<追悼>

羽倉正人さん、安らかに

松野明久

 仙台東チモールの会の羽倉正人さんが、昨年12月11日、亡くなられた。一旦は回復されたものと思っていたので、突然の知らせに肩をおとした。
 羽倉さんは、東ティモールには一度も行ったことがない。しかし、仙台にいて、地域の社会に根をおろして、東ティモールのためにエネルギーを費された。東ティモールが正式に独立を果たしたその年に発病され、そのまま旅だってしまわれたのは、なんとも惜しい。
 羽倉さんは、決しておしゃべりな人ではなく、しかし、黙々と仕事をするタイプの人で、年に3回ほど開いていた全国協議会の全国会議にも、どこで開こうとだいたい出席しておられた。それこそ北海道から九州まで、各地で開いていたのだが。
 羽倉さんのうちにおじゃましたことがある。夜10時すぎてから、市民運動のあれこれの仕事をしておられた。仕事がとび職だったので、疲労もあったと思うのだが、コンスタントな仕事ぶりは誰しもが認めるところだった。
 新聞の切り抜きなどを集めた「東ティモール報道」が、羽倉さんから毎月送られてきた。私は情報収集は自分の任務とこころえているつもりの者だが、これほどコンスタントなことはやったことがない。結局、『東ティモール独立史』を書いたときも、かなりこれにお世話になった。
 ラモス・ホルタ氏がノーベル平和賞を受賞して、翌年の正月に来日した。仙台での講演会には600人の聴衆が集まり、それはそれは大変な講演会だった。その時、羽倉さんからの強いアドバイスで、講演会の後、仙台の市民運動の関係者とのお茶会をするということになった。受賞後、マスコミの攻勢もすさまじく、過密な来日スケジュールの中でのプログラムで、ホルタ氏も疲れていた。しかし、羽倉さんは、これまで支援してきてくれた仙台のみなさんとぜひ面会させたいからと言った。羽倉さんはいつも影の役に徹する人だったなあと、その時のことが思い出される。
 羽倉さん、天国で安らかに。天国から東ティモールの人たちを、私たちを、見守って下さい。★


情報活動ホーム10号の目次