郷愁の只見線-3

本運転に先立ち試運転が9月29・30日、10月2・3・4日の5日間、会津若松〜只見間で運転された。
只見線で旧客列車を牽くC11の運転は、1972年10月のダイヤ改正でなくなって以来実に29年ぶりの事だった。
当時のC11は、旧型客車を4両を軽々引き、会津若松〜川口間を各駅停車で2時間30分ほどで走っていた事を考えると、急行運転、補機付きで2時間40分は少しゆっくりとした運転だが、給水設備の無い現在ではしかたの無い事かもしれない。
10月6日に会津若松で出発式が行われたあと、坂下駅、柳津駅、宮下駅、川口駅でも歓迎のセレモニー行われた。この日の200人の乗客には、地元の名産品などがプレゼントされた。
*2002年10月の運転では会津若松→只見間を4時間11分で走った。

今回成功した只見線でのSL運転が来年以降も続けるには、沿線で撮影する鉄道ファンのマナーが大切なのではないだろうか?
有名撮影地での過熱した置き三脚での場所とり、車道に平気で駐車する鉄道ファンと見られる車が多かったのは残念な事だった。一番気になったのは、すごいスピードで列車を追いかける、追っかけ組の鉄道ファンがいた事だった。只見線の沿線住民にとっては、村の中を80キロで飛ばす鉄道ファンと見られる車は、とても危険で尋常な走りとは見られず追いかけ暴走族と言われてもしかたの無い運転行為だった。
地元の方々の理解と協力があって実現したSL只見号が、心無い一部の追いかけ暴走族のために運転中止になる事だけは避けたいと思った。

*おかげさまで2002年10月の2度目の運転は10月12日〜14日の3日間(会津若松〜只見間)無事運転された。


「燃える第8只見橋」
 直前まで曇っていた、汽笛が聞こえてくる頃になると少しずつ雲の隙間から日が差してきた。
まるでスポットライトに照らされたような光景がそこにあった。(RVP-F使用)
蒲生−塩沢間 9428レ 2003年10月




第8只見橋を俯瞰するも、直前に陰ってしまった。
塩沢-蒲生間 9425レ 2003年10月




蒲生-只見間 試9425レ 2001年10月




「1+1=に〜」 昭和小学校の生徒が試乗会に招待された。
只見駅 2001年10月




雨の中を発車するC11
只見駅 試9428レ 2001年10月




今の会津では萱拭き屋根の農家は、珍しくなっていた。
只見-蒲生間 9428レ 2001年10月




「村の鎮守様」 
新鶴-根岸間 試9428レ 2001年10月。 




「夕日に輝く」 (RVP-F使用)
C11が大川橋にさしかかる頃、SLが黄金色に輝くすばらしい光景が見られた。
本郷−西若松間 9428レ 2003年10月




「夕暮れ時」(RVP-F使用)
本郷-西若松間 9428レ 2003年10月




「燃える太陽」(RVP-F使用)
本郷-西若松間 9428レ 2003年10月

2003年秋の運転は10月11日〜13日と18、19日の5日間運転された。
9月に発表されたダイヤを見てビックリした、2003年のダイヤでは9428レの本郷発が16時34分、
「昨年より早い、夕日を撮るチャンスだ」18日の日没時間が17時00分、会津盆地では山に囲まれているため
20分ぐらい日没が早いから、西の山に太陽が沈む時間は16時40分頃になる。
大川橋(阿賀川橋)に差し掛かる頃に太陽の下を通過する18、19日の2日間がチャンスのはずだと思った。
18日は快晴で明るすぎる太陽だったが、大川橋を見上げる築堤の下から600ミリで見上げ逆光で狙う。
太陽の下をC11の煙突が通過する一瞬だけカマの排気で太陽がゆらいだ、予想どうりの絵が撮れたと思った。
19日も快晴だった。今日は車体のギラリを狙う。橋の北側、築堤の上から200ミリと600ミリをセットして待つ。
C11325号機は旧客の編成を黄金色に輝かせながら、橋梁を渡って来た。橋の中ほどでギラリと光った。

SLに限らず、狙った絵を物に出来た時の充実感は何にもましてすばらしい。



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