸国が400海里も離れていない場合には、EEZと大陸棚をめぐる権利が重なることになる。そうした場合についてUNCLOSは水域をどう確定するかについて明言せず、公平な解決のために当該国は誠意をもって国際法に従い交渉すべきと述べているだけである。けれども、最近の国家の慣行と国際的な判決(ICJでのカタールとバーレーンの係争をめぐる2001年の判決等)によれば、こうした場合の係争を解決するために受け入れられている手法は、まず中央線を引き、その上で、公平な結果を実現するために中央線を調整すべき特別な事情の有無を考慮するというものである。東ティモールとオーストラリアの間には該当する特別な事情は存在しないから、水域の確定は、中央線付近でなされるのが適切である。
 専門家の多くは、JPDAの東西の境界もまた、国際法における東ティモールの権利をきちんと反映していないと考えている。それについての技術的詳細を述べるスペースはないが、1972年のオーストラリア=インドネシア合意の終点、すなわち空白として残されたティモール・ギャップまでの部分(のとりわけ東側の終点)は、不当に東ティモール領を侵害しており、グレーター・サンライズおよびラミナリア・コラリナのより多くの領域あるいはそれらのすべては、正当に東ティモールの領有権に属するという強い根拠のある主張がなされている。けれども、この領域をめぐる主張を進めるためには、東ティモールはオーストラリアとだけでなくインドネシアとも交渉しなくてはならないため、非常に困難である。

おわりに

 厳密に国際法に従って領域の主張を行うことと、それをはるかに強大な隣国に受け入れさせることとは別のことである。とりわけ、何十億ドルもの資源が問題となっている場合には。現在の紛争を解決するために、オーストラリアは誠意をもって東ティモールと交渉する義務を負うが、実際にオーストラリアが、現在のように、水域境界線確定を引き延ばし、係争中の地域からの石油収入を着服し続けたとき、東ティモールにできることは(IUAの批准を行わないこと以外)あまりない。
 ティモール・ギャップの油田とガス田をめぐり強硬な態度を採っているオーストラリアは、イラクにおける米国と同じように、弱い立場にある国々から天然資源を盗み取るためには喜んで国際法を無視する国際的無法者の一員として同じ哲学を共有している。東ティモールは政治的独立を勝ち取ったが、経済的独立への闘いはまだ始まったばかりである。

参考文献:

The La'o Hamutuk Bulletin, Vol. 4, No. 3-4, August 2002  (http://etan.org/lh/bulletin.html)

"In the Matter of East Timor's Maritime Boundaries: Opinion," by Vaughan Lowe (Chichele Professor of Public International Law, Oxford University; Barrister, Essex Court Chambers, London); Christopher Carleton (Head, Law of the Sea Division, UK Hydrographic Office); Christopher Ward (Barrister-at-Law, Wentworth Chambers, Australia), 11 April 2002 (http://www.ga.com/Timor_Site/lglop.html)

"The New Timor Sea Treaty and Interim Arrangements for Joint Development of Petroleum Resources of the Timor Gap," by Gillian Triggs and Dean Bialek, Melbourne Journal of International Law, Volume 3, Number 2, October 2002 (http://www.law.unimelb.edu.au/mjil/issues/archive/2002(2)/2002_vol3(2).htm)

"Bounty versus Boundaries: Submission to the Joint Standing Committee on Treaties Inquiry into the Timor Sea Treaty and Related Exchanges of Notes Between the Government of Australia and the Government of the Democratic Republic of East Timor," Oxfam Community Aid Abroad, August 2002 (http://www.caa.org.au/campaigns/submissions/timorsea/)


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